第五話(前編)ー⑤

 クレアは、"弱い"なんて言葉とは無縁むえんだと思ってた。だけどね、クレアだって、れっきとした女の子。なんなら、わたしと年齢は1つしか違わないし。むしろ成熟せいじゅくしきっているような心の強さがおかしいくらい。

 

 ……クレアは、か細かったみたいだった。わたしが無事かを心配しつつ、真っ暗な山林を駆け巡っていたのだから、それもそうだよね。

 

 クレアは甘えたがっているのか、珍しく強引にバスルームまで連れて行かれてしまった。

 だけど、いきなり裸の付き合い……はクレアだって恥ずかしかったようだ。どうにかなだめて、クレアは1人で入浴している。

 わたしはお風呂の扉を背に、彼女が出てくるのを待っていた。


「ねぇ、エリナ、ちゃんといる?」


「いるよー、安心して!」


 流れ出てくるお湯の音が妙にドキドキとさせてくる。

 この薄い壁の向こうには、裸のクレアが肌を洗っているのだと思うと、余計にね。

 もう、こんな調子じゃ、一緒にお風呂なんて一生無理なんじゃないのかな。ってくらい、わたしたちの関係は純情なものだ。なんなら、ユーリィくらい積極的なほうが進展はあるのかもだけど。


