一人の人間を十秒間だけ過去に戻せる少女

滝田タイシン

一人の人間を過去に十秒間だけ戻せる少女

「ああ! 本当に戻った!」


 突然目の前に現れた若い女は、驚いた表情でそう言った。


 高二の夏休みの午後、私、坂巻真衣(さかまきまい)は親友の藤堂美紀(とうどうみき)と、シネコンに映画を観に来ていた。映画を観終わってホールに出たら、突然目の前に若い女が現れたのだ。凄く見慣れている感じはあるのだが、私は一瞬、すっとんきょうな声を上げて現れた、若い女が誰だか分からなかった。


「マイチン!」


 美紀がその女を見ながら私のあだ名を呼んだ瞬間、ようやく私にも誰だか分かった。


 目の前に現れた若い女は私だったのだ。


 誰だか分かって、私の心に浮かんだのは、驚きでも疑問でもなく失望。もっとイケてると思ってたのに、客観的に見た私はそんなでもなかったのだ。


「あ、あのね、何があっても絶対に男に付いて行ったら駄目よ! それから……」


 目の前の私は慌てた様子で話し出すと、言葉の途中でかき消えてしまった。


 私は何が起きたか分からず、私が消えた場所をただぼうっと見ていた。周りには映画を観に来た人も多かったが、一瞬の出来事だったので大して気にする人もおらず、騒ぎにはなってはいない。


 美紀を見ると、黙ったまま何かを考えこんでいる。彼女は黒髪ロングの清楚系美人で、黙っていればかなりモテるタイプだと思う。だのになぜか、クラスでは私と同じギャグ要員となっていて、せっかくの美形を台無しにしている。


「今の、私だったよね?」


 美紀にそう聞くと、黙って頷いた。


「私、あんな感じなの?」

「えっ?」


 美紀は私が突然目の前に現れたことにはあまり驚いて無かったのに、私の言葉には驚いたようだ。


「いや、胸が無いのは分かってたけど、あんなに色気無かったのかなって」


 美紀は一瞬「へっ?」って顔をした後に、思いっ切り吹き出して大笑いする。


「何をいまさら言ってんのよ! 良いじゃん、マイチンはロリ系ドジっ子キャラで売ってるんだから! ってか、聞くことそこ?」


 確かに突然自分が現れたのには驚くけど、自分の姿を客観的に見せられると結構ショックなんだよ!


「まあ、良いわ。ちょっと落ち着いたところで話そう」


 美紀はそう言うと、先だって歩き出した。


 映画館は大型商業施設に併設されている。私達は商業施設内のフードコートでドリンクを買い、周りに人が少ない席に座った。夏休みとあって人は多いが、時間が夕方なのが幸いして席は空いていたのだ。


「あの消えちゃった私は何だったんだろうね。よく考えると怖いよ」


 フードコートに着くまで、無言で真剣な表情を浮かべている美紀を見ていて、私も少しさっきの出来事を真面目に考えた。でも考えれば考えるほどあり得ない出来事で怖くなってきたのだ。


