第4想定 第14話

 いつもの日向市駅だった。

 ロビーには間延びしたチャイムの音が延々と響いている。

 日向市が誇る詩人、若山牧水わかやまぼくすい

 その銅像に並んで俺は舞香の到着を待っていた。

「ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ、秋もかすみのたなびきて居り」

 彼の作品をそっと呟く。

 客のいないロビーにはただチャイムが繰り返されるだけ。

 今日は舞香とのデートの日だ。

 修学旅行の時に約束した通り、今日は日向市の歴史的遺跡を巡るツアーとなっている。

 もちろんガイドは名誉日向市民の異名を持つ俺だ。

 ………………。

 腕時計を見ると集合時刻までまだ10分以上ある。

 俺は見慣れた日向市駅のロビーを見渡す。

 舞香でのデートはいつもここで合流しているし、SST基地への通勤もここから電車に乗っている。今年になって急に来る機会が多くなった場所だ。

 それにしてもこの若山牧水わかやまぼくすいの銅像はデカいな。

 宮崎県全ての事を知っているわけではないが、俺の知っている限りでは宮崎県に他には銅像はなかったはずだ。ましてや胸像ではなく全身を再現した巨大な銅像だ。

 若山牧水を眺めていると自動ドアが開く音がした。

 この足音は舞香だ。

 俺は彼女へと視線を向ける。

「……宗太郎、どうしたの?」

「俺も死んだら銅像にならないかなって」

「何か歴史的な偉業を達成したの?」

「今はただの高校生だが、未来では総理大臣になっているかもしれないぞ?」

「日本が終わるからやめてくれる?」

 舞香はツンと断言した。

 どうして俺の彼女はこんなに冷たいのだろうか。

 遺憾の意を表明したい。

 そして彼女が心を開いてくれる方法を検討していきたい。

 まぁいい。

 誰も俺の銅像を建ててくれないのであれば自分で発注してやる。

 そして日向市のど真ん中に設置してやろう。


 俺たちは日向市を散策する。

 といっても目的地までおしゃべりをしながら歩いているだけだ。

 舞香は俺が乗ってきた自転車を漕ぎ、俺は小走りで並走する。この程度の速度ならば走りながら会話するなんて朝飯前だ。

 日向市駅の前に通っている宮崎県道226号線を南下。

 ちょっと寄り道で日向市役所に立ち寄る。別に婚姻届を出すわけではない。そもそも俺は結婚ができる年齢に達していないし、そもそも未成年だから親権者の同意がいる。

 日向市役所前にある本町児童公園。

 そこには九州を走っていた蒸気機関車が展示されている。

 黒いペンキに包まれた巨体。先頭には『D51 541』と記された看板。車体側面には巨大な車輪が複数並んでいる。

 現代の電車並みの速度は出せないとはいえ、こんな巨体が線路を走っていたなんて想像できないよな。重量は約125トン。これは10式戦車3両分に匹敵する重量だ。

 舞香に声を掛けられた。

「宗太郎、これ登っていいの?」

「もちろんだ」

 運転台横に設置された簡易的な階段を舞香が慎重に登っていく。あまりにも心配で俺も後ろから登っていく。俺も小さい時はよく登って遊んだものだ。

 ようやく運転台にたどり着いた舞香は息をのんだ。

 それも当然。

 運転台にはバルブやパイプがぎっしりと敷き詰められている。こんな異様な光景を目にする機会はあまりないだろう。

 背後には巨大な炭水車。今は空っぽだが現役の頃にはここに大量の石炭を積んで走っていたのだろう。展示のための安全処置として運転台中央の石炭投入口は溶接されて塞がれているが、その姿はこの車両が再び動くことがないことを暗示しているかのようでどことなく寂しさを感じた。

