君のためなら、甘いケーキを

草乃

君のためなら、甘いケーキを

 特にこれといったこだわりはないし、個人的に嫌だからと言って恋人が喜んでくれることまで拒否したり意識的に除外したりはしない。

 あくまで無意識に、ではあるが佐久間真咲は右から左端から端までびっしりと色とりどり、様々なケーキが並んでいるスイーツ店に一人で入店することに抵抗がある。

 おそらく、スイーツに目がないだとかパートナーや子どもに買って帰るという人でないとそのハードルは高くなる一方ではないだろうか。

 ただ、無意識の上であるので、恋人同伴なり他に理由があれば踏み入れる。

 結局のところ恋人であるあの子が喜んでくれるならそれがすべて。




 **君のためなら、甘いケーキを**




 誕生日や付き合い始めた日、諸々記念と認識したイベント事は空で言えるほど記憶しているし、もし恋人が忘れていても逆に言えばそれはおいしいシチュエーションとなり得るから当日までは内緒にしている場合が多い。

 佐久間真咲の同棲相手である豊田捺希はそういうものに頓着しない人間だ。

 ケーキなど滅多に購入する人間ではなかった佐久間がデートも含むと月に一度は必ず件の店に足を向けている。

 店での少々不快なもろもろも、恋人という存在があるから目をつむっていられるというもの。

 今日も仕事の帰りがけに店に立ち寄った訳だが、まあ何とも店員と周りの客の目を引きに引いて目立つ事。

 みなさん、顔だけで選ぶなんて良くないと思います。心の中でぼやくが表情は変えない。

 もし目の保養だと視線を送っているのなら、その失礼な視線はテレビや雑誌のアイドルや芸能人に向けて欲しい。

 この辺りは社会人スキルというか他者との関係をあまり悪化させないため、円滑に進めていくために学生の頃から身に着いたものだ。


 真咲の恋人である捺希は二つ年下の後輩で、少々おつむの弱い所があるにも関わらず、この外面に騙されてくれることはなかった。たいていの人がこの営業スマイルと外面だけの言葉にほだされてくれるというのに、捺希は「胡散臭くて怖い」の一言ではねのけた。

 そうやってむしろ怖がられて距離を取られてしまうので意地になって声をかけ続けていたのは真咲の方。

 その内いつの間にか好意を持って追いかけていたのも真咲だった。単に、今まで受けていた反応とは違う反応を返されたから気にかかっただけだったはずなのに、そうして出会う機会を得る度に彼女の姿を一番に探していた。


 今は恋人一筋という事情もあり、今までならさほど気にならなかった視線や応対にも気が向いてしまうようになった。

 早く目につく目印のひとつでも身に付けたいものだと左手の薬指に目がいくが将来を考えつつも、まだもう少しこのままで居たい我侭な欲求もある。

 付き合う前から話しかけてどうにか気を引こうとしている間に互いの事は大体知れた。

 一人の友人に「あいつとどうなんだ?」と問われ「何も?」と答えた時の驚かれようは表現しようがなかった。周囲にはその時点ですでに二人は出来ているとまで噂されていたらしい。当人たちは全く蚊帳の外で、けれど外堀は確かに埋まっている状態だった。

 噂話やそう言ったものには耳が早かったはずなのだが、こと自分の事に関しては全く入ってこなかったのは恋が盲目であるということと関係があるだろうか。



 さっとショーケースを眺めて目についたものを店員に伝える。

 緑色のムースでドームを形作ったものと、苺のタルト、チョコレートと生地の層が何層も重なったチョコレートケーキ。

 ホームページや、口コミサイトをネットであらかじめ検索を掛けていたので、どういったラインナップかは分かっていたし、大体の見当はつけてあるのでそれを頼むだけというものではあるのだが、店員は関連づけて何かを売るのが好きだ。好き、というよりあちらも商売なので仕方はないのだろうけれど、どうにもそれだけではないようで、話しかけられるのが面倒でつい適当に返してしまう。もっともそれでも話しを振ろうとする猛者も中には居るので心底恐ろしい。

 そもそも成人男性が一人でこんな店に入っている時点で、何か思う所はないのだろうか、浮かばないだろうか、と困り顔になりそうになる。男性の店員がいるとそういう心配もないのに。

 スイーツ男子なるもののブームもそろそろ落ち着いてきた頃ではなかろうか。そうして頼むケーキの数は三つ、これはもう、例外はあるとはいえ家族がいると勘違いされてもおかしくない個数のはずだった。

