第二三部「消える命」第2話 (修正版)

 応仁おうにん元年。

 西暦にして一四六七年。

 後に応仁おうにんらんと呼ばれることになる戦乱は次第に広がりを見せていた。

 青洲せいしゅうとスズが宿を出てから十日と五日。その道中でも戦火の跡には何度も遭遇していた。通る道によっては夜のかごを断られる事があるほど。

 二人がやっと辿り着いた雄滝おだき神社は一年を通して静かな湖のほとりだった。大きな山に囲まれた中にある大きな湖。雄滝おだきと言われる小さな滝から常に水が流れ込み、それはやがて多くの川へと支流を作っていく。

 雄滝おだきほとりには小さなほこら。伝説の鬼退治の時に湖を守る為に作られたという。その管理も雄滝おだき神社が代々務め、月に一度は必ず神事しんじも行われていた。

 もの専門の神社であり、通常の参拝者が来ることはない。山を降りた里の村にはそれぞれ地元に根付いたやしろがある。雄滝おだき神社に訪れるのは全国から噂を聞きつけた人々。霊障等に困っているような人々だけ。しかもそのほとんどが誰かの紹介によってまかなわれていた。

 小さな神社。

 住居と繋がった小さな本殿があるだけ。

 現在の当主は滝川東州たきがわとうしゅう────よわいは三二。妻とまだ幼い二人の息子。

 他の家族は東州とうしゅうの弟、滝川青洲たきがわせいしゅう────よわいは二五。

 世の中が少しずつ疲弊してすさんでいく現実に東州とうしゅう青洲せいしゅうは〝清国会しんこくかい〟を立ち上げ、世直しをすることを決意する。しかしそれには賛同者が必要だった。地方の小さな神社だけで何かを成し遂げることは現実的ではない。

 どうしても、仲間が必要だった。

 その為に青洲せいしゅうが動いていた。それでも簡単にことが進まないまま、重要地点でもあるきょうみやこから青洲せいしゅうが戻る。

 兄の東州とうしゅうは当然のようにスズを伴った青洲せいしゅうに驚いた。

 到着したのはすでに薄闇の頃。旅で疲れたスズが眠りについてから、東州とうしゅう青洲せいしゅうから説明を受ける。

「そうか……御苦労であった。どこか大きな所が賛同してくれるとよいのだが…………」

 東州とうしゅうはそう言って溜息をいた。神職に就いている者なら誰でも今の世の中をうれいているのは予想出来ること。しかしだからと言ってことを起こそうとまでするとは限らない。みかどのみならず諸大名までをも納得させて幕政を一つにまとめることは簡単ではない。一歩間違えば火に油を注ぐことにも成り兼ねなかった。

 青洲せいしゅうも視線を落として返していく。

「左様です……誰もが世の中をうれいているのは事実……しかしながら腰が重く…………」

「我等に力があれば良かったのだが…………」

 本殿の隅に灯していた蝋燭ろうそくが風で消えた。

 真夏はすでに終わり、夜になると風の温度は途端に下がる。その夜の空気も冷たかった。

 流れる空気を感じながら東州とうしゅうが続ける。

「…………あの娘……あれもきょうみやこで見付けたのか?」

「スズですか……はい、親に捨てられたそうにございます…………あわれな身の上にて放っておくことも出来ずに連れて参りました」

 青洲せいしゅうは床を見つめながら応えていた。

「そうか……」

 その東州とうしゅうの言葉だけが耳に届く。


 ──……もしかしたら余計な事であったか…………


 そう思った青洲せいしゅうが気持ちを乱すと、少し間を開けた東州とうしゅうの声が続いた。

御主おぬしがあの娘に何らかの意味を見出したとするなら、そこには必ず理由があると見るべきであろう」

 意外な東州とうしゅうの言葉に、青洲せいしゅうは思わず顔を上げて返す。

「しかしながら……恐ろしい力も有しておりました…………」

「恐ろしいとは…………」

「総てを見たわけではありませぬが……手を触れずに人の命を取る事が出来ました…………しかも何人もの男達を相手に……顔色一つ変えなんだ…………」

「……そうであったか…………」

 東州とうしゅうの声が僅かに震えるのが青洲せいしゅうにも分かった。

 流石に東州とうしゅうも驚いた。スズはまだ十歳程度。小さな体に顔も幼いまま。目の鋭さだけが大人びていることは最初に見た時に東州とうしゅうも分かっていたが、よもやそんな〝力〟があるとまでは見抜けなかった。

