第4想定 第4話

 宮崎SST基地のヘリコプター格納庫。

 大雨が天井を騒がしく叩いている。

 格納庫の内部では副隊長を筆頭に整備士たちがヘリコプターむくどりの上部に登り、メインローターの点検を行っている。

 そして俺は郁美と浦上さんと共にリペリングロープの整備をしていた。

「あーーー……」

「どうしたんだよ。そんな疲れた声を出して」

 俺を気にしてくれたのだろうか。

 郁美は俺を元気づけるかのように俺のムスコ大佐を鷲掴みにした。

 こいつ、人の励まし方がヘタクソだよな。

「非番の日、危うく死ぬところだった」

「宗太郎が死ぬのはいつものことだろ?」

 ロープを巻きながら投下用の袋に収納していた浦上さんが会話に入ってきた。

「そうじゃなくてこの前は社会的に死にかけたんですよ」

「何があったんだよ」

「彼女とデートしていたんですけど、一瞬だけ別行動になったんですよ。その時に学校の後輩に会ったんですけど、その子が泣き出してですね」

「宗太郎が泣かしたんだろ?」

「ちげぇよ! キスを求められていると思って迫っただけだぞ!?」

 俺が説明していたら郁美が茶々を入れてきた。

 まったく、俺がそんなロクデナシなわけがないだろう。

 しかし郁美と浦上さんは呆れている様子だった。

「やっぱり宗太郎が泣かしたんじゃないか」

「……宗太郎、お前、本当に死んでみたほうがいいんじゃないか」

「そうそう。バカは死ななきゃ治らないって言うし」

 なんだと?

 もしかして俺にバカって言っているのか?

「というか宗太郎って彼女がいたんだな」

「そりゃあ彼女ぐらいいますよ」

 まぁ俺は早いほうかもしれないが、普通は10代後半から20代前半にかけて初めての彼女ができるはずだ。もしも20代後半になって彼女ができたことがない奴がいたら、きっとそいつはヤバい奴に違いない。

 あ、俺の原作者か。

「てっきり宗太郎はシスコンだから彼女なんて作らないと思っていたぞ」

「俺のどこがシスコンなんですか?」

「いつも姉ちゃん姉ちゃんって言っているじゃないか」

「姉が好きじゃない弟なんていませんよ」

 そんな事も知らないなんて浦上さんはとんだ世間知らずのようだ。

 もしくは姉がいないに違いない。

言っておくが姉ちゃんに対する『好き』と舞香に対する『好き』は全く違うものなのだ。

 こいつは何を言っているんだと思っていたが浦上さんは俺がうらやましいようだ。 

 彼はため息交じりにぼやいていた。

「俺なんて彼女ができたことないぞ」

 アンタは筋肉と結婚しているからな。

 そんな筋肉バカが好きな女性がいるのだろうか。

「浦上さんって22歳ですよね?」

「そうだけど?」

 それならばあと3年でアラサーだ。

 その間に彼女ができなければ、アラサーなのに彼女いない歴が年齢と同じ。

 やったね俺の原作者!

 仲間が増えるよ!

 彼女がいない事を知った郁美が下心丸出しの表情で言い寄りだした。

「おやおや浦上の旦那、彼女ができたことがないのかい?」

「……なんだよ」

「今のオレはフリーだぜ?」

「男の股間を握る彼女なんて願い下げだ」

 それはもっともな意見だった。

 俺だって普通に男のキン☆タマを握るような彼女なんて御免だ。

「じゃあ美雪なんてどうだ? 身内のオレが言うのもなんだけど、アイツはなかなかの上物だと思うぞ?」

「その身内と似た理由で願い下げだ」

 浦上さんが口にした理由は納得できるものだった。

 握ろうが蹴り上げようが、男の大事なものにそんな事をする彼女を欲しがる奴はいるのだろうか。下手すれば潰されてしまうかもしれない。

「オレとあの女、どっちがいいんだよ?」

「ヤンデレみたいな聞き方をするな」

 浦上さんはうんざりしている様子だった。

 そりゃ当然だ。普段の任務で嫌ってほどにヤンデレと戦っているのだから。仕事でヤンデレに関わってそれ以外でもヤンデレに関わろうとするなんて俺の姉ちゃんぐらいのものだ。

