神童の日常

聖句ミステリオンコード! 火炎弾ファイアーボール!!」


 少年が右手を前へと突き出した状態で術式を詠唱する。

 その瞬間、右手の先に握り拳程度の大きさの炎の塊が生成された。


 そして詠唱が終わると同時に、炎の塊は前方に向かって射出される。それは弓から放たれた矢のようであった。


 射出された炎の塊は、一直線にその先に設置されていた的に命中して的を焼き尽くした。


 その様を見ていた聖職者の白い装束を身に纏った老人は感嘆の声を漏らす。

「ほお。その歳で火炎弾ファイアーボールをここまで使いこなすとは大したものじゃ。流石は村始まって以来の神童じゃな」


「ありがとうございます、クレオ司祭」


 そう言って無邪気に喜ぶ少年は、まるで少女のように可愛らしい美貌を持つ金髪碧眼の子だった。

 男の子にしては長めの髪を後ろの高い位置で縛ってポニーテールにしているその姿は誰が見ても女の子だろう。

 彼の名はテセウス。今年で十一歳になる聖霊術師見習せいれいじゅつしみならいである。


 海に面した漁村であるトルジナ村に生まれたテセウスは漁師の息子だった。

 なので行く行くは漁師になるのだろうと両親はおろか本人ですら思っていた。

 しかし、六歳になったばかりの頃に村の教会でクレオ司祭に並外れた聖力せいりょくを持つ事から聖霊術師見習いに抜擢されたのだ。


 クレオ司祭の下で、聖霊術の修行を積んでいずれは聖霊術師になると目されている。


 聖霊術師は、天地を創造した聖王神ゼルスが人間に与えた聖なる力、聖霊術を駆使して、魔物といった脅威から人々を守る戦士のような存在だった。


 五百年前の古代大戦で魔導騎士団エグリゴルの騎士達が使い魔として使役していた魔物達の生き残りが、山奥などの人里離れた場所で野生化して繁殖し、今や人々の生活を脅かす存在となっている。


 とはいえ、いくら将来有望な子と言えども毎日、一日中修行というわけにもいかない。

 トルジナ村はそれほど裕福な村ではないのだ。


 働けるのであれば子供でも働かねばならない。

 十歳までは教会の学校で読み書きや計算、村の規則など生きる上で必要な基礎を学び、十歳になると子供は皆が親の下で家業の手伝いをしながら仕事を学んでいく事になる。


 テセウスも日によっては父の手伝いで漁に出たり、教会で薪割りをしたり、司祭の手伝いをしたりしている。


 ただし、今日は違う。

 修行も労働も午前で終わり、午後は友達と浜辺で遊ぶ約束をしていた。

 たまには羽を伸ばして来いというクレオ司祭の粋な計らいだった。


「遅いぞ、テセウス!」


 テセウスと同い年の少年マルコが抗議の声を上げる。

 テセウス以外の子供達は、今日は安息日だったので、午前中から村外れの入り江に集まって遊んでいたのだ。

 十人の子供達が衣服を身に付けたまま海に入って泳いだり、海水を掛け合ったりして楽しそうに遊んでいる。


「ごめんごめん!」


 テセウスも年相応の子供らしく、早く一緒に遊びたい衝動に身を任せて海に飛び込む。

 それからテセウスは修行の事も労働の事も忘れて、思いっ切り楽しんだ。



 ◆◇◆◇◆



「ねえ、テセウス! テセウスは将来、修道騎士しゅうどうきしになるの!?」

 テセウスの幼馴染の女の子がそんな質問をし出した。

 彼女の名はカガリ。テセウスが働く教会で、司祭見習いとしてクレオ司祭の下で日々学んでいる少女である。


「え? しゅ、修道騎士!? まさか僕が修道騎士になるなんて無理だよ!」


“修道騎士”

 それは聖王教会の最高戦力であり、法と秩序の番人。

 所属する騎士は一人一人が一騎当千の強者つわもの揃いで、聖王教会の最高司祭の御業により永遠の命と聖遺物が下賜されるという。

 修道騎士団を纏める団長に至っては、五百年前の古代大戦にも参加した最強の戦士アキレスともはや神話級の英雄と伝えられている。


 そんな大英雄が属している修道騎士になるなど、田舎の漁村の子であるテセウスには、いくら聖霊術の天才ともてはやされても夢のまた夢の話にしか思えなかった。


「でも、テセウスって聖霊術がすごく得意でしょ。その才能をこの村の中で終わりにしちゃうなんて勿体無いわよ!」


「い、良いんだよ。僕はこの村が好きだから」


 テセウスはその才能とは裏腹に、控え目で素直な性格だった。

 その姿を村人の多くは好意的に捉えているが、中には当然その性格が災いしてせっかくの才能を潰してしまっていると嘆く者もいた。

 カガリもその一人である。


「もう! テセウスは欲が無いわね。じゃあ、何のために毎日、あんなに頑張って聖霊術の勉強をしてるの?」


「え? そ、そりゃ、村の皆の役に立ちたいから、だよ」

 顔を真っ赤にして下を向くテセウス。


 実を言うと、テセウスはカガリに密かに恋意を抱いていた。

 しかし、控え目な性格のテセウスに思いを告げる勇気があるはずもなく、せめて好きな人の前ではカッコよく見られたいという思いから、クレオ司祭の厳しい修練にもめげずに頑張ってきたのだ。


「テセウスは真面目過ぎるわ。そんなんじゃあ将来、クレオ司祭みたいに禿ちゃうわよ!」


 幸か不幸か。テセウスの心中をカガリはまったく知らずにいた。

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