「そう、それが普通の反応なのよ。でも、落ち着いて。私にはなぜマイチンが目の前に現れたのか分かっているの」

「ええっ、ホント? どうして?」


 美紀は普段とは違い、真剣な表情を浮かべている。ホント、こうしてみると惚れ惚れするぐらいの美人だ。


「絶対に誰にも言わないって約束できる?」


 美紀は私に顔を近づけて小声になる。冗談を言ってる顔ではない、本気で言ってるのか。


「うん、約束する」


 私も真剣な顔で頷いた。


「あのね、私は私以外の人間を十秒間だけ過去に送ることが出来るの」

「へぇ?」


 私は美紀の言葉の意味が理解出来ずに、変な声が出た。


「もう一度言うわね。私は私以外の人間を十秒間だけ過去に送ることが出来るの」


 美紀は私の反応には構わず、もう一度繰り返した。


「なにそれ? 漫画の登場人物の特殊スキルじゃん?」

「信じられないのは分かるけど、今はとにかく信じて。どうしてこの能力に気付いたかとかの説明は全て落ち着いたら話すから」


 私は美紀の真剣な表情に圧され、無言で頷いた。


「この能力にはいろいろ制約があって、まず送れるのは他人だけ。一つの時間と場所には一人しか送れないの。ここまで大丈夫?」

「う、うん、なんとなく」

「ここからは重要ね。送れるのは一人に付き一回だけ。一度過去に送った人は、少なくとも三年、もしかしたらもう一生送ることが出来ないかも知れないの。そして送れるのは、私とその本人が同時に居る場所だけ。

 それに過去と言っても送れるのは二十四時間以内。それ以上前には送れないの。マイチンの服装も今日と同じだったでしょ? これから今日中に、どこかのタイミングで私が送ったのよ」

「ちょ、ちょっと待ってね。情報量多すぎて処理しきれないから少し考えさせて」


 確かに現れた私は今と同じ服を着ていた。現れたのは私と美紀の目の前だから、条件に合っている……。


「あっ!」


 私は重要なことを思い出した。


「どうしたの?」

「この前学校に行く途中で、私が話に夢中になって溝に嵌まってしまった時!」

「ああ、あれね。あれは笑わせて貰ったなあ。マイチンずっこけて、スカート捲れちゃってパンツ丸見えになっちゃったやつ。ホント、今思い出してもウケる」


 美紀は急にいつもの調子になって、思い出し笑いする。


「よりによって、古川君にまで見られたんだよ。もうあれから恥ずかしくて話も出来ないんだから!」

「良いじゃない。古川君も可愛かったって言ってたよ」

「冗談じゃないわよ。あの時、私を過去に送ってくれれば良かったじゃないの」

「ああ、そうか……でも一回しか使えないんだから、本当にピンチの時じゃないと」

「私にとっては一生で一回あるかないかのピンチだよ!」


 私は本気で怒った。


「ごめん、謝るから許してよ。それより、今回マイチンを過去に送ったということは、あれ以上のピンチが訪れるんだよ」


 確かにそう言われるとその通りだ。一体何が起こって、私が過去に送られたんだろう?


「そうね……何か大変なことが起こるのかな?」

「ヒントはあの時のマイチンの言葉よ。『何があっても絶対に男に付いて行ったら駄目よ!』って言ってたわ」

「凄い、よく憶えてるね。一瞬だったから忘れてたわ」

「私はずっとこの日の為にシミュレーションしてたからね」

「でも、男に付いて行くな、か……ナンパでもされるのかな? そもそも普段からナンパされても付いて行かないよね」


 美紀と一緒に居ると、たまにナンパされることがあるが、付いて行ったことなど無い。だって私達にはそれぞれ片想いしている人がいるから。


「だからさ、普段と同じと考えちゃ駄目。今までにないような、超絶イケメンが来るかも知れないけど、それでも付いて行っちゃ駄目なんだよ」

「今まで見たこと無いような超絶イケメン! それなら付いて行くかも……」

「駄目よ! 本当にとんでもないピンチになるかも知れないんだから」


 美紀はそう言うけど、イマイチピンと来ない。


「あれ? 坂巻と藤堂! ここで何してんの?」


 急に声を掛けられたのでそちらの方を見ると、私と美紀がそれぞれ片思いしている古川君と玉井君が、ドリンクと買い物を入れた袋を持って立っていた。声を掛けてくれたのは古川君だ。


 古川君と玉井君はどちらもバスケ部のレギュラー。私達と同じ二年C組のクラスメイトで、学年でもトップクラスの人気者である。私が片思いしている古川君は、ガッチリとした体型のいかにもスポーツやってますって感じの男子。性格も温厚で、誰にでも優しいの。美紀が好きな玉井君は、背が高くスラッとしたモデル体型で、クールな美形男子である。


