犬に食べられなくなるために

@chauchau

うるさいと隣人に怒鳴られる


 慣れないことはするもんじゃない。

 ましてや、サプライズなんて二度とやるもんか。


「冷食どころかカップ麺すらねぇし!」


 八つ当たりで戸棚を勢いよく閉めたら、跳ね返って膝に激痛を生み出した。俺が何をしたって言うんだ。したけどさ。

 痛みで床にのたうち回っても俺一人。

 馬鹿にするやかましい笑い声も、痛む膝に追い打ちをかけてくる足も、氷を詰めたビニール袋を投げてくる相手も居ない。


 年の瀬。

 来年が今年になるまで数時間。今年が去年になるタイミングで、俺は彼女と別れた。


 年始一発目から温泉旅行に行こうと、冷蔵庫の中身を空にしていたのが仇になった。今日の飯は適当にコンビニで済まそうと、粗末な年越しだと笑い合った時の俺よ、冷蔵庫を本当に空にすると後が困るから今後は絶対にしないように。


 頭の悪い俺だから、三流大学出の俺だから、碌な給料だってもらってない。家だって、大学時代からのオンボロアパートだ。家の中だって言うのに上着を着込まないと凍死してしまうぐらいボロっちい。

 それでも、二人で居れば温かかったんだ。うるさい声に鬱陶しいと思う時も……、かなりの頻度であるけれど無くなってしまえば静かな音が耳につく。


「クソみたいなプライドだよ、うるっせぇな」


 壁に……、布団の上にスマフォを投げつける。

 事情を知った仲間たちが全員口を揃えて俺が悪いと言ってくる。いますぐ裸で土下座してこいとか、馬鹿じゃねえか。あいつじゃなくて警察と年越しになるじゃねえか。


 元々、サークルで知り合ってただの友達だった時から喧嘩が絶えなかった。何から何まで好みが合わないんだ。

 あいつはごはん派で、俺はパン派。映画は家で見たいと言えば、映画館で観ないとか邪道と唾を吐き付けられた。応援している球団は因縁のライバルで、巨乳好きだと知られた時は死を覚悟した。そういえば、カップ麺で喧嘩したこともある。


『普通、赤いきつねっしょ』


『うるっせぇな、たぬきが好きなんだよ。別に良いだろうが』


『ちょこちょこ変なのが好きだよね』


『お前を好きな時点でわかりきゲブォ!?』


『ああ、ごめん。手が滑った』


 赤緑合戦で初めて緑のたぬきが勝利を納めた時、どや顔で結果を突きつけたら屑を見る目で一週間口を利いてもらえなくなった。

 とにかく、とことん好みが合わないんだ。だから、別れることだって不思議じゃない。三日と開けずに喧嘩していたんだ。これが普通、これが通常、これでようやく好みが合う巨乳の彼女を探すことが出来るってもんだ。


 だから。

 あいつに秘密で用意した指輪が捨てられないんだ。


 俺の給料三ヶ月なんてたかがしれているけど、それでも貯めたんだ。煙草も止めて、酒の誘いも断って、寝ているあいつにバレないようにサイズを図って、慣れない店で店員さんに優しくしてもらって、仲間達にはベタだと笑われて、


『あたしのことが好きじゃなくなったんなら、早めに言ってくれない』


 違うと言えば良かった。

 いや、言ったけど。もっと喧嘩腰じゃなくて冷静に違うと言えば良かった。

 カッコつけるとか忘れてその場で渡せば良かった。どうせ情けないとか、もっと上手にやれとか、似合わないことするなとか、馬鹿にされることを覚悟で結婚してくれって、言えば良かった。


 喧嘩になって、でも、いつもみたいにちゃんと終わると思ったんだ。

 あいつが、俺よりも男らしくて、口も手も同時に出るようなあいつが、


「泣くなんて思わなかったんだよ」


 片手で遊べる小さな箱一つだって思い通りに渡すことが出来ない。

 どうしようもなく馬鹿で惨めで、……。


「~~っ!!」


 スマフォと財布、……指輪の箱だけを薄っぺらい上着のポケットに突っ込んで、玄関の扉に手をかけた。

 意味を無くした指輪、無くしたけど、もう一度、もう一度だけ。


 俺はっ!


「……遅い」


 飛び出して、ぶつかりかけた。

 仏頂面で、俺と違ってふかふかの上着を着て、頬を赤く染めたあいつが。扉の向こう側に立っていたから。


「出てくるまで三時間もかかるとか馬鹿じゃないの」


「……ごめん」


「だいたい、普通に言えばよくない? カッコ付けるとか何様って感じ、顔見てから行動しろし」


「ごめん」


「お父さん、ぶち切れってから」


「うん」


「お母さんは笑ってたけど」


「うん」


 扉に手をかけたまま固まっている間抜けな俺は、気の利いた事も言えない。

 なにか言おうとしていたはずなのに、もっとちゃんと謝って、もっとちゃんと好きだと言って、ちゃんと、結婚してくださいって……。


「んっ」


「……ぇ?」


「どうせ食べるもの何もないし!」


 コンビニの袋が視界を奪う。

 あいつの顔が、見えなくなる。


「……ごはん食べてから、話、聞いてあげる」


「……ありがとう」


「あたしも、ごめん」


 お湯を沸かそう。

 二人分のお湯は意外と多い。古いコンロでは時間がかかる。


 お湯を注ごう。

 変わらず寒い部屋だけど、ボロいままの部屋だけど。


 三分待って。

 いつもは待てない待ち時間。今日はありがたい待ち時間。


 いただきます。




 ※※※




「なんで二つとも赤いきつねなんだよ!」


「うるっさいわね! 買ってきてもらって文句言ってんじゃないわよ!!」


 出汁を吸ったお揚げより、クタクタになった天ぷらが好きなんだ。

 でもまあ、偶にはお揚げも悪くない。


「どうでも良いからとっととプロポーズしなさいよ!」


「食べ終わってからって言ったのはお前だろうが!」


 叫んでいても、怒鳴っていても、顔だけは付き合わせていた。でも、今日は。目が合わない。目が見れない。恥ずかしいから。そんなことは分かっている。だけど、

 そうは、言ってられない。


「ああ、もう!! 結婚してください!」


「してあげるわよ、ざまあみなさい!」


 一生に一度のプロポーズだから。

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