第38話
アパートの部屋に帰ってから、しばらくは三人で話した内容が脳裏のうちに残っているような気がした。しかしやがて一瞬の間思考が途絶えて、空白の状態になった。
17歳頃まで住んでいたあの家に関することで、頭の中がいっぱいになってしまうのである。
コンビニの窓際のカウンター席に座って、私が住んでいた家を観察していた時、家の玄関に近づいて扉の鍵を開けて中に入っていった女性は誰であったのだろうか。そのあとコンビニから出て行って家の玄関のところに行って、呼び鈴のぼたんを2回ほど押したが何の反応もなかった。ドアが開いていたので、中に入って声をかけても、何の返事もなかった。家の中を隈なく見たけれどその女性の影も形もなかった。窓の鍵も閉まっていたし、裏口の扉の鍵もしまっていた。どういうことなのだろう。このようなことが続いて起こるなんて。前回はテレビをつけると『私の街の風景』の番組が放送された。家の外観のアップが映し出された時、私は2070年の世界にタイムスリップした。しかし、今回はテレビをつけなかった。このことが関係しているのかどうかわからないが、今回はタイムトリップしなかった。
いったいあの女性は誰だったのだろうか?両親とどんな関係があるのだろうか? でも、どのようにして消えてしまったのか? ありえないことだ。幻覚を見ただけなのだろうか? 同じ女性の幻覚を。でも、タイムスリップというありえない経験をしている。それを思えば人が姿を消すことも、それほど不思議でもないことに思えてしまう。
家の周りの広大な畑に建てられていた叔父叔母たちの家が、影も形もなかったのは、どういうことだろうか? 叔父叔母たちは今どこに住んでいるのだろうか?
固定資産税の支払いはどうなっているのだろうか? 電気料金、水道料金の支払いはどうなっているのだろうか?
今の私の状況と立場でどのように調べたらいいか全く皆目見当もつかない。まず最初に思いつくことは、私が父と母の息子であることを、戸籍謄本で証明して、家に関する知りたい情報に接触できる権利を得ることである。しかし、そのためには、まず相続の法的な手続きをして、それに関する事務的な処理をしていかなければならないだろうと思う。そうすると、相続税が発生する可能性がある。契約社員の私に相続税など払える余裕などあるはずがない。
とにかく私がどうしても知りたいと思うのは、固定資産税、水道料金、電気料金などの支払いがどうなっているかだ。何かこのことを知る良い方法はないだろうか?しばらく考えあぐねた挙句、時田のことが、頭に浮かんだ。彼は色々なこと知っている。彼に聞いてみればいい情報が、少なくともそのヒントが聞けるかもしれない。
翌日仕事が終わって、コンビニで買っておいたおにぎりをいつもの三人で頬張っている時に、私は時田に早速聞いてみた。時田は私が質問することを初めから知っていたかのように話し始めた。
「それならいい知り合いがいるよ。彼はコンピューターに関しては天才かもしれないな。天才的なハッカーだよ。この世界では彼のことを知らない人はいないだろうな。彼にかかれば横川の知りたい情報は、いとも簡単に入手することができると思うよ」
「どうしてそんな天才的なハッカーと知り合いになれたの?」
「“AIとゲノム”というテーマのセミナーがあって、それに参加したことがあるのだけど、そこに彼も参加していて、何かの機会に彼と話す機会があった。その時俺は医学生だったんだけど、そのことを知った時、彼は頼みごとをしてきた。ある薬品がどうしても欲しかった。その薬品はなかなか手に入れるのが難しいものだったらしい。話を聞いてみると悪用するでもないし・・・必要な量が恐ろしいほど少量だった。それだったらまず気づかれない程度の量だったから、授業の実験で使う時に、いくらでもくすねるチャンスがあった」
「でも、そんな少量で一体何の役に立つというの?」
「それが彼が天才と言えるところだ。何の効果もなさない極めて微量の薬品でも彼にとっては全然違う」
「それじゃこのことで、時田の知り合いの天才ハッカーにお願いしたいと思うけど、まずどうすればいいかな」
「明日は仕事が午前中で終わることになっているから、どうだ、明日の午後彼の家に行ってみないか?」
「そんな急に明日と言って、大事なの?」
「薬品の件では、彼に借りを作ったことになっている。必要なできることがあったら、いつでも好きな時に連絡してくれと言われている」
「何か持っていかなければならないものがあるかな?」
「横川が17歳の頃まで住んでいた家の住所さえ分かればそれで十分だと思うよ」
「ずっと今の話しを聞いていたら、面白そうだったけど、同行してもいいかな?」
「もちろんだよ。我々は今何でも共有できる仲間じゃないか」
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