「玉井君! こんなところで偶然ね! どうしたの?」


 美紀ちゃんさ、目がハートマークになって、声が裏返っているよ。ホント、普通にしてたら玉井君の横に並んでも遜色ないのに、性格で損してるよね。


「俺達、バッシュ買いに来たんだよ。喉が渇いたんでここに来たんだけど、この後カラオケに行こうかって話をしててさ、ちょうど良いタイミングで会ったから、坂巻と藤堂も暇なら一緒に行かないか?」


 一緒にってことは、古川君とカラオケに行けるの!


 古川君にそう言われ、私のテンションはマックスに跳ね上がったが、すぐに先ほどの美紀の言葉を思い出して急降下する。


 男に付いて行くなって言われたんだから、駄目よね。あーあ、ホントタイミングが悪い。


「ええっ! 行く行く! マイチンと暇だなって話してたのよ! 私達もカラオケ行くわ!」


 ちょ、美紀! さっきの超絶イケメンでも付いて行っちゃ駄目って言ってたあんたはどこ行ったのよ!


「美紀、男に付いて行っちゃ駄目って言ってたでしょ」


 私は美紀の耳元に顔を近づけ、小声で話す。


「男って言い方してたから、当然知らない男でしょ。玉井君たちならちゃんと名前で言う筈よ」

「でも時間が短かったからかも知れないじゃない」

「でも、マイチンは古川君とカラオケ行きたくないの? こんなチャンス二度と無いかもよ」

「そうかも知れないけど……」


 そう言われると、私もこのチャンスを逃すのが惜しくなる。


「おケツに入らずんば虎子を得ずよ!」

「それを言うなら、虎穴に入らずんば虎子を得ずでしょ!」

「都合悪かったかな」


 古川君が遠慮しがちに訊ねてくる。


「いや、全然大丈夫よ!」


 私と美紀は声を揃えて返事をした。



 私達四人は商業施設を出て、駅前にあるカラオケ屋に歩いて向かった。部屋が空いていたのですぐに入れてラッキー。私達は二階の指定された部屋に入り、順番に曲を入れて歌い出した。


 こんな楽しいカラオケは初めてだ。古川君も玉井君も凄く歌が上手いし、ノリも良い。流行りの歌では四人一緒に大きな声で歌ったり、古川君からリクエストされた曲を歌って好評だったり、美紀も玉井君と一緒に歌って楽しそうだ。


