第2想定 第11話
むくどりが巡視船さつまに着船した。
そして船に乗っていた鹿児島SSTの連中に気絶したままのヤンデレを引き渡した。
巡視船の上ならば沈没の危険はない。それにSST隊員の数も多いから鎮圧も十分に楽になるはずだ。先ほど一般人の名簿照合が完了し全員救助したとの無線もあった。
あとは沈没船から愛梨を救助すれば完了。宮崎と鹿児島の合同作戦もまもなく終了する。
あと少しで基地に帰投か。
俺はほっとしてヘリの床に腰かける。
しかしその安堵を打ち消したのは姪乃浜からの無線だった。
『救助中の各員。要救助者が呼吸停止』
愛梨の体調が急変したという内容。
特救隊が潜水を開始して数分後。海面では複合艇が浮上に備えて待機し、その周辺では大小さまざまな巡視船艇が救助の様子を見守っている。
客船の沈没からまもなく10分が経過する。
呼吸停止の蘇生率は約6分で50パーセント。いまこの時間も徐々に愛梨の蘇生率は下がっていっている。
「姪乃浜! 愛梨はどういう状況なんだ!」
『分からん。おそらく区画が浸水したんだろう』
船の内部は区画分けされている。さらにその区画を分ける防水隔壁は頑丈に作られている。簡単に浸水することはない。
水圧で破壊……いや、この海域の水深はたしか40メートル前後だ。造船力学は全く分からないが、その程度の水圧で隔壁が破られることはないだろう。
他に考えられるとすれば俺が爆破したときの誘爆で破壊されていたこと……沈没する前に浸水していたんじゃないか?
いや、たしか愛梨は「この区画はまだ浸水していない」と言っていた。
………………。
あの状況で愛梨は本当のことを言うだろうか。あの時俺がヤンデレの元に行かなければ瀬戸さんが危なかったし、ヤンデレ自体にも危機が迫っていた。この任務自体が失敗に終わっていただろう。
彼女との付き合いは短いが、それでも彼女の性格は知っている。口にすることと思っていることは別々なのだ。俺が入隊した直後の訓練で、厳しいことをいいながらも俺がいないところでは褒めていた。
それに彼女は任務に真剣に向かい合っている。
本当は愛梨がいる区画は浸水していたはずだ。水密扉はゆがんで開かない。あの状況で俺に助けて欲しかったんじゃないか? しかし任務を成功させるためには俺はそこにいてはいけなかった。だから彼女は「この区画は浸水していない」と嘘をついて、俺をヤンデレの元に向かわせたのだ。
なんでそんなに優しいんだよ。
姪乃浜からの無線。
『救助作業中の各員。要救助者の心停止を確認』
無線交信が騒がしくなる。
『複合艇、緊急浮上に備えろ!』
『特救隊が緊急浮上してくるぞ! 潜水士は準備できしだい潜水! 特救隊の支援にあたれ!』
『ヘリの準備は!?』
『まなづる、るりかけす共に要救助者を搬送中!』
『小川さん、残りの燃料はどのくらいですか?』
姪乃浜からの問い合わせ。
むくどりである
基地に戻れなくたっていい。病院まで飛べればいいんだ。
むくどり頼む。
アンタだけが頼りなんだ。
「近くの病院まで行って鹿児島基地まで飛べる。リザーブを使うまでもない」
『了解。姪乃浜三監より救難指揮官。こちらで搬送する』
『救難指揮官了解』
『小川さん。準備できしだい発艦。上空待機』
エンジンを切っていなかったため発艦に時間はかからなかった。あっという間にむくどりは上空に飛び立った。
『巡視船さつまよりむくどり、要救助者は鹿児島県立鹿屋病院が受け入れ可能との事』
「むくどり了解。若宮、航空図を確認しておけ。病院までお前が操縦しろ」
「了解」
俺はヘルメットとアサルトブーツを脱いで、積んであった
「高橋さん、いつでもいけます」
「わかった。ホイスト降下だ」
ホイストのフックを腰のハーネスに接続。エバックハーネスも接続する。愛梨もハーネスを装着しているが自力で体を支えることができない。彼女を吊り上げるにはこの救助資機材が必要になる。
