第24話 蟲だけに


 棚を通り抜けた先の部屋は広かったが、実験台が所狭しに何台も置かれ、大人一人が通れる隙間しかなく手狭な印象だ。上にはガラス容器やピペット、コンピュータのほかによく分からない機械が並んでいた。

「これがハヤクモさんに頼まれて新しく開発中の兵器だよ」

 机に置かれたものはどこからどう見ても日本刀だった。

 ヨノが手にもち鞘から抜くと、怪しく光る刀身が現れる。彼は腕だけ機蟲形態に変化させると、躊躇いもなく斬りつけた。機蟲の装甲に刀が沈み、ヨノはヒュウと口笛を吹いた。

「とんでもない切れ味だな」

「ウスバカマキリ型機蟲の顎の部分をコーティングしてあるからね。大抵の機蟲の装甲なら切れると思うよ。ヨノさんがきてくれて良かった。ちょうど機蟲随一の硬度を誇るカブトムシ型の装甲を試し斬りしたかったんだよ。背中も斬りつけていい?」

「俺の背後がとれるならいつでも」

「研究者に戦闘を要求しないでくれよ。アラタ君はどう? 斬られてみたくない?」

「遠慮しておきます」

 ミズキは露骨にガッカリしたがその反応はおかしい。ミズキを無視して日本刀を改めて見る。機蟲のボディを切りつけることが可能なんて底冷えするような恐ろしさだ。人間の武器は現状、駆虫薬と一部の特殊武器だけだが、もしこれが人間の手に渡って量産されたらと考えるだけでも身震いする。

「これ、流通したら大変なことにならない?」

「当面のところは大丈夫だよ。個人じゃ賄えないほどの莫大な資金と、材料集めと加工をやってくれる蟲人たちの力が必要だからね」

「でもさ、ゆくゆくは蟲人の不利にならない? どうしてハヤクモはこんなもの作ろうとしているんだ?」

「たとえハヤクモさんが実行に移さなくても、遠からず他の誰かがやっていたさ。革新的なアイディアを思いつきた時には、同じことを考える人間が千人はいると思った方がいい。そのアイディアを誰よりも先んじて実現した者が先駆者・発明者として讃えられるんだ。それに先に作っておいた方が対抗手段も考えられるからね。あとは蟲人の存在を無視させないためだろう」

「無視させない?」

 蟲だけに、と言ったヨノに構わずミズキは続けた。

「アラタ君はウマノオバチを狩ってみて、こいつらはこんなに弱かったのかと驚いただろう? だというのにどうして人間社会は蟲人を対機蟲の兵器として利用しないか不思議に思わなかったかい? どこの藩も蟲人に人権を認めずをひた隠しにする。なぜだか分かるかい?」

「……分からない」

 ミズキは笑みを深くした。

「蟲人と人間を区別する方法がないからだよ。区別がつかないなら同じ存在だと認めざるを得ない。それってつまり、どんな人間であろうと蟲人になる可能性があることだろう」

「ミズキも蟲人にいつかなるかもしれないっこと?」

「そうだよ。残念ながら可能性としては低いけれどね。人間が蟲人になる確率は生まれた時が高く、歳をとるごとにどんどん下がっていく。でもゼロじゃない。可能性というやつは厄介なもので限りなくゼロであろうと、人間にとっていつ自分があの化け物になるかもしれないなんていうのは耐え難い恐怖なのさ。旧文明で人の体内から蟲があふれでる原因がウマノオバチ型機蟲と分からず、正体不明の奇病だとされていた頃。隣人が突如、蟲の苗床になるかもしれない恐怖の日々に怯え疑心暗鬼になり、お互い殺傷しあう事例が多数発生したんだ。機蟲の被害よりもそっちの方が、文明に打撃を与えたと言われているぐらい深刻だったのさ。自覚のない人狼が歩きまわり、誰もが己を身の潔白と信じる狂人を演じ、毎日開廷する魔女裁判状態だったと当時の人間が書き残しているよ。人間にとっての蟲人も同じさ。だから恐怖を隠すために、存在を認めないために蟲人を抹殺する」

「いっそ、いつかなるかもって認めてしまった方が楽じゃない?」

「それは君が蟲人だから言えるのさ。ピアスみたいなものだよ。一度穴を開けたらこんなものかと思うけれど、開けるまではとても怖いし、ありもしない幻痛に怯える。あっち側とこっち側には深い断絶があるのさ。だが、この溝をこのままにしておいたら非常に危うい。最悪共倒れになる」

「どうして?」

「蟲人は初めて記録されてから二十年と経っていない最近現れた存在だ。けれど年々、羽化して蟲人になる者たちが明らかに増えているんだよ。数が少ないうちは殺しつくせた。だが、数が増えてくれば当然どんどんとりこぼれていく。そうして迫害され社会に殺されかけた蟲人たちは憎しみをつのらせ復讐を誓うだろう。徒党を組んで蟲人たちだけの世界を作ろうという極端な野望を持つ、人間社会を破滅させる新たな存在になりかねない。そうならないようにするにはどうしたらいいと思う?」

「蟲人がそこまで危険ではないと思わせる」

「そのとおり。ハヤクモさんが積極的に機蟲の遺体をオークションに流す理由は? それを狩れる存在がいると知らせ利用価値があると思わせるためだ。あえて蟲人に対抗しうる武器を作る理由は? 蟲人は制御可能だと思わせるためだ。人間社会へ蟲人という存在の認知そして共存こそ、ハヤクモさんが目指していることさ。多分ね」

「……多分なの?」

「いやだってハヤクモさんとそういう話したことないし人間と蟲人の将来なんてそもそも興味ないし。僕としては蟲人だけの世界もありだよ。だって見たくない? いや実現したところで僕は十中八九見れない訳だが、そんな理想郷すぎる世界を目指す蟲人いるなら応援するよ。アラタ君、その気ない?」

「ないです。人間の友達がいるので」

「じゃあもしその人間の友達が蟲人になったら?」

 ヒカルが蟲人になったら、別に人間なんてどうでもよくなるだろう。万一、蟲人になったヒカルが人間に殺されようものなら――人間社会を破滅させたいと願う存在に俺もなりえる。ミズキは見透かすような目をした。

「人間は所属が変わるだけで簡単に方針を変えてしまえる生き物なのさ」

 ヨノの大きな寝息が部屋に響いた。

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