凍
三題噺トレーニング
凍
樟木 翔が相手の時間を奪う能力に目覚めたのは、目の前の暴漢にまさに殴られようとするその瞬間だった。
樟木は最初、相手の時を止められるようになったことを理解できなかった。
しかし相手が動きを止めたとき――その日は氷点下だったにも関わらず――真っ白な息ひとつせずに殴ろうとする姿勢のままずっと立ち尽くす様子を見て、樟木は自分の能力を理解するに至った。
樟木は徐々に暴漢が干からびて、そのままミイラみたいになってしまうのではないかと怖くなった。樟木はその場から逃げだした。
翌日、恐る恐る新聞を読むと、事件にはなったが、暴漢が病院で元通りに戻ったため大事にはならなかったようだ。
暴漢は樟木を襲おうとした次の瞬間には病院にいたように錯覚していた。
すごい、この力さえあればこの日本という島は俺の庭のようなものだ。
樟木は自分の力に戦慄し、そしてすぐに冷静になった。
ダメだ、こういった能力は何か制約があるはずだ。色々試してみなくては危険だ。
樟木はそこから自分の能力を調べた。例えば、同時に何人の時を奪えるのか、奪った時は誰かに譲渡できるのか、などなどだ。
樟木には夢があった。それは先の不安やストレスを一切感じずに、ただただ穏やかに過ごす事だった。この能力さえあればカネに困ることはないし、将来働かなくたっていい。
一生を遊んで暮らすことだって不可能ではない。
調べてみたところ時を奪う能力の対象は無限だった。
やろうと思えば、全国民の時を奪える。
一度調子に乗って、朝の情報番組の生中継で、一瞬だがテレビに映る街の人たちの時を奪ったこともあった。
あの時のキャスターの表情は爽快だったが、あまり目立つことは止したほうが良いだろう。
時の譲渡はできないようだった。奪った時間はどうやらどこかへ消えてしまうらしい。
それから樟木は好き放題に生きた。
カネならどうにでもなった。
基本的には違法なことはしないから、その点の苦労はなかった。好きな時に好きな場所へ行って、好きなように過ごした。
自由気ままに時間を奪って人を助けたり、悪戯をしたりした。
この島国では俺がルールだ。いつしか樟木は気が大きくなっていた。
ただ、そこから10年近くが過ぎて、さすがに樟木もおかしいぞ、と思い始めてきた。
周りが大人になるのに樟木だけが10年前と何ら容姿が変わらないのだ。
ストレスの一切ない生活が、若さと幼さの秘訣だと樟木は無理矢理納得していたが、流石にこれは何かがおかしい。
鏡を見てふと思う。
――奪った時は誰かに譲渡できるのか?
いや、実験の結果それはできなかった。なぜかこの事が妙に引っかかっていた。これだけの強大な能力だ。どうして何も制約がないんだ?
まさか。
樟木の脳裏に嫌な予感がした。
奪った時間、最初の暴漢が証言した「一瞬で病院にいた」発言、制約のない無限に近い能力。
その答えが、意味するところ……。
そう、奪った時間はすべて自分に返ってきていたのだ。
どれだけの人間からどれだけの時間を奪ってきただろうか。それはもう検討がつかない。
他人の時間を奪った代償に、樟木はこれから他人から奪った時間分、その人たちの代わりに生きていかなければならない。
一切ヒゲが伸びないアゴをさすりながら、樟木は恐怖した。
それは、今まで感じたことのない強烈なストレスだった。
凍 三題噺トレーニング @sandai-training
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