第1想定 第2話

「ただいまー」

 親が共働きで誰もいない家に呼び掛け、靴を脱いで部屋に上がる。

 今日の学校はとても疲れた。

 舞香に殺される夢を見て精神的なライフはゼロ。そして舞香が作ってくれた弁当を食べたら腹を壊して肉体的なライフもゼロ。なんか舞香が「宗太郎のお弁当は、これから毎日私が作ってくるからね」みたいなことを言っていた気がするが、多分幻覚でも見ていたんだろう。

 じゃないと俺の体がもたない。

 それはともかく、部活もやって帰ってきた俺は偉いと思います。きちんと隼人を張り倒してきた俺は褒められてもいいと思います。

 だから、誰か褒めて。

 ………………。

 ……誰も褒めてくれない。

 それも当然、この家には誰もいない。海上保安官の父ちゃんはいまごろ日向灘のど真ん中。海上自衛官の母ちゃんに至っては太平洋のど真ん中だろう。

 そして姉ちゃんは大学だ。

 横になって音楽でも聴くか。制服はあとで脱ごう。

 俺はカバンのファスナーを開き、音楽プレーヤーを取り出した。

 現れた音楽プレーヤーは本体にイヤホンでぐるぐる巻きにされていて、まるでなにかを封印しているようだ。

 ん? 封印?

『待たせるじゃないか』

 あ、そうだ。こいつだ。

 昼間、夢から覚めると突然イヤホンから人の声がして、怖くなったからプレーヤーをイヤホンでぐるぐる巻きにしてカバンに放り込んでいたのだ。

 俺は慌ててイヤホンを引き抜こうとする。しかしもう少しのところで両手は動かなくなった。

『ちょっと腕を操作しているだけだ。怖がらなくていい』

 十分怖いわ!

 そして誰なんだこいつは。

『俺は愛情保安庁の姪乃浜だ』

 海上保安庁?

 父ちゃんの同僚か?

『イヤホンを外さなければ何をしててもいいから話を聞いてくれ。早速本題に入るが、愛情が暴走した人々を鎮圧する特殊部隊の一員として活動してくれないか?』

 愛情が暴走する人たちねぇ……。

 海上保安庁の任務とどう関わってくるんだ? しかもなぜそれを高校生である俺に頼むんだ?

 姪乃浜とやらは俺の疑問をはたに、その特殊部隊についての説明を続ける。

『この任務は非常に危険なものだ。相手に殺されることもある。だが、殺されたとしても一ミッションにつき三回までだったら生き返ることができる』

 そうかそうか。

 話をまとめると、俺は「愛情が暴走した連中を鎮圧する特殊部隊にスカウトされた」と。そして「その任務で殺されても何回かは生き返ることができる」と。

 ………………。

 厨二くさっ。

 俺はきっと疲れてるんだ。イヤホンから幻聴が聞こえてくるのも、突然両腕が動かなくなったのも全部疲れているせいなんだな。

 ちょっと一眠りしよう。

 俺は制服のまま畳の上にごろんと横になる。クッションがあればベストだけど、ここにはそういうハイカラなものはない。

『愛情が暴走した人々……と難しく言っているが、要するにヤンデレだ。さらに詳しく言うと、好きすぎて誰かを殺したりするような狂気系のヤンデレのこと。おっと、ヤンデレが敵というわけじゃないぞ。あくまでヤンデレを落ち着かせるための特殊部隊で……』

 落ち着かねぇ!

 ヤンデレヤンデレ何回繰り返すんだ!

 いつもであればすぐにイヤホンを引き抜いていたかもしれない。だが今回はそれをしようとは思わなかった。この場でイヤホンを外そうとする行為が無駄だということを、先ほど身をもって学習しているからだ。

