第4想定 第12話
「宗太郎、これが任務の詳細だ」
そう言いながら姪乃浜は数枚の書類を机に置いた。
俺はそれを手にして目を通す。
「……姪乃浜、正直ふざけてるだろ」
「どうだろうな?」
姪乃浜ははぐらかそうとしているがそうはいかない。
他意があることは誰が見てもバレバレだ。
書類の上部にはこのような題名が記されている。
『宗太郎村におけるプロポーズ支援作戦について』
名前が同じだからって俺を選んだだろ。
まぁいい。
これも何かの縁だ。
書類にざっと目を通して作戦自体の内容を把握する。
作戦の名称。
作戦の目的。
タイムスケジュール。
支援対象者とその家族。
おいおい、この家族の中に重岡宗太郎ってやつがいるぞ。俺の名前にそっくりだ。
最後のページには簡易的な地図が印刷されていた。
作戦地域に指定されている宗太郎村は森のど真ん中。
交通網としては村の東部に国道十号線。
そして南部には村と隣接する形でJR日豊本線の宗太郎駅。
「読み終わったか?」
「ああ、俺がいっぱいで『宗太郎』がゲシュトップ崩壊を起こしてる」
「ゲシュタルト崩壊と言いたいのか?」
なんだよゲシュタルトって。
それは焼き菓子の一種だろ。
難しい言葉を使いたがる気持ちは分からなくはないが、ちゃんとした単語で話さないと適当に話しているのがバレバレでマヌケだぞ。
まぁいい。
「状況を説明する。作戦当日、この村に住む19歳の女性が就職のため上京する」
「重岡千佳、というやつだな」
「その通り。ちなみに村で唯一の若い女性だ」
「長いあいだ離ればなれになるから交際相手がプロポーズする可能性があるわけか」
主要関係者の一番目には吹田純一という名前が記載されている。
そしてプロフィールとして先にでた重岡千佳の交際相手。
「大分愛情保安部の一般隊員による情報ではこの両者は親公認の仲だ。そして結婚まで既に秒読みの状況。さらに交際相手の吹田純一は彼女が上京する当日にプロポーズすると周囲に宣言している
「その隊員とやらはどのルートから情報を入手したんだ?」
「吹田純一と高校時代の同級生らしい。そして当該人物は有言実行する人物で高校時代は有名だったとのことだ」
「プロポーズが実行される可能性が極めて高いということか」
「その通りだ。そして当日には吹田純一の友人でもある大分愛情保安部所属の一般隊員が現場に潜り込み、キューピッドとなって支援を実施する。大分愛情保安部ではこの作戦を『39号作戦』と呼称するそうだ」
「どうして39なんだ?」
「知らん」
「素数だからか?」
「39は素数じゃない」
「そもそも素数ってなんだ?」
「勉強しろ」
それじゃあどういう意味があるんだ?
39……。
ぱっと思いついたのは第39代内閣総理大臣の近衛文麿。
しかし近衛文麿は東京出身だ。
第1次近衛内閣の発足から約1カ月後に
数字を分けてみる。
38プラス1……。
37プラス2……。
36ぷらす3……。
なにかが引っかかる。
まぁどうでもいいや。
作戦名ってコードネームに過ぎないからな。
由来なんてどうでもいい。
さしずめ重岡千佳が上京するということで、故郷に『ありがとう』。
つまりサンキュー……39という誰でも思いつくしょうもないネーミングだろう。
「それで大分から他の隊員は?」
「参加しない。いや参加できない」
「なぜだ?」
「言い方が悪いが宗太郎村は本当に小さな村だ。そんな場所に外部の人間が入っていては悪目立ちしてしまう。計画の段階では周囲に一般職員や機動隊員を待機させるつもりだったんだがな……」
たしかにそのような空間に潜り込むことは難しい。
そして作戦地域は森の奥地にある。
森の中に隠れるという方法もあるが、森の中での活動を想定していない一般隊員や機動隊員では怪我のリスクがある。切り傷程度で済めば問題ないが、足を滑らせて骨折しようものならば本来の任務に参加できない。それどころか救出するために他の部隊を動かさなければならなくなってしまう。
森の中に潜伏するのであればそれなりの技術が必要なのだ。
だからその技術を持っている
「この作戦は現地に潜り込む一般隊員がメインで進行される。この隊員はそれなりの経験を積んでいる。刃傷沙汰にでもならない限りはこいつだけで十分だ。万が一、ヤンデレ事案に発展したら宗太郎が作戦地域に突入し事態の解決を図る」
「了解した」
