もう一人の曹操さま

小庭加暖

騎都尉

第1話 序

 それはまだ夜のとばりが開けきれない早朝の出来事であった。


 少女がいきなり幕舎の覆いから顔だけ出したので見張りの兵士は飛び上がるほど驚いた。

「な、なんだ小娘、お前、どこから忍び込んだ?!」

捕まえようとしたが、相手は素早く顔を引っ込めたので、前によろける。


「見張り君、落ち着けよ」

少女は違う位置から顔を出し、横目で彼を見た。


「というかキミ、ここの見張りのくせにそんなにあっさり私が忍び込んだと認めるのか?

そんなガバガバな見張り、曹騎都尉にバレたら懲罰ものだぞ?」


見張り兵は怪訝な顔をしていたが、言われた事を理解した途端、ハッとしてかぶりを振った。


「いや、僕はガバガバじゃない。昨晩は頑張って見張っていた。

それにここは軍営の中心にある総指揮官の幕舎、出入口だって、ここ一つなんだ。

誰かが忍び込むなんて不可能なんだけど」


「へえー、そうなんだー、それじゃまるで密室だねー」 

少女は嬉しそうにニヤリとした。


「それに万が一誰かが忍び込んだとしても曹騎都尉なら返り討ちにするだろうね。大騒ぎになるはずだけど、それもなかったわけだ。


つまりキミが見張ってた時から、曹騎都尉は今もずっとお一人でいらっしゃる、という事なんだろうね」


見張り兵は、ギクッとしたが、しかし、少女の言葉に小さくうなずいた。


「も、もちろん、その通りさ。……えーと、その。

その中に、ちゃんといらっしゃる、んだよね?曹騎都尉は?」


見張り兵はオドオドしつつも、矛盾を堂々と言い切った。

少女は目をぱちくりしたが、再度ニヤリとした。


「まあ、そうだね、中に、いらっしゃるよ。

ちなみに私は、彼の、えーと……近い者、なのだ」


そして急にささやく。


「なので、もしもキミが私に無礼を働いたり、言う事を聞かない時は、騎都尉は怒ってお前を殺すかもしれんわ……」

 

見張り兵は、とたんに頭を下げた。


「さっ、さきほどはご無礼をいくつかして、すみませんでしたっ。

なんでもするので曹騎都尉に告げ口はしないでくださいっ」


「えっ今、なんでもするって?」


そう言って、少女は少し考えるように無言になった。

そして一つ、大きなため息をこぼしてから、神妙な顔つきになった。


「では、さっそく君に頼みがある。

今すぐに、ここにすべての軍団長を呼んで来きてほしい。

騎馬、歩兵、弓、伝令、斥候部隊、全部だ。

とにかく今いる、各軍団の一番えらいやつを全員、今すぐ呼んで来きてほしい」


「……は?はあっ?!」


見張り兵は仰天するより戦慄して、少女を見た。


「そんなあっ!軍団長たちを呼び出すなんて、そんな事、勝手にできるわけないよ。君も僕も、曹騎都尉に殺されちゃうよ?」

 

 少女は今にも泣き出しそうな顏で慌てる彼に、笑い出しそうになりながら言った。


「ああ、すまないね。一言忘れていたよ。

これは曹騎都尉のご命令なのだ。だから心配はいらないのさ。

ふふ、それにしてもキミって、私の事まで心配してくれるなんて良い人なんだね」


「……えっ!?」


若い兵士は、ほわっと場違いに照れて頬を赤くした。


「さあ、さっさと呼んで来ておくれよ」


「わ、わかったよ」


「あ、ちょっと待て」

走り出そうとした見張り兵を引っ張った白い手は、長すぎる袖から出ていた。


見張り兵はドキリとした。


……こ、この娘、もしかして曹騎都尉の着物を着てるのか?いや、というか、冠までつけてるし。

恐れ多すぎだろ。一体、どういう関係なんだ?


青年の戸惑いをよそに、少女は言った。


「全員に、着替えなくてもいいし、剣もいらんと言え。

とにかく緊急なので、今すぐ急いで走って来い、と言っておくれ。

あ。それと、到着が一番最後になった人には、罰を与えるかもしれん、とな」


 見張り兵は、自分でもなぜかわからず少しビクッとしたが、素直にうなずいた。


「わ、わかったよ」


そして青年はどうも少女が気になり勢いで付け加えた。


「ねえもし良かったら、あとで、君の名前と住んでる村をこっそり教えてくんない?

ぜひ君と友達になりたいんだけど?」


若い兵士のあまりの唐突で素朴な言葉に少女はキョトンとしたが、白い歯を見せた。


「私たちは、もうとっくに友達だよ」

見張り兵はぽわっと嬉しそうな笑みを浮かべると、手を振って駆けて行った。

少女も笑顔で見送り終わると、すぐに幕舎の中へ姿を消した。


つづく

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