 真澄の購入したケーキの内訳はもちろん、恋人にふたつ、と考えつつもきっと自分用として買ったひとつも恋人に半分くらい上げてしまうのだろう。とまあ、掛けられる声を軽くいなして会計を済ませてようやくあの無意識に忌避する店内から出られる。

 恋人と店に入ろうが多少お構いなしな所がある周囲の反応は、捺希にある懸念を抱かせる。もちろん目の前にスイーツが運ばれて、口も心も満たされている間は問題ないが、注文時から運ばれてくるまでの間が問題だ。何をどう解釈するのか、恋人は周囲に気を遣う。

 もしかして、真咲さんに用事があるのでは……、と。デートに出かけている気分でいっぱいの真咲にとって目の前に座る恋人、豊田捺希のその呟きや悩みは意味不明でとんちんかんである。

 そういう時は、いろいろと捺希の気を逸らすいくつかの技も編み出されてきたので、付き合い始めた頃よりはだいぶマシにはなったほどだ。

 気持ちも伝えあってあれやこれやとやることはやっているにも拘らず、正式に付き合って一年、同棲に至っては半年も行かないが、いまだに拍子抜けすることを平気で言ってくれるのだから堪ったものではない。そんな彼女の抜けたところに、真咲は毒気を抜かれているのだ。


――なっちゃんはそういうの、違う意味で勘違いしてしまうもんねぇ。


 ついつい思いだし笑いをして、はぁ、とため息をつきながら店のシックな雰囲気の紙袋に目をやりつつ、ついにやけてしまう。真咲は捺希の好みも分っているが、どうせなら、と捺希では選ばないようなものを購入する。

 捺希が一番にどれを選ぶか、真咲自身こっそりと賭けていて正解していたらケーキを食べ終えた後のプランが決まる。甘やかしたいし甘えたい。

 店を出ると途端に空気は澄んで胸にスッと入りこみ、心は軽くなる。スキップでもして帰りたいくらいだがそんなことは人目のある街中で、羞恥心を持ち合わせた成人男性が出来るわけもないので気持ちばかりの早歩き。

 今日はあしらうのも面倒で、ついでにケースの側にあるテーブルの焼き菓子も一緒に購入した。透明の袋にリボンをつけてもらったそれは、ケーキの箱の上から空を眺めている。型抜きされたクッキーにアイシングで、ひよことうさぎが描かれているのだがこれは真咲にもカワイイと思えたし、捺希も気に入ってくれるのではという期待が膨らむ。



 そういえば、と思い出す。自慢のかわいい恋人は、今日の昼間にこんなメッセージを送ってきた。


―――まさきさん! きいてください! たねです


 昼間っから何の話ですか、とすぐに浮かんだひわいな妄想はシャットアウトした。

 隣に居たらきっと声に出していただろうし、冷え切った目で見つめられるという何とも辛い状況に陥るだろう事は想像に容易い。

 何の種だかわからずに添付された画像にすぐさま目を移したけれど、ラップで蓋をしたボウルに薄黄味がかった塊が写っているだけだった。背景はテーブルに敷いているクロスの小花の模様。植物の種というものでもないらしい。強いて言うなら、食べ物。ピザの生地なんかはよくこんな形になっている気もするが、捺希ならうどんを作ると言いだしても驚きはしない。


――何の?

―――パンです!

――ああ! 捏ねたの?

―――こねました、いまからねかせてはっこうです

――今日はひらがなが多いね

―――いまひまなので

――待ち時間かぁ。何パンつくる?

―――くりーむぱん?

――クリームパン? どうしてハテナ?

―――じゃむもおいしいですよね

――そういう……賽の目のチーズ入れるのもいいと思うよ

―――はぁぁぁあああ!!!! まさきさんあたまいい!

――とうぜん

―――けど、もうかいものいかないのできゃっかです。ろーるぱんてきななにかになります

――予選落ち!

―――こんばんもはやくかえれそうですか?

――今日は早く帰ります。残業しないよ


 とても喜んでいることが分かる顔文字だけが表示される。口の両端が上がるのを必死に堪えつつ、でも頬が感覚的に上がっている。画面をみてニヤつくなど外でしていいものではないが、許せよ今は昼休み。こういう事もあって真咲は、昼食後一服に出かける面々と外へ向かいつつも途中で別れて一人で過ごすことが多い。


―――こんばん、しちゅーですから!

