第28話 設計図
オウメの村が滅んでいた事実を重く見たハヤクモが各地に調査を飛ばした結果、少なくとも新たに三つの村が滅びていたことが判明した。
「関東全域でスズメバチ型機蟲の被害がでている。いずれも交流が盛んではない、人口百人にも満たない小さな集落だ。おかげで被害の全容は掴めきれない」
関東の地図をハヤクモは難しい顔をして眺めた。
「有力な藩の指導者はこの状況を把握しているのかい?」
ミズキの質問に、ハヤクモは頷いた。
「それとなく情報は流してある」
「いつもながら手が早いね」
「仕事ができる男、という意味で受け取っておくぞ。そっちこそ、例の依頼はどうなんだ? 費用も締切も大幅に過ぎているんだが?」
「絶賛、製作中だよ。でもさぁ、斬鉄剣の試し斬りで寄り道していたおかげで今回のことが分かったんだ。ちょっとぐらい多めに見てくれよ」
「それとこれは話が別だ。完成と聞いてワクワクしていたのに、いざ渡されたのが刀身が折れて鞘しかない代物だった時の俺の気持ちを考えたことはあるか?」
「めんごめんご」
ジロリとにらむハヤクモにミズキは手のひらをひらひらさせた。側から見ても謝る気は一切感じられない。この二人は仲がいいのか悪いのか分からない。表向きは友好を装っていても、どこか刺々しいやり取りがちょこちょこ見られる。二人が無言で応酬していると、注意を促すようにハヤクモの側近であるマダラがこほんと咳払いをした。
「例のスズメバチ型機蟲ですが、彼らが襲っているのは人間だけではありません。他の機蟲を攻撃している場面を複数回観察されており、とりわけウマノオバチをあえて狙っているようです。駆除している、と言っても過言ではありません」
「誰かの指揮のもと動いている可能性があるということか」
「共倒れしてくれれば万々歳なんだがな」
ヨノの言葉にミズキは首を振った。
「難しいだろうね。強さではスズメバチが圧倒的だ。今は数の面ではウマノオバチが勝っているけれど、人間を餌に兵隊バチがどんどん増えていったら逆転するだろう」
場がしんと静まりかえる。ウマノオバチでさえ手に負えない相手なのだ。それをさらに上をいく脅威相手に解決の糸口は何もつかめていなかった。
トウキョウでの俺の立場は微妙であった。何しろ各地で人間を襲っているスズメバチ型機蟲と同じ蟲人である。関係性を疑われてもおかしくない。ハヤクモがいる手前、面と向かってお前の仲間ではないのかと言われることはないが、歩いていれば露骨な好奇の目を向けられることは以前よりぐっと増えた。
とりわけ人間を極限に憎んでいる集団は厄介だった。彼らは今回の件に俺が関わっていると信じて疑わず羨望の眼差しを向け、視界に入れば何かと声をかけてくる。「このまま人間社会を滅ぼしましょう!」とまで言う輩もいた。いちいち相手をするのがめんどくさくて、彼らを避けるように立ち回らねばならなかった。
本当は調査に加わって各地を飛び回りたかったが、ハヤクモから今の状況ではお前は表立って動かない方がいいと言われれば大人しく従う他ない。かといって日がな一日、部屋に引きこもるのは流石に飽きる。自然とミズキの出張研究所に入り浸ることが増えた。
「どうぞどうぞ避難所として使って欲しい。いやあ、しかしどうしてだろうね。僕の愛は本物だというのに蟲人たちに避けられてしまうのだよ。本当におかしいな」
ミズキのいう通り、彼に好き好んで近づく蟲人はヨノとハヤクモ以外いない。過去に何があったのか知らないが、以前は研究所の本拠はトウキョウだったと聞くから色々とやらかしているだろうと容易に想像がついた。俺としては周囲の目がなく都合がよかった。
「ミズキはいつまでこっちにいるの?」
「今回の件が落ち着くまでかな。安心して僕の助手を努めて欲しい」
「雑用係の間違いでは?」
「研究に雑用という言葉はない。得られる成果以外のすべての諸事を雑用というなら、雑用で終わる研究者なんて山ほどいる。一つ一つの、なんてことのない積み重ねが誰かの未来へとつながるんだよ」
「そう言うなら実験器具を洗うの手伝って欲しいんだけれど」
ミズキは肩をすくめた。絶対に手伝う気がない。
そうしてシン・斬鉄剣の改良を手伝ったり、実験データの入力や文献探しをしていたら、なんだかんだ一日があっという間に過ぎていく。
そして今日も同じような日になるだろうと研究所を訪れると、いつも奥で引っ込んでいるミズキが入口近くで構えており、俺を見るなり席から立ち上がった。