 あぁ、今日はなんて日だ。

 昼は舞香に殺される夢を見るし、目を覚ましたら舞香の弁当を食べて腹を壊すし……。それに昼にもあったけど、今こうして幻聴を聞かされている。

 しかも今聞かされている幻聴は昼のより最悪だ。昼のはすぐにイヤホンを外したら幻聴が聞こえなくなった。だけど今のはイヤホンを外すことさえ許されない。

 俺の脳は両腕に「イヤホンを引き抜け」と指令を出している。しかし命令を受けているはずの両腕はまったく言うことを聞いてくれない。

 まぁいい。姉ちゃんが帰ってきたら外してもらおう。

 俺は起き上がり、机の引き出しに手をかける。寝るのはもう諦めた。

 ここは勉強なり遊ぶなりして、それに集中することで聞き流すのがいいだろう。ただ勉強するなんて論外。ここは遊ぶに限る。高校生はこうでないとね。

 引き出しを開けて、誕生日プレゼントとして姉ちゃんに貰ったガスガンとそれのマガジンを取り出す。『コルト・ガバメント(十四禁)』だ。

 つくづく思うが、これはいかにも姉ちゃんらしいプレゼントだと思う。

 姉ちゃんはミリオタだ。小学四年生のときに親戚に貰ったプレステのソフトがきっかけらしい。

 今となっては小四の女の子に戦争もの――正確には敵に発見されないように(ときにはダンボール箱を被って)進んで行くという内容のゲームをプレゼントするか? と思わないでもない。だけどそれがきっかけで今となってはガッチガチのミリオタとなり、サバイバルゲームのチームに入っていたりもする。

 俺はゴーグルを装着し、ガバの銃口を塞いでいる赤いキャップを引き抜いた。

 このガスガンは十八禁ガスガンの反動リコイル集弾性グルーピングをそのままに、発射パワーを青少年育成条例とかいうやつに適合させたものらしい。条例を守りながら高校生でもガスガンで遊べる。いい時代になったものだ。

 ……まぁ、友人には「年齢制限、無視していいんじゃねぇの」なんて言われるときもある。千葉県には本棚の後ろの押入れにエロゲーを大量に保管している、あんなに可愛いわけがない読者モデルの女子中学生がいるぐらいだしさ。

 でも、エアガンを愛する者にとって、年齢制限とかの法律は絶対に守らなければならない。日本は銃社会じゃないから、銃にアレルギーを持っている人が多い。極端な人だと、エアガンにもアレルギー反応を起こす人もいる。

 だからというわけじゃないけど、多くの人にエアガンが受け入れてもらえるように、年齢制限は守らないとね。

 マガジンにBB弾を七発詰め込んで、姉ちゃんの机からくすねてきた間違えた、拝借してきたガスボンベを使ってガスを注入する。

 それをグリップに差し込み、コッキングして射撃準備は完了。

 俺は両腕を真っ直ぐに伸ばしてガバを構える。アイソセレスという拳銃の構え方だ。

『……聞いてるか?』

 トリガーを絞る。

 壁に掛けられたターゲットへBB弾が発射され、スライドは鋭く後退した。

 命中。

 この距離だったら当然だな。それに毎日練習しているし。

 俺はガバにセイフティを掛けて、テーブルにそれを置いていた。

 そして隣にある勉強机に向き直り、そこに置かれている拳銃を持ち上げる。

 USP。

 銃器マニアでこいつの名前を知らない者はいないだろう。ダブルアクション拳銃としては珍しく、ハンマーをコッキングした状態でセイフティをかける、いわゆる『コック&ロック』が可能な拳銃だ。

 いや、こいつはただのUSPではない。

 延長されたバレルの先端はネジが切られ、サプレッサーが装着できるようになっている。そして装着したサプレッサーが干渉しないよう、サイトが高めに作られている。

 USPタクティカル、特殊作戦用の拳銃だ。

 ……まぁ自分で動いたかのような語りをしているが、「俺はガバにセイフティを掛けて、テーブルに置いていた」のあたりから俺の意思じゃない。きっと姪乃浜とやらが俺の体を操っているのだろう。

 というかこのUSPは何なんだ?