 その東州とうしゅうが続ける。

「それでここに?」

「いえ、拾ったのは私も〝力〟を知る前です」

 東州とうしゅうは、青洲せいしゅうの言葉を噛み締めるかのように目を閉じた。

 そしてゆっくりとまぶたを上げて返した。

「……不可思議なことなりは……あるものよ…………」

 口元に笑みを携えた東州とうしゅうが更に言葉を繋げる。

「以前より考えおりしことなるが……青洲せいしゅうよ……清国会しんこくかいにも〝神〟が必要だとは思わぬか?」

「……神……ですか…………」

「いかにも……清国会しんこくかいにとっての神だ…………」

「それでしたらみかどが────」

「しかし今のみかどを持ってしてもこの世の中ではないか」

「……おそれ多い御考えにございまするぞ兄上」

 そう返した青洲せいしゅうの中に、不思議な感情が湧き上がった。

 反射的に口調が強くなった青洲せいしゅうにも構わずに、東州とうしゅうは言葉を繋げる。

「〝しんの神〟がいればどうか。朝廷のみならず多くの人心じんしんまでをも掌握しょうあくの出来る〝神〟がいれば…………このもとを一つに出来るとは思わなんだか」

「しかしながら…………それはみかどよりも上に位置するということ」

 無意識に青洲せいしゅうは声を落としていた。

 しかし東州とうしゅうは声を張り上げる。

「それこそが神ではないか。天照大神あまてらすおおみかみ様の末裔まつえいが……みかどではなく……あの幼き娘だとしたら…………」

「兄上! そのような御考えは危険です!」

 青洲せいしゅうは叫ぶと同時に立ち上がっていた。

 強い風が吹く。

 狩衣かりぎぬすそが大きく揺れた。

 青洲せいしゅうの顔を見上げる東州とうしゅうの目は鋭い。

「……緩いぞ青洲せいしゅう…………あの御子おこは神が我らに使わしたに相違そうい無かろう……」

 その東州とうしゅうの言葉は重かった。

 東州とうしゅうの言うことにも一理があるのは事実。みかど自身がこの国の行く末に影響を及ぼしているとは思えなかったからだ。青洲せいしゅうもそこに疑問が無かった訳ではない。


 ──……みかどは……本当に〝神〟なのか…………


 ──…………ただの…………人形ではないのか………………


 ──……神は…………どこだ………………





 さきの首筋には、綾芽あやめの手にした短刀の刃。

 その刃は未だ冷たいまま。

 刃が横に引かれれば、さきの命は終わる。

 その命は、綾芽あやめが握っていた。

 綾芽あやめ御世みよが作った〝幻〟。

 涼沙りょうさ西沙せいさが産まれる前から御陵院ごりょういん家に入り込み、この時のためにさきの娘として生きてきた。

 誰も気が付かなかった。雄滝おだき神社の滝川たきがわ家ですら分からなかった。御世みよが作った姫神ひめかみ伝説の創作は、そのためでもあった。

 それは御陵院ごりょういん神社を離れた西沙せいさですら同じ。一歩引いて見ることの出来た西沙せいさでも気が付かなかった。しかも西沙せいさ御世みよ依代よりしろでもある。しかしだからこそ西沙せいさには見えなかった。西沙せいさが気付く前に、綾芽あやめ西沙せいさを遠ざけた。同時に御世みよ西沙せいさ依代よりしろとすることで西沙せいさが気付かないように操作した。

 それでも御世みよに取って予想外だったのは八頭鴉島やずがらすじまの一件。

 萌江もえたちは御世みよ出自しゅつじに触れた。

 だからこそ、見えた。


 本殿の中で立ち尽くす御世みよの目の前には、背後から綾芽あやめに短刀を突き付けられているさき

 背後には西沙せいさ

 御世みよは完全にだまされた。萌江もえだと思っていた姿は西沙せいさ幻惑げんわく


 ──……萌江もえ様たちが私を裏切るだと…………?


