The 6thバトル ~おっさんとキャバ嬢②~

「お前、なんでこんなとこにいるんだ……?」

「私の家だからよ! というかあんたこそなんで……っ、ま、まさか、尾けてきたの!? あんたさすがにお巡りさん呼ぶわよ!? そこまで悪いやつじゃないと思ってたのに……!!」

「待て待て待て、違う! 俺はこの子が酔っ払って、ここが家だっていうから」


 そう酔い潰れてる女の子に親指をさすと、クソガキはその子に駆け寄った。


「お母さん!!」

「…………は?」


 今こいつ、なんて言った?

 ――お、お母さんっ!?

 驚きのあまり思わず目が点になる。


「おいちょっと待てクソガキ、お母さんってなんだ!?」

「お母さんはお母さんだよ。私のお母さん。またこんなに酔っ払って……」

「いやいやいや、無理あるだろ。その子どうやったって19、20歳ぐらいがいいとこじゃねぇか。お前確か小四だっただろ」

「お母さんは25才だもん。若いねってよく言われてるけど」

「に、25!? え、ちょっと待てよ、お前が9歳としていくつのときに……。っていうか25ぉ!?」

「うるさいなぁ!! いいから家の中入ってよ!! お母さん運ぶの手伝って!」


 クソガキの母親だという子の年齢を聞いて、二重で驚いた。

 とてもじゃないけど年相応に見えない。下手すれば高校生と言っても通じる童顔だ。

 確かに、店で飲んでるときも見た目と違って落ち着いた感じの子だったけど、まさか俺と五つ差とはとても思えなかった。

 二つ目は、思ったより歳がいってるとはいえ、小学生の子供がいるという事実だ。

 というか義理とかじゃなくて、本物の親子なのか?


 俺はよく状況に付いていけないながら、クソガキの言われるがままに部屋の中へとその子を運んだ。

 部屋の中は古臭い1DKで、和室には布団がせせこましく敷かれている。

 その子を仰向けに下ろすと、クソガキが心配そうな目で見つめていた。


「大丈夫? お母さん……」

「愛姫……? また、こんな時間まで起きて……、早く、寝なさいって言ってる、でしょ……」


 先ほどまでと違い、クソガキの声に反応したのかその子はうっすら目を開けた。

 しかしやはり限界なのだろう、途切れ途切れながらもそっけなくそう言い残すと、また目を閉じてスゥスゥ寝息を立て始めた。

 それを見て、クソガキがそっと和室の襖を閉じる。


「なぁ、あの子、マジでお前の母親なの……?」

「それがなに? なんか文句あるの? っていうかなんでお母さんと一緒にいたの?」

「いや、たまたま会社の同僚と飲んでたら、その子が店にいてさ。相当酔っ払ってたし、タクシーも一人じゃ乗せてくれないっていうから、俺が送りに来たんだよ」

 

 かつてないほど不機嫌そうに俺のことを睨んでくる。

 その目からはありありと敵意が伝わってきた。

 別に俺は悪くもないのに、思わず言い訳がましく説明してしまう。


「そう」

「あ、あぁ」

「……麦茶」

「え?」

「麦茶しかないけど、飲む?」


 母親を運んだことで汗だくになってる俺の様子を見てか、そんなことを聞いてきた。

 しかしその雰囲気は未だ刺々しい。


「喉渇いたし、もらえるんだったら助かるわ」

「ちょっと待ってて」


 冷蔵庫から出したのは、昔ながらのプラスチック製のポットだった。

 ムッとした顔のままコップに注いで俺に差し出してくる。


「麦茶パックとか懐かしいな」

「なに? 文句あるの? うちが貧乏だって馬鹿にしてるの?」

「別に何も言ってないだろ……」


 どうしたんだこいつ。

 子供の頃思い出して懐かしいって思っただけなのに、なんでそんな悪く捉えるんだ。

 いつも生意気だが、今日は輪にかけてささくれだってやがる。


「どうしたのお前?」

「なにがよ?」

「いや、なんつーか……」


 なんで泣きそうな顔してんの?

 と、その言葉は言わない方がいい気がしたので咄嗟に飲み込んだ。

 刺々しいのに張り詰めてるから、何気ない一言で簡単に割れちまいそうだ。

 

 他に言葉を選んでいると、沈黙が重くなって余計に何も言えなくなっていく。

 エアコンの効いてない部屋は、夜でも蒸し暑くて、外の方がマシだと思えた。


「……ってるんでしょ?」

「え?」

「うそつきって思ってるんでしょ」

「なにがだよ?」

「この前公園で言ったこと! どうせどこにも行けないくせにって思ってるんでしょ!」

「はあ?」


 この前公園でこいつが言ったこと? なんのことだ?


「…………あー、夏休みはいっぱい予定が入ってるから忙しいってやつか?」

「そうよ! こんなんじゃどうせどこも行けないって思ってるんでしょ!!」

「別に思ってねーよ。本当にどうしたんだお前?」


 そう俺が言うと、クソガキはまた黙り込んだ。

 そして何かを我慢するように俯いて顔を歪ませる。

 表情からは、悔しさみたいなものが伝わってきた。


 ただ、公園で勝負してるときのいつもの悔しそうな顔と違って、この顔はあんまり好きじゃねーな。

 よく分からないけど、なんか見ててモヤモヤする。

 一番最初に会って、無神経にからかっちまった時を思い出す。


「……貧乏人って思ってるんでしょ。あんたも前に服が同じだって言ってたじゃない」

「…………」


 その言葉で色々と合点がいった。

 そうか、コンプレックスか。

 確かに俺が子供の頃にもいたな、しょっちゅう服が同じだって馬鹿にされてたやつ。

 ボロアパートに住んでるってのも知られたくなかったんだろうか。

 