「待ってたよ」
そのまま通されたのはミズキの部屋だった。今まで入室禁止でミズキ以外の者が出入りしているのを見たことがなかった。書斎部屋のようで一式の机と椅子が二脚置かれていた。ミズキは俺に座るように促すと、机に紙資料を置いた。
「結果がでたよ。あのスズメバチ型蟲人と君の遺伝子情報と100%一致した。一応何度か検査しなおしたけれど結果はすべて同じだった」
「そっか」
渡された資料にはACGTの4つの記号がずらりと並んでいた。これが俺の設計図で、複製品のうちの数ある一つなのだとぼんやり思った。
「思ったより驚かないね。何か思い当たる節があるのかい?」
「初めてあのスズメバチをみた時に、懐かしい感じがしたんだ。攻撃しても見逃されたこともあったし。心のどこかでもしかして仲間なんじゃないかと思っていた」
「なるほどね。君の中の機蟲が同じ仲間であると知らせていたかもしれないね。君の母親のことを聞いてもいいかい?」
「よく覚えていない。生まれたのはどこかの暗い穴の中だったとうっすら憶えているけれど物心着く前の記憶は曖昧なんだ。このことをハヤクモに言うの?」
「もし聞かれたらね。嘘は苦手なんだ。あれがスズメバチ型蟲人というのもまだ言っていないし。さて、じゃあ今日も一日頼むよ。そろそろシン・斬鉄剣の完成させなければ今後の予算が減らされてしまう」
何事もなく部屋を出て行こうとするミズキに、驚きを隠せなかった。言葉を失っていると、ミズキはさも不思議そうな顔をした。
「どうしたんだい?」
「俺、各地で人を殺戮しているあのスズメバチと一緒なんだよ? どうにかしようと思わないの?」
「ああ、そういうことか。別にアラタ君自身がやっているわけではないだろう? なら関係ないじゃないか」
「俺の言っていることを一寸の疑いもしないの? どうみても怪しいでしょう? 放っておいていいの?」
「そりゃあ好奇心のかたまりだから思う存分調べたいし、知りたいことが知りたい。でもそれで距離感間違えて過去に盛大な失敗をしたことがあるからね。言いたくなければ無理に聞き出そうとはしたくない。それともなにかい、僕が君をとっ捕まえて尋問したり、興味深い実験動物だと拘束するとでも思ったのかい?」
うなずくと、ミズキは傷ついた顔をした。
「僕って君の中でそういう感じのイメージなのか。ショックだな。でもそうなら逆に聞きたいことがある。どうしてサンプル提供を断ったり、結果が出る前に逃げなかったのかい?」
「……どうしたらいいのか分からなかった。俺が何なのか、何をしたいのか何も分からないんだ」
「だからずるずると決断をすることも逃げることもしなかったと。まるでただ殺されるのを待っていたようだね」
「……そうかもしれない。あのスズメバチ型蟲人が俺の行き着く先なら、人を食らって餌にするような害悪な存在になるのなら、まだ人の意識があるうちに果てたい」
ヒカルの絶望の顔が浮かぶ。ヒカルは生きろと言ってくれたけれど、俺はあの化け物たちと同じ存在で、あの時のようにヒカルを傷つけてしまうならその方がいいのかもしれない。オウメであのスズメバチを見た時からそう考えていた。
「そうかい。なら君の体が欲しい。安らかな死と引き換えにどうだい? 痛みもなく、眠るように逝けるよ。君が望むなら今すぐに可能だ」
ミズキはペントバルビタールと書かれたガラス瓶とディスポ注射の入ったトレイを机に置いた。
「いや実はね、結果自体は結構前にでていたんだが、この結果を受けて君がショックで自殺を試みるんじゃないかと思ってね。自分で死ぬのって大変だろう? 死のうとして中途半端に生き残ったり損傷の激しい体にされるよりは、綺麗なままでいて欲しいからね、それ用のプランを用意していたんだよ。大丈夫、君の体にどんな実験をやりたいかは今、一から説明するから。インフォームドコンセントは大事だからね」
続いてミズキは辞書のような厚みのある資料をどんと机に置いた。
表紙には『スズメバチ型蟲人 被験体:アラタ』と書かれていて俺専用に用意されたものだと分かるし、その分厚さから一日や二日で考えたものではない。「じゃあ、ます実験Aなんだけれど」と表紙をめくって語り始めたミズキの目は本気で、流れるような早口からは新しい実験体が得られる喜びと興奮がまったく隠れていない。冗談でもなんでもなくミズキは俺がうなずけばすぐに実行に移す。頭にグンマで見た標本たちが思い浮かんだ。
