第37話 ほんと、化け物には言葉が通用しないな!③



「……あれ、なんだったの」



 夕食を取って入浴も済ませてすっかりと落ち着きを取り戻した桂華はソファに座りながら問う。ニャルラトホテプは「蛇人間」と答えながらコーヒーの淹れられたマグカップを桂華に渡して隣に座った。


 蛇人間というのは古来より生きている存在だ。けれど、幾度となく栄えていた国は滅ぼされて力の殆どを無くしている哀れな生き物なのだという。稀に先祖返りといって力を持って生まれる存在が現れる。


 先祖返りした蛇人間はある程度の魔術を使うことができ、イグという彼らの神から寵愛を受けることが許される。イグというのは蛇のような頭部を持ったたくましい男の姿をしているらしい。


 ニャルラトホテプは「あれも面倒な神だよ」と関わりたくないといったふうに言った。バーストとは違った反応なので彼の神とはまた別の面倒さなのだろう。



「あの蛇人間は先祖返りしていたから一部の魔術が使えた。それで人払いと自身の姿を人間に見せる幻術を使っていたんだ」


「なるほど。だから、人に見えたんだ」

「しかし、先祖返りしていたというのにあそこまで頭が悪いのは初めてだったがな」



 ルビーのネックレスがアーティファクトだと分かる頭があるというのに、ニャルラトホテプの気配を感じることができなかったのだから。ニャルラトホテプ「あそこまでの出来損ないな先祖返りはいないだろう」と呆れている。


 ルビーのネックレスはニャルラトホテプの力で作られているので、気配というのは嫌というほど感じ取ることができるらしい。だから、深きものもそれに気づいて桂華に近寄らなかったのだ。


 じゃあ、どうしてあの蛇人間は近づいたのか。桂華の疑問に「欲で前が見えていなかったのだろう」と答えた。ルビーのネックレスには魔力が蓄えられている。その力の強さに目が眩んで気配のことなど気づかなかった。その結果、ニャルラトホテプの逆鱗に触れてしまう。



「イグの寵愛を受けていたこともあって結界を解くのに少し時間を要した。危うく桂華を傷つけるとことだった」

「あー、それで遅れたと……」

「あんなモノに殺されるなんて何の面白みもない」



 桂華にはもっと、狂ってもらわないといけない。簡単に死んでもらっては困るし、気に入っているのだからもっと愛でていたい。ニャルラトホテプはさらりと言う、これはボクからの愛なのだからと。


 そんな愛は欲しくないのだがと桂華は思った。楽に死なせてはくれないくせに、甘やかして愛でて、自分に狂っていく様を見て楽しむのだから。こんな愛など欲しくはないのだけれど、この邪神は逃がしてはくれない。


 でも、その愛を受け入れつつある自分がいるのにも気づいていた。いたけれど、口には出さずにコーヒーで流し込むように飲み込む。そんなことをしても無駄だというのは分かっている、何せこの邪神が愉快げに見つめているからだ。


 それでも絶対に言わないと桂華はその視線を無視した。



「ほんっと、化け物には言葉が通用しない」

「そもそも、対話を試みようとするのが無駄な行為だ。あの時の深きものはただ、ボクの気配に怯えていたから話ができただけにすぎない」



 本来の化け物たちは人間の言葉など聞かないものだとニャルラトホテプは現実を突き付けてくる。「対話をしようとするのは人間の悪い癖だ」と彼は笑う。


 ニャルラトホテプの言う通りなのだろう。化け物には言葉が通用しないのが普通のことで、彼らからしたら人間など格下の存在なのだ。簡単に殺せる虫と大して変わらない存在からの対話など聞くに値しない。


