今宵も月の下で

@nana-hime

第1話 出逢い

月の綺麗な夜…

君と出逢った。


あの日僕は、

相変わらず慣れない営業訪問に辟易へきえきしながら

帰り道のコンビニで買ったコーヒーを片手に

ふと空を見上げてた。


「今日は月…綺麗だな…。」


コーヒーを一口飲んだ。

そうか、確か今夜は中秋の名月だ。

朝から幾度とニュースで見かけた。

よく晴れて空気が澄んでいたせいか吸い込まれそうな程の鮮やかな月にしばし見とれていた。


あ、そういえば今日まだ開いてなかったな…

僕は鞄からスマホを取り出した。

最近ハマったYouTuberの推しのフォローがしたくて始めたTwitter

その子のツイートのいいねを押すのが僕のささやかな日課だった。

知らない誰かと交わることが少々苦手な僕は、

ごくたまに送るコメントといいねを押すのが精一杯だった。

その日のツイートに月の話題を見つけ

何気なく“中秋の名月”のツイートを検索してみた。

日本中色んな人が呟いている。

様々な月の写真がリアルタイムで更新されていく…

ふとスクロールしていた指が一通のツイートで止まった。

少し霞がかった月の写真とともに添えられた文章に心奪われた。


「今宵も月が綺麗ですね。

 人の世のはかなさに少し憂いてはいますが

 それでも月は変わらず

 静かに私の心を照してくれます…

 偶然にも此処ここを訪れて頂いたあなた様と

 同じ月を眺められることが

 今の私の幸せであります…」


僕の心臓がドクン…と大きな波をうった。

そのまま僕はそのユーザーのプロフィールへと入り込んでいた。

月詠―つき…よみ? つくよ?

女性らしきそのプロフィールの中には様々な風景の写真と整然と並んだ美しい文字達のツイートが収められていた。

 

―彩鮮やかな月の 水面にうつるその姿もまた

 美しく、そして現世うつしよはかなさを想い移りゆく…


―庭先に一つおぼろげに光る迷い蛍

 浮かんでは消え、消えてはまた浮かぶ…

 しばし蛍とのたわむれを楽しんだのち、

 三日月夜みかづきよの闇に姿を消した


―露をまとい輝きに溢れた紫陽花あじさいたちの

 嬉しそうな笑顔はこころをほぐし

 私の歩みを止めてしまいました


―遠き日に心を通わせ 想う夢…

 願わくばまだ見ぬあなたと

 ひとときの語らいを…


―虹の橋にシャボンの泡を渡らせてみました

 あんなに自由に空を翔べたら…


…………………………


語彙力ごいりょくの乏しい僕の最大限で例えていうならば

月夜のもとで咲く月下美人の花のような可憐な美しさのなかにどこかはかなさも感じる…そんな文章達だった。

僕は時間を忘れどんどん彼女の世界観に潜り込んでいった。

心の高鳴りと高揚感がとても心地よかった。

夢中で彼女の言葉をたぐっていた…


不意にふっ…と一筋冷たさを含んだ風が頬をかすめていった。

僕は我に返り彼女を見つけた最初のツイートに戻りリプライといいねをした。


―そうだ!

手にしたスマホを上空に掲げる

「カシャッ」

シャッターをきった。

「中秋の名月 偶然の出逢い」

僕はそうツイートするとそのままスマホを鞄にしまい家路を急いだ。


「ふーっ」

風呂から上がった僕は、今度はビールを片手にひと息ついていた。

テーブルの上のスマホに手を伸ばす。

「あれ?」

僕は慌ててTwitterを開く。

さっき投稿したツイートにコメントといいねがされている。

月詠さんだ!

―コメントありがとうございます

 綺麗な月の写真

 こんな広い世界で同じ時を共有できたこと

 とても感激しております


穏やかで優しい言葉だった。

まだひと口しか飲んでいないのにアルコールが全身を巡り心拍数の上昇とほてり感が僕を包んでいた。

彼女と繋がりたい…

僕は勇気を振り絞り彼女にDM《ダイレクトメール》を送ってみた。

「初めまして月詠さん

あなたのとても優しく美しい言葉の数々に

魅了されました

あなたをもっと知りたい

よければフォローさせて頂いてもよろしいですか?」

僕は送信ボタンを押すと同時に手元のスマホをソファーへ無造作に放り投げた。

「うわぁ…」

僕にしては何て大胆なことをしてしまったんだろう…

テーブルのビールを一気飲みした。

鳴り止まない鼓動と酔いの回ってきた頭でクラクラし僕はそのままベッドに潜り込み眠りに落ちた。

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