安全索を切り離し、むくどりの機外へと振りだした。ヘリの
「降下!」
高橋さんのホイスト操作によって、俺はゆっくりと降ろされていった。海面では複合艇が潜水士の浮上に備えて待機している。
やがて俺は現場に到着した。ハーネスはホイストフックに繋いだまま、エバックハーネスを取り外して愛梨の浮上に備える。
早く浮上してきてくれ。
俺の降下からしばらくした頃、海面に白い泡が浮いてきた。
徐々に泡の量が増えていく。
そして特救隊が現れた。
彼らのマスクは赤く染まっている。
緊急浮上の影響で鼻血を吹いたのだ。
『宗太郎! 回収急げ!』
「愛梨!」
俺は彼女の体を受け取り、エバックハーネスを装着する。
顔色は蒼白く、空気を求めるかのように口はぽっかりと空いて鼻血を流している。
「急いでくれ!」
ヘリに向けて腕を回す。
吊り上げの合図だ。
ホイストウィンチの巻き上げ速度は意外と早い。
しかし今回はいつもよりのろく感じる。
この時間も徐々に蘇生率が下がっていく。
巻き上げが相当遅く感じた。
ようやくドアに到着した。
高橋さんが差し出したロープをつかみ。腕の力だけで機内へと入る。
「愛梨を収容した」
『了解。病院への搬送を急げ』
「ドア閉鎖」
「ユーハブコントロール」
「アイハブコントロール」
若宮さんがそう宣言した直後、
病院への救急搬送を開始した。
床に寝かさられた愛梨。
装備品は外され、アサルトスーツのファスナーを開けられている。
高橋さんはAEDの準備。
心停止の連絡からすでに6分が経過している。もうすでに蘇生率は20パーセントも残っていない。
俺は心臓マッサージを開始した。
ずん、ずん、ずん、ずん。
手のひらに肋骨が折れる感触が伝わるが気にしている場合ではない。
まだ愛梨は戻ってこない。
「心マやめ。心電図を解析する」
俺は高橋さんの指示で心臓マッサージを一時中断する。
愛梨の状態を確認していたAEDから音声が流れる。
『ショックが必要です。充電中です。……ショックを実行します』
高橋さんがAEDのオレンジ色のボタンを押し込んだ。
愛梨の身体に電気ショックが実行され、彼女がビクンと跳ね上がった。
『ショックが完了しました。ただちに胸骨圧迫と人工呼吸を開始してください』
俺は心臓マッサージを再開する。
肋骨が折れようが関係ない。
「愛梨! 戻ってきてくれよ!」
この夏、迂闊な一言で俺は一人の人間を殺してしまった。
地上に帰還するすべを失った飛行中の旅客機の中で、ひとりのヤンデレを死に追いやってしまった。
周りの奴らは時間の問題だったと言ってくれるが、それでも俺の責任だ。
そして愛梨がこうなったのも俺の責任。
右舷に注水しようと考えなければこうはならなかった。
いずれ火の手が回ってどのみち誘爆していたかもしれない。それでも俺の行動によって愛梨を閉じ込めてしまった。沈没までの時間を縮めてしまった。誘爆の発生が遅かったら愛梨は無事だったかもしれない。
すべて俺がしでかした事だ。
あの旅客機での作戦の直後、俺は相当落ち込んだ。三間坂二士のおかげでなんとか笑える程度には回復した。失敗から立ち直る必要性を教えてもらった。
だけど二人目を殺してしまったら、俺は二度と立ち直れなくなる。
失敗から立ち直れって言われたって、俺はまだ入隊して一カ月ちょっとの新人なんだ。
「これ以上俺に罪を背負わせないでくれ!」
俺はもっと強くなってやる。
どんな状況でも作戦を成功できるように。
犠牲者をださないように。
だから生き返って、俺が強くなるところを見ていてくれよ。
レンジャー訓練だって行ってやる。
死の淵を彷徨うって言われても構うものか。
もっと強くなる。
姉ちゃんだって超えてやる。
レンジャー徽章を貰って基地に帰ってくるんだ。
そして言ってくれよ。「その程度で自慢するな」って。じゃないと俺、調子に乗って死んじまうぞ。
