第2想定 第5話

 蝉が最期の雄叫びをあげるように鳴き叫ぶなか、俺たちは警察学校に来ていた。

 今は職務質問の訓練中。

 職質対象は俺の姉ちゃん。初任科生が逃げ道を断つため四方を塞ぎ、代表者が姉ちゃんに質問していく。

 それを俺と姪乃浜、警察学校の教官たちが真剣に観察している。

「はい、じゃ~名前を教えてください」

「松橋愛梨」

「松橋さんね~。じゃあ免許証をお願いします」

「え、なんで」

 姉ちゃんは不審者役を演じて……というか愛梨のマネをしてぶすっとした声色で応答する。そのモノマネはまんま愛梨だった。機嫌が悪いときの彼女のマネではない。平常運転のときの愛梨の言動そのものだった。

「宮崎六六一から一二三――」

 代表者が照会センターに無線を入れる。

 しかし隣の初任科生が装備品のピストルに触れてしまった。

 姉ちゃんはそれを見逃さない。

 敵対行動成立。

 照会の手続きがもう少し早ければ無傷で済んだかもしれない。

 まぁ警察学校ここに入った時点で覚悟はキメているだろう。

 姉ちゃんはピストルに触れてしまった初任科生の顔面を掴み、地面に叩きつける。そして無線に気を取られていた隣の初任科生に標的を変えると彼の腕を捻りながら背後に回り込み肉壁とした。

 味方を盾にされた状況に残った二人の初任科生が動揺する。

 彼らにとってその一瞬の隙が致命的だった。

 盾を片方の初任科生へと蹴り飛ばす。時間稼ぎだ。姉ちゃんは隠し持っていたゴムナイフを引き抜くともう片方の初任科生へと襲い掛かり、あっという間に彼の首を切りつけた。

 残り目標二人。

 しかし態勢を崩して地面に尻餅をついている彼らを制圧するのにテクニックはいらなかった。

「状況終了!」

 まぁ格闘戦になった時点で姉ちゃんの勝ちだったな。

 一対多の格闘訓練は毎日やっている。しかも相手がナイフや銃器を装備した状態だしエンドレスで襲い掛かってくる。初任科生がとるべき最善の行動は躊躇なく拳銃を抜くことだったが、それでも結果は変わらなかっただろう。

「姪乃浜、かなり手加減してたな」

「そうだな」

 さっきの訓練で使ったのは主に投げ技。

 拳や肘を使った打撃技や蹴り技を使っていたらこんなものでは済んでいないだろう。

 さすがに筋肉モリモリ変態マッチョマンの浦上さんほどではないが、それでも姉ちゃんは特殊部隊員。打撃技で意識を飛ばすなんてことは朝飯前だ。この前俺も飛ばされたもんな。ヘッドギアを付けてなかったら死んでいたぞ。

 投げ技だったら痛くはないし受け身だってとれる。受け身が取れないように投げて人体を破壊することもできるがこれは訓練。さすがにそんなことはしない。

「なぁ姪乃浜」

「なんだ?」

「姉ちゃんってシステムを外したらどのくらい強いんだ?」

 SSTサポートシステム――通称、システム。

 SST隊員の活動をアシストする便利な機能だ。これを使っていると技術や体力が向上する。万が一任務中に死亡しても三回までなら生き返ることもできるし、隊員が見た映像がそのまま指令室のモニターに映し出すということもできる。

 この機能を使わなかったら、姉ちゃんはいったいどのくらい強いのだろう。

「言っておくがありさはシステムをほとんど使ってないぞ」

「え?」

「使っているのは生き返り機能や通信機能だけで、戦術系のものは停止している。任務によっては完全に止めていることもあるな」

「じゃあ姉ちゃんはシステム無しでアレなのか!?」

 3000メートルを9分で走りぬき、腕立て腹筋は300回なんて朝飯前。ピストルを持たせると走りながら10メートル先にある7センチ角の目標をピンポイントで撃ち抜いて、複数人で襲いかかられても素手で返り討ち。

完全にバケモノじゃねぇかよ。

「少なからずヤンデレワールドに影響するからな。他の隊員も外しているぞ。それに宗太郎が目指している特別集合教育課程レンジャー訓練だってシステムの使用は禁止だからな」

「はあ!?」

 なんだよそれ。

「当然だろ。そのための訓練だからな」

「そういう意味じゃなくてだな!」

 話がかみ合わないぞ。

「俺がいつレンジャー訓練に行きたいって言ったんだよ!」

「三間坂から聞いたぞ」

 あの野郎!

