セレン

 翌朝、ばば様はアティアの家を訪れた。

 『神愛の刻印』の話を聞いてから、オルクスの恋の話を誰かにしたくてしたくて、仕方がない。でもアポロとの約束を破ってはいけない。そう思えば思うほど、なんだか心が落ち着かないのだ。


 口がムズムズしているときに、ゴーディーは水を汲みに出かけていて留守だった。

『なんというチャンス! アティアしかいないなら、あのの話してもいいのではないか? イヒヒヒヒ』なんて考えてしまったが、いやいやいやここで約束を破っては女がすたると言葉を飲み込む。

 そこで不本意ではあったが、ウェヌスの悪口で盛り上がることにした。


 ふと、アティアがばば様に訊ねた。 


「そういえば、今朝の神託をケイ様からお聞きになりましたか?」

「あぁ。『若き王、異神と契り、傀儡巫女、解放』とあったそうじゃ。わしの代わりに神託を授かるようになって一年。ケイは、このような神託は聞いたことがないと、困惑しておったなぁ」


「……嫌な感じの神託ですよね。ばば様、今から私もシヴュラの屋敷に一緒に行きましょうか? もうお屋敷にお戻りになるのでしょう?」

「そうじゃの~」

 なぜか、歯切れの悪いばば様の返事。


「ん? なにか、他に気になることでも?」

「……いやいや。何でもない――」

 本当に話したいことは話せない。話してはいけない。ばば様は鼻の頭を、人差し指でポリポリする。


「こうしていてもしょうがない。屋敷に戻ろうかの」

 ばば様はようやく重い腰をあげた。


 二人がシビュラの屋敷に着いて間もなく、神殿に一人の少女がやって来た。

 ケイが少女をばば様の元へと案内する。

 ケイは、眉根を寄せて口をへの字に結んでいる。どうやら、困ったことが起きているようだ。

「大シヴュラ様。本日のお客様をご案内致しました。あっ、アティア様もご一緒でしたか。これは、ちょうど良かった」


 ケイの表情が柔らかくほぐれる。


「こんにちは、ケイ様。私は退席しなくて良いのですか?」

「ええ、アティア様。どうか、ご一緒に話を聞いて頂けませんか? 本日の相談は、アティア様にも関係のあることですから」


「えっ?」

 自分に関係があると聞き、アティアの胸がさわりと疼く。

 ケイの後ろを見ると、濃い紫色のフード付きローブを着た少女が立っていた。


 こんな紫色の服はみたことがない。一体どこの国の方なのだろう?


 そう思っていると、挨拶のためフードが外された。中からは、美しい長い金の髪が現われた。それから、伏せられていた瞳がアティアを捉え見つめる。


 この青い瞳は!

 アティアはハッとした。


「初めまして、キメリアの大シヴュラ様、アティア様。私は、セレンと申します」

 アティアの心の中でドクンっと大きな音がした。


 セレン……?

 

「セレン殿、何用でキメリアに参られた?」

「はい。我が兄が、キメリアにいるとの神託がありましたので、お迎えに上がりました」


 やっぱり!


 アティアは、紅い瞳で少女の過去を見ようと試みた。しかし、霧がかかり何も見えない。


「アティア様、私を視ることはできませんよ」

 青い瞳の少女は、アティアの紅い瞳を捉えてそう言った。

「私も巫女です。勝手に私を覗くことはできません。お察しの通り、私の兄はアトラスの王子・ゴーディーです」

 

 アティアは思わず両手で口を塞いだ。足元がふらつく。


「やはりそうであったか。セレン殿。ゴーディーによく似ておるのう」

「そんなに似ているのですか?」

「驚くほど、そっくりじゃよ」


 ばば様の言葉に、薄く微笑むセレン。血を分けた兄にもうすぐ会えるというのに、そんなに喜んでいるようには見えない。


 アティアは、複雑な思いでセレンを見つめていた。

 ゴーディーの妹が生きていたことは、素直に嬉しい。心から、良かったと思う。けれど、何か嫌な予感が胸から離れない。



 ほどなくして、ゴーディーが息を切らし屋敷に駆け付けた。ケイの使いから、妹が屋敷にいると話は伝えられていた。

 

 肩で息をするゴーディーの頬が高揚し、瞳が潤んでいる。全身から、妹の無事を会える喜びが表れている。

 そんなゴーディーの姿を見て、アティアの心はどこか複雑であった。


「セレン? 本当にセレンなのか?」


「はい。お兄様」

 そう頷くセレンを、ゴーディーは抱きしめる。


「良かった。生きていてくれて、本当に良かった……」

 ゴーディーむせび泣く。積年の想いが溢れて止まらない涙だった。


 でも、なぜだろう? 

 セレンの感情が読み取れない……

 セレンが巫女だから?

