約束【後】

 駅から徒歩5分ほどにある総合病院は、冬の夜の冷たく澄んだ空気の中にたたずんでいた。中身はきっと清潔なのだろうが、外見は古ぼけた前時代の遺物のようだ。よほどの大病でもないかぎり入ることのない建物だからか、少し緊張する。店長はまるで自分の店に入るように迷いのない足取りである。

 中に入ると銀行員のような制服を着た職員が横並びに座るカウンターがあり、会計や受付の場所が分かれていた。患者のほとんどが高齢者およびその付き添いで、心持大きく聞き取りやすい声で話している人が多いようだ。それに暖房が効いているのだろう。とても暖かい。院内に入る前の緊張感など溶けてしまった。

 店長は院内見取り図にさっと目を通して階段のある方向へ進んだ。私はひな鳥のように後をついて回ったが、まさか6階まで昇り続けることになるとは思わなかった。店長は肩でゼイゼイと息をする私を一瞥し、若いのにこの程度でバテるとは、と言われた。こちらがいくら若くとも筋肉量が違うのだから仕方がない。

 まっすぐナースステーションに進み、店長がひとりの看護師を呼び出している間になんとか呼吸を整えた。出てきた看護師は目元に疲れがにじみ出た細身の女性だった。ちらり、と彼女が出てきた詰所を見やると中年太りの怖そうなオバサンがこちらを覗き見ていた。この病棟のドンだろうか。ちょっと意地悪そうだ。このオバサンに睨まれないよう、私たちは要件を手短に済ませようと階段の踊り場で立ち話の体をとった。

 お疲れナースは店長の学生時代の知人だと紹介を受け、私も簡単に自己紹介した。

「さて、電話で僕に言った内容をこの子にも話してくれるかい? これから聞く話と今日の昼間にパートさんから聞かれたことが結びつくから、最後まで聞いてほしい」

 前半はナース、後半は私に向けて告げられた。

 ナースの話したことは、今朝の彼女の夢の話であった。亡くなったお嬢さんがきれいなグミを渡してくれたこと。彼女の夢の中で『ブローチ』だと言って手渡されたそうだ。そしてそれが何故だか起床時のベッドの上にあったこと。その『ブローチ』はあの小さな洋菓子屋の売れ筋商品である宝石のようにきらめくグミであること。そして。私が今日の勤務時にパートさんから「おいしかった?」と聞かれたグミであったこと。私は宝石グミを一度も食べたことがないのに、だ。

 つまり。

「昨日の夜、私が酔っ払ってグミを買った、ということですか? そして酔って覚えていないけれど、あなたにグミを渡した……?」

 自分の発言ながらどうも腑に落ちない。なぜ見ず知らずの人にグミを渡したのか。そもそも、相手も受け取った記憶がないままにベッドの上などに放置するだろうか。

 そんな私の表情を読み取ったのだろう。店長が簡単に種明かしをする、と言ってくれた。

「結論から言うと、きみは彼女のお嬢さんにとって条件が良かったんだ。きみはアルバイト先に通うためにお嬢さんの母親が勤務する病院近くを通りすがり、最寄り駅にはお嬢さん自身の眠る墓がある。その墓地からこっそり抜け出して、憑依するための器として最適だったんだ」

 ヒョウイスルタメノウツワ、だって?

「つまり、昨日の出来事を時系列にすると。サークルの飲み会に参加するきみについてゆき、その帰り道に憑依した。そしてその足で僕の店にきて『ブローチ』を買い求め、きみの体を無事にきみの家に帰した後、お嬢さん自身はかつての自宅、つまり母親のもとへ行き、その枕元に『ブローチ』を置いたんだ」

「ああ、だから記憶がなかったんですね……ってそんなことがあり得るんですか!?」

 オカルトめいている。なんだ、憑依って。あと、昨日の私は幼稚園生に乗っ取られていたのか。

「よくあることではないが、どうしても母親にプレゼントしたかったんだろう。それにきみはいい具合に酩酊していたから魂が入り込みやすかったんだ。悪さしたわけじゃないんだ、許してやってくれ」

 別に怒ってはいないと告げて、ふと斜め前を見ると、黙って店長の話を聞いていたナースの白い頬にひとすじ、ふたすじの涙の跡がついていた。

「きっと、約束を守ろうとしたのね。前にあの子が言っていたの。大きくなったらお母さんにきれいなアクセサリーをあげるね、って。……私がシングルマザーだから、あんなに小さかったあの子に気を使わせてしまって……。あなたにも迷惑をかけて、ごめんなさい」

 化粧気のない顔を歪ませて謝罪の言葉を口にする彼女は、きっと普段から特別に着飾るようなことがないのだろう。娘は他人の母親と比べて地味な装いの彼女に何か華やかな装飾をあげたかっただけなのだ。よそのお母さんみたいに、わたしのお母さんにもおしゃれしてほしい。幼稚園生くらいにもなればそういった気持にもなるだろう。

 ひとしきり泣いて落ち着いた彼女は、そろそろ仕事に戻らなきゃ、とナースステーションに帰った。その背中は先ほどよりは幾分かしゃっきりしたように見えた。最後まで、今日はありがとう、本当にごめんなさい、と感謝と謝罪の言葉を繰り返していたが手にしたものが本当に娘からの『ブローチ』だとわかって安心したようだ。

「記憶喪失の理由がわかってすっきりしたし、なんだかいい話で感動しちゃいましたね」

「そうだな。昨日がギリギリの期限だったんだろう」

 期限とは何のことだと聞いてみると。

「昨日はクリスマスだろう。本来ならクリスマスイブの夜に渡したかったが適当なウツワがいなくて、あえなく25日の夜にプレゼントを渡したってとこだ」

 つまり、あの『ブローチ』は。お疲れナースへかわいいサンタクロースからのクリスマスプレゼントだったのだ。さしずめ私はサンタの相棒のトナカイか。いや、煙突役なのかもしれない。

 知らず知らずのうちに微笑んでいたようだ。照明を落としたブティックのショーウィンドウに自分の緩んだ顔が映る。

 昨日は酔っぱらって言えなかったから、心の中ですべての人に言おう。


 メリークリスマス!


 

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