第9話 ロジャー様の婚約事情

それからは特に何も起きなかった。

いつもと同じ。


私は義姉に、『私が悪い人間なので、お義姉様が教えさとしておられたのです』とロジャー様に説明した、納得していただけたと、報告した。


こんなバカな話をロジャー様が信じるわけがないと思うが、なぜか義姉はうなずいた。そして、ロジャー様に許されたのだから、お茶にお招きしたいだの、侯爵家にお呼ばれしたいだの騒いでいる。



本当のところを言えば、エドワード様とロジャー様にはしばらく会えなかった。


食堂で大事件を起こしてしまったので、しばらく謹慎させられていると言う話だった。


「謹慎と言うか、魔法力の制御の特訓ね」


さすが婚約者のアリシア様は事情通だった。


「オースティン将軍は、あの二人のことを見込んでいるの。大変な戦力になるって。ただし、制御が上手くできればの話だけれど」


もっともだ。


でも、私は申し訳なくて仕方なかった。


あの二人は、将来の国境線の戦力として見込まれていて、そのために最大火力を出す特訓ばかりを受けていたらしい。


「つまり、魔法力制御の練習なんか全然したことがなかったのよ」


そんな人たちが、私がびしょ濡れになったからって、慣れない火力の出し方に挑戦して、見事失敗したと言うわけだった。


だけど、あの時のロジャー様はとてもかっこよかった。


たとえ、食堂の真ん中に危険極まりない炎を出してしまったにせよ、そして、しまったと言う顔になってしまったにせよ、すごくすごくカッコよかった。


そして、どういう気まぐれだか、君の名前を教えてくれなんて言ってくださったのだ。



私は義姉と知り合いになってから、初めて本気で義姉が憎たらしくなった。


彼女は、ロジャー様と結婚するのだ。そんな値打ちのない女なのに。


私の方がずっとふさわしいのに……って、どっかの何かみたいなことを考えてしまった。


私が浅ましいのかな。


だけど、本当のことなのよ。だからこそ考えてしまう。




「なんで、炎なんか出したのかしら」


アリシア様には、言っていないんだ。


「エドワードに聞いても教えてくれないのよ」


「そうなんでございますか」


ちょっと私は嬉しくなった。

私とロジャー様の秘密だ。


あ、エドワード様もいたっけ。


「そうなの。その上、困ったことにロジャー様はなんだか荒れているらしいの」


「それはどうして?」


私は心配になって、素早く尋ねたが、その反応があまりにも早かったらしい。アリシア様がちょっと驚いたように答えた。


「婚約解消がうまく行かないらしいのよ」


私がしゃべったって言わないでねと前置きして、アリシア嬢は教えてくれた。


「オースティン元帥がロジャー様を見込んだらしいの。オースティン家は、伯爵家だけれど、領地も広いし当主は現将軍。軍の最高トップよ」


知っている。私には甘かったけれど、父には私より大事な存在が出来てしまったのだ。義母と義姉だ。


「ロジャー様は侯爵家とは言え三男だし、オースティン家の一人娘へ婿入りは願ったりかなったりの良縁なの。ただ一つ、本人の気持ちをのぞけば」


オースティン家の娘は一人ではない。私がいる。だけど、義母と義姉は絶対に認めないだろう。


「その、その婚約は、いえ結婚はいつなのでしょう?」


私はかすれた声でアリシア様に聞いた。


絶対に父に会いたい。


父は私のことを娘だともう思っていないかもしれないが、少なくとも学園には入れてくれた。それくらいの愛情は残っているはずだ。


結婚前に、父に会いたい。


「結婚予定までは知らないけど。他家のことですから。でも、どうして、あなたがそんなことを知りたがるの?」


私はハッとした。


聞いてどうするつもりなんだろう。


「ロジャー様の家では、ロジャー様に手を焼いているらしいわ。せっかくの良縁なのに、本人が嫌がるだなんて」


「わ、私だって、アンナ様がお相手では、お断りです!」


アリシア様がおかしそうに私の顔を見た。


「ま、私も同意見よ。ロジャー様を助けてあげたいくらいよ」


私はアリシア様を見上げた。

仲間を発見したわ!