 まるでダブルデートしているようで、私は幸せな気分に浸っていた。


 そんな中、途中でトイレに行って出てくると、美紀が暗い顔でドアの外で待っていた。


「美紀もトイレに行くの?」

「いや、急に『男に付いて行っちゃ駄目』ってこと思い出して」


 そう言われて、私も思い出した。まだあの件は解決していないのだ。


「もしかして、古川君たちとカラオケに来たから、他の男と会わなくなり、世界線が変わったのかもよ」

「そうか、そうかも知れないね」


 私が急に思い付いた適当な理屈を聞いて、美紀の表情が明るくなる。


「きっとそうよ。もう忘れて楽しもう」


 私も今の楽しい雰囲気を壊したくないので、忘れて楽しもうと思った。


「あれ? 二人ともまだ戻らないの?」


 古川君がジュース片手に階段を上って来た。


「ううん、すぐに戻るよ」


 美紀がそう返事をした瞬間、私達三人の目の前に、一人の男が現れた。


「うわ、本当に来たよ!」

「古川君!」


 私は目の前に現れた男の名前を呼んだ。その人は、今横でジュースを持って立っている人と全く同じ、古川君だった。


「今すぐに逃げろ! 店を出たら二手に別れて逃げるんだ!」


 目の前に現れた古川君は、それだけを叫ぶとかき消えてしまった。


「今の、もしかして俺か? どうして? 何が起こったんだ?」


 理由の分からない古川君はパニックになっている。


「マイチン!」

「うん!」


 私と美紀は目を合わせて頷いた。


「古川君、今すぐ逃げるのよ! 玉井君も呼ばなくちゃ!」

「ええっ、逃げるって誰から?」

「説明は後でするから、今すぐよ!」


 美紀に促され、古川君も動き出す。私達は部屋に戻り、玉井君も連れてカウンターへ急いだ。


「えっ? 何かあったの?」


 玉井君は訳が分からず、階段を降りる途中で私達に説明を求める。


「俺が出てきて、逃げろって言ったんだよ!」

「なんだよそれ、余計に意味が分からん」

「俺だって分かんねえよ」


 事情が分からない男子二人が頓珍漢な会話をしている間に、美紀が会計を済ませてくれた。


「さあ、逃げよう!」


 美紀の言葉で私達は慌てて店を出る。


「逃げるって、どこに逃げるんだ?」


 玉井君が、誰にともなく訊ねる。


「二手に別れるのよ」


 私は現れた古川君の言葉を思い出し、答えにならない返答をした。


「俺が坂巻を連れて逃げるから、お前は藤堂を連れて逃げろ!」


 古川君が私の手を握り、玉井君に指示する。古川君が私を選んでくれて、しかも手まで握ってくれたことで、私は今起こっている緊急事態も忘れて舞い上がった。


「分かった! じゃあ、藤堂、俺と逃げよう!」


 玉井君も美紀の手を握る。


「は、はい、喜んで!」


 美紀ってば、また声が裏返ってるよ。


「じゃあ、落ち着いたらラインするから」


 古川君は玉井君にそう告げると、私の手を引き走り出した。その後姿はカッコ良く頼もしい。ますます古川君に惹かれてしまう。


 人の多い駅前を小走りに逃げる、古川君と私。前を行く古川君が避けた人に気付くのが遅れ、私は正面から男の人と衝突し尻餅を着いてしまった。


「すみません!」


 私は尻餅を着いたまま、男の人に謝る。


「ああっ?」


 上から睨みつけてくる男の人を改めて見ると、どうみても堅気の人には見えない風貌をしている。


「すみません、慌ててたもので」


 古川君が私の手を引いて立たせてくれながら、男の人に謝ってくれた。


「本当にすみません」


 私も立ち上がってから、もう一度頭を下げた。男の人はチッと舌打ちしたが、それ以上何も言っては来ない。


「すみませんでした」


 古川君がもう一度頭を下げてくれて、また私の手を引き歩き出す。


「おい、ちょっと待ちいな!」


 少し歩いたところで、後ろからドスの効いた関西弁の声が掛かる。きっと先ほどの男の人だ。


「逃げよう!」


 古川君が私の手を引き、スピードを上げる。私も必死に付いて行く。


 駅前の繁華街を抜け、男の人が追い駆けて来ないのを確認して、私達は小走りのスピードを落とした。


「痛っ」


 安心した途端に、右足首に痛みが足る。さっき男の人と衝突した時に痛めたのだろう。逃げている時には必死で気付かなかったのだ。


「大丈夫?」

「うん、なんとか歩けると思う」


 足を引きずりながらなら歩けそうだった。


「その先の公園で玉井たちと待ち合わせしよう。ラインしておくよ」