 ──……何を考えているのか…………私に勝てる者など…………


 そんな思考が頭を巡る御世みよの背後から、西沙せいさの声がする。

御世みよは…………血を好むの?」

 すると御世みよは口元に小さく笑みを浮かべて応えた。

「……必要であれば…………」

「……私たちは違う…………だまされたよ……御世みよも同じだと思ってた」

「綺麗事で復讐は出来ません……」

 やや強くなった御世みよの口調に対し、返す西沙せいさの声は冷静なまま。

「スズって誰? 御世みよ自身の復讐だけじゃないよね……そのスズの恨み? 随分と大仕掛けじゃない」

「スズは……」

 御世みよは僅かに声を震わせながら続ける。

「……金櫻かなざくら家……最初の御人おひとです…………総てはスズから始まりました……」

 その言葉は御世みよの声のみならず、冷え切った本殿の空気をも揺らした。

「…………始まり…………」

 そう小さく呟いていたのはさき

 清国会しんこくかいの二番手。御陵院ごりょういん神社の当主として、総てを信じてきた。先祖もそうだったと思っていた。何の疑いもあるはずがない。天照大神あまてらすおおみかみから繋がっていると信じ続けてきた。

 同時に、それを信じなければ清国会しんこくかいを守れなかった。支えていくことは出来なかった。

 そんな母であるさきの気持ちを汲み取りながらも、西沙せいさ御世みよの背後から言葉を投げる。

「つまり……スズの存在を利用して金櫻かなざくら家は作られたと?」

 すると、御世みよさきの震える目を見ながら応えた。

「……そうです…………」

 その御世みよの低い声に、さきは目を見開くだけ。

 背後の綾芽あやめが手にするやいばさきの首に微かに食い込む。

 次にそのさきに声を向けたのは西沙せいさだった。

「だってさお母さん。何が天照あまてらすよ……そんなものにみんな騙されてきたわけだ。でも……一つ分からなかった…………」

 西沙せいさ御世みよの背中に視線を戻して続ける。

「おかしいと思ったんだ…………時を超えられるあなたが、どうして昨日……萌江もえの前にだけ姿を現したのか…………綾芽あやめとしてもうそこにいたんだよね。そして綾芽あやめとして…………涼沙りょうさを殺した…………」

 意外にも御世みよの返答は早い。

西沙せいさ様は涼沙りょうさ様に恨みがあったはず……母上にも…………」

「そうだね……それは否定しないよ。でも萌江もえに約束したんだ……誰も犠牲にしないって…………それを分かってて、わざと涼沙りょうさを殺したの?」

「その理由を御聞きになりたいと?」

「うん……滝川たきがわ家と金櫻かなざくら家を終わらせるから……滝川たきがわ家の血を引いた御陵院ごりょういん家も終わらせるのかな…………それなら私も消さないとね」

綾芽あやめが全員を殺します」

 そう言った御世みよは視線を目の前のさきに向けたままだった。

 そのさきの命は、未だ綾芽あやめ────御世みよが握っている。御世みよさきの目を見続けることでそれを強調した。しかし同時に、背後の西沙せいさの存在のために動けなくなっていることも事実。


 ──……西沙せいさ様を……甘く見ていたというのか…………


 西沙せいさ依代よりしろとして利用してきた。

 西沙せいさを操れると思ってきた。

 しかし今、御世みよが背後から感じる圧力はそれまでの西沙せいさのものとは違う。

 御世みよは初めて西沙せいさに恐怖を感じていた。しかしそれだけではない。そこには自らの計画が崩れていく怖さも重なっていた。

 同時に、次の展開が見えない不安。


 ──……邪魔をしているのは……誰だ…………


 西沙せいさが畳み掛けた。

綾芽あやめが殺せば……自分のせいじゃないことに出来たもんね。それから萌江もえを操るつもりだったの? 萌江もえも殺すの? 金櫻かなざくらの直系だけど…………」

あやめる必要はありません……萌江もえ様の血は言わば犠牲者…………滝川たきがわ家や御陵院ごりょういん家とは違います」

「ホントにそう? 萌江もえにはあなたでも勝てないと思ってるから、でしょ?」

 御世みよは応えない。

 事実だった。本来ならば金櫻かなざくら家を終わらせるためなら萌江もえも殺さなければならない。しかし萌江もえには本人も気が付いていないほどの力があった。そして御世みよだけがそれに気付いていた。