「今回の作戦は大分愛情保安部の『39号作戦』と並行して実施される。宮崎SSTではこの作戦を『にちりん作戦』と呼称する」
「……特急の愛称から取っただろ」
「そんな事は知らない。それと潜入方法や移動経路は宗太郎が立案してくれ」
作戦地域に存在する宗太郎駅は日豊本線の駅だ。
そしてその宗太郎駅を特急『にちりん』が通過する。
その『にちりん』の派生形として『にちりんシーガイア』もあるんだから、『シーガイア作戦』と呼んでもいいと思うんだけどな。
「宗太郎、ちょっと来てくれ」
待機室で書類仕事をしていると姪乃浜に呼ばれた。
おいおい。
にちりん作戦の詳細はまだ決めてないぞ。それに締め切りだってまだ先じゃないか。
何の用だと怪しみながら俺は指令室へと入って行った。
「姪乃浜、にちりん作戦の詳細はまだ先だろ?」
「それとは別件だ」
一体何の用件だろうか。
作戦立案締切も作戦開始日もしばらく先だけど、俺が抱えている仕事はそれだけじゃないからな。
「ありさが情報捜査官のところに行くから宗太郎も一緒に行って顔を会わせてこい」
「情報捜査官?」
「別名、特定班。まぁスパイみたいなものだ」
なんか姉ちゃんから聞かされたことがあるな。
たしかインターネットからの情報収集や現地調査までをこなす専門部隊だったな。
「これまで情報捜査官と会ったことがないけど、どんな奴らなんだ?」
「それこそピンキリだ」
「例えば?」
「会社員、専業主婦、ひきこもり、ニート。表の顔なんていくらでもある」
「その中に精神科医はいるか?」
「何の話だ?」
「精神科医がいたら面白いな」
「だから何の話だ?」
姪乃浜は俺の質問に戸惑っているようだ。
……まぁいい。
「それで今回会いに行く情報捜査官は?」
「一言で言うと超凄腕のスナイパーだ」
「狙撃もできるのか」
「両方できるスナイパーだ」
「両方できるスナイパーだと?」
確かに狙撃手といっても軍隊と警察では内容が異なる。さらに軍隊系の狙撃兵でも
「……まぁ、会ってみると分かるだろう」
何か会話がかみ合っていないように感じたが気のせいだろう。
苦笑いする姪乃浜を放っておいて俺は姉ちゃんの元に急いだ。
姉ちゃんが運転する公用車に乗り込み、俺はその情報捜査官の自宅に向かっていた。
基地を出発して宮崎市の市街地を突っ走る。道路は徐々に細くなり隣の清武町に入った。公用車は太い道路から外れると路地に入って行く。
お!
安井息軒旧宅じゃねぇか。
知る人ぞ知る江戸時代の儒学者である安井息軒。「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり」という方針で『三計塾』という私塾を開いた人物だ。
ちなみにこの近くには『産経大』と略される私立大学があるが、そことは一切無関係だ。
そしてこの安井息軒。歴史の教科書では見かけることはないが日本の歴史に大きな影響を与えた人物でもある。
時は日露戦争。
明石元二郎陸軍大佐という諜報員がいた。
ロシア名、アバズレーエフ。
最終階級は陸軍大将。
彼はロシア帝国の反政府勢力と手を組み、デモ、ストライキ、鉄道網破壊工作といった活動を行っていた。この後方攪乱によってロシア帝国は兵力を分断され、十分な戦力を日本へ送り込むことができなくなった。その工作活動によってロシア帝国国内では反戦運動が広がり、政情不安により対日戦争継続は困難に。彼の活動は日露戦争の終結に直結したのだ。
1人で日本軍20万人に匹敵する戦果を挙げたともいわれる明石元二郎。彼は後に新設される諜報員の養成機関、陸軍中野学校においてモデルケースとして取り上げられるほど優秀な諜報員だったのだ。
話は逸れたがこの伝説の諜報員。実は12歳の頃に『三計塾』に入塾していたのだ。その頃の安井息軒は最晩年。明石元二郎は創設者と会うことができたのかは分からないが、もしかしたら安井息軒の教えが日露戦争での情報戦に影響を与えたのかもしれない。
まさか勤務中に宮崎県の名所を見ることができるとは。
思ってもいなかった歴史とのふれあいに感動している間に俺たちは目的の場所に到着していたようだ。安井息軒旧宅は次の休みにでも来てみようか。おっと、次の休みは舞香と約束しているんだったな。それじゃあまたその次……いや、せっかくだから舞香と予定を合わせて観光しに来よう。
俺たちは公用車を降りる。
