最終回 闇の誓約②
「清記様、面白い奴を捕まえましたぜ」
と、屍の山の中で立ち尽くす清記に、芒の間から現れた廉平が言った。
清記は廉平に目を向けると、したたかに頭を下げた。
「此度こそは助かった。お前がいなければ、私は死んでいた」
「いいって事ですよ。あっしらは、相棒でございやすぜ? それよか、これですよ」
廉平が、着物の襟を掴んでいた男を、清記の目の前に転がした。
商人のいで立ちで、役者のように色白の美男子だった。
「あなたが明義屋殿か?」
明義屋忠吉であろう男は、鋭い眼光で清記を睨みつけている。
「一体、私にどんな遺恨があるのか聞かせてもらおう」
忠吉は、何も答えない。ただ、殺意を旺盛に湛える視線を投げかけるだけだ。
すると廉平が忠吉の髷を掴み、喉元に小太刀を突き付けた。
「おい明義屋さんよ。素直に話さねぇと、その綺麗な面の皮を、顎先から頭のてっぺんまで引ん剥いちまうぜ?」
「
「ほう。命が惜しくないとはねぇ。見上げた根性じゃねぇか」
廉平と目が合った。清記は頷くと、廉平が無理矢理に忠吉を引き起こした。
清記が、扶桑正宗を一閃させる。忠吉の着物の前がはだけ、女のような柔肌が露わになった。身体には届かぬよう、着物だけを斬ったのだ。
しかし、忠吉は動じない。ただ、じっと清記を見据えている。
「それほど、俺を殺したいのか」
「当たり前だ。そうでなければ、夜須ぐんだりまで来ぬ」
「そうか」
廉平が、忠吉の腰を探って首を振った。
「こいつ、刃物一本帯びておりやせんぜ」
「無腰か」
「十三人で事足りると思って、内又田に全てを任せたのだ。だが、残念な結果になってしまった。お前を甘く見ていたわけではないのだがな」
清記は扶桑正宗を納めると、小さく首を振った。
「
その言葉に、流石の忠吉も目を見開いた。廉平も呆気に取られている。
「いいのか? 私は復讐を諦めぬかもしれぬぞ」
廉平が、咄嗟に小太刀の切っ先を突き付ける。それは清記は、手で制した。
「清記様、ここで
「いいんだ。行かせてやれ」
「相手が無腰だからですかい? ですが、旦那は相手が得物を持ってなくても……」
「構わん」
忠吉は、清記を見据えたまま無言で背を向け、生い茂る芒の原に消えた。
「いいんですかい? このまま行かせても」
「ああ、これでいい」
「あの様子じゃ、また襲ってきやすぜ?」
「そうかもしれぬ。しかし、もう襲わぬかもしれぬ。つくづく自分の甘さが嫌になるが、私は信じたいのだ」
「何とまぁ……あなたというお人は」
廉平が、呆れた様子で肩を竦めた。
「廉平。私は、今日ほど自分の宿運を恨んだ事はない。私は人を死なさぬ為に、悪党を斬っている。しかし、その悪党を斬った事で、更に人を死なす羽目になってしまった」
「ですがね、この浪人共はきっと悪党でございましょう。銭の為に人を斬ろうとしたんですぜ? このまま生かしておいても、世の為にはなりませんや」
「そうだといいのだが、そう思え切れぬところもあるのだ」
相変わらず甘い。そう思うが、自分で始末出来る範囲では、なるべく人を斬りたくなかった。
「まぁ明義屋は一旦置いておくとして、それよか危ねぇ
「ああ」
振り返ると、本堂の縁に男が立っていた。鳩羽色の着流しに、一振りの刀を落とし差しにしている。深編笠はしていない。
「廉平、下がってろ」
すると、廉平が短い返事をして消えた。
(あの男か)
男は、悠然としたな足取りで近付いてきた。放つ殺気を抑える素振りは無い。清記は、全身の毛が逆立つのを感じ、反射的に身構えていた。
「ああ、悪い事をしちまった。俺が遅れちまったばっかりに、みんな死んじまったよ」
「お前か、あの夜の男は」
「御名答。で、名乗りは必要かい?」
男が言った。歳は自分より、少し下というぐらいだ。双眼には、狂犬のような危うさがある。
「人違いと言う可能性もある」
「あんた、平山清記さんだろ?」
「そういう貴公は?」
「
「知らん名だ」
「そらそうだ。まだ、売れてねぇ名前だからね。だから、平山さんを斬るのさ。念真流の首を獲れば、名が売れる」
「裏の者か」
鷲塚は、一つ頷いた。
裏の者。即ち、暗黒街で生きる有象無象の事だ。恐らく、鷲塚はその中でも始末屋を生業にしているのだろう。念真流を討てば、裏での名が売れ、いい顔が出来る。当然、仕事も選びたい放題だと聞いた事がある。
「それで、貴公も明義屋の一味か?」
「違うと言えば違うが、そうと言えばそうだ」
「要領を得んな」
「俺は別口の依頼で、あんたを斬る
「お前が遅れるからだ」
「そう言われると、返す言葉がねぇな。あんたを斬る前に女でも抱いて滾る気を鎮めようとしたのだが、ついつい抱き過ぎちまった。江戸の女と違って、夜須の女はいい。控え目でお淑やかだが、責めると大きく乱れる。こんな女達を抱けるお前が羨ましいぜ」
下卑た笑みを見せる鷲塚を、清記は無視をした。
「しかし、やけに冷静じゃねぇか。俺が誰に雇われたのかも気にならんのか?」
「心当たりが多過ぎてね。気にしても仕方ないのだ」
念真流の看板を背負い、御手先役として生きる以上、こうした刺客から逃れる事は出来ないと、改めて痛感した。
「それじゃ、平山さん。そろそろ、やるかい?」
「ああ」
「楽しみだぜ、俺は」
「……」
「笑っちまうほどにな」
四歩の距離で向かい合った。
清記は、扶桑正宗を抜き払うと正眼に構えたが、鷲塚は僅かに腰を落としただけだ。
居合か。そう思った時には、既に対峙になっていた。
清記は小細工無しの、ありのままの気を放った。連戦の疲れからか、どうにでもなれ、という大胆な気持ちにもなっている。
一方鷲塚の身体からは、猛烈な闘気が地熱のように湧き上がっている。
(それほど俺を殺したいのか)
向けられる殺気は、更に強くなっている。
一歩、清記は踏み出した。自分でも驚くような、大胆さだ。だが、身体は正直に反応している。大胆さとは裏腹に、汗が噴き出していた。額に巻いた鉢巻の湿り気を十分に感じれるほどだ。
来いよ。内心で呟いた。お前は、内又田より強いのか? 主税介とはどうだ? 杉崎とは? 東馬とは?
その瞬間、暴風のような抜き打ちが、清記を襲った。
斬光。想像よりもやや長く伸びた。清記は、右腕に微かな熱感を感じながらも、跳躍した。
虚空で扶桑正宗を振り上げる。見上げる鷲塚の顔。残心のままの姿勢で、笑っている。
「糞が」
そう聞こえたような気がしたが、清記は構わず鷲塚を頭蓋から両断した。
〔第一章 了〕
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