冷徹不遇の奈多切(なたぎり)さん

渡貫とゐち

第1話 芋虫は蛹を抜いて蝶へ成る

 ぶにぶにとした感触は怪獣の着ぐるみのようだった。だけど中に人間が入っているような動きではなかった。……二足歩行じゃない、蛇のように這って進んでいる。

 なのに全力疾走をしている俺に追いつかんばかりの速度で迫ってきている……ッ。


 直線だったら既に追いつかれているだろう。

 曲がり角、階段、池……、

 障害物を挟むことによってなんとか追いつかれてはいないが、それも時間の問題だ。


『奴』は学習しているんだ……。

 初見こそ手間取っているが、一度でも障害物として使ってしまえば、奴は、二回目となればあっさりと飛び越えてくる。


 まるでその体が環境に適応したように、

 芋虫のような楕円形の体の側面から人間の腕が生えてきて……自立し、自走している。


 生えてきたのが足でないだけまだマシか。


 腕だからこそ逆立ちで走っているようなものではある、が……、握力がかなりある。


 壁に指を突き刺し、壁を地面のようにして走行している……っ。

 くそ、こうなってくるともう高さは障害にはならねえじゃねえかッッ!



 ビルの屋上まで上がった俺は、行き止まりに追い詰められた……いや違う。

 這っていた奴は腕を生やして追いかけてきた。どちらも地続きだからこそ追えている……。


 だったらビルからビルへ――。

 屋上から隣の屋上へ跳んで移動してしまえば、奴は追ってこれないはずだ。


 柵から外を見下ろす……五階建て。


 隣のビルは四階建てなので放物線を描いたとしても渡ることはできるだろう。

 ビル間の距離も狭い……、

 踏み切る位置を間違えなければ、躓かなければ、『普通にやれば』渡れる距離である。


 だが、緊張感があるこの状況でいつも通りのことをするのが、一番難しい。


 ばんッ、と強く開けられた屋上の扉……、姿を見せるのは灰色の芋虫……(左右から腕が複数本も生えている……、血液が流れているせいか、体の表面がぼこぼこと隆起していた)――目はどこにあるのか分からないが、意識が俺に向いた……、悩んでる暇なんかねえ!!


 俺は助走をつけ、柵に足を乗せ、跳ぶ――っっ!



 長く感じた滞空時間の末、隣のビルへ着地し、ごろごろと転がる……。


 っっ、膝を軽く擦り剥いたが、この程度の痛みに音を上げている場合じゃ、


『ごろろrr』


 喉を鳴らすような音と共に、俺の周囲が黒く陰る。


 日の光を通す薄羽を広げた芋虫が、空を飛んでビルを渡っていた。



「――芋虫のままじゃん! 

 さなぎになるまでもなく蝶の羽が生えたのか!?」


 羽ばたきをやめた芋虫の体が俺の前へ――どすんっ、と落ちてくる……。

 おいおい、さっきよりもなんだか大きくなっていないか!?


 表面の質感も着ぐるみのようなおもちゃ感ではなく、

 瑞々しく生物の皮膚って感じがして……。


 虫が苦手ってわけではないが、二メートルを越える芋虫を目の前で見たら、さすがに苦手になる……、こんなのトラウマだ。


 夢に出そう……というか、俺はここから家に帰って眠れるのか……?


 にちゃあ、と、口が開き、鋭い牙と粘り強く伸びる唾液が見えた。


 歯茎も見えた……。

 人間の口よりはサメの口の中と言った方が近いだろう、大きさも同程度だし。


 その口が俺を喰らおうと迫ってくる。


「ちょ、クソ!! なんで俺がこんな目に遭うんだよぉ!!」


 木の枝の上で落ち込んでいた、手の平サイズの『妖精さん』に声をかけただけなのに――!



「うぉわあああっっ!?」


 牙が俺の皮膚を貫く、その寸前だった。


 灰色の皮膚に突き刺さる白い一本槍。

 外側からの衝撃、一つだけのはずが、

 内側から十本以上……、同じような槍の切っ先が飛び出してきた。


 飛び出した白い槍でその巨体が自立している状態だった。


 そんな状態でもまだ生きてはいるようで、腕がじたばたともがいている……が、地面まで遠いので、手の平は地面を踏むことができていなかった。


 その後、学習した腕が体に刺さった白い槍を引き抜こうとするが、中で引っかかってしまったかのように、槍は引き抜けない……。釣り針のような返しでもあるのかもな……。


『キィキィッッ』


 助けを求めるような声に、一瞬、立ち上がりかけたが、その前に奴は破裂した。


 白い光が視界を埋める。


 光で奴の死に様は見られなかった、けど……。


 閉じたまぶたの隙間から見えたのは、制服を着た少女だった……。


 白い槍を投げた、張本人――。



奈多切なたぎり……?」



 友達でなければ知り合いでもない。学校の後輩、というだけだ。


 なんであいつがこんなところにいて、あの化物を倒したのか……、分からないことだらけで聞きたいことは山ほどあるが、それよりもまず、だ――これだけは忘れてはいけないことだ。



 彼女は、俺の命の恩人である。

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