元老院の息子・ユリウス

「アティア、勝手に離れたら駄目でしょ!」


 少し苛立った高い声が、背中から飛んできた。

 振り返ると、姉と見知らぬ男が立っている。

 白地に赤い縁取り、金糸銀糸で装飾された豪華なトーガ。

 その装いで、男が身分の高い人物であることがわかる。


 男は、アティアの姿を舐めるように見た。

 綺麗に結いあげられた白金プラチナブロンドの髪。

 透き通るような白い肌。

 珍しい紫の瞳。

 そして、美しい容姿に不釣り合いな右目の黒い眼帯。


 男が、小さく唾を飲み込んだ。

 そして、口を開く。


「初めましてですね。愛らしいお嬢様」

「……はじめ……まして」


 幼い頃は、よく人見知りをしていたアティア。

 だが今では成長し、誰とでも挨拶できるようになっていた。

 けれど、この男の前では、どうしてか言葉が上手く出てこない。


「アティア、きちんと挨拶して!」

 姉に窘められ、アティアは背筋を伸ばす。

「初めまして。アティアと申します」

「失礼ですが、その右目の眼帯は?」

 男は、自分の名を名乗るよりアティアの眼帯が気になってしょうがないようだった。

―—嫌な感じ。


 そんな思いが、アティアの言葉に棘を含ませた。

「私、生まれつき右の眼球がないんです。この眼帯を外したら、真っ黒な空洞が現れて……」

「おやめなさい! アティア!!」

 ふざけて答えるアティアを睨み、フラウィアは慌てて言葉を続ける。


「ユリウス様、眼球がないなんて悪い冗談ですわ。アティアはその……幼い頃に右目に大きな傷を負ってしまって。そう、けっして、眼球がないわけでは――」


 姉がこんな風に言い訳をするのは、彼を気に入っている証拠だ。

 ならば、三歳年上で結婚適齢期の姉の為に、可愛い妹を演じなくてはならない。

 アティアは深々と頭を下げ、しおらしい声で謝罪した。


「大変失礼致しました。姉の言う通り、この右目は幼い頃に怪我をしてしまいまして…… 深く醜い傷ゆえ、こうして眼帯をしております」


「そうでしたか。私の方こそ、失礼な質問をしてしまいました。申し訳ありませぬ。私は、アントニウスの息子でユリウスと申します。アティア様にお目にかかるのは、今日が初めてですね」


「あのぅ、もしかして父と銭湯テルマエ仲間というアントニウス様の?」

「あははははは! そうです。銭湯テルマエ仲間のアントニウスの息子です」

「失礼よ、アティア! 元老院のアントニウス様よ!!」

「ご、ごめんなさい。私ったら……」

「いやいやいや、父から聞いていた通り、元気なお嬢様だ」

 

 フラウィアからの突き刺さるような視線に耐えきれず、アティアはもぞもぞしていた。


「あのぅ、お姉様。お父様は、何処に?」

「お父様は、あちらでアントニウス様とお話をしているわ。今、お邪魔しては駄目よ」

「そう……」


 思わずため息が漏れる。

 できるならこの場から一刻も早く立ち去りたい。

 ここにいても、姉の神経を逆なでするだけだ。

 なにより、ユリウスの側にいることが息苦しくてたまらない。


「アティア、さっきの剣闘試合とても素晴らしかったわよ! 勝者は――」

「クワトロでしょ」


 しまった!

 ユリウスに気を取られて、つい答えてしまった。

 アティアは、無意識に発した言葉を後悔していた。


「どうしてわかったの? 最後まで試合を観ていないのに……」

 低い声で、フラウィアの鋭い質問が返ってくる。

「えっ? あぁ、勘かな? なんとなくそんな気がしたの」


 フラウィアの眉がピクリと動く。




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