「アンタは俺の教育係なんだろ! だったら生きて俺の成長を見守ってくれよ!」
俺の顔は涙でぐしょぐしょだった。
愛梨が死んでしまう恐怖、後悔、自責の念。
さまざまな感情が俺の頭のなかでグルグルと駆け巡っていた。
「宗太郎! もう一度電気ショックだ!」
「愛梨! 動いてくれって!」
「宗太郎!」
俺は特務員に肩を掴まれて彼女から引きはがされた。
無機質なAEDの音声案内。充電が終わると高橋さんが再び電気ショックを実行した。
愛梨の身体が跳ねた。
しかし彼女は自分の意思で動くことはなかった。
高橋さんが愛梨にアドレナリンを注射する。
心臓マッサージを再開。
俺の顔は涙で濡れているといえるようなものではなかった。表情もぐちゃぐちゃだった。
まもなく心停止から十分が経過する。蘇生率なんてものは残っていない。
心肺蘇生の中止が頭をよぎる。これまでは多少なりとも蘇生の可能性が残されていた。それが今ではほぼ不可能。いい加減に現実を受け入れろ。胸骨圧迫なんてやめて彼女を楽にしてやれ。頭の中のもう一人の俺がそう囁いている。
しかしただひたすら訓練通りに胸骨圧迫を続けた。
俺が愛梨を殺したんだ。
全部俺のせいだ。
悲鳴に近い声で叫び続けた。
「アンタは俺と同じ三士だろ! 俺を置いて二階級特進なんて許さねぇからな!」
もはや心臓マッサージといえるものではなかった。
俺は固く握った拳で愛梨の胸をぶん殴っていた。
力任せにぶん殴った。
特務員が俺を抑え込もうとするが、肘を撃ち込んでそれを振りほどいてぶん殴った。
「基地に帰ったら俺をぶっ殺すんだろ! 言ったことは守れよ!」
AEDを操作していた高橋さんが止めにはいる。
ほっといてくれよ!
彼の左頬に拳をぶち込んだ。
「もう一度俺をぶん殴ってくれよ!」
これまで彼女に何回ぶん殴られたことだろう。
殴られすぎて失神したことだってあった。
しかしそれも基地での日常だった。
物騒な出来事が幸せなことだと今になって気づく。幸せとは後になって気づくものだ。傍から見れば避けられるだろうが、俺にとって愛梨に殴られることは幸せなことだった。
「動いてくれって……」
あの日常はもう戻ってはこない。
何度も何度も、ボコボコに殴った。
痛みのあまり俺の拳の感覚はなくなっている。
愛梨の胸は青黒く変色していた。
「頼むよ! 俺はアンタに殴ってほしいんだ!」
ただひたすら感情にまかせて彼女の胸を殴っていた。
体重を乗せるように何度も何度も繰り返し。
突然愛梨がビクンと跳ねた。
「!」
それは幻覚でもなければ、ただ単に殴られた衝撃で動いたわけでもなかった。
愛梨はのけ反ったかと思うと縮こまった。
そして嘔吐した。
ヘリの床に海水が広がる。
「愛梨!」
彼女は四つん這いになってせき込んでいる。
「愛梨! 愛梨! 愛梨!」
蘇生成功だ。
ただひたすら嬉しかった。
喜びのあまり俺は愛梨に抱き着いた。
彼女に頬ずりした。
ほっぺにキスだってしてやった。
彼女は気にすることなく胸を押さえながら嘔吐を続けている。
それでいい。
それでいいんだ。
よく戻ってきてくれた。
俺は泣いた。
大声で泣いた。
まるで子供のように。
周りの視線なんて気にしない。
どう思われたって構うもんか。
甲子園で優勝した高校球児のように、仲間を抱きしめて大声で泣いた。
「……宗太郎」
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「………………」
「片付けは俺がする! だからもっと吐け!」
飲んじまったモン全部吐き出して楽になれ。
掃除なんていくらでもやってやる。
「……よくもやってくれたわね」
「え?」
愛梨は俺を振りほどき、俺を突き飛ばした。
彼女は胸からAEDのパッドを引きはがす。
そして恐ろしい笑顔で拳を振り上げた。
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