 ううん、違う。巫女だからじゃない。

 何か、感情が欠けている気がする。


 アティアの心に広がる、一抹の違和感。

 ばば様も同じように感じているのか、渋い顔をして二人を見ていた。



    ♢      ♢



 セレンの話によると、セレンは母親とキメリアの近くにある小さな島で暮しているそうだ。母親は重い病にかかり、今は寝たきりになっている。ベッドの中で「ゴーディーに会いたい」と呟く母のために神託を仰ぐと、キメリアにいると告げられた。そこで、こうして迎えに来たということだった。


「ふむ。アポロの神託には、若き王、異神と契りとあったが……」

「それは、兄上が我が神とえにしを結ばれると、国の再建にも力を貸してくれるということです」


「国の再建? セレン、アトラスを再建しようと思っているのか?」

「兄上の力と神のご守護により、アトラスはまた栄華を極めるであろうと神託がおりたのです」

 

 セレンは力強くそう言ったが、ゴーディーは納得していなかった。


「セレン殿、そちらが敬う神とは、どのような神じゃな?」

「それは、申し上げることはできません」

 セレンは目を伏せる。


「ふむ。では、傀儡巫女、解放とは?」

「傀儡……神に操られた巫女という意味でしょうか? その巫女の解放? その真意はわかりかねますが、私のことを指しているわけではないと思います。私は、傀儡巫女ではありません。大シビュラ様にお心当たりはございませんか?」

 

 そうセレンに問われて、ばば様は思わず腕を組んで考えた。

 傀儡? 神に操られた巫女? 神から紅い瞳をもらったアティア? アティアがオルクスの傀儡? いや、まさかのぅ。


「セレン殿。わしにも傀儡巫女に心当たりはない」

 ばば様は、きっぱりとそう答えた。

「そうですか。でも、傀儡巫女が誰なのか、いづれわかることなのでしょう」


「であろうな。ところで、ゴーディーは母上に会った後、どうするつもりじゃ? アトラスの再建に力を貸すのか? それとも、このキメリアに戻って来るのか?」


「ばば様。アトラスの再建となれば、いづれローマと戦うことになりますから無理でしょう。そんな力は、残っていないと思いますよ」

「私もそう思います」


 アティアが口を挟んだ。ゴーディーの身に危険が迫ることは、回避しなくてはいけない。


「お兄様、そのお話はお母様に会ってからゆっくりお話し下さいな。私は、アトラスの再建が不可能だと思ってはおりません。我が神が、ローマの軍神に負けるとは思いませんもの」


 セレンは、無表情のままそう話した。

 

 本気でローマに勝てると思っているのだろうか? 

 アティアは、セレンの瞳をじっと見つめたが、そこから読み取れるものは何もなかった。

 

 どうも、スッキリしない。スッキリしないが、ゴーディーはセレンと共に行くだろう。私が危険だと言っても……

 

「ふ~む」

 ばば様の顔も険しいままだ。


 セレンの言うことには、母親の容体は一刻を争うらしい。そこでゴーディーは、直ぐにキメリアを発つこととなった。


 ゴーディーの身にこれから何が起きるのかオルクスに訊ねてみたが、異国の神が関わっているのなら干渉できないと断られた。

 ばば様にも先読みする時間はない。


 アティアもばば様も不安を抱えていたが、ゴーディーの出立を止めることも引き延ばす術もなかった。


 

    ♢     ♢



「心配するな。俺は、母とセレンを連れてキメリアに戻って来る。アトラスの再建は考えていない。ようするに、異神とえにしを結ばなきゃいいんだろ」

 明るく旅立とうとするゴーディー。母に会えることが、余程嬉しいのだろう。


 でも、アティアの心は曇ったままだ。『一緒に行きます』と、セレンに言ってみたが、にべもなく断られた。せめて、キメリアの結界が張られている境界の所まで見送ろうと二人について来た。もちろん、ばば様も一緒だ。


「ゴーディー、気をつけてね」

「あぁ。少し留守にするだけだ。俺にはほら、オシリス様の守護石もあるし、無事に戻るよ」

 そう言って、左手の小指にはめた指輪を見せる。

「ゴーディーとセレンにローマの神々の御守護があらんことを」

 ばば様が祈りを捧げる。


 異国の神の祈りにセレンの顔が一瞬曇ったが、何も言わず受け入れ軽くお辞儀をする。

「お兄様、時間がありません。急ぎましょう」

「あぁ。じゃあな、アティア。ばば様、直ぐに戻ります。アティアのことを宜しくお願いします」

 そう言うと、二人は馬を走らせ、結界の張られている国境を越えた。


「えっ?」


 境界を越えた瞬間、ゴーディーの体だけが透けた。

 それは、一瞬の出来事だった。


「まずいな。ゴーディーの命の灯が消えかけている」

 いつの間にか現れたオルクスが囁いた。


「私、ゴーディーを追いかけなきゃ。オルクス、二人の行く先を教えて。私は、旅の準備をするので、シビュラの屋敷に戻るわ。ばば様、馬に乗って下さい! 揺れますから、しっかりと捕まっていて下さいね!」

「ふん。わしなら、これぐらいの揺れ…… うっ、くっ、ほっ」


 ばば様は振り落とされないように、アティアに体にしっかりとしがみつく。

 アティアは、ばば様を気遣いながらもゆっくりと馬を走らせる余裕はなかった。

 ドクン、ドクン。

 ドクン、ドクン。

 心臓の音が大きくなる。

 同時に、不安が大きく膨らんでいった。


 早く、早く、早く!

 魔剣を持って、ゴーディーを追いかけないと‼


 母に会えると喜んで旅立ったゴーディーに、危険が迫っている。

 ゴーディーを助けられるのは、私しかいない。

 アティアは唇を固く結び、正体のわからない敵と戦う覚悟をした。


 




 

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