愚か者のためのオラトリオ

外鯨征市

第1想定 第1話

 初夏の太陽の光が目に刺さる。

 そして俺の胸には包丁が刺さっている。

 何かの文学的表現とかそんなものじゃない。本当に刺さっている。

 というか刺されている。

「ねぇ、なんで私が作ったお弁当、食べてくれないの?」

 俺に包丁をブッ刺した女子高生が問いかけてきた。その瞳は吸い込まれそうなほどに濁っている。

 ちなみにこいつは俺の彼女だ。名前は長伊土舞香。

 彼女持ちって言ったら大抵の奴らが嫉妬するけど、今の状況を見て妬むような奴はいないはずだ。

「何か言いなさいよっ!」

「うぐっ」

 包丁が引き抜かれた。その切っ先には俺の血液が滴っている。

「あがっ!」

 包丁が引き抜かれたと思ったら、また刺された。

 肉を引き裂く、くちゃっという音がやけに大きく響く。

 熱い痛みが体の奥へと伝わっていく。

「私が作った弁当を食べてくれない宗太郎なんかいらないっ! そんな宗太郎なんて死んじゃえばいいんだぁ!」

 舞香の声を聞きながら俺の体の感覚が次第に薄れてゆく。

 いったい、どうしちゃったんだ、どこで間違えた?

 舞香が作ってくれた弁当を俺が遠慮したら怒り出して、次には舞香の手に突然包丁が現れて、それで……。あれ? 頭が回らなくなってきた……。

 どうやら限界のようだ。視界が闇に包まれる。


【SOTARO IS DEAD】


「ここは天国なのか?」という使い古されたセリフがある。

 しかし俺はその言葉を発しなかった。

 いや、正しくはそれをつぶやく必要がなかったのだ。天国に来てしまったことを、目の前に浮かぶ英文が断言してくれているからだ。

「天国か……」

 想像とかなり違うんだな、天国って。

 フィクションとかじゃ白くてふわふわしたところで天使たちと戯れる表現がされるが、ここはそんなものじゃない。ただ闇に包まれていて、目の前には親切な英文が浮かんでいるだけだ。

 しかし暗闇を背景におどろおどろしい赤で書かれたその文章は、ゲームオーバーの画面を彷彿とさせる。

 人生はゲームってか?

 まぁそうだろうな。ちょっとした選択ミスが死に直結する。俺があの時舞香の弁当を断っていなければ、今頃こんなことにはなっていなかったはずだ。

 ………………。

 いや待て。

 誰が「ここは天国」だと言った? 俺の目の前に浮かぶ英文は『宗太郎は死んだ』としか書かれていない。もしかしてここは地獄なのだろうか。だとしたら周りが闇に包まれていることも、赤い英文で『宗太郎は死んだ』と書かれているのも納得だ。雰囲気が地獄だもんな。

 いや、そもそも俺が何をやったって言うんだよ。俺は地獄に落とされるようなことなんてなにも――


【CONTINUE】


「……?」

 俺の死を断言する英文が書きかわったかと思ったら視界が白い閃光に包まれ、気づくと目の前に運動場が広がっていた。

 そして今、俺は体育館の犬走りに腰を下ろし、その風景を見ている。

 俺が殺された場所だ。

『宗太郎、よく聞け』

 この状況に戸惑っていると、耳に刺したイヤホンから男の声が聞こえてきた。

『隣に座っている女の子を刺激しないよう――』

「!」

 俺は慌ててイヤホンを引きちぎった。

 なんだよこれ。なんで音楽プレーヤーから人間の声が聞こえてくるんだよ。

 その声は忠告でもするかのように何かを言っていたが、俺は慌ててイヤホンを耳からもぎ取り、音楽プレイヤーを封印するように巻きつけた。

「あ、起きた?」

「うおっ!」

 隣には舞香が座っていた。

 俺を殺した舞香が。

 いや、俺を殺した舞香って表現は日本語としておかしい気がするが、それよりも気になることがある。さっきのはなんだったんだ?

「宗太郎? どうしたの? 怖い夢でも見てたの?」

「……ああ、怖い夢を見ていた。俺が殺される夢を」

 そうだ夢だ。

 あれは夢だったんだ。そうに違いない。

 夢にしてはかなり鮮明に覚えているし、痛みもかなりのものだったが、夢だったに違いない。

 だって舞香はあんなキャラじゃないし、それに現実世界じゃ突然包丁が現れたりはしない。

 そもそもあれが夢じゃなかったら、俺は今、生きているわけがない。

 だからあれは夢だったんだ。

「大丈夫よ、安心して。私がそばにいるから」

 舞香は屈託の無い笑顔を俺に向ける。

 夢の中で俺を殺したのはあなたなんですけどね。

 まぁともかく。

 あれは夢だった。問題解決。

 さぁ彼女との楽しい時間を――

「はい、お弁当」

「……え?」

「お弁当。私が作ってきた」

 なにこのデジャブ。

 夢では舞香が作ってきた弁当を俺が断って、あんなことになった。

 先ほどまでの夢の中での出来事が俺の脳裏をよぎる。

「………………」

「なにか文句でもあるの?」

「いや、ね?」

 さっきの夢みたいなことは起こらない……よな?

 しかし、なぜ舞香は俺の弁当を作ってきたんだ? 頼んだ覚えはないぞ?

「いきなりどうしたんだ?」

「この前一緒に帰ってたら、軟式野球部の一年生に声を掛けられたじゃん」

 ……隼人か。

 俺たちが一緒に帰っているのを隼人が目撃して、しかも空気を読まずに「彼女さんに弁当、作ってもらったらどうっすか~」なんて話しかけてきたことがあった。

 まったく隼人のやつ、余計なことを言いやがって。今日の部活で張り倒そう。

 別に「隼人のおかげで彼女の手料理が食べられるぜ! でかしたぞ隼人!」というようなツンデレ的な意味ではない。

 なぜなら舞香の料理はマズいから。

 ……いやちょっと違うな。アニメとかであれば「彼女のメシがマズい」というのはよくある設定だけど、舞香の場合はそれとは違う。

 こいつの場合「味覚的にマズい」のではなく「衛生的にマズい」のだ。保健所がやってきても不思議じゃないほど衛生的にマズい。家に招かれたときはかならず手料理を振舞われるのだが、自宅に帰った頃にはかならず腹を壊してしまう。それにもかかわらず、ホイホイとお招きされる俺も俺だけどな。

「言っておくけど、私、料理は得意なのよ」

「………………」

「……なによ」

 そういうことは衛生的に安全な料理を作れるようになってから言いましょうね。

「……料理が上手いのは知ってるけど」

「うん、わたしも知ってる」

 料理が得意な舞香さん。『手前味噌』って知ってます?

 でも、せっかく舞香が作ってくれたんだ。ちゃんと食べなきゃな。

 俺は受け取った弁当箱の蓋を開く。すると芸術品のような光景が飛び込んできた。

「ね? わたし料理が得意でしょ?」

「ソウデスネ」

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