 姉ちゃんはいろんなエアガンを持っている。だけど持っているのはUSPコンパクト。タクティカルのほうは持ってなかったはずだ。

 この拳銃について疑問に思うが、俺の動作は止まらない。

 スライドを握ってコッキング。手を離すとジャッ、と実銃のような音を立てながら前進した。

 銃口がこめかみに当てられる。いわゆる『拳銃自殺』の格好だ。

『宗太郎、聞いていたか?』

「…………………」

『聞 い て い た か?』

「……いや」

 こいつはどうしておもちゃの拳銃で俺を脅しているんだよ。

 拳銃を頭に突きつけるという動作は脅迫として有効だ。しかしそれが殺傷能力のほとんどないおもちゃだとしたら意味はない。むしろ滑稽に見える。

 まぁ反抗するのは面倒だし、ここは大人しく話を合わせておくか。エアガンといえども当たったらアザが残る程度に痛いからな。

『どこまで聞いていた?』

「愛情が暴走してしまう人々を鎮圧する特殊部隊がどうのってところまで……」

 イヤホンからため息が聞こえてくる。

 姪乃浜とやらは呆れている様子だ。

『ほぼ最初じゃないか……』

「でも、そんな話を信じられると思うか?」

 そんな特殊部隊なんて聞いたことがない。

 いや、特殊部隊は存在自体が隠されているなんてよくあることだ。一般人である俺は知らないだけで、本当はあるのかもしれない。だけど仮にそれがあったとして、ヤンデレのためだけに特殊部隊なんて大層なものが出動するのか?

 というか、現実世界にヤンデレなんているのか?

『昼のできごとを忘れたのか?』

「……え?」

 今日の昼休み、俺は舞香に包丁で刺し殺されるという夢を見ていた。

『宗太郎はあれを夢だと思っているかもしれないが、全部現実で起こったことだ』

 そんなわけがない。

 仮に現実だったとしたら、俺が今生きているわけがない。

『今生きているから、現実の出来事じゃないと思っているだろ?』

「!」

『他のやつも同じことを考えるから分かるんだよ』

 そりゃあ、あんな状況を現実だと思うようなやつはいないだろうよ。

『信じられないだろうが、騙されたと思って聞いてくれ。ところで……ヤンデレは知っているな?』

「……ああ」

 その特殊部隊とやらは信じることができないが、聞かれたことに返事をする。

 ヤンデレには馴染みが深い。

 ミリタリーにとどまらず、ラノベや弾幕シューティングと多趣味な姉ちゃんの影響だ。

 ヤンデレの女の子が延々と語りかけてくるCDを聞いたこともあるし、ヒロインがヤンデレ化するという内容のギャルゲーやエロゲーをしたこともある。

 正確には姉ちゃんが聞いているのが聞こえてきたり、姉ちゃんに貸し付けられたりしただけだけどな。エロゲーはパソコンをこっそり借りてプレイしたけど。

 一応説明するとすればヤンデレとは相手のことが好きすぎるあまり、病的な行動をとってしまうというアレだ。有名なのは恋敵や想い人を殺害する『狂気系』なんだけど、ダックスフントになった読書バカの妹みたいに、「ずっと一緒だよ?」というようなのもヤンデレの一種らしい。

『要するにヤンデレを鎮圧する特殊部隊に宗太郎をスカウトしようということだ。我々、愛情保安庁では――』

「おい! 愛情保安庁ってなんだよ!?」

 パクリだろ。

 絶対に『海猿』とか『トッキュー!』とかで有名な海上保安庁のパクリだろ。国土交通省に怒られるぞ。

 なんだかこいつの言っていることが嘘っぽくなってきた。最初から信じてないけど。

『愛情保安庁とは厚生労働省隷下の秘密組織。若者の恋愛離れを阻止し、少子化に歯止めをかけることを目的に設置された』

「恋のキューピッド的なやつ?」

『そんな感じだ』

 すげぇな厚生労働省。

 恋愛相談もやってるのかよ。

 もっと税金を投入しようぜ。

『恋に悩むやつがいれば愛情保安官がそいつに接触。カップル成立のためにツンデレや鈍感など、そいつらの特性に合わせた恋愛支援を行なう』

 まぁツンデレは需要があるからいいとして、鈍感は面倒だろうな。

 アニメやラノベのほとんどの主人公の多くは鈍感野郎だ。しかもそういう奴に限ってハーレムだったり彼女がいたり、まぁいわゆるリア充をしているのだ。

 ……爆発すればいいのに。

『もちろんヤンデレも例外ではない。しかし重症化すると殺人・監禁といった事件を起こす。そこまでいってしまったら普通の愛情保安官では対応できない』

 まぁあんな凶暴化した奴らの相手なんて簡単じゃないだろうな。

 そもそも「現実世界にヤンデレがいる」というのが未だに信じられないけれど。

『このような事件に出動し、ヤンデレの凶行から民間人を守りつつ、ヤンデレの恋愛支援をおこなうのが愛情保安庁唯一の特殊部隊にしてテロ部隊、『特殊鎮圧班』だ!』

「おぉ!」

 まだ存在を信じたわけではないが、その文字列に興奮する。

 やっぱり縦文字ってかっこいいよね。

 特殊作戦群、特殊急襲部隊、特殊犯捜査係。さらには特別警備隊に特殊警備隊。

 この二つの特殊部隊は一文字違いだけど、特別警備隊が海上自衛隊の特殊部隊で、特殊警備隊が海上保安庁の特殊部隊な。海保には特殊救難隊ってレスキューの専門部隊があるから、『特殊』つながりで覚えておくといいぞ。