 そこまで考えて、やっぱり無理! ってなった。

 別にクレアと深い愛をわすことが嫌なのではなくって……ちょっと頭の中で想像するだけで、顔から湯気が出てしまうくらいに、恥ずかしいのだ。

 ま、まあ、わたしたちは、わたしたちのペースで進んでいけばいいよね……恋愛の経験値ゼロなんだから。


 わたしが勝手にどぎまぎしていると、クレアがお風呂からあがってきた。

 その際に、ちらり、と彼女の裸が見えてしまった。

 透き通るようなお肌は、水滴すらもそれに触れるのを躊躇ためらってしまうのか、水をはじいて瑞々みずみずしく、すべすべとしていそうだ。

 残念なことに、タオルが邪魔をして全貌ぜんぼうを望めなかったけれど……い、いや、見たいけど、全然そんなんじゃないけどね。


 わたしは慌てて顔をそむけた。

 クレアは見られることに関しては何の感想も抱かないのか、堂々としたたたずまいだ。

 彼女は、見られることよりも、わたしの裸を見るほうが恥ずかしいと言っていた。わからなくもないけどね、クレアほどのスタイルだったらね。


 てんやわんやとしたお風呂タイムが終わると、クレアもわたしやユーリィと似通にかよった白のローブを着込んでいた。

 それが終わって、ようやくお食事の時間。

 わたしとクレアはテーブルについて、用意された数々の料理をしげしげと眺めていた。


「……食べても大丈夫かしら?」


「疑っちゃ悪いけど……見た目は問題ない感じだよね」


 怪しさは完全にぬぐいきれないけど、見た目も匂いも異常はない。

 何か薬が盛られている……可能性もあるけど、そこまで気にしていたら何もできないよね。

 クレアは用心な性格なのか、しきりに鼻を動かしている。

 だけどわたしはユーリィを信じて、そしてクレアを安心させるように、先に料理を口に運んだ。


「ん、すっごく美味しいよ。ユーリィが作ってくれたのかなあ?」


「何か異常があったら、すぐに知らせるのよ」


 どうやらクレアは食事に手をつけないらしく、フォークをテーブルの上に置いていた。

 美味しいのになあ。

 でも、無理にすすめることはできないよね。

 きっとクレアは、何が起こってもわたしを守れるように、極限まで警戒してくれているみたいだった。


 ってなると、今できることは……。

 クレアが少しでも休めるように、そして、わたしが足を引っ張らないようにすること。

 クレアの神経をかんがみるなら、一緒にここでじっとしていたほうがよさそう。

 くっついていれば、クレアも安心だろうしね。

 朝までの辛抱しんぼうだよ。


「ふわぁ、ちょっと眠くなってきちゃった……」


 食事を終えると、登山の疲労もあってか、わたしは微睡まどろみ始めていた。

 クレアはきっとおちおち寝ることもできないだろう。

 それでも、横になっていたほうが体力も消費しないよね。

 わたしはクレアを誘って、ベッドに向かう。


「おやすみなさい、エリナ」


 布団にくるまって、クレアとぴっとり寄り添って横になる。

 彼女のぬくもりが心地よかった。

 こんな状況なのに、わたしはすぐに夢の世界へいざなわれてしまうのだった。無神経か、わたし……。





「う~ん……」


 開けきっていたカーテンのせいか、窓から光が差し込んできていた。わたしは間の抜けた声をあげながら、目をこする。

 どうやら、朝まで熟睡していたみたい。きっと自分1人ではこうもいかなかっただろう。クレアに守られていたお陰か、わたしは快眠できていた。


 窓に目を向けると、昨晩の天候は嘘のように快晴。気分までも晴れ渡ってくるようだった。


「おはよう、エリナ」


「あ……おはよ」


 クレアは片膝を立てながら、ベッドの上で座っていた。目元に疲れが残っているのは、一睡もしていないからなのかも。あの様子だと、どんなに説得しても眠ってはくれなかったと思う。クレアはそういう子だから。

 そして、わたしを不安がらせないように、にっこりと微笑んでくれるのだ。

 だからこそ、クレアを早く休ませてあげたくって、わたしは立ち上がった。


「起きてすぐだけど……帰ろっか?」


「そうしましょう」


 わたしたちは揃って洗面所へ向かう。顔を洗って、汚れたままの服に着替えて、さっさと部屋を出ていく。


 館内にも陽光は入り込んでいた。廊下一面が太陽の光に当たると、夜とは別の空間のように思わせてくる。

 だだっ広いお屋敷に人の気配がない、っていう点は変わりがないので、相変わらず不気味といえば不気味だけど。

 静寂せいじゃくな廊下には足音だけが響いていた。


 ほどなくしてロビーに到着する。わたしはユーリィを探そうかな、って思ったけれど、よくよく考えてみれば彼女はどこにいるのか皆目かいもく見当もつかない。

 だけど、一泊させてもらって、無言で帰っちゃうのもなんだかなあ、って気が引けていた。だって、一晩を過ごしても事件は起こらなかったし、お食事とお風呂と寝床ねどこを用意してもらえただけなんだから。感謝の挨拶くらいはしておきたい、と思うのが人情だよね。

 だけど、こんなにも広大な館内全てを見て回るのも、失礼にあたっちゃう。

 

 大声で呼んでみようかなあ、って思案しあんしていると、階段から緩やかな足音が聞こえてきた。

 顔を向けてみると、音の主はユーリィだった。


 彼女は眠たそうに目を擦りながら、たどたどしい足取りで階段を降りてくる。

 どうやら今の今まで寝ていたのか、脇に枕を抱えていた。服装はローブではなくって、同じ白の色だけど、だぼっとしたパジャマみたいなものを着込んでいる。


 階段を降りきったユーリィをまじまじと見つめていると、なんだか信じられない気分でいっぱいだった。

 だって、昨日とはまるっきり別人のようだったから。


 寝ぼけまなこのユーリィは、ただの少女のようだった。昨晩見た時は妙齢みょうれいの美女、大人の色気むんむん、って感じだったのに。今の彼女は寝癖ねぐせすら直しておらず、寝起きの幼女にすら思えた。可愛くって可愛くって、思わず抱きしめたくなっちゃうくらいの、ぽわーんとした眠たそうな女の子。そのギャップが反則級にキュートなのだ。

 原因の1つをあげるとするなら、彼女の左目にかけられたガーゼなのかな。ユーリィの特異体質である紫の瞳はガーゼによって隠されていた。

 

 ユーリィはおぼつかない足取りでわたしたちの眼前にまで歩を進める。そして、大きな欠伸あくびをしてから口を開けた。


「もう、いくの?」


 意識があるのかないのかわからないほど、言葉には力が感じられない。

 もしかして、わたしたちが起こしちゃったのかな、と申し訳なくなっちゃう。


「あの、一晩お世話になりました。ありがとうございます」


「お世話になりました。特に、エリナを助けてくださって」


 わたしとクレアが頭を下げる。

 ユーリィは眼を擦りながら、


「ううん、いいのよ」


 って気だるそうに手を振ってくれるのだった。やっぱり、可愛い。


 そのまま引き止められることもなく、わたしたちはユーリィの家を後にするのだった。

 だけど、このままでいいのかな……。

 これっきり、ユーリィと会うことはないのだろうか。

 それがなんとなーく、もったいないような。

 わたしは、彼女のことが気になって気になってしょうがないのだった。





 館を出た後は、山をすいすい下っていく。

 木々の葉には雨の残滓ざんししずくとなって溜まっており、時折頭上からしたたってきて、わたしの背筋をひんやりとさせてくる。

 朝方の山中は蒸し暑さも皆無かいむ、澄み切った空気が心地よいほどだ。

 だけど地面のぬかるみはひどいもので、気を抜くと足を滑らせてしまうだろう。


 位置感覚が狂っているせいで、ここがどの辺なのか不明なのは困りものだったけど。それでも、下山さえすればどうとでもなるかな。クレアも同じ考えなのか、わたしたちは気ままに歩いていた。

