第41話

 アパートの部屋に戻った時、この日もいつもと違って、テレビをつけることはしなかった。代わりにラジオをつけた。ニュースが流れたが、この頃はいつもそうなのであるが、新型コロナウイルス関係のニュースから流れていた。

 天才ハッカーが、調べてくれた内容が印字されたコピー用紙を見た。父の通帳の口座番号とその通帳の出入金記録が書かれていた。父にかけられていた生命保険の保険金が、口座に振り込まれていた。出入金の履歴も記録されていた。水道代、電気代、固定資産税がこの口座から引き落とされていることがわかった。保険金が振り込まれているので、当分の間この残高ならば、引き落としができないことはないと思った。法定代理人の名前が書かれてあった。弁護士で、事務所の住所と電話番号が書かれてあった。

 私が知りたいことを、私の住所だけの情報で、パソコンのキーボードを操作するだけですべて調べてしまった。普通だったら、このことで心底から驚愕しただろうが、ホワイトハッカーの話を聞いた後だからだろう。何か当然のことのように感じてしまう。不思議なものである。

 人間の感覚というものは、つくづく不思議なものだと思う。新型コロナウイルスによる世界異変を見るとそう思ってしまう。ニューヨークのタイムズスクウェア、パリのシャンゼリゼ通り、ミラノ、ベネチア、ロンドン、渋谷のスクランブル交差点・・・人で溢れかえっているのが当たり前のようなところが、真昼でもほとんど人が歩いていない。普段当たり前だと思っていることが、本当は当たり前ではなくすごいことなのかもしれないと感じるようになった。

 雲ひとつ見えない、晴れ渡った青空のもと、太陽の光を浴びている。気温は二十数度で、空気はカラッとしている。風はほとんど吹いていないか、そよ風程度である。このような清々しい日がいく日も続くとそれがあたりまだといつの間にか感じるようになってしまう。でもそれは当たり前じゃない。奇跡なのかもしれない。

 台風、嵐、大雨、強風、地震、大雪、猛暑、酷暑、酷寒、のような日々が続くとき、あの清々しかった日々は奇跡であったことに気がつく。

 コンサートホール、スタジアム、博物館、美術館、劇場、映画館、レジャーランド、ショッピングモール等、文化、芸術、スポーツ、レジャーのために、人々が密集して集まる日常の風景が、当たり前だと思っていた。

 新型コロナウイルスで、人々が、気軽に集まることができなくなった今、あの日常の風景が、奇跡であったのかもしれないと思う。

 私の法定代理にだという弁護士の住所を、スマホの地図アプリに入力して場所を確認した。明日の朝は仕事がなかったので、朝のうちに出かけることに決めた。

 今日は、アパートの部屋に帰ってから、時々天才ハッカーの住居と敷地とコンピューター室が、頻繁に脳裏に浮かんできた。あのようなコンピューターの設備は今までに見たことがないと思った。インターネット接続が、光ファイバーだけでなく、パラボラアンテナによる衛星通信の接続もあるという。なんという設備だろう。太陽電池のパネルが屋根の上だけでなく、庭にもある。大容量の蓄電設備があるので、曇り雨の日が続いたとしても、太陽光発電から蓄電した電気で当分の間は間に合うそうである。水は地下水からポンプで汲み上げた水を浄水器を通じて蛇口から出るようになっていた。これなら大災害が起こっても、この家で何不自由なく生活できるように思えた。

 さらに驚いたことに、この家には地下があって、シェルターになっていた。シェルターの中には、コンピューター室とほとんど同じ設備があった。シェルター内には水耕栽培の施設もあった。

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