 それにしても『特殊鎮圧班』かぁ。

 やっぱり略称はアルファベット三文字か? 「特殊」が「S」で「班」が「T」ってのはスタンダードだな。となると重要なのは真ん中か。「鎮圧」だから――

『略してSST!』

「パクりじゃねぇか!」

 特殊警備隊と一緒じゃねぇか。

 国土交通省に怒られるぞ。

「……まぁ活動内容は分かったけど、どうも嘘くさいんだよな」

 愛情保安庁がどうとかSSTがどうとか、そんなことを言われて信じるような奴がいるだろうか。

 もしいるとしたら厨二病か変人のどちらかだ。

『信じろ』

 無理です。

『「信じられるわけねぇだろ、このボケ」とか思っただろ』

 俺はそんなに口は悪くねぇよ、このボケナス。

『ともかくだ、SST隊員として活動してくれるか?』

「やだよ」

 狂気系のヤンデレだぞ? 下手すれば殺されるんだぞ?

 厨二病のやつでもやりたがらないはずだ。

『なぜだ?』

「だって相手は武器を持って襲ってくるんだぞ。俺を死なせたいのか!?」

 丸腰でどうやって相手をすればいいんだ。

『武器は――』

「何を言われてもやらないぞ!」

 姪乃浜が何かを言おうとしていたが、それを遮ってはっきりと拒絶する。

 あのまま喋らせていたら、うまいこと丸め込まれそうな気がした。

『……ならば仕方ない』

 俺は椅子から立ち上がると、右手で机に置いてあったUSPを持ち上げた。

 そしてマガジンを抜いて、エジェクションポートを覆うようにしてスライドを引く。するとチェンバーの中に入っていた銃弾がごろりと左手に転がり出てきた。

 9ミリパラベラム弾だ。

 俺は銃弾を確認すると、それが出てきたところからチェンバーに押し込み、スライドを前進させて薬室を閉鎖した。

 心地よい動作音。よく調整されたモデルガンだな。

 そして俺は口を開く。

「!」

 インサートがないぞ!?

 ちらりと見えた銃口にあるべきはずのものがなかった。

 モデルガンの銃口にはインサートと呼ばれる棒を装着しなければならないという決まりがある。しかしこのモデルガンにはそれが付いていなかった。

 つまりこれは違法なモデルガン――いや、モデルガンじゃない!

 分かった! 待ってくれ!

 実銃だと気付いて俺は姪乃浜を止めようとする。

 しかし制止の言葉が俺の口から出てくることはなかった。口の中にはUSPが突っ込まれ、それが発声を邪魔していたからだ。出てくるのはフガフガといった意味不明の言葉。いや息が漏れていると言う方が正しいだろう。

 つまり俺は拳銃自殺の格好をしている。

 念のため言っておくが、これも俺の意思じゃ――


【SOTARO IS DEAD】


 トリガーを押し込む直前に、俺は口から銃口を引き抜いていた。銃口から吹き出したマズルフラッシュが頬を少しだけ焼いただけで、銃弾は夕焼けの空に消えていった。

「そうだ、それでいい。まだ逝く必要はない」

 俺はその声がした方向に目を向けると、そこには俺にそっくりの男が立っていた。

 ……という、姉ちゃんが涙した超有名なゲームのエンディングみたいなことは起こらなかった。もしそんなことが起こったら某監督に怒られるだろう。

 USPは引き抜かれることなく9ミリ弾を発射し、俺の脳幹を破壊していた。

『協力してくれるか?』

 姪乃浜は「これが最後だ」というような口調で俺に訊ねる。

 協力を拒めば死んでもらうといった感じだ。

『生き返る操作をしているのは俺だ。宗太郎が協力してくれるんだったら今すぐに生き返らせるが、拒むようだったらこのまま死んでもらう。愛情保安庁の存在を知られたからな』