「というか郁美はどうして浦上さんにすり寄ろうとしているんだよ」

 職場恋愛なんて面倒だぞ。

「だって浦上の旦那は医者の卵なんだぜ?」

「え? 浦上さん、医学部生だったんですか?」

 驚いて本人に問いかけると彼は首肯していた。

「なんで教えてくれなかったんですか?」

「別に言うほどのものじゃないだろ」

 まさかこんな近くに医学部生がいるとは思わなかった。

 だって医学部生って日本の最高頭脳を持っている連中だろ?

 脳ミソまで筋肉でできている筋肉バカが医学部生だなんて誰が予想できるだろうか。

 しかし男勝りの郁美もやはり女子か。

 郁美は脱線した話を元に戻して恋バナを続ける。

「浦上の旦那、それなら班長はどうだ?」

「……ありさは――」

「アアン!? 姉ちゃんと付き合おうってのか!?」

 ぶっ殺すぞ!?

 医者ごときが姉ちゃんと交際するなんて俺が許さない。

 ましてや今の浦上さんは医者の卵だ。話にならない。

 どうしても姉ちゃんと付き合いたいのであれば、まずは俺に認められてからだ。

「いや、ありさはちょっと……」

「アアン? 姉ちゃんのどこが不満なんだよ!?」

 ぶっ殺すぞ!?

 ここまで完璧な女性なんて他にいないだろ。

 2011年までの間、いや皇紀2671年の中で一番の美女なんだぞ。

 そんな姉ちゃんが不満だと?

「じゃあ何て言えばいいんだよ……」

 浦上さんが呟いていた。

「旦那、オレはちゃんと分かってるぜ?」

 しかし空気を読めない郁美が常識外れの爆弾発言をしやがった。

「おっぱいだろ? だって班長、おっぱい無いもんな?」

「はあああ!? 姉ちゃんの胸は最高だろ!」

 あのなだらかな曲線美。

 平坦にも見えるあの膨らみは官能的でありながら美術的でもある。姉ちゃんの胸は『ストラディバリウス』や『ダビデ像』にならぶ世界的芸術作品といっても過言ではない。

「だって班長の胸、何も無いじゃないか」

「何も無いところから何かの価値を見出すのが芸術なんだよ」

 無価値とも言えるものから価値を見つけるのが芸術家というものだ。

 それが分からないだなんて郁美はお子ちゃまに違いない。もしくは芸術家の素質がないかのどちらかだろう。

「お前たちここにいたのか。お前たち、それをありさに聞かれたら怒られるぞ」

 俺と郁美が雑談、いや喧嘩をしていると隊長である姪乃浜がやってきた。気が付くと俺たちは浦上さんを放置していた。姉ちゃんを狙おうとしていた彼は後で説教することにしよう。

 それと姪乃浜は姉ちゃんの事を何も知らないようだ。

 姉ちゃんは俺を怒ることはない。

 訓練を除けばな。

 そして姉ちゃんは自身の体形について特に何も思っていない。

 やはりこの基地の連中で姉ちゃんの事を一番知っているのは俺のようだな。

 部下の性格を知らないだなんて、姪乃浜は隊長失格だ。

 その事を厳しく言ってやろうとしていると、郁美が姪乃浜をからかいだした。

「なんだよ。もしかして姪乃浜も気になるのか? 班長の――」

「やめろ。上の連中から処分されてしまう」

「処分される前に俺がぶっ殺してやるよ」

 姉がそのような目で見られるのであれば、そいつらを排除するのが弟の使命というものだ。

「郁美、宗太郎がこれだから止めてくれ」

「じゃあ恋バナに入りたいのか?」

「悪いが俺はお前たちと違って既婚者だ」

 マジ?

 姪乃浜って結婚していたのか?