そこは趣のある一軒家だった。
石でできた表札に『西山』と彫刻されている。
姉ちゃんがインターホンを押すと、しばらくして携帯電話が着信を告げた。
それに応答すると姉ちゃんが玄関に手を掛けた。
「いま手が離せないから勝手に入ってだって」
平気で入って行く姉ちゃんに続いて俺も恐る恐る入っていく。
古風な一軒家。
姉ちゃんはノックすることもなく
「お邪魔しまーす」
「はーい、ちょっと待ってて」
俺も姉ちゃんに続いて入室。
室内にいたのは50代ぐらいの男性と20前後の女性。
おそらく親子だろう。
チカチカとランプが光っている機械に囲まれた室内で2人はただひたすらパソコンに向き合っていた。
入室させたってことは俺たちに見られても問題ない画面なのだろう。
俺はそっと画面を覗き込んでみた。
≪部長、フリーズしやがった >>297≫
そこに映っていたのは有名な某ネット掲示板だった。
「博子、次は297だ!」
「ほい来た!」
博子と呼ばれた女性はブラインドタッチで文字を入力する。
え、こいつら勤務中だよな?
勤務中なのにネット掲示板に書き込んで遊んでるの?
「今だ!」
「よっしゃ!」
女性はエンターキーを堂々と叩いた。
そして画面をリロード。
そこには彼女が入力したであろう文章が書き込まれていた。
≪これからお前は俺のママだ!≫
「頭おかしいだろ!」
思わず声に出してしまった。
「少年、この緊張と緩和が大事なのさ」
女性は俺のツッコミにボケてみせた。
彼女が振り返る。
「キミにとっては初めましてだね」
「俺を知っているんですか?」
「おっと、私の前で敬語はナシだ」
そうか。
それなら話しやすい。
「知っているもなにも、愛情保安庁でキミを知らない人はいないよ。もっとも、私が独自に調べたものもあるけどね」
俺を調べただと?
こいつもしかして俺のストーカーか?
怪訝な顔をしている俺にその解答を求めたのだろう。
彼女は俺の個人情報を語り始めた。
「誕生日は1994年12月3日。瀕死状態で生まれたから航空自衛隊のヘリで宮崎大学医学部附属病院に搬送されたらしいね」
………………。
カマを掛けてみよう。
「血液型は?」
「不明。というか救急搬送のごたごたで調べている場合じゃなかったらしいね」
「………………」
「だけど両親がO型だからおそらくO型だろうね」
なんで知ってるんだよ!
俺の個人情報がどこから漏れているんだよ!
しかもどうして母ちゃんたちの血液型も知っているんだ!
いや、どうせブラコンの姉ちゃんの事だ。
きっと姉ちゃんが俺を自慢するときに話したんだろう。
「どうせ姉ちゃんに聞いたんだろ?」
「そんな事はないさ」
「言うだけなら何とでも言える」
「ボクも博子には何も言ってないよ」
「そうなのか」
姉ちゃんがそう言うのであればその通りなのだろう。
姉ちゃんが俺に嘘をつくわけがないからな。
「それに彼女が2人いるらしいね。どちらが本命なのかは知らないけど」
「……俺の名誉のために弁明させてもらうと彼女は1人だ。もう片方は自称俺の彼女だ」
舞香とひなたのどちらが本命かだって?
そんなのは愚問だ。
俺の本命は姉ちゃんだけだ。
それ以外の何者でもない。
「そもそも俺が浮気しているってデータがあるのか?」
「……ほら」
そういうと博子はパソコンに何かを表示させて俺に見せてきた。
それは某SNS。
舞香とひなたのページが表示されていた。
「これだけでは俺の彼女と断定できないはずだ」
「……はい、これが舞香ちゃんとやらの裏垢」
「裏垢だと!?」
俺はそれを確認しようと画面に顔を近づけた。
しかし書き込み内容を確認する前に博子がそれを消してしまった。
「これは見ないほうがいいと思うよ~」
「俺の悪口が書き込まれているのか?」
「さぁ、どうだろうねぇ~」
「………………」
舞香はつくづく腹黒だと思っていたが、まさか裏垢を作っているなんて。
きっと俺の愚痴とかを書き綴っているのだろう。
いや、俺が舞香を信じなくてどうする。
「悪いが舞香は裏垢で人の悪口を言うような奴じゃない」
「なにかそういうデータがあるの?」
「データなんかねぇよ」
「根拠がなかったら断言できないんじゃない?」
「うるせぇよ」
「………………」
「黙れよ」
「何も言ってないじゃん」
博子は呆れている様子だ。
というか俺たちは何をしにここに来たんだっけ?
