第十一話ー③

 中央棟の1階。学園長室のさらに奥へ、わたしたちは呼ばれていた。

 そこは来客用の部屋なのか、立派な透明のテーブルに、高級そうな黒のソファがしつらえてある。大きなガラス張りの窓からは、学園の裏庭が一望できた。裏庭には、春の陽気にあてられ、伸び伸びと成長を見せている草花が爛漫らんまんと咲き誇っている。


 テーブルの上には5つのカップ。お洒落しゃれなソーサーに、小さな取っ手付きのコップには綺麗な文様がほどこされてあり、上品そうな香りと湯気が漂っていた。

 良く手入れされた裏庭を眺めながらの、優雅なティータイムをたのしめそうな空間だ。


 ソファに身を沈めたわたしは、それが体を包み込むほどに柔らかかったので、軽い悲鳴をあげてしまった。座り心地がとっても良い。こんなソファなんて、本の中の世界だけにしかないのだとばかり思っていたよ。


 とーぜんながら、それはリリナも同じだろう。彼女はソファの上で、飛び跳ねるように腰を上下に揺らして遊んでいる。学園長の前だというのに、なんてはしたない態度なのよ……。わたしは目眩めまいを覚えて、クラクラしそうになった。

 反面、クレアとユーリィはソファのことなんて思考の外なのか、悠然とくつろいでいる。2人とも、良い暮らしをしていそうだもんね……。リリナにも見習ってもらいたいくらいだよ。


 わたしの隣にはクレア。テーブルを挟んで向かいの席には、ユーリィとリリナが座している。学園長はその横で1人、わたしたち4人を全員視界に収められる位置に腰を下ろしていた。


「皆さん、ユーリィと仲良くしてくれて、ありがとうね。この子にも、こんなに良いお友達ができて、安心したわ。特にクレアさんのような、優秀な方ともお知り合いだったなんて、不思議ね」


 学園長はくすくすと笑う。その笑顔は、とてもじゃないけれど学園をべるような人物には見えなくって、昼下がりにお茶をたしなんでいるただの貴婦人に思える。


「そんな……。私は、別に何もしていません」


 クレアも学園長との会話は緊張するのか、優等生モードを発動させ、かしこまっていた。わたしの実家に連れてきたときのクレアを思い出すね。

 

 学園長はわたしたちの顔を順番に眺めていった後、リリナのところで視線をぴたりと止めた。

 リリナとユーリィの仲睦なかむつまじさに感づいたのだろう。

 

 わたしは学園長の言葉に、疑問を浮かべていた。だって、なんでお礼を言われたのかに落ちないのだ。

 ユーリィに生まれてはじめて、友達でもできたかのような言いぐさにも聞こえたのだから。

 確かに、あんな山奥に住んでいるんだから、人との関わりが少なくってもおかしくはないけど……。


「この子ね、特殊な体質を持っているから」


 わたしの思考を読み取ったかのように、学園長はつむいだ。娘のことを語るその表情は、柔和にゅうわなものだったけれど、悲しげにも映った。

 

 ユーリィの瞳は左右で色が違い、それを介して望む世界は紫色に見えてしまうのだ。その体質が原因で、友達ができなかったのかな。そもそもユーリィって、お昼は嫌い、って言ってたし、引きこもっていたのかもしれない。


「別に、全部話してもいいわよぉ。この人たちに、隠し事、あんまりしたくないわ」


 そこで、渦中かちゅうの人物であるユーリィが口を挟む。

 わたしとリリナ、姉妹が同時にユーリィへ振り向いた。

 隠し事をしている、って台詞に過敏な反応を示したのだ。

 

 ……その口ぶりからは、なんかとっても重要なことなんだろうな、って推測できる。

 ユーリィってば、謎ばっかりの女の子だし。彼女の核心に迫れるのだろうか。


 のんびりとしたお茶会だったはずが、室内は緊張に塗りつぶされてきている。あの楽天的なリリナの顔が強張っていて、ユーリィを不安げに見つめていたからかもしれない。

 学園長も気まずそうに押し黙っていた。それがまた、部屋に重力でも発生させているかのように、息苦しい空間を形成させていた。


「何か、隠してたの?」


 リリナがようようと口を開く。どうやら妹は、ユーリィのことをよっぽど信頼しているのか、隠し事、に対して敏感のようだった。

 姉としては、リリナがそこまで大切に思える人を見つけてくれたことが嬉しくはある。けれど、それと同時に、この先の展開にハラハラせざるを得なかった。


 リリナは想い人にすがり付くかのようにして、ユーリィのそでを掴もうと手を伸ばす。

 だけどそれは、寸前で空を切った。

 ユーリィが避けたから、ではない。


「えっ?」

「へ?」


 わたしとリリナは、またも同時に間の抜けた声をあげる。

 ユーリィの姿が、忽然こつぜんと消えてしまったのだ。


 目をしばたたかせてみるも、やっぱりユーリィの影形はない。今の今まで、そこのソファに座っていたはずの彼女は、室内のどこにも見当たらないのだ。

 何が起こっているの??