 そう言って、古川君はスマホを手に取った。カラオケ屋があったのは高校の最寄り駅で、この付近は通学路になる。この先の公園なら玉井君たちと待ち合わせるのに都合が良い。


「あっ」


 私も美紀にラインしようとして、後ろのポケットに入れていたスマホが無くなっているのに気付いた。


「スマホが無い」

「ええっ、さっき落としたのかな?」

「どうしよう……」

「今、足も怪我しているし、戻るのは危ないよ。二人と合流したら、玉井と俺とで探しに行くから」

「でも悪いよ……」

「大丈夫だって」


 こんな心細い状況で、古川君の言葉は本当に頼もしくて嬉しかった。


「さあ、公園までおんぶしてやるよ」

「ええっ、悪いから良いよ」

「遠慮するなって、無理して酷くなったら困るだろ」

「ありがとう」


 歩けないことは無いけども、古川君の好意に、素直に甘えたくなった。


「そう言えば、俺が急に出てきたこと、何か知ってるのなら教えてよ」

「うん……」


 私は映画館から出てきて、自分が突然現れたことや、美紀の能力のことも全て古川君に話した。


「そんなことがあるんだな。でも、俺も目の前に自分が現れたんだから信じるよ」

「ごめんね。こんなことに巻き込んじゃって」


 私は迷惑の掛けっぱなしで、本当に申し訳なくなった。


「いや、全然迷惑じゃないし、大丈夫だよ。カラオケも楽しかったし、坂巻とこうして一緒に居られるのが嬉しいし」

「えっ?」


 古川君の意外な言葉に驚いた。


「こんなタイミングで言うのもなんだけど、前から坂巻のこと好きだったんだよ」

「ええっ!!」


 これは心底驚いた。まさか両想いだったなんて、幸せ過ぎる。


「ごめん、急に告白なんかして迷惑だったかな」


 私は古川君の前に回した腕にギュッと力を込めて、強く抱き締めた。


「ううん、私もずっと前から古川君のことを好きだったから」


 凄く恥ずかしかったけど、私は古川君の耳元で囁いた。


「ホントに! めっちゃ嬉しい。ホントに嬉しいよ!」


 古川君は私の太ももを支えている手に力を込めて、飛び跳ねんばかりに喜んだ。


 私達は幸せな気持ちで公園にたどり着いた。そこは遊具も無く、緑地目的で作られたような小さな公園だ。今は誰も居らず、私達は手を繋いでベンチに座り、美紀たちが来るのを待った。


 公園に着いてから、古川君が玉井君にラインをしたが、今向かうと返事が来たっきりなかなか現れない。でも、私達は全然気にならなかった。むしろ、この幸せな時間がずっと続けば良いと思っていた。


「お待たせ!」


 しばらくして、美紀が笑顔を浮かべて玉井君と一緒に現れた。


「えらく遅かったな」

「マイチンのスマホを取りに行ってたのよ」

「ええっ? 私のスマホ?」


 そう言えば、幸せに浸っていてすっかり忘れてた。


「私が電話したら、マイチンがぶつかった男の人が出てくれたのよ。ホント親切な人で良かったわ」

「ええっ、ホントに? 逃げちゃって悪いことしたな」


 私を引き留めたのは、スマホを拾ったからなのか。本当に酷いことをしてしまった。


「私が謝っておいたから大丈夫よ」

「ありがとう、美紀。本当に迷惑掛けたね」


 美紀の笑顔を見て、私は安心した。頼りになる親友だ。


「それより、二人に報告があるの。私と玉井君が付き合うことになったから」

「ええっ! ホント! 良かったね、美紀!」


 美紀の笑顔の意味が分かった。本当に幸せそうで、私まで嬉しくなる。


「そうか、玉井もとうとう告ったのか」

「まあ、一緒に逃げてて、いろいろ今日の出来事を聞いてたりしたら、なんか雰囲気がそうなってさ……」


 クールな玉井君には珍しく照れているのが可愛い。


「それよりも、マイチン達も私達に報告があるんじゃないの? その繋いだ手の理由を教えてちょうだいよ」


 美紀がからかい半分に聞いてくる。


「実は俺達も両想いだったんだ。付き合うってことで良いのかな?」


 古川君が、照れながら同意を求めてくる。


「うん、付き合って欲しい」


 もう、顔から火が出るくらい熱くなっているのが、自分でも分かる。恥ずかしいんだけど、言ってみたい。恥ずかしいのが凄く心地よかった。


「さあ、幸せな報告を済ませたらやることやってしまおうか」

「やることって?」


 美紀の言葉の意味が分からず、私は訊ねた。


「私、マイチンがカラオケ屋で言ってたこと考えてみたの」


 私は何を言ったっけ?