 驚いている俺を横目に郁美はまだ上官をからかい続けている。

「なんだよ隅に置けないなぁ。家に帰ったらイチャコラやってるんだろう?」

「……そう思えるか?」

 姪乃浜は不敵な笑みを浮かべたかと思えば遠い目で何かを語りだした。

「最近は残業が多いし家に帰れない時もあるし……残業代が出ないどころか減給されたし……。もはや離婚まで秒読み段階だ……」

 いくら威厳のない隊長だとしても俺の上官であることには違いはない。

 ここは姪乃浜の為にも厳しいことを言わなければならない。

 俺は自分にも他人にも厳しい男なのだ。

「おい姪乃浜、俺たちの仕事は恋愛成就を支援すること。言い方を変えればいろんな愛を守ることだ。自分の家の家族愛すら守れない奴が国民の愛なんて守れないぞ!」

「……言っておくが残業が増えたのは宗太郎の始末書関係だからな。減給処分を食らったのも宗太郎を庇ったからだ」

「旦那の仕事に理解がない嫁ってとんでもないな!」

 これからも頼むぜ姪乃浜!

 ……ん?

 もしも姪乃浜が離婚したら家庭の事なんて考えずに仕事に集中できるんじゃないか?

 それならば俺が食らっている減給処分もある程度は姪乃浜がかぶってくれるだろう。

「なにか用事があったんじゃないか?」

 俺が愛情保安庁の方針に染まった考えをしていると浦上さんが本題を切り出した。        

 それで姪乃浜も本来の用事を思い出したようだ。

「隊員を1人、大分に出張させることになった」

「出張? なにか合同訓練でもするの?」

 俺たちは他県のSSTと合同で訓練を行うこともあるが、隊員1人だけを派遣するというのはこれまでに聞いたことがない。

「訓練じゃなくて実戦だ」

「なんだよ。大分SSTの連中、全滅でもしたのかよ」

「宗太郎じゃないんだから全滅するわけないだろ」

 大分SSTも宮崎と同じように戦闘員が12人所属している。

 そして誰かが殉職したという話も聞いていない。ましてや隣の件から隊員を借りないといけない状況になるほど部隊が壊滅していれば第7管区どころか全国の愛情保安官で話題になるはずだ。ましてや作戦中に大分SSTが壊滅寸前に陥ったら隣県に配置されている宮崎SSTに特命増強出動、つまり応援での出動が発令されるはずだ。     

 しかし俺はそんな命令を受けた記憶がない。

「大分SSTが大規模訓練を予定していて都合が悪いらしい」

「そもそも何の任務なんだ?」

「機動隊の支援だ」

 姪乃浜は即答した。

 どうやら詳しい作戦内容も大分から送られてきているのだろう。

「大分の機動隊が支援していた高校生が告白を決行するらしい。その後方支援としてSSTを展開させる。上手く事が進めば何もせずに任務は終わるだろうな」

「作戦予定日は?」

「2週間後だ」

 ということは第2戦闘班が勤務する週だな。

「誰を送り込むかはまだ決めていない。大分の機動隊と調整する」

 機動隊だけで作戦が終わればいいんだけどな。

 通常ならば同じ機動隊から隊員を選抜して人員を増強する。しかしわざわざ他県からSST隊員を連れきて増強するとは、万が一の際はかなり高度な作戦が求められるということなのだろう。

 しかし俺にとっては何の問題もなかった。

 通常のSSTは複数人で作戦を実施するが、単独での作戦行動の訓練も行っている。万が一、その機動隊が支援している高校生がヤンデレ化したとしても俺だけで鎮圧できるはずだ。

