第3話

 昂ぶっていった二人の気持ちが落ち着いた時、ミモザは素肌にゆかたを着、乱れた髪を結い上げながら、窓辺に近づいた。日暮れには間がある淡い青空を、窓一杯に見たとき、家の様子が心配になった。今ならまだ間に合うと心が揺らいでいると、竜道が裸のままで寄ってきて、荒々しくミモザをベッドに連れ戻した。ミモザは又もや竜道の激しい愛撫をうけて、放心状態になって行った。刻一刻と切羽詰った時刻は過ぎて行った。ああこれでいいんだわ、この人以外に何もないんだわとミモザは竜道の愛撫をうけて、あえぎながら、じっと竜道のなすがままに身を任せているのだった。。

 もう今から帰っても間に合わないわ、さっきなら今頃もう家に着けたのだが。今となっては買い物に行っていたと、繕うことができない。

 しかし、ミモザは家の人の心配を思うと、一日でも、その心配を延ばしたいと思ったので、竜道に断って家に電話をかけた。

「どうしたんだ、買物が遅いじゃないか」

 と、夫のいらいらしたような、けれど、表にあらわすまいと抑制しているような声が聞えてきた。

「ごめんなさい。買物に出たら、携帯に母から電話がきて、お父さんがめまいで倒れたと言ってきたので、ちょっとと思って来たんだけど、今日はもう泊まってあげようと思って。陽一はもう帰っている?」

「帰っているよ。そんなことなら、泊まってあげなさい。今度からそんな時はもっと早く電話しなさい」

「ごめんなさい。お姑様にも、くれぐれもよろしく伝えてね」

 ミモザは急いで電話を切った。

 

「あなた、おうちのほうに連絡しなくてもいいの?」

「もう、ばれてしまったんだ」

「えっ、どうして?」

「広報部にいた沢山が、わざわざワイフを呼び出して、告げ口したんだ」

「えっ、沢山さん?あの人私に親切にしてくれたのに・・・。でも、どうして私たちのことわかったのかしら?」

「ワイフに言わせれば、知らぬは二人ばかりなりと言うのだ。中学の時のPTAのOBは、皆知ってる事実だと」

「へえー」

 陽一が中学生の時、竜道がPTA会長だった。ミモザはただの学級委員で、竜道の下で働いた。広報部長でもなく、副部長でもなく、一介の委員だったが、竜道はミモザによく声をかけてくれた。竜道の一人娘と陽一が、それぞれ私立の女子高と男子高に入ってから、自然と接触が少なくなっていたが、秋に催されたOBの宴会で再会し、お互いの携帯の番号を教えあったことから、忍んで会うようになった。竜道は不動産仲介会社の入り婿で、客を案内するといって家を出、ミモザは実家や買物に行くという口実で家をあけた。

 ミモザが「一緒に暮らしたい」と再々ねだってみせたのは、単に喜びからあふれ出た睦言であったのだけれど、竜道はそれを真剣に考えてくれていたのだと、蓬莱峡を走る車の中では、竜道の誠実な愛に、ふるえるような嬉しさを感じた。だが、今回急にミモザを誘ったのは、妻に責められ、なじられ、詰問され、衝動的に家を飛び出したのかもしれないという疑惑が、かすかにミモザの心をよぎった。だが竜道はミモザの疑惑を振り払うように、暇を与えず、ミモザを愛撫し続けるのだった。

 ミモザは竜道の優しく激しい愛撫の手から逃れることはできなかった。夕食のために階下に降りてフランス料理のコースを食べ終る頃には、竜道に対する疑惑は跡形もなく消えていた。部屋に帰って視界の広い窓から二人して夜景を眺めた時には、竜道との絆をしっかりと感じ、明日朝帰れば、まだ間に合うというようなことは、心の隅にものぼらず、永遠にこの幸せを手放すまいと誓っていた。