「宗太郎、私を連れてきたかった場所ってここ?」

「いや、ここじゃない」

 蒸気機関車には現代の鉄道にはない魅力がある。

 たしかにここも日向市の観光スポットではあるが、俺が舞香を連れて行こうとしていた所はまた別の場所だ。

 休憩もこのくらいにして出発しよう。

 俺は舞香の手をとりながら運転台を降りる。最後に蒸気機関車を背景に舞香の写真を撮影すると俺たちは再び県道226号線を南下していく。


 最後の目的地まで半分を過ぎたころだろうか。

 県道226号線を南下し、富高海軍航空隊の掩体壕跡地を経由した俺たちは街中の小さな公園へとやってきていた。

 舞香は駐車場の端に自転車を止めると律儀に鍵をかけようとする。錆びついたリングキーと格闘している彼女を傍目に俺は近くの自動販売機でスポーツドリンクを2本購入する。

 知る人ぞ知る『しらさぎ公園』。

 通称、『プロペラ公園』。

 地元の人しか知らない場所だ。

 敷地へ足を踏み入れた舞香は目を輝かせるように公園の中央に設置された展示物へと歩み寄った。

 航空機のプロペラだ。

 先端を紅白に塗装された巨大な三枚羽のプロペラがガラス張りの小屋に展示されている。

「この公園は地元の人に『プロペラ公園』と呼ばれている。このあたり一帯は富高海軍飛行場という海軍の基地だったんだ」

 さっき舞香を隣に立たせて撮影した掩体壕の跡地だって富高海軍飛行場の施設の一部だった。老朽化や再開発のために解体されてしまったが、今ではその一部が何かの芸術品かのように道路の脇にたたずんでいる。

 ちなみに掩体壕とは航空機を爆弾から守るための超強力な格納庫だ。

 そして俺が小学生の頃は民間の自動車整備工場として活用されていた。爆弾にも耐えられるだなんて、おそらく世界最強の自動車整備工場だっただろう。

「じゃあこれはゼロ戦のプロペラ?」

「いや、海上自衛隊が運用していたKM‐2練習機の物だ」

 ずっと昔に対潜哨戒機のパイロットを育成するために運用されていた海上自衛隊最後のレシプロ機だ。この機体は俺が4歳の頃、後継のT‐5練習機に機種更新のため完全退役してしまったが、このKM‐2こまどりが育てたパイロットたちは今では教官として新人パイロットを育てているのだろう。

 舞香が興味津々に隣の説明板を読み込んでいる。

 しばらく経ったころに俺は彼女を奥の東屋あずまやに案内する。

 おそらくこの公園の東屋は日向市最大のものだろう。短い階段を上り、塩見川に面した木製のベンチに舞香を座らせ、目の前のテーブルにさっき購入したばかりのペットボトルを置いた。

「正面の山が櫛ノ山くしのやま。今では塞がれているが麓に防空壕があったそうだ。そしてあの山頂に見える白い建物が『仏舎利塔』で4尊の仏像が祭られている。その反対側には櫛ノ山公園があって、そこの駐車場には昔から野生のニワトリが住み着いているんだ」

 俺は目の前に広がる風景について説明していく。

 寒い北風に凍えながら、舞香は懸命に俺の話を聞いてくれる。

 その最中に彼女の頭がぴくりと動いた。

「あっ……南風……」

 舞香が呟いた。

 冬の北風に乗って吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。

 それは『南風のマーチ』。

 吹奏楽を辞めてしまった俺でも知っている曲だった。

 最初のマーチ部分を終えて演奏はトリオに突入。

 切ないアルトサックスの旋律。それは冬に凍えているかのような音色だった。冷酷で過酷で非情な冬の景色。雪を全身に叩きつけられながら、じっと耐えているかのような演奏だ。

 やがて演奏は最後のマーチ部分に突入。

 希望に満ち溢れた春に喜びながらも、どこか切なさを感じる行進曲だ。

 舞香がご機嫌で口ずさむ。

 塩見川を挟んだ反対側の中学校から流れてくるピッコロに合わせながら舞香が歌う。

 俺はただじっと彼女の歌声に耳を傾けていた。

 切ない彼女の歌声。

 この行進曲が不思議と悲しく感じるのはそのフレーズが混ざっているからなのだろうか。

 演奏は終盤に突入。

 そして舞香が歌い終える。

 直後に近所の吹奏楽部が「バババン!」と演奏を終えた。

 拍手。

 風切り音。

 道路を行きかう自動車のエンジン音。

 この場所は決して無音な環境ではない。

 しかしこの世界には俺と舞香しかいないような感覚がした。

「宗太郎と一緒に演奏したかったな……」

「そうか」

 舞香が切なくおねだりする。

 しかしいくら彼女の頼みだとしても俺はそれに答えることはできない。

「ねぇ宗太郎、今からでも遅くないから――」

「そこの大瀛橋たいえいばしの向こうに中学校がある。さっきの演奏はそこの吹奏楽部のものだ。ちなみにその中学校は富高海軍航空隊の兵舎をそのまま校舎として利用しているんだ」

 中学時代に吹奏楽部の講習であの中学校に入ったことがあるが、教室の壁はペンキを塗っただけの板であり、良い意味で歴史を感じる校舎だった。

 しかし俺はその事を紹介しなかった。

 吹奏楽関係の話はしたくなかった。

「その中学校から川を挟んだ正面に長江公園という場所がある。そこでは毎年夏祭りをやっているんだ。やぐらを立てて太鼓を叩きながら参加者が盆踊りをする。そして最後に『ナイアガラの滝』と言って、大量の花火をロープで吊るして導火線で一斉に着火する予算度外視の花火で締めるんだ」