 あんたが勝手に話し始めたんじゃねぇか。

 一方的にしゃべっておいて、話が終わったら「知られたから消す」ってのはないだろ。

『どうだ? やってくれるか?』

「いや、でも、さ?」

 俺が言い訳をしようとすると、追い打ちをかけるそうに姪乃浜が喋りだした。

『言うのを忘れていたが、俺が意思表示をしない場合は「生き返らない」を選んだことになる。そしてまもなく時間切れだ』

「……やるしかねぇじゃん」


【CONTINUE】


『宗太郎が協力者になることを快く引き受けてくれたことだし、任務の説明をしようか』

 ほぼ強制だったじゃねぇか。

 協力するか死ぬかを選べと言われて、協力を拒むやつはいない。

『さっきも言ったが、SSTが対処するのは基本的に狂気系だ。狂気系は知っているな?』

「ああ」

 聞いてもないのに姉ちゃんが説明するから覚えてしまった。

『狂気系のヤンデレは、それぞれ固有の凶器を持っている』

「昼のだと包丁か?」

『そのとおり。そしてこの凶器はヤンデレの殺意、つまり狂気によって生み出される』

 舞香の狂気が形になったものが凶器――。

 だじゃれみたいだな。

『さらにその凶器は基本的な性能が強化されている』

「強化?」

『包丁で例えるが、包丁は人を切るものではない』

「当たり前だ」

『包丁では人間の骨を断ち切ることはできないからな』

「倫理的な意味じゃねぇのかよ!」

 物理的な意味で『人を切るものではない』って言ってたのかよ。それともあれか? 肉を切るときは『肉切り包丁』を使うように、人を切るときは『人切り包丁』を使えってか?

 そんな包丁があってたまるか!

『ああ。ヤンデレの凶器は性能が上がっていて、いとも簡単に人間の骨を断ち切ってしまう』

「そんなに切れ味がいいのか」

『通販番組が飛びつきそうだろ?』

 BPOが飛んでくるわ!

『SSTはそういう連中が相手だ。当然、身を守る必要がある。宗太郎、後ろを見な』

 俺は言われた通りに振り返って、机を見る。そこにはさっきのUSPが置かれていた。

『宗太郎専用の拳銃だ。この銃は基本的に『鎮静弾』と呼ばれる銃弾を発射する』

「鎮静弾?」

『その名のとおり、ヤンデレに着弾すると一時的に沈静化させ、正気に戻すことができる』

 鎮静剤を銃弾にしたようなものか。

 まぁ飛び道具は便利だよな。わざわざヤンデレに接近するなんて危険をおかすことなく、射程外から撃ち込むことができる。

『ただしヤンデレではない人間に対しては普通に殺傷能力を持っている。そしてこの減装した9ミリパラベラムでは、鎮静効果が二秒間しか持続しない』

 短っ!

『この二秒間の間に体勢を立て直したり、話のペースを自分の方へと引きずり込んだりする必要がある。複数発を撃ち込めばそれに対応した時間が稼げるから覚えておくといい。だが、銃弾は限られている。無駄撃ちには注意だ』

 そのぐらいのことだったら二秒間でも十分かな?

 と、納得したところで根本的な疑問を思い出した。

 なんで俺がSSTに任命されのか。俺はそんな試験を受けた覚えはないし、適性があるとも思えない。

「なぁ、そもそもなんで俺がSSTに任命され――!」

 ドアが突然開かれてどきりとする。

 そしてその奥から自衛隊迷彩のブッシュハットを被った女子大生が入ってきたのだ。

「宗太郎、ただいま」

 この女子らしさ皆無の女子大生は上岡ありさ。俺の姉ちゃんで超のつくブラコンだ。

「……おかえり」

 あぁ心臓が止まるかと思ったぞ。

「どうしたの?」

「いや別に」

 姉ちゃんはいつも気配が消えている。気がつくといつも後ろにいるのだ。

 これが日常での出来事だったら別にいい。

 だけど今はSSTについての話をしていた。これが実在する部隊だったら聞かれたらマズい。逆に架空の部隊だったとしたら俺はイタい奴に思われてしまう。

 さっきの話を姉ちゃんに聞かれてはいないだろうか。

 俺は心臓をバクバクさせながら次の動作を待つ。しかし姉ちゃんは「SSTがどうしたの?」なんて聞くことなく、テーブルの上に置かれたUSPに手を伸ばした。

 慣れた手つきでそれを持ち上げると側面の刻印をじっと見る。

 マガジンとチェンバー内の銃弾を抜くと、一通りの動作をさせはじめた。スライドを動かしたり、空撃ちしたり、分解テイクダウン

したり。

 そして何か確信したのだろう。姉ちゃんはUSPをテーブルの上に置くと、リュックサックからワイヤレスタイプのイヤホンを取り出した。そしてそれを耳に装着し、

「姪乃浜」

 !

