第17話 トウキョウ
浅い眠りと覚醒を繰り返しているうちに、深いまどろみに落ちていった。底のない暗闇にいると思えば、天井はぽっかり空いており、穴の中だと気づいた。ここはどこだろうと手を伸ばそうとして――手がなかった。足もない。首もなく体は白く丸々としていた。動こうとしても身をくねらせることしかできない。こんなのは俺じゃない。俺には鼻がある。歯がある。手と足が二本ある。本来の人間の姿を思い描く。けれど姿形は一向に変わらない。一生このままなのだろうか。嫌だ、嫌だと首を振ると、どこからか声が聞こえた。
――それがお前の真の姿なのだと
「着いたぞ」
軽く頬を叩かれ、意識が浮上する。バイクの一定の振動に揺られながらうたた寝をしていたらしい。ハヤクモがそばにいると落ち着かなくなるのに、彼に背を預けて寝てしまうほど体は限界を向かえていたようだ。気づけば布が再び体に巻かれている。いくらか寝た分、調子はぐっとよくなっていた。
坑道とは違う周囲の明るさにまさかと思って頭を上げれば、太陽が見えた。人工ではなく、白い霧に包まれていない本物の太陽だ。その真下には朽ちたビル群が見えた。
「もしかして地上?」
「そうだ」
「殺虫剤をまいていないのに、地上に人間が住めるのか?」
「蟲人は機蟲に襲われることがあまりないからな。蟲人特有のフェロモンがあるらしく、機蟲がその臭いを嗅ぐと飛び去っていくのさ。戦って勝ち目のない相手にわざわざ喧嘩を売る生き物なんて人間ぐらいなものだ。それに殺虫剤は機蟲形態の時は機蟲なみにダメージをくらい最悪死ぬ」
もしかして殺虫剤散布に初めて従事した際、吐きまくったのは蟲人だった影響もあるのだろうか。一歩間違っていたら死んでいたかもしれない状況に、改めて防護服のありがたみが深まる。同時にお前は蟲人なのだと言う事実を改めて突きつけられたようだった。
ハヤクモのバイクが一番近くにあった崩壊一歩手前のビルに近づくと、中年の筋肉質の男性が割れた窓から顔をだし、こちらの姿を見かけるや塀から飛び降りた。地面に着地する寸前、背中に茶色い大きな羽が見えたが、こちらに駆け寄って来る時には消えていた。
「ハヤクモ! 帰ってくる時は連絡をよこせと何度言ったら分かる!?」
「両手が塞がっていたものでな」
「塞がっていなかろうとなかろうと連絡よこさないのはいつものことだろう。それより大変だ。マチダとヨコハマが機蟲に襲われた」
「知っている。どちらも現場に立ち会っているからな」
「相変わらず悪運の強い。それでその坊主は?」
男はじっと伺うように俺のことを見てきたため、負けじと睨み返す。年は三十代だろうか。ハヤクモよりやや年上に見える。大小二本のアホ毛を頭部に生やした茶褐色の短髪で、クリッとした目はどこかとぼけた印象を受け、陽気な雰囲気を出していた。
「ヨコハマで拾った」
人のことを犬猫のように言うなと抗議する暇もなく、ひょいと布ごと持ち上げられ男に手渡された。
「見たとおりまだ羽化したてだ。怪我もしている。食事とゆっくり休める場所を用意して欲しい」
「まったくいつも唐突なんだよ、お前は」
荷物のように男の肩に担がれる。抵抗を試みるも先ほどより布がキツく縛られて身動きがとれなかった。
「俺は物じゃないぞ!」
「ひとまずゆっくり休息をとるんだ。また後でな」
「人の話を聞け!!」
ひらひら手をふると、ハヤクモはバイクを発車させあっという間に姿が見えなくなった。置いていかれた。ハヤクモも苦手な相手だったが、この誰とも知らぬ男よりはまだマシだった。
「ということでよろしくな坊主。お前は何型蟲人だ? 俺はカブトムシだ」