 そもそも俺、訓練すらしていないというのにSSTに入隊した次の日に単独で実戦に放り込まれたしな。

 業務連絡を終えた姪乃浜はそのまま俺たちとの雑談に合流した。

 先日、俺が社会的に抹殺されそうになった話をしたが、姪乃浜の回答は浦上さんや郁美と同じものだった。

 まったく、この部隊にはロクな人間がいないのだろうか。

 談笑していると指令室の窓が開かれ、室内の隊員が姪乃浜を呼び寄せた。

「隊長! 海上保安庁海保から緊急電です!」

「分かった」

 オペレーターから呼ばれた姪乃浜は走って指令室へと戻っていった。

 きっと応援要請の電話だろう。何の応援なのかは知らないけども、SSTが対応できるか判断するために隊長が判断しなければならない。

 俺たちはいつでも出動できるように準備しておかなければ。

 仮に出動しなくても準備するに越したことはない。

≪ビーーーーーー!≫

 格納庫の片隅で整備していたロープを片付けようとしていたら緊急出動を知らせるブザーが鳴り響いた。姪乃浜が指令室に戻って十数秒後の事だった。

 スピーカーから現場の詳細と内容が機械音声で流される。

『出動指令。日向市、日向灘、沖25キロ。海難救助』

 まさかの救助任務だった。

 今日は大雨で海は大荒れだ。

 ましてや今の季節は冬真っ盛り。いくら南国の宮崎県とはいえこの時期に海水浴をするバカはいないだろう。どこかの船乗りが海に転落でもしたのだろうか。

『出動部隊、特殊2、708空』

 今日の当直部隊は俺たち第2戦闘班だ。

 当然俺たちが出動することは分かっていた。片付けようとしていたロープを床に投げ捨てると俺たちは一目散に指令室へと走り出した。

 壁に設置された電光掲示板は『SCRAMBLE』と点灯し、格納庫内には緊急発進スクランブルを知らせるアラートが鳴り響いていた。俺たちと入れ違いになるように待機室からパイロットや整備士たちが飛び出してきた。

 指令室へと駆けこむと第2戦闘班の他のメンバーが集まっていた。

 テーブルの上には現場となる日向市の沿岸部の地図が広げられている。姪乃浜が地図にペンで印をつけながら状況を説明していく。

「日向市漁業組合の大型漁船、第六春天丸が転覆した。乗組員23名は急行した巡視船と漁船に救出されたが、船長が行方不明となっている」

「今回の任務はその船長の捜索か?」

「その通り。船長は船内に取り残されている可能性がある」

 確かにそれは十分に考えられる話だ。

 事故に遭遇して船を離れる時、船長は他の乗組員が脱出したことを確認する義務がある。その確認作業中に漁船が転覆してしまったと考えると辻褄があう。

「船長の氏名は東郷光男。年齢は72歳」

 かなりの高齢だ。

 その年齢で海の前線に立っていることは立派なことだが、今の俺たちにとって時間の問題だった。冬の冷たい海水に晒されて徐々に体温を奪われているはずだ。

「一刻も早い救出が求められる」

 宮崎を管轄している第10管区海上保安部の機動救難隊の基地は鹿児島にある。救助技術で言えばそちらが出動したほうが早いだろう。しかし鹿児島から飛んでくるために少なくとも15分はロスしてしまう。70代の高齢者を救助するためには致命的だ。俺たちにとって海難救助は本業ではないけども基地で大人しくしているわけにはいかない。

「転覆船内での潜水活動が可能かどうかは現場でありさが確認してくれ」

「了解」

「人選も任せる」

「それじゃあ浦上さん、それと愛梨と宗太郎を連れていく」

 この状況で浦上さんが指名されることは妥当だった。

 救命士の資格を持ってはいないとはいえ医学部の4年生なのだから。専門的な医療行為はできないとはいえ、救命士である高橋さんの補助にはなるだろう。

 しかしまさか俺も指名されるとは思わなかった。

 なにせ俺はこれまでに本物の救助活動に参加したことがない。

「宗太郎、できる?」

「大丈夫だ」

 だけど怖気づいている場合ではない。実戦に出なければ新人はいつまで経っても新人のままだ。それに現場では俺たちを待っている人々がいる。

「全員、潜水救難装備で出動。エンジンカッターとスプレッダーも積み込んで。それとハサミカッターも」

 姉ちゃんの指示を受けて出動するメンバーは指令室を飛び出した。俺と浦上さんは男子更衣室へと駆けこんで黒とオレンジ色のウェットスーツへと着替える。小物類をまとめたバッグと空気ボンベをひったくるとエプロンに走り、電源車を接続してエンジンを起動させているヘリコプターむくどりの中に放り込んだ。

 今度は倉庫に駆け込み、愛梨と協力して救助機材を準備する。

 ヘリコプターむくどりが宮崎空港を離陸したのは出動指令から数分後の事だった。

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