――おまけ読み切り

守りたがりの死に神ちゃん その1

 山の中で出会った女の子に誘われ、手を引かれた。

 握られて感じる柔らかい感触と、同年代の子と比べても一際可愛い顔立ちに、ついつい足が彼女を追いかけてしまう。


「ねえ、どこへいくの?」


 少年が聞いた。

 その声に、手を引く少女が、


「とっても楽しいところ」


 そう言って、笑顔を見せた。


 彼女はランドセルを背負っていたが、途中で邪魔になったのか、投げ捨てていた。

 緩やかな斜面を転がっていったけど……、彼女は一度も視線を向けなかった。


 まるで、もういらないみたいに。


 なんだか、不穏な空気を感じ取ったが、まさかこれから自殺をしにいくようには見えない。

 そんな人間が見せる笑顔には思えなかった。


 ランドセルを放り投げたい気分の時だってあるんだと、少年は彼女の衝動に納得する。


 それにしても、ランドセルを久しぶりに見た。というのも、今は夏休み。半月ほど前にランドセルを部屋の隅に置いて、そのままだ。

 逆さまにすればどさっと宿題が山のように出てくるだろう……、あぁ、と頭を抱えたくなる。

 嫌なことを思い出した。


 母親にはきちんとやっている、と嘘を吐いているから尚更だ。

 明日からやろう、明日からやろうと決めても、実際に明日になってみればやる気が起きず、山に遊びにいっては一日中も動き回って疲れ、夜早くには眠ってしまう。

 これまで、そんな夏休みだった。


 ……一人きりの、夏休みだった。


(一人ぼっち、じゃ、なかったけどさ……、あ)


 ガッ。

 という、音を拾った時には既に遅く。


「うわぁっ」

「きゃあっ」


 考えごとをしていたせいで、低い段差につまづき、転んでしまった。


 そのまま緩い斜面に踏みしめた足を取られ、ぐんと下に引っ張られる。


 数メートルの坂道をごろごろと転がり……、やっと止まった。


 まるで学生が告白でもしそうな、大木の真下で。

 女の子を押し倒した体勢だった。


 額と額がぶつかった距離感で、時間が止まったように見つめ合う。


 理解が追いつくまで数秒かかり、先に正気に戻ったのは、少年の方だった。


「う、うわぁあっっ!?」


 ばっ、と飛び起きて少女から離れる。


「むう、足をすべらせた時の悲鳴よりも大きな声ってどういうことよー」


 不満そうに頬を膨らませる少女に、少年が何度も頭を下げた。


「……また、手、繋いでくれる?」


 今度はきみから。

 彼女の注文に、少年がうんと答えて、彼女の手を握り締めた。


「いいよ、許してあげる」


 もう一度、確かに感じた柔らかい感触に、少年も確信した。


 その後、落ちた距離を取り戻し、さらに山の奥へ進んだ。


 上へ、上へと登っていく。


 そうこうしている内に、日も傾き、気付けば夕日が出てきていた。

 暗くなると帰るのも一苦労だ。

 彼女と別れるのは惜しいけど、そろそろ戻る判断を下さなければならなかった。


 目的地がまだ先なら、また明日——もっと早い時間から再挑戦すればいい。

 それはまた明日も会おう、と言うための口実になったのだが、しかしそんな少年のアプローチの仕方は、また考えなければならないだろう。


「もうついたよ」


 少女が少年を連れていきたかった場所に、辿り着いていた。


 頂上ではないものの、周囲の山が見下ろせる、開けた場所だ。


 夕日の光を遮るものが一つもないため、全身に浴びることができる。


 もしも、ここで夜空を見上げたら――ロマンチックだなと少年は考えた。


「うーん、問題は母さんの説得だけど、無理そうだよなあ……」

「ひつぎくん」


 と、少女が少年の名を呼ぶ。


「え、なんでおれの名前、しってるの? 言ったっけ?」

「言ってないけど、知ってるもん。だって、ずっと見てたから」


 少女から向けられる熱を持った視線に、どきん、と心音が跳ねた。


「み、見てたって……」


「仲良くなりたいなって思ってたんだ。ひつぎくんなら、ずっとわたしの隣にいてくれる……寂しいこの気持ちを埋めてくれるって、確信したから」


 跳ねた心音が止むことなく続く。


 こんな風に、人から好意を向けられたのは、初めてだった。


 少女はもじもじと――夕日が出ていなくとも見せていた赤くなった頬を隠すように、合わせた両手を口元に持っていく。


「こ、これから一生、わたしに、付き合ってくれる……?」


 不安と期待を混ぜた、今にも泣きそうな上目遣いに、ひつぎは咄嗟に答えていた。


「一緒にいるよ! ずっと、君を守ってみせる。おれは、だって、男だもん!!」


 どんっ、と拳を胸に叩きつける。

 その答えに、少女が満面の笑みを見せた。


「ありがとうっ、ひつぎくん!」


 少女がゆっくりと近づき、ひつぎの手を取った。


 くるりと回って、立ち位置を反転させる。

 ひつぎの背を夕日に見せるように。


 少女は繰り返し、ありがとう、と呟いた。



「だったらさ」


 一生、一緒にいる。

 そのために。


 少女がひつぎの胸を、力強く押した。


「死んでよ」



 景色が見下ろせる開けた場所。


 絶景に目を奪われがちだが、冷静に考えれば柵の一つもない断崖絶壁である。


 飛び降りれば、当然、命はない。


「え」


 バランスを崩したひつぎの体重が後ろに引っ張られ、数歩下がった後の踵が、空中を踏んだ。


 ぐるん、とひつぎの視界が少女から空へ釣り上げられる。


 それでもなんとか少女を見つけようと視界を下げると、見えたのは少女――ではなく。


 少女の後ろの景色が、透けて見えていた。


「なん、で……っ」


「このままだとひつぎは大人になっちゃう。そしたらわたしのことを忘れちゃうでしょ。それは嫌だもん。だから、わたしと同じ幽霊になれば――っ、ずっと、一生一緒にいられるでしょ!」


 幽霊。

 だが、ひつぎは嘘だと叫びたかった。


 本当に幽霊なら、すぐに分かるはずなのだ。今のように透けて見えるはずだし、手を握って、柔らかい感触があるはずがない。なのに、彼女は、幽霊……?


 人間にしか思えなかった。


「待ってるから」


 少女の声を最後に聞き……、


 ひつぎの意識が暗転する。



 後頭部に感じる柔らかい感触に気付いて、ゆっくりと目を開ける。


 夕日は月と交代していた。もうすっかり夜になっている。


 山の中、星と月の明かりが届く場所にいるようだ。


 周囲を見回して、意識が覚醒してくる。


 ふと、真上を見ると。

 こちらをじっと見つめる、少女がいた。


「…………」


 まばたき一つせず、ひつぎを見続ける女の子。

 もちろん、さっきの幽霊とは違う。


 触れる……、しかし、それも基準にはならなくなっていた。


 触れたのに、ひつぎを殺そうとした少女は幽霊だった。


 だから、この子も……。

 すると、少女のまぶたがゆっくりと下がっていき、


「あ、ちょっ」


 そのまま寝息を立てて眠ってしまった。


「…………まばたきしないのに、眠るとか、極端なやつ……」



 これが出会いだった。


 幼馴染——、

 日暮ひぐれういとの付き合いは、十五歳の現在まで続いている。

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