しかもめちゃくちゃ馴れ馴れしい。己が蟲人であった事実をまだ受け止めきれていないのに何型蟲人?ではない。距離感がつかめず返答しないままでも男は特に気に留めることなく、智略型かぁと言って男は俺を担いでビルの群の中へと歩き始めた。
緑に覆われた鉄筋剥き出しのコンクリートの建物が道々に生えており旧文明の残滓が強く残る町だった。電気は通っているようで建物内部の電球が灯っており、時折、ガラス窓からチラチラとこちらを伺う影が見えた。あれらすべてが蟲人なら、まさにここは巣窟だろう。
このまま蓑虫状態のまま人目に晒されるのは嫌だと脱出を図ろうとしたが男は見た目通り力があり、ガッツリ掴まれて最終的に力尽きた。せめて顔が見られないよう布の中でちぢまっていると進行方向から子供の声が聞こえた。
「ヨノー! 何を肩に担いでいるの?」
「この村の新入りの坊主だ。恥ずかしがり屋だからつついても反応しないぞ」
ヨノが腰をかがめると、遠慮なく子供たちの指が俺の背中をつついて、本当だーとのたまう。そのままじっと耐えていると興味をなくしたのか、つまんないと言ってやめ、パタパタと走る音が聞こえた。布の隙間から通り過ぎていく子供の顔をのぞく。当然ながらみな三つ目かと思いきや、見当たらない。俺の疑問を察したのか、ヨノと呼ばれた男は、子供たちの足音が聞こえなくなるとささやくように言った。
「人間だ。蟲人から生まれた子が必ずしも蟲人になるとは限らない。逆も然り。それに蟲人全員が生まれながら三つ目でもなく、途中からひょっこり生えることもある。けれど、ただの人間からしたら蟲人なんて隣人が突如化け物になったとしか思えない。人間という生き物は少しでも害があると判断した生物に対してどこまでも非情だ。蟲人が現れたら家族どころか一族ごと殺されそうになったり、追放されることもある。そういう人たちの受け皿になろうとハヤクモはこの町を住めるようにしたのだ。ここの住民の八割は普通の人たちだ」
思っていたよりも普通の人間が圧倒的に多い。蟲人と人間。同じ地で暮らすことは可能なのだ。一方で暴走した記憶が本当にそうなのだろうかと疑いを投げかけていた。
「ハヤクモに命からがら助けてもらった人は多い。蟲人が最も死ぬ確率が高いのは生まれた直後。三つ目をもった赤ん坊が人知れず殺されることが多い。その次が羽化直後で今のお前の状態。筋肉がふにゃふにゃで二、三日はまともに動けない中、突如化け物になった人間に恐れをなした周囲にボコられて死ぬ、研究材料として捕獲され死亡、何を食べたらエネルギーになるのか分からないまま餓死、人間形態の戻り方が分からず蟲人形態のまま意識が乗っ取られる人間性の死だ」
「……人間性の死?」
物騒な言葉に思わず聞き返した。
「時々、別の意思が体の中にあるような気がすることはないか? 知っていると思うが蟲人は人間形態と機蟲形態をとれる。人間形態の時に人の意思が主体として働くように、機蟲形態の時は機蟲の意思の影響が強くでてくる。だから機蟲形態の状態を訓練もしないで長時間解除しないままでいると、意思が機蟲に侵食されて乗っ取られることがある」
「そうしたらどうなる?」
「自然に帰る。そんな人間を何人も見送ってきた。今のところ戻ってきた奴はいない」
希望を見出していたところへヒヤリとした事実が突きつけられる。この体は、いつ爆発するか分からない爆弾を抱えているのだ。それに話を聞いているうちに、今生きているのは奇跡に近いのだと改めて思う。ハヤクモに出会っていなければ間違いなく死んでいただろう。一度もお礼を言っていないのは流石にどうかと思うが、一方で素直に感謝をしたくないとも思っている。相反する想いがないまぜになって、とりあえず次に会った時に考えようと思考を放棄した。
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