 翌朝二人で朝食をとったあとに、ミモザは、家に電話して、父の病気で母まで倒れたから、今週一杯は帰れないと、夫に伝えた。


 姑はミモザの実家と交際するのは好まないらしく、実家に電話をかけたりしないし、夫も母親の意に染まないことは絶対にしない人なので、あと四日危機を先送りできたと思うのだった。


 竜道もミモザも携帯電話の電源を切り、留守電に切り替えた。時々気になってチェックしてみるが、ミモザの方には誰もかけてきていない。竜道の方には、開く度メッセージが入っているようで、困惑したような顔で、携帯を閉じる。

「お仕事のこと?」

 と、ミモザが聞くと、

「いや」

 と、あいまいに答える。

「竜道さんがいないと、お店困るんじゃない?」

「ワイフが親父の代から毎日店に来ているんだよ。しっかりしたものだ」

「でも、仕事柄、男の方がいないと・・・」

「ワイフの妹の亭主が、三年前にリストラにあって、うちで働いている」

「そう」

 今までの半年間の逢瀬では、時間に余裕がなく、周囲に気取られてはいけないと隣の市まで車を飛ばし、妖しげなホテルに直行して、せわしく激しく愛を交し、乱れなく服を着ると、公園の脇の道に、

「さっ、早く、降りて。次いつ会えるか連絡してよ」

 と、言い、

「今日はよかったよ」

 と、必ずつけ加えて、ミモザを置き去りにするのだった。


 竜道の生活を細々と質問したのは初めてだった。

 気の強い家つき娘の妻。竜道がいなくてもなんとか切り盛りしていける実力のある妻。


「これからどうするの?」

「心配しなくていい。充分な貯金があるから、どこか適当な所をみつけて、一から不動産屋を始めるから」

 やはり頼りがいのある竜道だったと、ミモザはほっとして、着のみ着のままの自分たちに気付き、竜道を促して下着を買いにでかけた。竜道は車を走らせ、神戸のデパートの駐車場に車を止めた。

「ミモザ、下着は一週間分は買っておいでよ。直ぐにいい物件は見つからないと思うから、それくらいの余裕を見てて。ホテルで洗濯なんかしなくていいのだ。汚れた物は片っ端から捨てていこう。ランジェリー売り場まではついていけないから、おれは紳士物売り場に行って自分の物を買ってくるからね」

「そんな・・・、七枚も・・・」

「気にしないでいいのだ。二万円もあったらいいね」

 竜道は財布から紙幣をとりだし、ミモザの手に握らせた。

 ミモザは、そのほっそりとした腰を包む、色とりどりの柄模様のショーツを買い、ホテルに帰って行った。


 竜道と愛し合っている間は、陽一のことも、夫や姑や実家のことも忘れて、無我夢中で竜道にしがみついている。しかし、事が果てると、恐怖心と心配が頭の中に渦巻くのだった。ミモザは恐怖心を忘れるために竜道の胸に顔を埋めて眠った。

 有馬での逗留が三日に及んだ時、ミモザの心配そうな様子に気づいたのか、竜道は気分を変えさせるように、

「倉敷に行ってみよう。いつかミモザが言っていた大原美術館を訪ねよう」

 と、言い出した。

 その頃には二人とも留守電は聞かなくなっていた。ミモザは、夫の勲がそろそろおかしいと思いはじめる頃だし、怖くて聞けなかった。竜道は最初の頃は聞いていたが、妻の金切り声がそばにいるミモザにまで聞えてくるほどになり、やめてしまった。ミモザは竜道に肩を寄せて流れていくより仕方なかった。外界から遮断された二人は、二人だけで自己完結しながら、移動して行こうとしていた。

 竜道がフロントで宿賃を支払っている時も、ミモザは竜道のそばを離れなかった。竜道は、内ポケットから札入れを出すと、二十万円という大金を現金でぽんと払った。ミモザは竜道の気風のよさに見とれていた。







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