――なっちゃんのシチュー、野菜が大きくて食べてる気がするから好きだよ

―――このあいだにんじんはもうすこしちいさくといったのはだれですか

――おれだ……

―――もうすこしできゅうけい、おわりですよね。ごごもがんばってください!


 この間ずっとひらがなでの対応だった訳だが、何となくその辺りも可愛らしく思えるので揚げ足を取られた件は無かったことにして、すぐさま送信された画像をみる。さっきの画像と比較してどうだろうか、あまり変化はみられないように感じるが、捺希が中継のつもりで送ってくれているのならそれはそれで楽しい。


――短時間じゃ変化は少ないでしょ? じゃあ、午後もがんばります。なっちゃんもパンばっかり見てないでね


 全くもって、今日がどういった日であるという話はしない。

 職場で聞いた噂話だったり、捺希がテレビで見たとか誰かに聞いた話だったり、そういうことで時間が埋まっていく。

 そんな些細な積み重ねで満たされていくことが、幸せだと思える。




 そんな回想をしながら順調に捺希が待つ家に急ぐ。

 手にさげたケーキは保冷剤を入れてもらえているから大丈夫だろうけれど、帰ればぱっと花が咲くような笑顔が待っていてくれるのだと思うと無意識に足は速くなる。


 今はもう同棲状態であるがそれは単なる状況だけであるから、一応同居という形で周囲には話している。見栄は張りたいが、まだまだ不甲斐ないこの身では頼ってもらうほどの地盤は安定とは言えない。

 一応お互いの両親には合っているが、それはまだ正式に結婚を申し込むといったものからではなく、単純に付き合っている者同士お互いの家に遊びに行った延長でのことだ。

 まあこの先どうなるかわからないしな、と半分当てつけて言うのは高校時代からの友人で、わからないわけがないと返しながらもほんの少し不安を抱くこともある。

 当然、この先ずっと続けばいいと思うし、続けて行けるように努力していこう、しているつもりだ。

 捺希に、その気があるのは確認済みであとはその時期が来た時に心変わりしていないか、という問題だけなのだ。こんなことを不安に思うのもおかしな話だと思う。年食ったのかなと言えば、おまえ一人だけ老けてろ、とも言われる始末。

 丁度店を出た辺りで、帰り道かという連絡があり寄り道をしていたこととおおよその帰宅時間を伝えていたから、きっと今日は。

 思って前後左右の確認をしてからマンションの前で立ち止まり、キレイに並んだベランダを見上げる。目が合い気付いた様子の捺希がぶんぶんと手を振りながら、叫んでいる。


「おーかえーりーなさーい」


 近所迷惑だし恥ずかしいし、こういうのは夫婦になってからやるもんだ。周囲に気遣いつつも、よく通る声。

 以前恥かしさに耐え切れず、けれど冗談めかして伝えた。もちろん、三階という高さのベランダから上体を前のめりに出しているので大変危険な行為であるということも含めて。


「迷惑は迷惑ですね、確かに危険だし。ちょっと考えます。恥ずかしいのも分りました。結婚するかはまだ真咲さんの中では保留中、これも分りました。でも、どうせ夫婦になるなら今からやっててもおかしくないですよね。それに、見つけたら早く声かけたいじゃないですか、胸の辺りがほわってして、むずむずするんだもん」


 照れながらも言い切る姿は愛らしくて、カッコよかった。惚れ直したといってもいい。それ以来恥ずかしいだのなんだのは言わなくなったが、捺希は月に一度くらいの間隔で、こうしてベランダで恋人である真咲の事を出迎えてくれる。

 ケーキを購入した後も、捺希の事を考えては頬を緩めていたが、本物を視界に入れるとやっぱりちがう。

 以前彼女が言ってくれたように、心の奥の方からぽかぽかと温かい気持ちが溢れてその熱に表情は緩む。


「帰ったよ」


 周囲は取り計らったように静まって、小さな声でも届いたようだった。手を振り返してエントランスへと歩く。捺希は真咲の姿が見えなくなるまでずっとベランダから覗いて、影も姿も消えると部屋の中に入り、玄関の施錠を外しに向かう。

 真咲はほとんどの場合、帰宅時は設置されているエレベーターを使う。もちろん階段を使うこともあるが、エレベーターの待ち時間か早く捺希に会いたいかを天秤に掛けることが多い。