「でもねえ。貴族の間では、婚約している人の間に割り込むことは禁止事項ですしね」


ですよね。


私は何を期待していたのだろう。




私は生活火力のクラスを受けることになっていた。


火力の教室がある建物へ行くと、私たちの隣の教室でロジャー様とエドワード様が特訓を受けているらしかった。

見物が大勢出ていたからである。


この二人は、魔力が突出している他に、魔力の種類が派手なので大人気らしかった。


確かに義姉の悪意力なんかは、他人に害をなす以外使えないが、実際に戦力になる火力と爆発力は大歓迎だろう。


普段、二人は、別の、もっと大きな施設で練習していると聞いた。


だが、今日は、小火力の訓練なので、普通の生徒が使用する教室で練習しているらしかった。


私ものぞこうかと思ったが、余り大勢がいたのであきらめた。

だが、ドーーンと言う音がすると同時に地響きがして、見物人たちはキャーと悲鳴を上げて逃げ出した。


「このッ」


見ると、いつかの魔力の検査官がロジャー様を殴っていた。教官らしい。


「まじめにしろ! ヤケになるんじゃない」


エドワード様は呆れたと言った表情をしていた。


ロジャー様は、なんだか何も見ていないような目つきだった。


見物人はもはや誰も残っていなかったが、私だけはロジャー様から目が離せなくて、その場に残っていた。


ロジャー様と目が合った。


彼は私を見ると、ちょっと身震いして、怒られている最中なのに、ゆっくり私のほうに歩いてきた。


「こら! ロジャー! 真面目に話を聞けー!」


怒られている。


ロジャー様は、私のそばまできた。教室を出て、出口にもたれかかって私につぶやいた。


「君と結婚したい」


「?」


「あの女は嫌だ」


彼は突然、私のカツラをつかむと頭から外した。


「あ、あの、ロジャー様……?」


私は真っ赤になった。髪の毛はまだ五センチくらいにしか伸びていない。そんなところをロジャー様に見られるなんて嫌だ。


前より髪の色は濃くなって、はっきり金髪とわかるくらいになっている。


「金色の冠のようだ」


至近距離のロジャー様の灰色の目と額にかかる黒髪は、かっこいいなんてものじゃなかった。


勝手に胸がドキドキしてきた。先生も生徒も教室も、どうでも良くなってきた。



「このバカ、ロジャー!」


だが、後ろから検査官がやって来て怒鳴りつけた。


「この子か、ロジャー」


「この子?」


検査官は、カツラとメガネを取った私の顔を見た。

しばらくじっと見つめた末に、彼は言った。


「困ったものだ、ロジャー」


彼はロジャー様の方を向いて言った。


「君は正式に婚約している。婚約破棄なんかできないぞ」


何の話だか、わからなかったが、私はカツラを拾い上げると、素早く装着した。


胸は相変わらずドキドキしていたが、その理由を考えてはいけない。

ここは教室。学園の中。容赦ない現実なのだ。

私にはやらなきゃいけないことがある。

でないと生きていけない。貧乏下女は。


カツラを取ると、髪の伸び具合がわかってしまう。

万一、義姉に知られたら、せっかく伸びてきているのに、刈り込みに来るに決まっている。


もう少し髪が伸びたら、例えば肩に届くほどになれば、みんなの前でカツラなんか脱ぎ捨ててやるつもりだった。


そうすれば、変な娘だと思われなくて済む。


一度、素顔が分かれば、その後、もし義母たちが私の髪を刈り取ったら、誰がやったのか、学園の生徒や先生方に知られるだろう。


家の者のしわざに決まっている。


今、私は自宅だけで暮らしているわけじゃない。


学園という味方がいる。どんなに意地悪な令嬢だったとしても、私が平民でも、女の子の髪を切ってしまうだなんて、非難されると思う

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