「喜べ。訓練をクリアしたら幹部昇任だ。手当も支給される」

 セリフが三間坂の野郎と同じじゃねぇか。

 口説き文句の常套句か?

「ここだけの話、あまりにも志願者がいなかったから幹部昇任というエサが追加されたわけだ」

「仕事増やしてるだけだよな!?」

 地獄の訓練に送り込まれてそのご褒美が仕事の増量って、上の連中はなにを考えているのだろうか。姉ちゃんが毎日残業しているの知っているんだからな。しかもサービス残業。

「宗太郎は今システムを全部使っているが、あと数か月――遅くとも来年の年明けごろにはどちらにせよ戦術系を停止させる予定だ」

 レンジャー訓練はともかくシステムの停止か。

 ヤンデレの狂気によって空間が歪められたヤンデレワールド。システムはそれに干渉することがあり場合によっては使用に制限がかかるというのはSST入隊時に説明を受けていた。その制限される状況に備えてシステムの補助を受けずに戦えるように訓練をしているわけで、あらかじめいつか停止されることは知っていた。しかしそんな近いうちにシステムは停止されるのか。そもそもシステムの補助って入隊訓練終了程度だからいつまでも頼りっぱなしというわけにはいかないんだけどな。

 来年の年明け。つまりあと六か月でシステムを使わなくても戦えるようにならなければならないというわけだ。さらに簡単に言うと姉ちゃんぐらい強くならなければならないというわけ。正直そんな短期間で姉ちゃんに追いつける自信がない。ただでさえ今の訓練はぶっ倒れるほどにキツいというのに、システムの補助を外されてさらに苦しい思いをするのだろう。

 生き返り機能を停止というのは俺に死ねと言っているようなものだ。しかし半年後に停止されるのは戦術系の機能だけ。生き返り機能だけはそれ以降も止めないようだからそれはせめてもの救いだ。