 世間話を交えながらで、昨晩の悪夢なんて記憶のすみにすら残らなそうだ。


 ふと、クレアの足が止まる。わたしは振り返って、いぶかしんだ。クレアが立ち止まるなんて珍しくって、疲れがピークに達したのかな、ってそわそわする。もしくは、魔物でも感じ取ったか。

 だけど、そのどちらでもないらしく、クレアは横手をじっと凝視していた。彼女は身構えていないし、気配だっていつものままだ。


「どうしたの?」


「今、何か光って見えたような気がして」


「ま、魔物だったりの可能性は……?」


「それはないわね。ちょっと、行ってみていいかしら?」


 わたしはクレアの言に従って、彼女の後を追う。達人のクレアが魔物じゃない、と言い切っているのだから、危険はないだろうしね。

 

 鬱蒼うっそうと茂る木々の間をって歩いていくと、それはわたしの目にもはっきりと映った。

 地面がキラキラと輝いており、胸が高揚していくのを感じる。


「これは……」


「わぁ、綺麗だね」


 そこにあったのは、土の中からむき出しにされた鉱石だった。ちょうど樹木の合間から覗く陽光に反射しており、綺麗ないろどりを放っている。宝石のアメジストと見間違いそうな紫色の鉱物は、恐らく魔道具。それも、けっこう貴重そうなものだった。


 昨日の豪雨で地面から頭を出しちゃったのか、はたまた違う道順で歩いていたから見つけたのか。それとも、そのどっちもが要因としてあったのかは誰もが知り得ないことだろうけど。ものすごい幸運には違いがなかった。

 わたしとクレアは2人して喜びの声をあげる。


「けっこう大きいわね」


 クレアはその鉱石を掘り起こすと、両の手のひらに乗せた。鉱石は拳ほどの大きさがあり、魔道具の中ではかなり大きな部類になりそう。泥がかぶっているけれど、きちんとみがいて提出すれば、高い評価を得られそうだね。


「はい、エリナ。見つかってよかったわね」


「うん、ありがと! クレアのお陰だよ、ほんとに」


 クレアから鉱石を受け取り、まじまじと見つめる。

 こんな代物しろもの、どう扱えばいいんだろ。ぼんやりと眺めることしかできなかった。


「綺麗だねぇ……」


 無意識にそう呟く。だってわたしの脳内では、別のことが思い浮かんできていたのだ。

 きらきらと輝くアメジストの鉱石は、ユーリィの瞳の色と酷似こくじしている。綺麗、っていう独白どくはくは、ユーリィの眼に対して言ったものでもあったのだ。

 ユーリィに出会った昨日の今日で、同じ色の鉱石を手に入れる。偶然にしては出来すぎだし、連想しちゃうのも無理ないよね。運命じみたものを感じるよ。


 だけど、それをクレアに伝えるのも、おかしな話。

 クレアはユーリィのこと、良く思っていないみたいだったから。わたしだって、この鉱石が別の色だったなら、次第しだいにユーリィのことは忘れちゃっていたのかもしれない。

 でも……わたしは手に乗せたその鉱石がユーリィの分身のようにすら思えて、彼女を深く心にきざみ込んでしまっていた。





 それから無事、下山できたわたしたちは、くたくたになりながら学生寮へ帰還。部屋に戻った後、クレアは電池が切れたみたいになって、すぐに眠ってしまった。

 一晩中守ってくれて、ありがとう、クレア。

 わたしはそう呟いて、彼女のおでこにキスをしてあげる。

 ……これくらいのスキンシップなら、わたしも慣れたもんだよね。

 でも、感謝を忘れたことなんてないよ。


 わたしは、昨晩ぐっすりと眠っちゃったから、1人手持ち無沙汰だった。

 だけど、どこかに出かけようとも思わないし、クレアの傍にいてあげたかった。


 ふと、机の上に視線を向ける。

 そこには布が敷いてあって、磨き終えた後の鉱石が鎮座ちんざしていた。

 しばらくそれを見つめていて、妙案みょうあんがぱっと閃く。


「これを使って、ユーリィのためにお礼ができるかも……」


 どんどんと想像が膨らんでくる。

 わたしは今すぐにでも部屋から飛び出していきそうになったけど、ぐっと堪えるのだった。

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