「あの服、俺は好きだぞ。お前も気に入ってるって言ってたじゃねぇか。よく似合ってるぞ」

「……」


 俺は本心で言ったが、それが空々しい世辞と受け止めたのか、言葉は帰ってこなかった。

 また沈黙が下りる。

 壁にかかった古ぼけた時計を見ると、時刻は深夜二時を指していた。


「母ちゃん、いつも遅いのか?」

「……」

 

 言葉には出さず、頷くことだけで肯定する。

 見たところ父親はいなそうだし、母子二人で苦労してるのは想像に難くなかった。

 

「だからいつも公園にいたのか」

「別に違う。ただ、この部屋あついから、夕方とかすごく太陽当たるし、外の方が涼しいし」

「じゃあなんで冬も外にいたんだよ」

「それは……」


 単純に寂しかっただけじゃねぇのか。

 ただ、そうだとしても、こいつの性格じゃ言わないだろうし、言えないだろうな。


 誰もいない閉鎖された空間ってのは、世の中と隔絶されてるようで、子供にとっては寂しいもんなんだろう。絶対に誰も来ないと分かってる家ってのは、余計に一人を自覚させられるのかも知れない。

 外なら、公園なら、もしかしたら誰かに会えるかも知れない。そんな希望でも抱いてたんだろうか。


 まぁ、歳食うと一人が気楽で落ち着いたりもするんだが。

 俺が麦茶を飲み干すと、クソガキがチラッとこちらを見た。


「帰るの?」

「あぁ、こんな時間だしな」

「そう」


 ただ、俺にとってそんなことは関係がないことで、どうにかしてやれることでもなかった。

 同情はするけど、何か言っても余計にこいつを惨めにさせちまうだけだろう。

 下手な善意で無責任に何かしようと思えるほど若くもない。

 俺なんかに何かが出来るとも思わない。


「それじゃあな。お前もガキなんだから早く寝ろよ」


 革靴を履いてドアノブに手をかけると、クソガキは俺の後ろで黙って突っ立っていた。 

 その表情は何か言いたげで、寂しいんだか、それともまだ不満があるのか、とにかく歯切れが悪い感じだ。

 普段はあれだけばっさり悪態を付いてくるくせに。


「なんだよ?」


 別に俺は平凡な家庭に生まれたし、こいつの気持ちなんて分からん。

 ただ、なんだろう、愚痴ぐらいは聞いてやらないでもないと思う。

 きっと他の奴には弱音なんて見せないだろうし、そもそも自分の家のことを知られたくないのなら誰にも話せないんだろうしな。

 それに借りの一つでも作っておけば、そのうちパンツぐらい見せてくれるかも知れん。

 

「なんか言いたいことでもあんのか?」

「……ううん。お母さん運んでくれてありがと」


 しかし、その口から出てきたのは、端的な感謝の言葉だった。

 なんだよこいつ。

 またモヤッとする顔しやがって。

 好きじゃねぇんだよ、その何か我慢してるような顔。


「おい、クソガキ」

「なによ」


 締めかけたドアから、少し不機嫌そうな顔を覗かせる。

 俺も面白くない感じで投げ捨てるように言った。


「えーと、確か明後日だったか……。明後日、仕事でいつもの客のとこ回るから公園で時間潰すんだけどよ」

「それがなに?」

「お前がいないから気兼ねなく一服付けそうで清々するわ」

「なにそれ。公園は禁煙って言ってるでしょ」

「別にあの公園誰もいないし、迷惑かけないだろ」

「そういう問題じゃないもん。禁煙って書いてあるんだから」

「じゃあ、そこまで言うんだったらお前が注意しに来いよ」


 そう告げると、クソガキがキョトンとした顔をした。


「な、なんで私がわざわざ……」

「行くのが面倒くさいってか? なんだよ、しょせんいい子ぶりたかっただけか」

「そんなんじゃないもん」

「愛姫ちゃんは真面目なふりして褒められたかっただけでちゅもんねー」

「なんなのよ……」


 いつもと違って食ってかかってはこず、少し疲れたような弱々しい感じで答えた。

 察しの悪いガキだな。


「これ、この前お客さんにもらったんだよ」

「なにそれ?」

「スターボックスってカフェのギフトカード」

「ふ、ふーん?」


 その様子から、行ったことがあるかは知らないが、どうやら店のことを知ってはいるらしい。

 興味の程がありありと伝わってくる。

 本当にこういうとこは年相応にガキっぽいな。


「俺はあんな小洒落たとこに行かねぇから、次の勝負でお前が勝ったらこれくれてやろうと思ってたんだけどな」

「そ、そうなの」

「あぁ。それで、お前明後日来ないの? それだったらこれ、会社の事務のババアにでもやっちま」

「行く!」

「……お前、普段はしっかり者ぶってるくせに、本当に物にはあっさりと釣られるのな」

「そんなんじゃないもん! ただ、放っておくと、あんたが公園でタバコ吸ったり、他の子供に何かしたりしそうだから」

「まぁ、そういうことにしておいてやるよ」


 多少モヤモヤとした感覚が晴れたので、俺はそのまま振り向かずに階段を下りていった。

 ギフトカードを持った手をヒラヒラさせて、「またな」とだけ言い残して。

 古びた扉が閉まる音に紛れて、「……またね」という小さな声が聞こえた気がした。

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