第五話(後編)ー④

 それからほどなくして。

 山を駆け抜ける軽快けいかいな音が響き渡ってきた。テンポのいい足音は、靴を履いているという情報を伝えてくれて、人間が走っていると正解を導き出せた。


 現れた人影は美しい銀の髪を振り乱しながら、わたしへと接近してくる。

 クレアだ。

 彼女はどれだけ全力で走ってきたのだろうか、珍しいほど息を荒くしていた。

 

「エリナっ……」


 クレアにしては、ひどく弱りきった声。彼女は今にも泣き出しそうな顔で、わたしへ抱きついてきた。

 

 その瞬間、さまざまな想いが交錯こうさくして、わたしは脳みそがフリーズしてしまったのかと思った。

 クレアに対して、何て話しかければいいのか、咄嗟とっさには思い浮かばなかったのだ。

 だってわたしは……。クレアを独りぼっちにして勝手に山に出かけて……魔物に襲われて。

 クレアに合わせる顔がないと思った。


「ごめんなさい……」


 わたしにとってみれば、色んな感情が凝縮された"ごめんなさい"だったのだけれど、どれほどクレアに届いたのだろうか。

 彼女の表情を見れば、胸が痛くなるほどわたしを心配していたのは、考えるまでもないことなのだから。

 怒られるのは当然だし、受け入れるつもり。もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。だけど、それだって自業自得なのだから、なげいていたってどうにもならないよね……。


「無事でよかった。間に合わなくて、気がつけなくて、ごめんなさい」


 だけどクレアは、あろうことか自分が悪いかのように、罪悪感にさいなまされているかのような弱りきった顔で抱きしめてくるのだった。

 クレアはいつもそう。わたしのことをめるなんてことは一切しないんだ。

 だから、自然と、いつも甘えちゃっているのかな。

 情けなさでいっぱいになる。その上、クレアの優しさに心のしんで触れたものだから、涙が頬を伝ってしまっていた。


「本当にごめんなさい。クレアには言いにくくって、勝手に行動しちゃって……ごめんなさい」


 わたしは嗚咽おえつ混じりに、ただただ謝り続けた。

 そして、これからは、どんなに言い出しにくいことでも、クレアには相談をして、隠し事をしないようにする、と誓う。

 こんなにもわたしのことを心配してくれるクレアを、悲しませたくないのだから。


「……私も悪かったから。エリナのしたいこと、理解してあげられなかったのよね。今度からは、エリナが言いにくい、って思わないように努力するから。私もごめんなさい」


「ううん、クレアは悪くないよ。今度からはちゃんと相談する。だから、今回はわたしを責めて……クレアが謝ることはないよ」


 しかしその願いも聞き入れてもらえず、わたしたちは抱き合ったまま、互いに謝罪しあっているのだった。


 わたしは、クレアを大切にしたい、って気持ちを再確認して、泣き止む頃には笑顔を取り戻すことができた。

 クレアも同じく落ち着いたのか、わたしに手を差し伸ばしてくれる。

 恥ずかしながら、ずっと腰が抜けっぱなしだったのだ。わたしは彼女の手を握って、ようやく立ち上がる。


 わたしたちは手を繋いで山を下り始めた。

 しばらくの間は無言が続く。さっきの空気がまだ残っていて、なんだか気軽に話かけられなかった。

 わたしは会話のきっかけを掴むことができず、そしてクレアも同じなのか、互いにそわそわとしていた。


「あっ、あの……」


 わたしは意を決して開口する。

 クレアもそれを待ち望んでいてくれたのか、嬉しげにわたしの顔を見やった。


「今日は迷惑をかけて、ごめんなさい」


 ついて出た言葉は、話をぶり返すものだった。自分に嫌気がさしつつも、それでしか話の切り出し方がわかんなかったから。またさっきみたいな空気になるかもだけど。それでも、クレアと話がしたかった。

 だけどクレアは、わたしの心理状態を読んでいるのか、くすくすと笑ってなごませてくれる。

 わたしはほっとして、そういえば疑問が浮かんでいたんだった、って思い出した。


「あのさ、クレア。クレアはどうして、わたしがここにいるってわかったの?」


 クレアはいつもわたしを助けてくれるナイトのような存在で。呼べばどこにでも駆けつけてくれそうな、救世主みたいに頼りがいのある女の子だけど。何の情報もなしに、この山に、そしてわたしのいる場所をピンポイントで、っていうのは無理があるよね。

 

 それはユーリィについても言えることだったけど。だけど、ユーリィが持つ圧倒的な力があれば、それくらいのことは造作もないような気がしないでもない。

 もしかしたらクレアにも、実は強大な力が備わっているのかな?


「先生に聞いたのよ。エリナが毎日学校に行っていたから、気になってしまって」


「あ、そうだったんだ……」


 どうやらクレアには、しっかりとした理由があったらしい。クレアに超人的な能力があってもおかしくないけどね。でもそうじゃなくって、頭の切れるクレアは、先生から情報を入手して、それを整理、推測すいそくして、山に向かってきてくれたらしい。


 そこからは魔物の気配を感じ取って、一直線。充分、超人すぎる能力ではあるけれど、納得はできるね。

 それに、奇跡でもなんでもなくって、愛の力、みたいなものがまた、わたしを嬉しくさせてくれるのだった。

 

 ひと悶着もんちゃくあったけれど、夏休みの課題はこれにて無事、終了。

 この後の休みは、クレアに思いっきり甘えよう。夏休みが終わるまで――。





 夏の終わりを体現たいげんするような、涼しい夜。開け放たれた自室の窓からは、夜風が流れ込んでくる。

 その涼風すずかぜが心地よくって、目を細める。


 わたしとクレアは、同じベッドの中にいた。

 一緒のベッドはまだまだ緊張するけど。それでも、ユーリィの家でもそうしていたし、なんだかこれが当たり前になってきていた。


 2人でくっついている布団の中は、やや暑苦しい。それでも、離れたくはなかった。

 ひたいにかすかな汗を浮かべつつ、わたしはクレアにしがみつく。

 彼女の柔らかな肢体したいが、最高に抱き心地が良いのだ。

 ちょっといやらしい気分になっちゃうけれど……。これ以上先に進むのはまだまだ怖いし、わたしは今の距離感が気に入っていた。クレアだって手を出してくる気配はないし、今はこのままでいいと思っている。

 もう少し肌寒い季節になったら、もっと密着しちゃおう。それくらいなら、いいよね?


 ……秋はせまっていた。

 ふと、わたしには、この先またユーリィが関わってきそうな予感が生まれてきている。

 夏の最後。わたしはクレアと一緒に眠りにつくのだった。

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