 なぜ姪乃浜の名前を知っているんだ?

『仕事が立て込んでて連絡できなかったが、今日から宗太郎もSSTの隊員になった』

 え?

『宗太郎、ありさもSSTだ』

 姉ちゃんが?

 この姉ちゃんが!?

 ギャルゲーをすればほぼ確実にヤンデレに殺される姉ちゃんがSSTだって?

 想像できない。

 俺の疑問を無視したまま、二人はなにやら込み入った話を続ける。

「スカウトってまだ先だったよね?」

『その予定だったんだが、今日たまたま宗太郎がヤンデレに襲われてな。本人の承諾は後でということで、システムを組み込んで腕試しをしてみた』

「銃は?」

『転送しなかった。混乱するといけないからな。そのかわり一隊の隊員二名が現場に潜入していたから、バックアップは万全だ』

「へぇ~。それで宗太郎は一人で鎮圧できたんだね」

『一回殺されたけどな』

「初めてにしては上出来じゃん!」

 姉ちゃんは俺の頭をぐりぐりとなでる。

 えへへへへ。

 って場合じゃない。俺は疑問に思っていたことを聞いてみた。

「姉ちゃん、本当にSST隊員なのか?」

「そうだよ」

「………………」

『宗太郎、SSTに入隊するにはシステムを体に組み込めることが条件だ。ありさはそれが組み込める体質だった。そして宗太郎もな』

「システム?」

 なんだそれは。

『そういえば説明がまだだったな。システムとは『SSTサポートシステム』の略で、SST隊員の活動を補助してくれる。……ありさ、やってくれ』

 ふと姉ちゃんのほうを見ると、ゴムナイフが俺に突き出そうとしているところだった。

 俺は半身になってそれをかわして背後に回り込み、ゴムナイフを持った右手首をがっちりとつかむ。そして腕を回して姉ちゃんのあごを掴み、持ち上げるようにしてその場に崩した。

 ………………あれ?

 ゴムナイフで襲ってくる姉ちゃんに対して、俺は反撃を繰り出していた。姪乃浜に操られていたという感じでなければ、俺は格闘技経験者というわけでもない。野球で例えるならば飛んできたサードライナーに反応するようなものだろうか。体が勝手に動いていた。

『これがシステムだ』

 俺がそのままの体勢で固まっていると、姪乃浜が説明を再開した。

『近接戦闘術や近接格闘術などの戦闘技術が普通に使える。ただし、レベルは入隊訓練終了程度だ。それ以上は宗太郎自身が訓練して身につける必要がある』

 ………………。

 なんというかさ。

『筋力、持久力のサポートもある。それに作戦中に三回までであれば生き返ることができる』

「何なの? その『俺TUEEEEEE』モノのラノベにありそうな機能」

 ある程度の戦闘技術が使えて体力が上がっているだって? 入隊訓練終了程度といえども簡単に習得できるようなものじゃないぞ。

 しかも『三回までならば生き返ることができる』ときた。

 俺TUEEEEEEシステムの間違いじゃないの?

『まぁこのシステムにも欠点はある。宗太郎は散乱した人間の死体を見たことはないよな?』

「白黒写真だったらあるぞ」

 中学校にあがったばかりの頃だったかな?