 今日は姿もみて、気分が高揚している。

 本来ならばエレベーターで上がりたい側の理由にケーキが盛り込まれるのだが、エレベーターの表示を見ると今しがた上階へ向かったらしい。ここで、待っているよりも早く会いたいという気持ちが勝ってしまって階段へ足を向ける。

 なるべく大きな振動は与えないよう考えながら、それでも一段飛ばしで駆けあがって廊下は走らない。

 ドアの前に着くと呼吸を整えた。たまに確認してしまう手書きの表札。捺希が一緒に住むようになった時に改めて真咲の分まで書いてくれた可愛い字が並んでいる。


「あれ、なっちゃん、苗字は?」

「今すぐじゃなくていいです、いつかでいいから。同じ苗字にしてくれますか?」


 やだなあもう、回想して一人で照れていると、カチャリとドアが内側から開いた。心配そうな捺希がそろりと顔を覗かせる。

 遅いからどうしたのかと思って、と真咲の顔を見上げる。

 微笑んで「なっちゃんのこと考えてた」といって中に入る。まんざらでもなさそうに、でも恥ずかしそうに、もうっ、と口先だけで拗ねる。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 捺希がサンダルを脱いであがり振り返った。向かい合って、微笑みあうとクスクスと笑いが零れた。


「シチューのいい匂い、と、香ばしいのは」

「パンもありますからね」

「ああ、そのため」

「そのためですよ? それ以外に何か?」

「おやつかなって。いっつもご飯、ご飯、言う人に言われたくはないです」

「そんなに炭水化物中毒みたいに言うのやめてください。ご飯おいしいじゃないですか……って、あれ、それ何ですか?」


 提げていた紙袋に気付いた捺希が首を傾げながら覗き込む。

 ひよことうさぎのクッキーに嬉しそうに顔色を変えているところを見ると、合わせて購入して良かったと思える。差し出して、箱の中はケーキだよ、というとパッと表情が明るくなるのもつかの間、今日何の記念日ですか!? とすぐに返してくるあたり、捺希は理由が分からずともこういうところにすぐハッとする。


「えーと、初めてなっちゃんがクッキーくれた日だよ」


 そんなの憶えてるんですか? 怪しいものでも見るように捺希が真咲を見ながら紙袋を受け取る。真咲はしれっと冗談で答えながら革靴を脱いであがり、痛い視線を感じながら洗面所に向かう。

 手洗いうがいは捺希が来てから習慣になった。食事の前にスーツから部屋着に着替えるのも。以前ならどうせなら風呂の時でいいや、となっていたものだけれど。


「なっちゃん、ケーキが食べられるんだからそんな顔はしないでください」

「真咲さんはたまに変! お祝いするのは正月と誕生日とクリスマスくらいでいいんですよ」

「真ん中バースデーも」

「真ん中……それ要りますか? 真咲さんが言うならいいですけど……。あ、でも、ケーキは嬉しいです、ありがとうございます!」


 けどふとっちゃうなぁ、と悩ましげながらはしゃいだ声が冷蔵庫に向かう。ケーキはもう少しお預けだなあと口惜しげに言いながら箱を空けたスペースに入れて扉を閉める。先に夕飯食べますか、聞かれてうんと答える。

 夕食ももちろん普通に食べていたはずだけれど、捺希はデザートとしてケーキを二個と半分、ぺろりと平らげた。

 クッキーは今日のところは置いておくのだとテーブルに小皿を出してその上に個装の袋のまま置いてある。食べるのがもったいない、とにこにこしながらクッキーを眺める捺希を、頬杖をついた姿勢で向かい側に座った真咲は幸せな気持ちで眺めていた。

 もちろん、ケーキを頬張っている捺希はとても嬉しそうな表情だったので、真咲のなんでもない日の甘やかしは成功を収めている。

 胸の内でほくそ笑みながら、捺希が手を付けた順番が予想通りであったことを思い返し、ねえ、と甘えた声で捺希を呼んだ。





 特にこれといったこだわりはないし、個人的に嫌だからと言って恋人が喜んでくれることまで拒否したり意識的に除外したりはしない。

 だから理由があればスイーツ店に足を踏み入れることくらいお安い御用というものだ。

 だってこれは君のためであって、君のため、だけじゃない。


 巡り巡って、自分が楽しむための、甘いあまい、ケーキなのだから。

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