Ⅸ 魔改造の剣(2)

「――田舎だと、街中と違って儀式をやる場所に困らないからいいよねえ……」


 しばらくの後、農作業小屋から少し離れた果樹園の奥、夜の闇に一人立つマルクは、鞄から一枚の大きな布を取り出すと、独り言を呟きながら樹々の間の地面にそれを広げる。


 同じく地面に置いた燭台の仄かな灯りに照らしてみると、その布には黒地にとぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムを組み合わせた複雑な図形が、赤や黄、青、緑の色で複雑に描き出されている……いわゆる〝ソロモン王の魔法円〟と呼ばれるものだ。


 また、敷いたその布の中央へと踏み入る当のマルクは、羽織ったフード付きマントの左胸に黄金の五芒星ペンタグラム円盤、その下に着た白シュミーズ(※シャツ)の右裾に仔羊革の六芒星ヘキサグラムを着けている。


「さて、ちゃんと魔法剣を造ってあげなきゃいけないし、今回は一応、本式でやるとするか……」


 頭にはいつもの〝ウィッチ・ハット〟を被り、そんな魔術儀式を行うための正装をしたマルクは、魔法円の所定の位置に蝋燭と香炉を置いて燭台から火を移し、甘ったるい煙が立ち込める中で今度は〝ヒソップ(※ヤナギハッカ。ハーブの一種)〟の小枝を手に取ると、それを聖水で満たした壺の中へ浸し、何度か振るって魔法円の上に散水をする……そうして儀式を執り行う〝場〟を浄めているのだ。


「よし! 準備完了っと。んじゃあ、いっちょいきますか……スぅぅぅ〜…」


 そして、とぐろを巻く蛇の同心円の真ん中に立つと、マルクは思いっきり息を吸い込み、鞄から取り出したラッパをプゥゥゥゥゥゥ〜っ! …と豪快に吹き鳴らした。


「霊よ、現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命ずる! 汝、堕落の侯爵サブノック!」


 続いて、ラッパを鞄にしまったマルクは替わって右手に魔法杖ワンド、左手にソロモン王の72柱の悪魔の内、序列第43番・堕落の侯爵サブノックの印章シジルを刻んだ金属円盤ペンタクルを握り、それを眼前の虚空へ突きつけながら、〝通常の召喚呪〟と呼ばれる呪文を声高らかに唱え始めた。


 鈍い銀色をした円盤に描かれる〝風見鶏〟みたいな模様の印章シジルは、あの鍛冶屋マクロン・セギーノの手でキホルテスのブロードソードに施してもらったものと同じ図形である。


「… 霊よ、現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命ずる! 汝、堕落の侯爵サブノック! ……霊よ、現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命じる! …」


 両手を真っ暗な闇に向かってかざしたまま、マルクはその召喚呪を何度となく丁寧に唱え続ける……。


「……霊よ、現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって……ん? やっとおでましだね」


 やがて、唱えることすでに十数回を数えようというその時、何処からか「ヒヒィィィーン…」という馬のいななきが、妙にうら寂しくも遠く聞こえてきた。


 と、その瞬間、魔法円の前方に描かれた〝深緑の円を内包する三角形〟の表面からモクモクと黒い煙が噴き出し始める……それは瞬く間に周囲を覆い尽くし、ついにはその黒煙を掻き分けるようにして、蒼白く醜い馬に跨り、獅子ライオンの頭を模した兜を被る灰色の騎馬武者が一人、しずしずとその姿を夜の闇に現した。


「やあ、サブノック。この前、の装甲を強化してもらって以来だね」


 その不気味な馬上の兵士を前にして、マルクは朗らかな笑みを浮かべながら気さくに声をかける。


「ああん? ……ああ、なんだ。誰かと思えばまたあんたかい」


 なんとも場違いなその挨拶に、騎馬武者は訝しげに小首を傾げた後、相手がマルクであることを認識すると、拍子抜けしたように獅子頭の兜を脱いでみせた。


 すると、その兜の下からは長い銀髪を振り乱し、蒼白い肌をした美麗な女性の顔が意外にも現れる。


 だが、見た目は美しい女性であっても、無論、それは人間などではない……魔導書『ゲーティア』に記された、伝説の王ソロモンが使役していたという72柱の悪魔の内の一柱、〝堕落の侯爵サブノック〟なのだ。