「さて、次の訓練は宗太郎が相手だ。シチュエーションは任せる」

 よし行ってくるか。

 俺も極秘作戦中のSST隊員という設定でいこう。まさか初任科生も二回連続で同じ設定で来るとは思わないだろう。

 姪乃浜が初任科生たちに声をかける。

「お~い、次の相手はバカだから手加減なんてできないぞ~」

「俺はそこまでバカじゃねぇよ」

 一人医務室に送ったのは別の話だ。


 職務質問訓練が終わった。

 今頃姉ちゃんと姪乃浜は教室で授業をしている。

 そして俺の任務は待機。いや、警察学校の教官と仲良くなってこいと姪乃浜に言われて教官室に送り込まれたのだ。

 ソファーで膝を突き合わせているのは巡査クラスの三等愛情保安士の俺。そして警察学校教官の中原警部と玉名警部補。

 気まずいぞ。

 あまりの気まずさに耐えきれなくなり、当たり障りのない話題に口を開いた。

基山きやま先輩、いえ、基山学生は元気にしていますか?」

「基山? たしか玉名教場じゃなかったか?」

「そうですね。うちの教場です、基山は」

 玉名教場、つまり玉名警部補が担当する初任科生ということだ。

「知り合い?」

「野球部の先輩なんですよ。付き合いは一年しかありませんでしたけど」

 俺が一年生の頃、三年生だったのが基山先輩だ。ポジションは外野。学力は例に漏れずアホだった。別府ほどじゃないけどな。

「そうなのか。まぁ元気にやっているぞ」

「先週、軍曹に泣かされていたな?」

「あ~、泣かされてましたね」

「軍曹?」

「上岡三正のことだよ」

 中原警部がそっと教えてくれた。

 あ~、そういうことか。

 俺の中じゃ軍曹といえば愛梨だからな。

「基山は体力があるし運動神経もいいんだけどなぁ……」

「……座学ですか?」

「そうなんだよなぁ……。心理学はまだしも、法律系がヤバいんだよなぁ……」

 玉名警部補は頭を抱えている。

 教官がここまで困るとは相当の事だろう。

 気まずい空気がさらに気まずくなってしまった。

 おい誰だよ、こんな話題振ったやつ。

「どれどれ、上岡三正の弟だって?」

「「久留米校長!」」

 おいおい、警視まで出てきちゃったよ。

 気まずいことこの上ない。

「どうだ、SSTには慣れたか?」

 久留米校長は俺の隣にどかっと座り訪ねてきた。

「まだまだですね。毎日ぶっ倒れてますよ」

 二十キロ走なんて日課だ。負荷をかけるために完全武装で走るときもある。

 それに筋トレなんてエンドレス。まぁ一部喜んでいるやつがいるけどな。

 ぶっ倒れているというのは比喩ではない。毎日が生死の境目を彷徨っている。何度か越境してしまったこともあるけど。

「姪乃浜のところは特に狂ってるからなぁ。たまに訓練の視察に行くが別世界に行ったような感じがするぞ。たしか中原は格闘訓練を体験したよな?」

「そうでしたね。瞬殺されましたよ」

「数人で襲っても歯が立たないからなぁ。SSTはバケモノ揃いだよ」

 それは否定できない。

 少し補足するとそのバケモノの多くが奇人変人変態だ。

「特に上岡三正は特別な訓練を受けているからなぁ」

「特別集合教育課程……だっけ?」

 玉名警部補が俺に質問してきた。

「君はお姉さんに続くのかい?」

「ははは、どのみち送り込まれますよ」

 絶望だった。

 年に四回実施されるこの訓練に参加できるのは1回につき20名。まぁ訓練が終わる頃には10人も残っていないらしいけどな。その前に素養試験という選抜試験を受けるわけだけど、それに各部隊から最低1名は送り込まなければならない決まりとなっているのだ。

 それに俺が何も言わないことをいいことに、三間坂のクソ野郎が姪乃浜に根回ししやがったんだ。なんでアイツの代わりに俺が訓練に逝かなきゃいけないんだよ。

「君のお姉さんに限らずSSTはぶっ飛んだヤツが多いからなぁ……知ってるかい?」

 久留米警視は俺が入隊する前にあった出来事について教えてくれた。

 話をまとめると宮崎県警と宮崎SSTの合同作戦のことだ。ヤンデレと市街地でカーチェイスになったらしいがなかなか追いつかない。そこでSSTが思いついたのが橋の爆破。ヤンデレを橋に追い込んでもう片方を爆破するというものだった。長さ約四〇〇メートルの橘橋。二六億円を費やして建設されたその橋を交通封鎖したうえで躊躇なく爆破したらしい。

 俺のSST歴は短いが分かってしまう。うちの部隊ならそのくらいのことをやりかねない。ヤンデレを鎮圧できれば破壊したものは元通りだしな。

 帰ったら作戦報告書を探してみよう。

「あの時は驚きましたよ」

「ははは、確か中原警部はあの時現場に出ていたか」

「突然持ち場を爆破するって言われたんですから」

 それは笑えない。

 離脱が遅れても予定通りに爆破するぞ。うちの部隊なら。

「SSTと県警の特殊部隊じゃ目的も考え方も違うからな」

 県警の特殊部隊の目的はあくまでも犯人逮捕。なるべく怪我を負わせないように生け捕りにするのが任務だ。そのあとに捜査とかしないといけないからな。そのうえ民間人の犠牲は論外。海上保安庁のSSTの方針もこっちだ。

 それに対して愛情保安庁SSTの目的はヤンデレの鎮圧。任務成功後に痕跡が残らないということもあって民間人の犠牲は二の次。もしヤンデレが民間人を盾にしていたとしても躊躇なく撃てる。まぁ露出した部分を正確に撃ち抜けるから、盾にしたところで意味はないけどな。

「どうだ、高校卒業したら宮崎県警に来ないか? 君ならば特殊部隊に行けるだろう。これまでの実戦経験は十分に役立つはずだ」

「ははは、考えておきます」

 俺に死ねと?

 作戦報告書を見てから言ってもらいたいものだ。

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