 ますます化け物の存在が嫌になってきた桂華は眉を寄せる。そんな様子にニャルラトホテプは「ボクは桂華の話は聞くけどね」と言った。



「桂華のことは気に入っているからキミの話は聞くさ。他の人間には興味がないから面白くなければ無視するけど」

「面白さで人間の扱いを決めるな!」

「それは無理な願いだ。ボクは面白くないものには興味がない」



 きっぱりと言い切るニャルラトホテプに桂華は何を言っても無駄なのだとすぐに理解して、はぁと溜息を吐いた。突っ込むだけ突かれるだけだと。



「どうせ、襲われている時も楽しんでたんでしょ」

「いや、あれは面白くなかった」

「なんで? 私、怖かったけど」

「外傷を負えば誰だって恐怖するものだ。それにボクの所有物に傷をつけようとしたことに苛立った」



 傷を負えば誰だって対象に恐怖を覚える。殺されるかもしれないという状況なのだから当然の反応だ。そんな安易な恐怖など面白くはないし、自分の所有物に傷をつけられて苛立たないわけがなかった。


 あんな頭の悪いモノに触られた、傷を負わされたなど不愉快でしかないとニャルラトホテプは眉を寄せる。その表情にかなり苛立っていたのだろうなというのを桂華は察した。



「てか、いつからあんたの所有物になったよ!」

「桂華はボクのものだが?」

「私は許してないんだけどなぁ!」

「拒否権はキミにはないよ」



 ニャルラトホテプは「キミはボクから逃げられないのだから」とそれはそれは爽やかな笑みを見せながら言った。その通りではあるのだけれど、所有物になったつもりはないので主張はする。通用しないのは分かっているけれど。



「ほんっと、化け物には言葉が通用しないな!」

「通用するわけないだろう」

「その笑み止めろ、このやろう」



 隣に座るニャルラトホテプを押しながら離れようとすれば、彼に抱き寄せられてしまう。そのまま抱きしめられてしまって身動きができなくなった桂華はばしばしと肩を叩いた。


 桂華の反応にニャルラトホテプは可笑しそうにしている。話すつもりはないようで抱きしめる力を強めた。暫く桂華はもがいていたが、疲れるだけだと気づいて抵抗を止める。



「もう抵抗しないのか」

「疲れた」

「それは残念」

「ほんっと、あんたはそういうところだよなぁ」

「これがボクだからね」



 爽やかな笑みがムカつくのだが桂華は眉を寄せて溜息を吐くことで落ち着かせた。こうなったら好きに抱き着かせてしまえばいいと姿勢を変える。零しそうになったマグカップを持ち直してコーヒーを飲んだ。


 もうすっかりと慣れた桂華の反応にニャルラトホテプはまた愉快げに目を細める。着実に落としている気配を感じて。



「巻き込まれるようになったのはあんたのせいなのに、助けられるのなんか嫌だわ」

「そう言われてもキミはまだ死にたくないだろう」

「そりゃあ、そうだけど。なんだろ、なんもなく助けられてるからなのかな」

「ほう……」

「あ、やめろ。今、何か考えたでしょ! やだよ!」



 何か考える空気を察した桂華は言われる前に言ったのだが、ニャルラトホテプはなんとも楽しげにしている。これは駄目だなと桂華は思ったけれど、一応は抵抗を試みることにした。



「なぁ、桂華」

「嫌だ」

「助けてあげたボクを少しは労ってくれてもいいと思うが?」

「あんたのせいなんだよなぁ!」



 怪異に巻き込まれやすくしたのはお前のせいなんだよと桂華は主張するけれど、助けられたことには変わりないと言い返される。そうかもしれないけれど、原因はお前なんだよと言ってやりたかったが、桂華は抱き着かれているので逃げることもできず。


 一先ず、そう一先ずは話を聞いてやろうと「で?」と言う。



「何が言いたいの」

「労ってほしいなと」

「具体的に言え」

「一緒に寝ようか」

「うっわ、抱き枕にするつもりだ」



 ニャルラトホテプは「桂華は抱き心地が良いからね」と笑む。なんだ、それはと桂華は突っ込みたかったがやめておいた。何を言っても面倒なだけなのだ。


 断らせないという圧がひしひしと圧し掛かってきて桂華は「……はいはい」と了承するしかなかった。これで機嫌を直してくれるならば安いほうだと自分に言い聞かせて。



「抱き枕にするだけなのだから問題ないだろう」

「そうですね、はい」

「キミのそういうのそういうところ好きだよ」

「そうですか」



 機嫌よさげにしているニャルラトホテプを眺めながら、何がそんなにいいのやらとコーヒーを飲みながら思った。




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