「もしマイチンが映画館の前に現れなかったら、私達は知らない男に連れていかれて、本当に酷い目に遭ったかも知れない。あの後フードコートに行ったからこそ、こんなに幸せになれたんだよ。だから、他の世界線の私達も幸せにしてあげないとね」


 そうか、ほんのちょっとの違いで、今の幸せが不幸になっていた可能性はある。今度は別の世界線の私達も幸せにしてあげないと駄目だよね。


「だから、マイチンを映画館の前に送る。心の準備は良い?」


 美紀が私の前に立ち、肩に手を置いて訊ねる。


「どうしよう、緊張するな」

「大丈夫、マイチンはいつもの通りやれば、慌てた感じになるから」


 普段、美紀は私をそんな風に見てたのね。


「じゃあ、行くよ」


 美紀の声と共に、目の前が真っ暗になり、瞬間的にまた明るくなる。明るくなった目の前には、映画館から出てきた、美紀と私が居る。


「ああ! 本当に戻った!」


 これは思わずアドリブで思わず出た言葉だったが、たぶん正解だったと思う。


「マイチン!」


 私は驚いてフリーズしているが、美紀は冷静に私のあだ名を呼んだ。


「あ、あのね、何があっても絶対に男に付いて行ったら駄目よ! それから……」


 十秒しかない焦りから、覚えた台詞をまくし立てた。美紀の言うう通り、普通にやったつもりでも慌てた感じになってしまった。


 台詞が終わると、また目の前が暗くなり、瞬間的に公園に戻って来た。


「終わったあ。緊張した」

「ご苦労さん。じゃあ、次は古川君の番ね」


 美紀は古川君の前に立ち、私にやった通り肩に手を置く。古川君の姿が消えたかと思ったら、すぐにまた戻って来た。十秒なんてあっと言う間だ。


「いや、ホントに緊張したわ」


 古川君もホッとした表情を浮かべている。


「さあ、これで全て終わったね」


 美紀の言葉を聞いて、なぜだか私は古川君と手を繋ぎたくなり、そっと横に行って彼の手を握った。


「今度みんなで海に行こうよ」

「あ、それ良い、行こう」


 美紀の言葉に私も同意する。


「来週部活の休みがあったよな」


 古川君が乗り気で玉井君に訊ねる。


「水曜が休みだから、そこなら行けるよ」


 なんだかこれからの夏休みが本当に楽しみになってきた。


 そんな四人が笑顔に包まれた瞬間、急に目の前に男の人が現れた。


「ホントに戻るんだ!」


 男の人が驚いたように叫ぶ。


「玉井君!」


 美紀が現れた男の人の名を呼ぶ。そう、現れた男の人は玉井君だった。


「は、早く逃げろ! 四人一緒にここから逃げるんだあ!」


 そう言い終えると玉井君の姿は消えてしまった。


「ええっ、俺? どうして?」


 玉井君が一人驚いて声を上げたが、私達他の三人は平然と顔を見合わせた。


「とにかくここを離れよう」


 古川君にそう言われ、私はもう一度彼の背中におぶさり、公園を離れることとなった。


 今度はピンチか? チャンスか? 分からないけれども、私には良いことが起こるような確信があった。玉井君は気付いて無いだろうけど、現れた彼がキャラに似合わない感じでわざとらしく、緊迫感を感じられなかったからだ。


 でも、それがなくても、きっと私は幸せな展開になると信じていただろう。古川君の背中から伝わる安心感が、大丈夫だよって、私に言ってくれていたから。

                                  了

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一人の人間を十秒間だけ過去に戻せる少女 滝田タイシン @seiginomikata

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