第15話 のるかそるか、それは問題だ ⑦
連れられて来てみてびっくり、そこはボロボロに崩れ落ちそうな、平屋だった。周囲をぐるりと囲む塀は、朽ちた板だし、雑草がボウボウに生えていて、何となく蚊に刺されそう・・・。
「こ、ここですか」
「そうよ。ビックリするでしょ」
「・・・びっくりっていうか・・・」
「大丈夫、私を信じて」
いや、信じたい気持ちでいっぱいですけど。
彼女にくっついて建物に近づいたら、玄関らしき所は、間口が広く綺麗だった。引き戸はいっぱいに開かれて、中は古民家風カフェそのものだ。
お客さんもかなり多い。席、空いてるか不安になるほど。
「外観がすごいから、まさに隠れ家的カフェなの。でも、ほら、勇気を出して近づいてみたら、素敵でしょ。人間と同じ、よ」
いえいえ、貴方は外観から素敵ですよー。・・・なんて、ね。
店の奥には、わざと無造作に作られたような木々の庭が、大きな窓の向こうに見える。案内されたのは、その窓際に設えられたカウンターテーブルだ。
「ああ、ここ、特等席ね」
「そう、ですね」
両脇の客は、平日のまだ早い夕方だというのに、カップルだ・・・。
「実は、ここ、蛍をお庭に放っているんです。うふふ、とても綺麗なんですって」
「・・・へえ」
なんて返事すればいいのよ。
「一度、来てみたかったんだけど、一人で来るのもね、と思っていて。松島先生と来ることができて、本当に嬉しいです」
「あ、そうですか・・・」
いや、なんて返事すればいいの?
「松島先生は、私とでは嫌だったかしら」
「まさか。すごく、嬉しいです・・・」
嘘じゃない。嘘じゃなさ過ぎて・・・。
「そう? 良かった」
「・・・はは」
あぶない、魂が分離するところだったわ。
可愛い。本当に、なんでこの人、こんな可愛いの。もう、私をどうしたいのよ、こんな惑わせて。
私の隣にちょこんと座った草尾さんは、可愛いケーキのセットを注文した。
私は、アイスコーヒーだけを頼んだ。別にカッコつけたワケじゃない。甘いものなんか食べた日には・・・思わず口を滑らせてしまう危険があったからだ。
もう、コーヒーで酔った気分。
「私、松島先生には、長く仲杜市で働いていただきたいなって思っているんです」
「ん?・・・ああ、え?」
「医師の皆さんって、せっかく入職されても、なんだかんだで、すぐに辞めていかれる方が多いんですよ。仲杜市は定着率、そんなに悪くないって言われていますけど、それでも半分以上の方は、数年で退職されて、別の分野に羽ばたいていかれる。もちろん、それは悪いことではないのでしょうけど、残された身としては、ちょっと寂しいというか。松島先生は、とても素敵な先生だから、私、ずっとご一緒したいなって・・・あ、変な話してしまいましたね」
「いえ・・・そんな風に言っていただけて、とても嬉しいです」
どうせ、みんなに言ってるでしょ?
私だけじゃないでしょ?
・・・お願い、私を勘違いさせないで。
「先生、これ、とっても美味しい。甘いものは平気?」
「え」
「はい」
反射的に差し出された何かを口に入れてしまって、ああ!
「ね? 美味しいでしょう」
「・・・んん」
な、な、何、して、るんだ!
草尾さんは自分のケーキを一片、私の口に押し込んだ。
こ、これって・・・大丈夫なのか?
草尾さんはニコニコして私の反応を窺っているが、こっちはそれどころじゃないよ!
「お、美味しいです・・・」
店内が薄暗くて、本当に助かった。絶対、私、顔赤い・・・。
「もっと食べます?」
「や、結構です」
もう、無理、無理って。こんなの、無理。何で、こんな・・・。
そもそも女同士、歳も一回り以上離れてる、草尾さんの脳裏には、何の危険性も浮かんでないのは、分かる。
でも、私は。
貴方が好きなんですよ。
そういう意味で、好きなんです。
こういうの、ホント、無理なんですって。
だいたい、こんな、カップルで来るようなお店で。
隣同士に座って。
ホタルとか見た日には、もう、死んじゃうって。
ケーキを食べさせたりとか、もう、ダメですって。
・・・気持ち、抑えられないじゃないですか。
好きって言ってしまいそうになるじゃないですか。
ヤバイんですって。
「あ、先生、見てみて!」
だから、腕を掴んだり、しないでって!
「先生、ほら、蛍だよ、キレイ・・・」
だんだん暗くなっていく中、一つ、光が見えた。
「先生と来れて、本当に良かった」
「そりゃ、良かったです」
私は、心を無にして、窓の外を眺める。
もう、心を捨てて、無の境地に到るしかない。
あ、もう、駐車場のゲート、閉められちゃったかな、と呟く草尾さんの声を聞きながら、私は、そっと目を瞑った。
多分、いつか、私、自分で、バラしちゃうな・・・。
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