ああそうだ。
情報捜査官と顔合わせに来たんだった。
「姉ちゃん、俺が聞いていた情報捜査官は超凄腕のスナイパーだって話だけど?」
「ほら、ちゃんと狙撃に成功しているじゃん」
「?」
姉ちゃんの説明を理解できないでいると博子がパソコンの画面をスクロールして指さした。
「さっきまで安価スレにいたんだよ」
「安価スレ?」
「ほら、この書き込みを見てごらん?」
博子がネット掲示板の書き込みを指さした。
≪部長、フリーズしやがった >>297≫
それはさっき見かけた書き込みだった。
「それでこの末尾の『>>297』。この番号のことを『アンカー』、スラングで『安価』って言うんだけど、これは297番目の書き込みを実行しますって意味なの」
「いや、安価スレの意味は分かってるんだけど……」
え?
今は勤務中だろ?
「私たち情報捜査官の主戦場はネットの中。それはSNSに限らずネット掲示板も担当分野なのさ」
「……この掲示板が愛情保安庁の任務と関係が?」
「これはスレ主が気になっている同じ部活の部長に安価でメッセージを送るってスレなんだけど、そこに私たち情報捜査官がちょっと手を加えて彼らを恋愛成就に持っていくわけ」
たしかにそれでカップルが成立するのであれば愛情保安庁の任務からは逸脱はしていない。
しかし愛情保安官が任務として掲示板に書き込みをしているのか。
これまで多くのまとめサイトを見てきたがあの中にも愛情保安官が工作活動として書き込んだものもあるのかもしれない。
「それで私が書き込んだレスがこれ」
そういうと博子は再び画面を指さした。
≪これからお前は俺のママだ!≫
それは正気を疑うような書き込みだった。
そしてその頭に割り振られた番号は297。
「スナイパーって安価スナイパーの事かよ!」
というかわざわざスナイプして書き込んだのがあの文章かよ。
愛情保安庁の工作活動はどこに行ったんだ。
任務中に任務を放棄するやつなんてロクでもないぞ。
「あー、スナイパーってスコープを覗いている方だと思ってた?」
「まさか掲示板を覗いているとは思わなかった」
「だれうまwww」
「やかましい」
てっきりトーマス・ベケットやボブ・リー・スワガーのように敵地に潜伏して狙撃を成功させて帰ってくる硬派なスナイパーを想像していたんだけどな。
「宗太郎、博子たちは情報捜査官だけど、スナイパーライフルを持って現場に出ることもあるんだよ」
「マジ!?」
「しかも全国で唯一、親子でバディを組んでいるスナイパーなんだよ」
博子と共にネット掲示板で工作活動をしていた彼女の父親が振り返って不敵な笑みを浮かべて見せた。その無精髭に覆われた表情はまるでどこかのスカウトスナイパーのようだ。
「といっても実戦はめったにないけどさ。本業はこっち」
そう言いながらキーボードをポンポンと軽く叩いてみせた。
「現場で前線を突破するのは無理だけど、ネットのセキュリティを突破するのは大得意」
「……いわゆるハッカーか?」
「ホワイトハッカーと言ってほしいね。時にはブラックなこともするけど」
「じゃあまとめてハッカーでいいじゃねぇか」
「ホワイトを着けないとダメ」
「なんでだ?」
「ホワイトって可愛いじゃん」
「くだらねぇ……」
話し始めた時から思っていたけど、こいつも大概に変わり者だな。
SSTで変人たちに囲まれて働いているが、連中ほどではないにしても変わり者だ。
そういえば以前、情報捜査官について姉ちゃんから話をきいたとき、知り合いの情報捜査官はいろいろと終わっている人しかいないって言っていたな。
「博子……。さっきの≪これからお前は俺のママだ!≫ってレスはないだろう」
彼女の父親が初めて口を開いた。
それは娘の工作活動に対する指摘のようだ。
どうやら愛情保安庁の情報捜査官は全員が変人というわけではないようだ。
「パパはママじゃなくてお義母さんが趣味だな」
………………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます