第八話ー②

「ねぇ、この先、どうしよっか……?」


 2人分のコーヒーをれたわたしは、カップをクレアに差し出すと同時にいていた。

 あんまり黙っていても、精神衛生上良くないしね。それに、話し合わないことには、道が開くこともないはず。

 これはわたしだけの問題じゃなくって、2人の問題なのだから。


「そうね……。私も、色々考えていたのだけど……」


 クレアは湯気の立つカップをぼーっと眺め、どこかうつろげだ。カップの中の黒い液体は、わたしたちの心情を映し出すように、寂しげに揺らめいている。

 クレアはしかし、名案が思い浮かばなかったのか、口をつぐんでしまう。

 さっきまでの凛々しかった彼女は立ち消え、今は深窓しんそうの令嬢を思わせる儚げな様相をしている。

 どんな一面を覗かせても美しいクレア。わたしは彼女が消えてなくならないように、掴んでいてあげなきゃ、って思いにさせられた。


「わたしもね、色々考えたけど……」


 お互い、こんな調子。

 だって、いきなりこの生活がなくなる、って言われても、すぐに妙案なんて降りてこないよ。


 でも、まだ1年も先のこと。心に余裕ができてもいいはずだ。

 それでも、問題を先送りにはできない。わたしたちは、それがわかっていた。


「学生結婚って――ロマンティックで、いいと思わないかしら?」


 クレアが唐突とうとつにそんなことを言い出すものだから、わたしは口に含んでいたコーヒーを噴き出しそうになってしまった。

 もう、クレアってば、頭の中では結婚式でも繰り広げているのかな。

 

「う、うん、そうだね。ロマンはあるよね」


 もちろん、わたしだって、嫌なわけじゃないけれど……。可能ならば、したいくらいだし。

 だけどね、それができるんだったら、こんなに思い詰めることもない。

 わたしたちは、年齢、っていう条件は満たしているけれど、性別という壁が存在しているのだ。


 ……ニーシャのやしろで挙式をあげることができれば、性別の壁なんて、なくなっちゃうのかもだけど。現時点では、そこにたどり着くことはできないし。それどころか、来年になったとしても難しいと思う。わずか1年で熟練の冒険者よりも強くなるなんて、夢物語だろうから。


 ……だけど、これが3年も4年も後にしていい問題だったら、結果は変わるかもしれない。

 クレアの才能はまぎれもないものなのだから。彼女がじっくり鍛錬をすれば、名だたる冒険者だって舌を巻くと思うし。


「エリナと血縁関係になってから送る学園生活――考えただけで、薔薇色の人生だわ」


 クレアはほおを染めながら、うっとりとした溜息をつく。その目つきは、どこか遠い世界へと旅立っているようにも見えた。


 ……こんなクレアは初めてだ。もしかしたら、クレアってば、妄想癖があったりするの!?

 まだまだ彼女の知らない部分がある、っていう点ではわくわくしそうにもなる。


 でもね。妄想に逃げる、ってことは、クレアにとって精神的な限界が近いのかもしれない。楽観はしていられないよね。


「確かにね、それはすごい楽しそうな学園生活だよね」


 わたしはいまだにうつつを抜かしているクレアの隣にそっと近寄って、彼女のきめ細やかな手をとった。

 クレアの手の甲は透き通るように白くって、すべすべとしている。だけど、手のひらはその全く逆をいっていた。

 だって、クレアは重たい剣を毎日握っているのだから。

 

 わたしは彼女のごつごつとした手のひらを、いつくしむように触れる。

 こんなに細くって、こんなにも綺麗な手で剣を振るって、毎日ご苦労様、って想いを込めた。

 指と指を絡め、心も絡まるように、って。

 次第にクレアも、妄想の旅行から帰還してきて、視線を向けられる。いつもは真っ直ぐなその翡翠色の瞳は、ゆらゆらと消え入りそうな灯火ともしびのように脆弱ぜいじゃくそうに見えた。


「私……不安だったの。私が卒業して、ここを出て行ったら、エリナとすごく距離が離れてしまう気がして」


 ひどく弱々しい声だった。

 だけど、クレアはもう現実を見据みすえている。

 ……クレアは、いつもそうだったよね。

 わたしのこととなると、すぐに不安になっちゃう。ユーリィの時も、そうだったし。


「……わたしもね、それはちょっと怖いよ。でもね、もし、クレアが実家に帰っちゃったとしても……、わたしがクレアを想う気持ちは変わらないから。そこは、信じてもらいたいかも」


「……ええ。私も、エリナの気持ち、疑っているわけじゃないわ。それなのに、離れ離れになることが怖い、って思ってしまったの。ごめんなさい、弱くって」


「そ、そんな、クレアが悪いわけじゃないし、謝らないでよ~。……わたしも寂しいって思っちゃってるしね。だけど、我慢、しよ……?」


 言った後に、本当に我慢できるのかな、って疑問に感じてしまった。

 ……だって、クレアの実家って、かなりのお金持ちだし。もしかしたら、彼女の家に行ったら門前払いをくらってしまうかも。

 ダメダメ、ネガティブな方向に行っちゃダメ。クレアを不安がらせないようにしていたのに、自分が心配になってどうするのよ。


「クレアは卒業したら、何をするつもりなの?」


 気になっていた質問を、直球でぶつけてみる。

 わたしだって、将来の明確なビジョンはない。ニーシャの社を目指す、っていう目標はあるけれど、それだけで生活をすることはできないしね。

 何かしらの職業には就かないといけない。ぼんやりとだけど、冒険者にでもなりたい、って思いはあるけれども。


「それ、全然考えていなかったの。今日の進路相談でも、それが原因で先生が困っていたわ」


 その様子がありありと目に浮かぶ。

 優秀な生徒であるはずのクレアが、目指しているものがない、だなんて、教師も慌てるしかないよね。

 だけどクレアならば、様々な機関から引く手あまたな気がするなあ。


「それで、その後はどうなったの?」


「まだ時間はあるから、じっくり考えなさい、って言われたわ」


「実家に帰る……つもりはあるの?」


 わたしはコーヒーの表面を目に映しながら、恐る恐る問いかけた。

 クレアの実家がどこにあるのかすら、わたしは知らない。

 もし、ここから遥かに遠い地だったら――。

 少しだけ、怖くなっちゃった。


「あそこは窮屈きゅうくつだから、あまり帰りたくはないけど……。戻って来い、とは言われるかもしれないわね」


「そっかぁ……。でも、そうなったとしても、絶対に会いに行くからね」


 とは言いつつも、不安がぬぐいきれない。

 まさか、一緒に暮らせないってことが、これほどまで辛いだなんて。だって、毎日毎日、当たり前のように、共に生活を送ってきたのだから。


 クレアがそっとわたしの頭を撫でてくれた。

 ごつごつとした手のひらとは思えないほど、柔らかな手つきだった。

 クレアを元気づけよう、って思ってたのに、逆になっちゃうなんて。……わたしって、励ますこともできないのかな。


「早くニーシャの社に行けるようにしないと、だね」


 わたしは自分に言い聞かせるように言った。

 それだけが、わたしたちの未来を明るくしてくれるはずだから。


 ……たった2人で行けるのかはわかんない。無謀だ、って皆が言うかもしれない。

 だって、文献には、一国の部隊を引き連れてようやく、ってしるされてあるほどだったのだから。

 だけど、わたしたちを支援してくれる人たちなんていないだろう。だって、女の子同士だけど結婚したい、っていう目標だし。

 だから、わたしたちは、自分たちの足だけで頑張るしかないのだ。


「……ええ、それはもちろんよ」


 クレアは優しく微笑んでくれる。

 ついさっきまでは妄想に逃げていたのに、そんな素振りは見せない。どっしりと構えている大木のような力強さを備えたクレアがそこにはいた。


「それに、私、決めたわ」


 クレアはブレのない芯の通った声でわたしに告げる。小悪魔めいた微笑のおまけつきだ。

 ……何かを企んでいるみたいなクレアは、けっこうレアな表情かもしれない。だけど、それもまた可愛いな、って思える。


「な、何を決めたの?」


「私、卒業したら、しばらくはこの辺りの部屋を借りて、暮らすことにするわ」


「え、ええええええっ!?」


 わたしは口をあんぐりと開ける。

 だって、クレアってば、いいところのお嬢様なのに。

 学生寮だからこそ、1人暮らしを許してもらえているんじゃないのかな……。


「おうちの人、大丈夫って言うの?」


「さあ?」


 クレアは、今日の夕飯は何? って聞かれたみたいに、なく言い放つのだった。

 ……相変わらずのクレア節で、わたしはちょっとだけ安心したよ。


「長くは無理かもしれないけれど、1、2年ならきっと平気よ。少しはわがままを言わせてもらうわ、無理にでも頷かせるもの」


 そう言って、にっこり、と笑うクレアには、何か恐ろしい力が内に渦巻いているように見えた。

 ……すごい迫力。これならば、きっと彼女の両親でも頷いちゃうよね、きっと。


 でも、クレアってば、ちょっとは無理してるんだろうね。立場上のことがあるはずだから。だけど、1、2年ってしっかりと期限を理解しているあたり、先手は打っておくつもりはあるみたい。さすがだね。


 わたしは、クレアの1人暮らしを想像してみた。

 この辺りには学園と学生寮、それと山ばっかりの田舎。もし、借りられる部屋を探すとするなら、ここから1番近い街になるのかな。そこから通っている生徒もいるって話は聞いたことあるし、わたしだって気軽に立ち寄れるよね。

 そこまで近郊なら、離れ離れ、って感じもしないし、安心できる気がした。


「うんっ、いいかもね、それ!」


「エリナも……寮を引き払って、私のところから学園に通わない?」


 クレアは上目遣いをして、ひかえめに申し出てくる。

 わたしは、ドクン、って胸が高ぶった。

 クレアと一緒に暮らせる期間を伸ばすことができる。そう思ったら、顔は弛緩しかんしっぱなしになってしまった。


「あの、その……迷惑とか、ないなら、一緒がいいな……」


「エリナったら、こんなに一緒に生活してきて、今更迷惑だなんて。むしろね、一緒に暮らせないほうが迷惑かもしれないわね」


 クレアは冗談も言えるくらいに余裕を見せていた。

 これで、しばらくは幸せな時間が続けられるね。

 わたしたちの部屋はいつの間にやら、温かな空気に包まれていた。





 夜はける。

 消灯時刻の早い学生寮は、夜遅くまで作業をするには不便なことが多い。だから、ランプを自前する生徒が多数だった。


 わたしとクレアの部屋も、その例に漏れず、薄明るいランプの光が室内を照らしている。

 暖房器具は消してあるので、徐々にだけれど室温が低下してきていた。


「――まだ、起きているの?」


 背後からかけられた声に、わたしはペンを握ったまま、肩越しに振り向いた。

 クレアはベッドの中から上体を起こして、わたしをじっと見つめている。

 ……早く布団においで、って誘われているようにしか見えないね。

 だけど、わたしはその甘い誘惑に抗わないといけなかった。


「もうちょっとだけだから、ごめんね」


「そう。じゃあ、待っているわね」


 わたしはクレアに向かって微笑んだ後、再び机へ向き直る。

 机の上は教科書やら文献やら資料やらで煩雑はんざつとしていた。こじんまりと空いたスペースこそが、作業場所だ。

 ランプに照らされて、ぼうっと浮かび上がる便箋びんせんを前にして、やる気もあらわに鼻を鳴らした。


 これから、もうちょっとだけ先延ばしにできた、クレアとの生活。

 だけどね、それだって無限じゃない。だからこそ、ニーシャの社には1日でも早く向かわなければいけないのだ。

 そのため、出来る限り魔法の勉強に時間をくつもりだった。


 以上を踏まえて。しばらくは実家に帰れない、ってことを告げるために、家族へ手紙を書くと決めたのだった。


 そういえばリリナは、オディナス学園に来る、って意気込んでたっけ。わたしの脳裏には、妹の騒々そうぞうしい笑顔がよぎっていた。

 リリナのことだから、学園のことなんてもうすっかり忘れてたりして。


 脳天気な妹のことを思い出して、クスッと笑ってしまう。

 家族への文面はぱっと思いついて、すいすいと手が動く。あっという間に、手紙は書き終えていた。


 ――クレアとの仲は、まだ家族に明かすことはできない。

 その時がくるとするなら、それはニーシャの社に行ってから。


「ふ~、終わったぁ」


 花柄の封筒に手紙を詰め終え、わたしは両手を上げて伸びをする。

 時間はだいぶ、遅くなっちゃったみたい。書きたいことが多くって、4枚もの便箋を使っちゃったからね。


「お疲れ様、エリナ」


 それは甘美かんびささやきとなって、わたしの鼓膜こまくに触れてくる。今すぐにでもベッドへ飛び込みたくなった。

 わたしは急いでランプの明かりを消す。


 室内が暗闇に包まれる。

 わたしは迷いなくベッドへ向かうと、クレアが布団を開けて迎え入れてくれた。

 そこに潜り込むと、彼女の匂いで満たされている。世界がわたしとクレアのものだけになった気がした。


「エリナの体、冷たくなっているわ」


 クレアが布団の中で抱き寄せてくる。

 ああ、クレアの温もりだ。

 わたしは体の芯からあったまった気になっていた。どんな暖房器具よりも、ぽかぽかとしていて、わたしの心を安らぎに導いてくれる。

 

「クレアの体、あったくって気持ち良い~」


「ふふ、たくさん温めてあげるわ」


 ぎゅっ、てクレアにしがみつく。わたしの顔のそばにある彼女の唇から、静かな吐息が漏れてきて、頬に触れてくる。

 それがくすぐったいけれど、クレアを近くに感じることができるので、幸せな気分。


「エリナ、好きよ……」


「うん、わたしも。好き……」


 そっとキスをして、目を瞑る。

 おやすみのキスだって、慣れたものだよね。

 これがないと、安眠できないんだから。


 今年の冬は、ただただ寒かっただけの例年とは打って変わって、ほんわかとした暖かみがあるのだった。

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