 どこかの誰かさんが嬉々としてとある本を見せてきたことがあった。

 その本は銃弾の性能とか銃器犯罪について書かれた本だったんだけど、それに顔の半分が吹き飛んで脳みそが丸見えになっている死体の白黒写真が載っていた。

 その本の持ち主は目を輝かせながら、

「宗太郎! 口の中でショットガンを撃つとこうなるんだって! 怖いよね!」

 あんたのほうが怖いよ。

 当時の俺はそのせいで、二週間ほど一人では眠れなくなってしまった。まさか中学生にもなって姉ちゃんの布団に潜り込むとは思わなかったぞ。

 まぁそれは昔の話だ。

 姉ちゃんの影響で俺もミリタリーの世界に興味を持つようになった。こんな趣味をしていたら、死体の白黒写真が載ってる本の一冊や二冊、読むことだってある。全くショックを受けないとまではいかないけど、今となっては就寝前に読んでも平気だぞ。

 ただし、一人でトイレに行けなくなるけどな。

『誰の本で見たかはあえて聞かないぞ』

 だいたい察しているようだ。

『このシステムでは死体を見た時や人を殺したときのショックを和らげることはできない』

「……って何だよ、『人を殺したときのショック』って。まるで俺がヤンデレを殺さないといけないみたいじゃないか!」

『滅多に無いが、たまに射殺命令が出るときがある』

「射殺!?」

『ちょっと前に、俺が銃弾の説明をしたのを覚えているか?』

「鎮静弾のことだろ」

『ああそれだ。それで何か気づかないか?』

「?」

『ヤンデレに対しては殺傷能力を持たず、一時的に沈静化する効果がある特殊な銃弾のことを鎮静弾と呼ぶ。そしてSSTが使う銃は基本的にこの銃弾を使用する』

 基本的……。

 例外で鎮静弾以外の銃弾を撃つときがあるのか?

 俺が答えにたどり着いたことを姪乃浜は感じたようだ。

『そのとおり。ヤンデレに対しても殺傷能力のある銃弾がある。まぁ、実弾のことだ』

「その実弾は――」

『いろいろ条件や状況があるんだが、ヤンデレの鎮圧が見込めないときに使われる。この命令が出たときは、殺さないとより多くの人が殺されてしまうという状況だということを覚えておけ』

 もしそのような状況になったとき、俺に撃てるだろうか?

『といっても滅多にない。むしろ妨害を加える民間人を射殺することのほうが多い』

「テロリストじゃねぇか!」

 なんだよ民間人を射殺って。

 ヤンデレの凶行から民間人を守るために出動するんだろ?

 なんで守るべき民間人を殺さなければならないんだ。

『言っただろう? 愛情保安庁唯一の特殊部隊にしてテロ部隊と』

「対テロ部隊じゃねぇのかよ!」

『あの格好で学校に突入するんだ。テロリストにしか見えないだろ』

「だろうな!」

 テロリストが学校を襲撃するなんて、男子中学生が喜びそうなシチュエーションだ。

 ただ中身は特殊部隊。戦ってヒーローになろうとしたバカが敵対行動として排除されるんだろう。

『一度に言っても混乱するだろう。正式入隊までまだ時間があるから、日をかえて少しづつ説明していくぞ。今日は……SSTの任務についてだ。ありさ、頼む』

 面倒になったのだろう。姪乃浜は姉ちゃんに丸投げした。

「宗太郎。ヤンデレは四種類あるの、知ってるよね?」

「ああ」

 さっきも言ったけど、聞いてないのに姉ちゃんが何度も勝手に説明するからな。

「ヤンデレには大きく分けて『依存系』『執着系』『束縛系』『狂気系』の四種類に分けられるの」

 ほらね?

「分類の数とか定義とかでいろいろな説が他にもあるんだけどね。愛情保安庁は、さっきの四種類にヤンデレを分類してるんだよ。『依存系』『執着系』『束縛系』に分類されるヤンデレは、保安庁の一般隊員が対応するんだ。でも、好きすぎて人に危害を加えるような『狂気系』は一般隊員の手に負えないの。それに対処するのがSSTよ。ちなみにパン・クリース博士ってヤンデレ学者が提唱した分類なんだけど、誰を傷つけるかによって『他傷型』と『自傷型』に分けられるんだ。他人を傷つけるのが『他傷型』、自分自身を傷つけるのが『自傷型』だね。だから『狂気系』と言っても『狂気系他傷型』と『狂気系自傷型』に別れるわけで――」

『ともかく、SSTの任務は狂気系のヤンデレに対処することだ』

 姪乃浜がため息をついて割って入ってきた。姉ちゃんの説明でだいたい理解できたけど、最初から姪乃浜が説明してくれたほうが早かったんじゃないか?