 舞香の発言を許さないかのように俺はマシンガンのように地元の紹介を続けた。俺の内心を察したのか、舞香は決して口を挟むことなく俺の話を聞いていた。

 さて、休憩もそろそろ充分だろう。

 最後の目的地に向かうべく、俺は舞香を立ち上がらせた。


 ようやく目的地に到着した。

 ここまでそれなりの距離を移動してきた。

 自転車だったとはいえ舞香は疲れ切っている様子だ。

 抵抗する舞香の腕を捻り上げ、有無を言わさず彼女を背負った。

 背中での抵抗を封じながらも俺は林の中に足を踏み入れる。

 普段の俺は数十キロの装備を背負って不眠不休で山道を歩いている。舞香を背負って数十メートルの平坦な防風林を突破するなんて楽勝だ。

 海側からは不気味な唸り声が聞こえてくる。

 どうやら今日は当たりのようだ。

 倒木や段差を乗り越えて数分後。

 白い砂浜。

 キラキラと光る海面。

 はるか洋上には3隻の船が航行している。

 コンクリートで固められている場所に舞香を降ろす。

 ここまで頭を叩かれまくっていた。てっきり降ろされたらもっと強く叩いてくると思っていたが、地面に降り立った舞香は恐ろしいほどに大人しかった。

 海岸には警察や消防の車両が止まっている。隊員や車両から察するに災害派遣の訓練をしているのだろう。

「ねぇ宗太郎、あれは?」

LCACエルキャック

「なにそれ」

「簡単に言うとホバークラフトだ」

 遥か洋上の輸送艦から発進したLCALが巨大な羽で轟音を立てながら砂浜をめざして走ってくる。

 軽荷排水量が90トン前後の小さな船だ。激しい横揺れローリング縦揺れピッチングを繰り返しながら海を走り、黒いスカートを潰しながら勢いよく砂浜に上陸ビーチングしてきた。

 艇首側のランプが開いて中から海上自衛隊員が降りてきた。

誘導されながら民間人役の隊員がLCALに乗り込んでいく。

 ちなみにLCALで人間を輸送する場合は甲板にそのまま乗せるわけではない。風圧や騒音で大変なことになってしまう。そのため甲板に人員輸送モジュールを設置してその中に乗せるのだ。

「ここからじゃ艦名までは分からないが、最も大きいのが『おおすみ型輸送艦』、その後ろが汎用護衛艦の『あさぎり型』と『むらさめ型』だ」

「……なんで分かるの?」

「海上自衛隊でLCALを輸送できるのは『おおすみ型輸送艦』だけだ。そして後ろの『あさぎり型』は艦橋が低く、艦橋と主砲の間にアスロックの8連装ランチャーが見える。『むらさめ型』は『たかなみ型』と似ているが、『むらさめ型』は主砲と艦橋構造物の距離が大きく空いている」

 海を指さしながらそれぞれの艦影を説明していく。

 たしかにこの距離では艦番号までは分からないけども、艦影の特徴は簡単に分かる。

 舞香はチンプンカンプンな様子で俺の説明に聞き入っているようだった。

「横須賀や佐世保みたいな基地がある場所なら体験航海で乗れるんだけどな」

「私、デートで乗るなら普通の旅客船がいいな」

 舞香のやつ、夏頃に豪華客船に乗りたいとか言いていたな。

 さすがに俺の給料ではそんなものに乗る事はできない。そもそも舞香が乗ってみたいと言っていた豪華客船は船舶火災を起こした挙げ句、俺がプラスチック爆薬で鹿児島県の海に沈めてしまった。しかも仲間と一緒に。

「豪華客船は無理だけど、来年の夏に海水浴にでも来るか?」

「私、泳げない」

「溺れたら助けてやる」

「それにあんまり水着を着たくないし……」

「……そうだったな」

 舞香は人に肌を見せるのが嫌いなようだった。

 別にビキニを着てほしいわけではない。そもそもあんなものは趣味じゃないしな。

 プールの授業でも舞香は膝まであるスパッツタイプのスクール水着を着ていた。そして上半身はウェットスーツのようなファスナー式の長袖を着ていた。

 別に見せてほしいというわけではないが彼女はよっぽど肌を見せたくないようだ。

 まぁ無理をするようなものじゃないしな。

 俺は再び海へと視線を戻した。

 別に夏の風物詩は海だけではない。あらゆる場所で夏祭りはやっているし、なんなら電車に乗って宮崎市まで行って、県で最大規模の夏祭りである『えれこっちゃ宮崎』に参加するのもいいかもしれない。

 来年の夏に思いを馳せながら、俺と舞香は無言で海を眺めていた。

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