第22話 グンマ
「護衛を頼みたい?」
「ああ。蟲人の集う町の一つにグンマと呼ばれる場所があるのだが、そこの知り合いがトウキョウに来るまでの道中の護衛を頼みたいんだ。地上を探索するせっかくの機会だ。どうだ?」
「どうして俺なの?」
「最初は私が行くつもりだったんだが、先方がスズメバチ型蟲人のお前にぜひともすぐに会いたいとご指名が入ってな。もちろん報酬は弾むぞ」
グンマ。聞いたことがない土地だ。ハヤクモの用意した地図を見ればトウキョウから南方の山岳地帯で、ここからバイクでほぼ一日がかる辺境だ。今まで見たことのない機蟲がいるのは間違いない。そろそろこの近辺の機蟲はあらかた狩ったことがあり、他の地域も見て回ってみたいと思っていたところだ。己の実力を試すいい機会で断る理由はない。
「分かった。引き受けるよ」
どんな機蟲が見られるか、初めての旅路にワクワクがとまらなかった。
――という気持ちは、トウキョウのはずれで、支度を終え行く気満々でバイクに跨っているヨノを見て消えた。
「聞いていないぞ!」
「言ったら断っていただろう?」
ハヤクモは素知らぬ顔をしていった。
「当たり前だ!! そもそもなんでヨノなのさ! 他にもいるでしょう!」
あの地獄の訓練が頭をよぎり、体が震え始める。トラウマだ。普段みたいに誰かがサポートしたり、猪突猛進しないようヨノの手綱を握ってくれるなら問題ないが、一対一は荷が重すぎる。それも危険度が不明の機蟲が跋扈する地上を二人っきりなんて恐ろしい。
「ヨノは誰かにものを教えるのは初めてだったが、遠征を何度もしていて旅慣れしている。学ぶことは多いだろう。妙に感はいいし何よりあの固い装甲は心強く、どんな窮地でも脱してきた。不死身のヨノと言われているぐらいだ」
「本人が不死身でも同じ場にいる人間は死なない? 本当に大丈夫なの? 今まで同行した人は無事なの?」
「死んだ者はいない」
今のところは、と小さくハヤクモが呟いたのを聞き逃さなかった。死んでいないだけで重症は負っているのじゃなかろうなと暗澹たる気持ちが立ち込めた。訓練の時といい、ハヤクモの謎のヨノ推しがわからなかった。
「弟子の初遠征に師匠がついていかない訳にはいかないな! さぁ行くぞ!」
ヨノはこっちの心境などまるで知らずにピクニック気分で盛り上がっている。俺が「師匠! あなたと一緒で心強いです!」と思っていると信じて疑わない目だ。
「くれぐれも気をつけてな。死ぬなよ」
ハヤクモの言葉にけっと内心思いながらも道中の平穏を祈り、行くしかなかった。
片方が体の一部を機蟲形態のまま維持すれば、基本的に機蟲は襲ってこないため、地上を探索するときは二人一組、可能なら三人一組で行動するのが基本だそうだ。
今回は長距離で、帰りは三人に増える。そのため燃料の節約を考えて二人一組が最適だ。
「そういえば今から迎えに行く人って機蟲博士なんだっけ? どんな人なの?」
「変人だ、ものすっごくな」
ヨノが苦々しい顔で言うからにはよっぽどなのだろう。帰りの道中がますます不安になった。
太い木の根をよけながらバイクは進む。途中、ウマノオバチが数匹集まって地面にお尻を突き刺しているのを見ると、あそこの下に地下都市があるのだろうと分かる。マチダのように常時、地上に殺虫剤をまける藩の方が少ない。彼らの産卵を邪魔したいが、その前にバイクは通り過ぎてしまう。止める余裕もなかった。
バイクの燃料がつきて見知らぬ土地で放り出されれば、蟲人といえども油断すれば殺される弱肉強食の世界だ。産卵管から地下にいる人間たちがうまく逃げられますようにと願うしかなかった。
幸い、道中で機蟲に襲いかかってくることはなかった。ただ一度だけ、ヨノがはっとした顔してバイクを停めたことがあった。
立ちションのためバイクを停めたのにしては緊迫感に満ちた顔で、一点をずっと見ていた。ヨノの視線の先を見て、驚いた。機蟲形態の蟲人がいた。おそらくアゲハチョウ型だ。こちらを警戒することなくふわりふわりと羽を動かし飛び回っている。
「知り合いなの?」
「いや、違うな」
あれが人間性の死を迎えた蟲人か。人の意識は感じられず、機械的に動いているように見えたが、どこか美しかった。もし俺が機蟲に意識を乗っ取られたら――ああはなれない。樹液に集う他の機蟲を蹴散らすし、邪魔者は排除するだろう。せいぜいそうならないよう、意識を強く保とうと心に決めた。
出発した時はまだ見えていなかった太陽が、再び地平線に帰る頃に、ようやく目的地に到着した。
あらかじめ訪問の知らせが届いていたのだろう。門の近くに人が立っており、大きく手を振って来た。
「いやあ、よく来てくれたね!」
門までたどり着いてバイクから降りると、彼は駆け寄ってきた。三十前後ぐらいの男性であまり手入れをしていない黒髪は寝癖が立ち放題だった。白衣を着ており、例の機蟲博士かその関係者に間違いない。
「久しぶりだな、先生」
「ヨノさんこそ。それで君がハヤクモさんの言っていた、最近トウキョウにやってきたスズメバチ型の蟲人かい?」
先生と呼ばれた男は、さっきからずっと俺を見ていた。
「そうだけれど」
頷いたとたん、バシッと両手を掴まれた。
「僕と一緒に研究してくれないか?」
「は?」
「研究対象になってくれないか? の間違いだろ」
ヨノが俺と先生の間に割って入る。
「そういうと誰もイエスって言ってくれないんだよ。大丈夫、大丈夫。痛いことは何もしないよ。苦痛や恐怖は研究データの価値を大幅に歪めてしまうって分かってきたからね。拷問に近い実験なんてマッドサイエンスを出して読者を喜ばせる、物語に欠かせないスパイスみたいなものさ。現実では苦痛の軽減は鉄則。痛いことをする時はデータ採取に支障がない限りは鎮痛薬を使うし、それも嫌っていうなら全身麻酔を使うよ。ありのままの君のことが知りたいんだ。手始めに血液・毛髪・唾液・尿・糞便のサンプルが欲しい」
「ふんべん?」
「うんちのことだ。1gほど専用の容器に入れてくれればいいよ」
にじりよってくる博士から逃れるようヨノの後ろに隠れた。彼のたくましい背中がこんなに頼もしいと思ったのは初めてだった。
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