『狂気系のヤンデレが事件を起こすと、一定の範囲でヤンデレワールドが発生する』

「ヤンデレワールド?」

『まだ原理は解明されてはいないが、ヤンデレの狂気によって歪められた空間だと考えられている。そして俺たちがヤンデレを正気に戻すことで、そのヤンデレワールドは消滅する』

 ……そのヤンデレワールドというものがイマイチよく分からない。

「ともかく、俺の任務は狂気系のヤンデレを落ち着かせるということだな」

『ああ。そして宗太郎が任務を成功させたら、その任務中に殺された一般人や破壊されたものはすべて元通りとなる。記憶も残らない』

 便利じゃねぇか。

『ただしヤンデレの鎮圧に失敗――この場合は『ヤンデレワールドが崩壊』と表現するんだが、そのときはそのままだ』

 とんでもねぇな。

 殺された人たちは生き返らないのか。

『さっき説明したシステムはヤンデレワールドの中でしか作動しない』

「じゃあ、今、俺がいるのもヤンデレワールドなのか?」

『いや、今の宗太郎がいるのは仮想ヤンデレワールドだ。天然もののヤンデレワールドを人工的に再現したもので、SST隊員の投入・回収などに使われる。あとは訓練だ。仮想ヤンデレワールドでは無限に生き返ることができるし、システムの導入期間――つまり今日だけは隊員の体を操ることもできるからな』

「おい、どう言う意味だよそれ!俺はそのまま死ぬんじゃなかったのか?」

 ふざけんなよ。

 もしかして俺、断り続けていたらこうならなかったんじゃないのか?

『SSTは一週間ずつの二交替で、宮崎空港の敷地内にある基地に勤務する。宗太郎の配属先はありさと同じ二隊だ。勤務は今度の日曜日から。よろしく頼む』

 こんな得体のしれない特殊部隊に入るのには抵抗がある。

 だけど姉ちゃんもいるし、ここはとりあえず入隊するか。

 というか既に入隊させられているんだった。

『何か質問があったらありさに聞いておけ。イヤホン外してもいいぞ』

「あ、ちょっと待って」

『なんだ』

「姪乃浜からの連絡って、イヤホンを付けてないと聞けないよな」

『そうだな。それが?』

「イヤホンはいつも付けていたほうがいいか?」

 俺がイヤホンを付けているのは一人でいる時だけだ。

 舞香といるときは外しているし、当然授業中とかも外している。

 だからその時間帯は姪乃浜の連絡を受けられなくなる。

『外しておけ。授業中とかに付けていて没収されたら、完全に連絡手段がなくなってしまう』

「つけてないときに事件が発生したらどうするんだ」

『その時は呼び出し用の非常回線で脳内に直接連絡する。ただし、この回線は数秒しか使えないうえに、アラート音しか送れない』

「不便だな」

『ヤンデレワールドに干渉してしまうからな。さっき言っていたシステムだってそうだ』

 さっきのシステムが俺TUEEEEなみに便利だったのに対し、聞く限りこちらはとんでもなく不便なシロモノのようだ。

 しかしヤンデレワールドはまだ解明されていない。だから下手なことはできないんだろう。その空間の歪みが崩れてこっちの世界でヤンデレが大量発生したら大問題だもんな。

 研究が進めばできることが広がるんだろうけど、今の段階では我慢するしかない。

「ところで銃はどうするんだ? USPを学校に持って行くわけにはいかないだろう」

 こんなものを持って来ているなんて知られたら、生徒指導室送りどころの話ではない。

「まさか持ち歩けなんて言わないだろうな」

『さすがにそんな無茶な要求はしない』

 あんたそれ以上の無茶な要求をしてたじゃねぇか。

 特殊部隊に入れってさ。

『拳銃は自動転送が可能だ』

「それもシステムが?」

『いやこっちは関係ない。こっちも詳しい原理は分からないが、ヤンデレワールドの中であればシステムを使わずに拳銃を転送することができる。ただし拳銃だけだ。ライフルとかは大きすぎて――』

「『ヤンデレワールドに干渉する』……か」

 なんなのヤンデレワールドって。

 俺に縛りプレイでもしろってか?

「じゃあ俺がすることは出現したUSPを受け取ることだけだな」

『そのとおり』

 便利だな、ヤンデレワールドって。

 まるでできの悪いラノベの設定を読んでいるようだ。俺TUEEEEEE系の。

『質問はそれだけか? そろそろ通信を切るぞ』

「あぁ、それじゃ」

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