天使の翼
KeeA
灰色の天使の翼
私の背中には天使の翼っぽいものが付いている。ぽい、というのは、色が大天使のように純白でも、堕天使のように漆黒でもなく、曇り空のような灰色だからである。まあ、色はとりあえず何色でもいいとして、翼があるので空を自由に飛べるのか、はたまた翼が邪魔で日常生活に支障が出るのではないか、と考えるかもしれない。
否。実は、私の背中の翼はおそらく諸君が思っているような大きさではなく、むしろ小さいので、飛ぶことはできないのだ。片翼広げて十五センチくらいだろうか。
この数年間誰にも指摘されたことが無かったので、もはやこの翼は自分にしか見えない、幻覚なのではないかと思い始めている。ただ、この翼は動かせるし、つまんだら痛いし、ちゃんと神経は通っているようだ。……これが妖精の翼だったら切り落しても痛くはないらしいが。まあ、今のところ何も問題はないので、そのままにしている。
え? 恋人との夜はどうするかって? …………………………そういえばこの前、銭湯に行って本当に見えていないか確かめようと思ったのだが、思いのほかチキンすぎて実行できなかった。ほら、本当に見えていたとして、ニュースになってそのあと攫われて怪しい研究所に連れて行かれて人体実験でもされたら困るだろう? 私は今のそこそこ幸せな人生を失いたくないんだ。
それより、何故私には翼があるのか気になるところだが、実のところ、自分でもよく分からない。その経緯を話すと、ある日、肩甲骨に違和感があったことから始まった。私は仕事柄、座りっぱなしでパソコンや机に向かっているのが日常で、違和感があったその時はキーボードの打ちすぎかな、と思っていた。まあ、寝れば治る、と思って翌日起きてみると、良くなるどころか悪化していて、いよいよ本格的に痛むではないか。さすがに気になって何とか鏡越しに背中を見てみると、先ほど話した片翼十五センチくらいの灰色の「天使の翼」が服を突き破って生えていたのだ。
「これは…………」
初めは、灰色のスウェットを着ていたので、何かの見間違いだ、まだ目やにが付いているのかな、と思い目をこすったが、もう一度見てもそこにはしっかりと翼が存在していた。服から羽が突き出ている、とようやくその異常事態を認識できた私は思わず服を脱いで穴が開いていないか確かめた。しかし、頭と体と両腕を通す穴以外、どこにも穴は見当たらない。不思議に思って、やはり寝ぼけているのかな、と思いもう一度鏡越しに背中を見た。そこには、確かに翼が存在していた。どんよりした、曇り空のような翼だ。そっと背中に手を回して触ってみると、ほのかな温かさを感じた。手には羽根の感覚、羽には手の感覚。これは夢ではなさそうだ。
最初こそ驚きはしたが、その翼を眺めている内に不思議とその翼が以前からそこにあったような、実は見えていなかっただけで存在していたような気がしてきた。そういえば、肩甲骨は昔、人間が天使だった頃の翼の名残だというのをどこかで聞いたことがある。私は神も天使も信じてはいないので、どうだかな、と今までは疑っていたが、現に背中にそれらしきものが生えているのだから、この噂は本当なのだと思えてきた。
数日経つと痛みも消え、わずかだが、翼を動かせるようになった。動かせるようになったところで特に何かできるようになったわけではないが。せいぜい小さな風を起こして体を涼めることくらいだ。
翼が生えてから約一年後、変化は突然、いや、もしかしたら徐々に訪れていたのかもしれない。なんと、ドブのような灰色から白銀色になっていたのだ。一年前に撮影した写真と比べると良くわかる(そう、何故か写真に写るのだ)。何故だろう。心当たりがあるとすれば……心境の変化か? この一年間、少々心に余裕ができたことに自覚はあった。まさかそんなことで色が変わるのか?
その日、悲鳴を上げ続けていた身体がいよいよ限界を迎え、私は入院することになった。
そして現在、私は未だにこの独特な臭いがする施設に留まっている。だが、早く出たいとはあまり思っていない。ここでの生活は結構快適だ。何もしていなくても(味が薄く決して美味しいとは言えないが)三食出るし、話し相手にも困らない。呼べばすぐに駆け付けてくれるし、常に周りに人がいるので孤独を感じない。しかも様々な理由で入院する人がいるので、話を聞くだけでも毎日刺激があって全然退屈しない。そして元々活発な方では無いので外出できなくてもストレスにはならない。むしろ万々歳だ。
近くの図書館で借りてきてもらった宇宙に関する本を閉じ、銀河の表紙を撫でた。ここへ来る以前の生活を思い出しながら考えはじめた。
広大な宇宙に存在する銀河系、別名「天の川銀河」。その中にある無数の星の中の一つで暮らす、三十五億いる内の一つのちっぽけな存在。そのちっぽけな心に住み着いた悩みなんて、宇宙の規模から考えると本当にちっぽけなものだと思えて心が楽になった。本当に一体、何を悩んでいたのだろう。
神を信じていない私が言うのもなんだが、もしかしたら、死んでからこの翼は役に立つかもしれない。天へ昇る時に一瞬で大きくなり、飛べるようになるかもしれない。飛べるものなら、是非一度は飛んでみたいものだ。そうなったら、どこへでも自由に飛んで行ける。
そんなことを思いながら開いた窓から空を見ていた。純白のシフォン生地のカーテンが踊り子のようにひらひらと舞う。
ああ、心地の良い風だなあ。
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