「あんた、いつの間にかエウロパに来てたんだね。で、今日はなんの用だい?」


「まあ、いろいろあってね。今回はこの剣を君の力で強化してもらいたいんだ。石造りの要塞並みに頑丈にね」


 それでも、やはり悪魔とも思えぬ親しげな調子で尋ねてくるサブノックに、マルクは魔術杖ワンド印章シジルの描かれた金属円盤ペンタクルを懐にしまうと、傍に置かれていた〝ブロードソード〟を手に取り、鞘から引き抜いてその刀身を見せつけるようにする。


 このサブノック、大地から城や塔を出現させて要塞化したり、召喚者に武器や使い魔を与える能力を持った悪魔なのだ。また、けして治ることのない傷を与えたり、逆にあらゆる怪我を治すこともできるとされ、人間を石に変える力もあると云われている……。


「たかだか剣一本のためにあたいを呼びだしたのかい? ずいぶんと軽く見られたもんだね……ま、そんなのお安い御用だけど、それには条件があるよ? 望みをかなえる対価として、あんたの魂をいただこうか。魂を渡す契約さえすれば、あんたの望みはなんでも思いのままさ」


 マルクの告げる願いごとを耳にすると、召喚した悪魔お決まりの台詞を口にするサブノックだったが。


「……なーんてね。あんたが契約なんてするわけないのは承知の上さ。いやだねえ、まったく。これだからベテランの魔術師は嫌いさね。どうせなら、なんにも知らない初心うぶな素人に呼び出してもらいたいもんだねえ」


 そうした悪魔の甘い誘いに耳を貸さないのはよく存じているらしく、サブノックは甲冑姿で肩を竦めると、ほんと嫌そうな顔で首を横に振ってみせる。


「よくわかってくれてるから話が早くて助かるよ。ま、対価はないけどさ、この剣の持ち主は百戦錬磨の騎士だからね。きっと君が強化した剣でめざましい活躍を見せて、君の名声も世に轟かせてくれるはずさ。ここはそいつを対価代りに、なんとか一つよろしく頼むよ」


 対してマルクの方は余裕綽々の笑みを浮かべると、悪魔をなだめすかすようにして、改めて下手に頼み込んだ。


「仕方ないねえ。ま、あんたとは知らない仲じゃないし、お望み通りにしてやるよ。でも、あたいの剣でろくな戦働きしなかったら、そいつの魂もらいに行くからね……」


 童顔の若輩にして、どうやら顔馴染みの悪魔も多いらしいベテラン魔術師マルクの依頼に、サブノックは溜息混じりにそう愚痴ってから、彼の持つブロードソードの刀身に指先で静かに触れる。


 すると、刄根元に刻まれた悪魔の印章シジルが妖しげに赤く輝き、また、刀身自体も暗闇の中で蒼白く冷たい光を周囲に放ち始めた。


「さ、できたよ。これで岩に叩きつけても折れない頑丈さになったし、逆に悪魔の力で武装強化したものでも簡単にぶった斬れるはずさ……じゃ、用が済んだんならあたいは帰るよ? 魂奪えないんじゃ長居してても仕方ないからね」


「ああ、ありがとうサブノック。また何かあったらよろしく頼むよ」


 さすがは名だたる高位の悪魔、一瞬にして事を成し終え、つまらなそうに断りを入れる堕落の侯爵サブノックに、マルクは満足げな笑みを浮かべて人と対するが如く礼を述べる。


「ハン! 二度とごめんだね……」


 そんなマルクに捨て台詞を吐くと、騎馬武者姿の女悪魔は霧散するようにして暗闇の中へと姿を消した。


「ふぅ……さ、これで巨人との再戦の準備はすべて整った。あとはドン・キホルテス、君の働き次第だ……」


 悪魔が去った後、出来上がった擬似・・魔法剣を夜の闇へと掲げ、その蒼白く浮かぶ刃を見つめながらマルクは独り嘯いた――。

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