 わたしは血液が冷え切ってしまったのかと思うくらいに、ゾッとしていた。

 ……多分だけど、リリナはわたしの比ではないくらい、驚いていることだろう。


「ふわっ」


 そのリリナが、急に奇声をあげた。

 慌ててそちらへ首を巡らせると、妹の背後にはユーリィが立っている。彼女は優しげな手つきで、リリナの頭を撫ででいた。


 一体、どうやってそこに現れたの? 目で追えるとか、そういう話でもない気がする。だって、リリナはわたしの対面に座っているんだから。そこにいたのならば、すぐにでも気づいていいはず。なのに、今の今までユーリィを知覚できなかった。

 戦闘能力の高いクレアの動体視力をもってしても、同様らしい。クレアはわたしたちと一緒になって、目を見開いて驚愕きょうがくしていた。


 学園長の深い溜息が漏れる。


「人前ではダメ、と注意しているのに」


「……この人たちになら、見せてもいいかな、って」


 彼女たちが何を喋っているのか、理解が追いつかなかった。

 だけど、学園長とユーリィがお芝居をしているようにも見えないし。

 となると、ユーリィが空間を移動した、としか結論づけができない。


 空間移動――テレポートのようなものは、魔法使いだろうが、扱うことはできない異能力。

 だって、魔法っていうのは、利便性のあるものではないから。魔法は人体の力を向上させることはできないし、空を飛ぶことだってできやしない。絵本などに出てくる、ほうきまたがった魔女、なんてものは現実には存在しないのだ。

 

 魔法とは、強大な生物である魔物、それらから身を守るための護身的な役割や、攻撃の手段が主だった。

 多少は生活を便利にするすべとして、魔道具まどうぐに力を吹き込んだりもできるけれど……決して、魔法で全ての事象を解決できる、なんて夢のような力を持っているわけではない。


 空間を移動する、空を飛ぶ、そういった異能を使用するのは、魔法を扱う人類ではない。妖術と呼ばれる――つまり、妖怪。人類が、魔物、と称する存在だ。


 ユーリィが今しがたとった行動は、その空間移動、にしか見えなかった。

 そして、隠し事、っていう単語。

 それらを組み合わせると、導き出される答えは……。


「私、人間じゃないみたいなの」


 わたしの空想を肯定したのは、本人であるユーリィだった。


「に、人間じゃない、ってどういうこと?」


「言葉の通りよ」


 リリナが慌てて質問を投げかけると、金髪の美女ははかなげに微笑んだ。悲しい笑顔だった。


 ユーリィの姿がまたも、かき消える。

 わたしたちは慌てて彼女を探って首を動かした。今度はすぐに見つかる。彼女は部屋の扉に、音もなく出現していた。


「私、ちょっと散歩してくるから。詳しいことは叔母おば様に聞いてね」


 ユーリィはそう言い残すと、返事を待たずして退出していく。わたしたちから逃げるように身をひるがえしたその姿は、哀愁あいしゅうが漂っていて、ユーリィを護ってあげたくなる。

 

「あの……。ユーリィちゃんのこと、もっともっと知りたいです」


 室内の沈黙を破ったのはリリナだった。

 妹は学園長へ向き直り、熱苦しいほどの真摯しんしな視線をぶつけている。その迫力には目を見張るものがあった。リリナの痛いほどの想いが込められているのだ。


「あの子ったら。どうして急にあんなこと、したのかしらね……」


 学園長は疲れたような息とともに、そう切り出した。

 彼女は、身を乗り出して先をうながそうとするリリナを、じっと見つめる。


「確かに、あなたたちになら……、あの子のこと、知ってもらってもいいのかもしれないわ」


「はい……。わたし、ユーリィちゃんのこと全然知らなかったんだ、って今さらになって気がついて。学園長の知っていること、全部教えてもらいたいです」


 リリナは学園長の双眸そうぼうを真っ向から受け止め、切に願っているように言った。

 わたしとクレアは、2人のやり取りを傍観ぼうかんすることしかできない。自分たちが口を挟んで良いものか、そもそもこの場に居合わせていいのか疑問だった。


 相手のことをもっと知りたい、って気持ちにはすごく共感ができる。

 だって、わたしとクレアがそうだったのだから。

 できるならば、リリナの力になってあげたい。だけど。今、この場を動かせるのはリリナだけ。しばらくは妹を見守ることに決めた。


「あの子はね、人とあやかしの間に生まれた子、なのよ。……信じられないかもしれないけど」


「人と、妖のハーフ……?」


「そう。ユーリィの母親――ユリカは人間だったわ。そして、私の妹でもあったわね」


 聞かされた真実に、衝撃が走る。

 リリナですら、口を開けたまま固まっていた。

 人間と魔物のハーフ。にわかに信じがたい事実だ。


「私はね、妹とは仲が良くて。その妹は、魔族だった夫を誰にも紹介できるわけもなくって、周りから逃げるような人生を送っていたわ。……ただ私にだけ、それを打ち明けてくれていたの。私は、妹の力になってあげたい、って常々思っていたわ」


 学園長は穏やかに語る。

 ユーリィの謎が、少しずつだけどがれていく。

 あの山奥に館が建っていた理由も、それで納得できたのだ。


「だからね、ユリカが亡くなった後は、私がユーリィの面倒を見るようになったのよ。もちろん、我が子のようにも思っているわ」


「ユーリィちゃん……」


 リリナがぽつり、と彼女の名を呟いた。

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