色々と考えるのが嫌になって誰かに決断を委ねられたらと思っていた。だがしかし、こんなにも躊躇なく流れるように死後のことを提案されるとは思わず、戸惑いしかない。
「ちょっと待って。流石に考える時間が欲しい」
「痛くないよ最初にチクっと注射するだけだよ? それで君の意識が消失するから後のことは何も考えなくていい。生体実験もしたいから死ぬのは少し先延ばしになるけれど、その間君はずっと眠ったままだし起きることはまずないから心配しないでいい。注射が怖いなら吸入麻酔がある。安心して僕に身を委ねてほしい」
「いや死にたくないです生きたいです。なので今回のはなかったことにして欲しいです、すいませんでした」
「どうしてだい? 何が君の心情を変えたんだ?」
ミズキは机を乗り上げてきた。曇りなき眼だった。
「どうしても何もこういう時ってさ、少しぐらい引き留めようとか思わない? そんなこと言うなって怒ったりしない? なんでさ、死にたいって言うのを待ってました! と言わんばかりに準備完了しているんだよ! なんだよこの資料! 明らかにシン・斬鉄剣そっちのけでこっちに力を入れていただろう! 怖すぎて逆に死にたくなくなったわ!」
「僕はね、いつだって僕のやりたいように生きているんだ。貴重なサンプルが胸に飛び込んできたら、どこにもいかないようにきっちり確保したい。そもそも他人の気持ちを慮るようなタイプじゃないし」
「ヒトノココロガナイ」
「よく言われるよ、そのセリフ」
「だろうね!」
「でも残念だよ。死にたくなったら真っ先に僕に相談して欲しい。いつでも待っているから」
ミズキはしぶしぶと資料を片付けた。演技とかじゃない。本当にガッカリしている。
「前から聞きたかったけれど、ミズキってどうしてそこまで研究熱心なの? その目的ってなに?」
「僕はね、蟲人になりたいのさ」
「蟲人に?」
「そうだよ。飛んでいる蟲人を見ていると、どうして僕の背中に羽がないのだろうと僻んでしまう。機蟲を狩っている蟲人を見ると、どうして僕の体はこんなにも脆弱なのだろうと絶望する。軽やかに動きまわる蟲人を見ると、どうして僕の肉体はこんなにも重いのだろうと悲しくなる。ないものねだりだと分かっていても嫉妬せずにはいられないんだ」
ミズキは椅子に深く寄りかかった。
「蟲人同士は彼らの中にいる機蟲が引き合い、互いの存在が分かると聞く。でも僕の中にはいない。羽化せずに死んだって何となく分かるんだよ。今のままでは僕は蟲人にはなれない。だから別の道がないか探しているんだ。自分だけの力で空を飛んで見たい。生涯をかけるのに足りる、素敵な夢だろう?」
「でも、もし蟲人になれたとして、飛べないオサムシだったらどうするの?」
「いうまでもない。飛べるよう目指すだけさ」
そうだ、ミズキはそういう人間だ。誰にどう思われようがお構いなく、やりたいことをやる。その迷いのなさを少しだけうらやましく感じた。
「人生は短いんだ。あれこれ気にしていたらあっという間に終わる。だからいつだって僕は僕のために生きる。だからね、アラタ君」
彼は優しい目をした。
「さっきの話、考え直してくれないかい?」
「お断りします」
ええーそんなーと嘆くミズキは、どこまでも油断ならなくて自由で、こんな風に生きている人がいるなら、俺だってもっと羽ばたいていいのだろう。そう考えると、グンマの頃から鬱々と抱えていた荷が少し心が軽くなったようだった。
背後からノックが聞こえた。ミズキがものすごくめんどくさそうに立ち上がり扉を開けると、紫がかった長髪が飛び込んできた。ハヤクモの側近のマダラだった。
「どうしたんだい、そんなに息を切らして? 斬鉄剣なら鋭意製作中で催促しても制作スピードはあがらないよ」
「いえ、別件でハヤクモさんが危急お二人を呼んで欲しいと」
「ふーん。一体何の用だい?」
「数刻後に緊急全国放送が流れるとのことです」
ミズキの眉がつりあがった。
「発信元は?」
「サガミです。恐らく例の村全滅を受けてのことだと思われます」
「分かった。今行く」
マイペースなミズキがいつになく真剣な様子に、何かただならない事態が起きていることは分かった。
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