「……萌江もえ様は御子おこを作れぬ身…………あやめる必要など…………」

 御世みよのその言葉は、何かをにごす。

 しかし、それは西沙せいさ見透みすかされる。

「へー…………御世みよほどの人がそんな〝嘘〟を言うなんてね…………」

「……嘘などと…………」

「勝てないはずだよ…………だって萌江もえは────」

「────西沙せいさ様!」

 御世みよが叫んでいた。


 ──……気が付いているのか…………


 西沙せいさは少し間を空け、まるで臆さずに続けた。

「なら…………私には、勝てるの?」

 しかし応えない御世みよに、西沙せいさが続ける声は自信を持ったもののように感じられた。

「じゃあ……殺される側の私は対抗するしかないね。その前に質問をさせて。さっき金櫻かなざくら家も終わらせるって言ったじゃない。萌江もえを殺さないなら……やっぱりあなたも金櫻かなざくら家を取り込みたいだけ?」

 そしてやっと御世みよが口を開く。

「……いいでしょう……では……苑清えんせい殿も知らない真実をお話しします…………」

 そう言う御世みよは、懸命に主導権を自分に戻そうとしていた。


 ──……この場を掌握しょうあくしているのは………誰だ……………





 応仁おうにん二年。

 西暦にして一四六八年。

 戦乱は未だ続いていた。

 スズが雄滝おだき神社に入って一年。

 スズは〝神〟として祭り上げられていた。


 新たな名────金櫻鈴京かなざくられいきょう


 天照大神あまてらすおおみかみの唯一の末裔まつえいにして、金櫻かなざくら家の唯一の血。

 その総ては滝川東州たきがわとうしゅうが作り上げた神話。

 朝廷が真実を隠すために金櫻かなざくら家の血を潰そうとした、という嘘の歴史まで作られた。

 それに多くの神社が真実を知らないまま賛同を始める。

 その効果は絶大だった。

 少しずつ清国会しんこくかいの名前が広がり始め、東州とうしゅうも次第にその反応に酔いしれていく。

 青洲せいしゅうの反対を押し切れる程にスズの能力は絶大だった。他人の意識を操れるだけでなく、過去や未来までも見えた。何の道具も使わずに川をき止める様を見た時、東州とうしゅうはその神がかりな〝力〟に恐怖し、同時に平伏ひれふした。


 ──……本物の神だ…………


 そして東州とうしゅうは、雄滝おだき神社がスズを手にしたことには意味があると思った。それこそが清国会しんこくかいの存在する理由だと考えるようになっていた。

鈴京れいきょう様さえいれば……もと我等われら掌握しょうあく出来るであろう…………」

 月に一度のほこら神事しんじ。その終わりに東州とうしゅうが言ったその言葉に、青洲せいしゅうは背筋に冷たいものを感じながらも返した。

「確かに〝予見よけん〟が外れた事はありません……しかしながら…………」

 しかしその歯切れの悪い言葉はすぐに東州とうしゅうに拾われる。

「貴様が見つけてくれた〝神〟ではないか。いずれは御主おぬしにも大きなやしろを預けようぞ」

 東州とうしゅうほこらに背を向けて青洲せいしゅうに正面を向けた。

 対する青洲せいしゅうは足元の地面を見つめている。

「しかし兄上……かような嘘…………いずれは…………」

 その青洲せいしゅうの迷いを含んだ声に反して、それに返す東州とうしゅうの声は力強い。

「案ずるな青洲せいしゅう清国会しんこくかいはこれから必ず大きくなる…………次は朝廷を中から動かす算段を思案せねば」

 しかしその目は、かつての東州とうしゅうの物ではなくなっていた。

 青洲せいしゅうはそこはかとない不安の中、何かに突き動かされるように返していく。

「今はまだ良いでしょう……しかしいずれは跡取りの問題もあるではありませんか⁉︎」

「では、どうであろう青洲せいしゅう……鈴京れいきょう様の血を…………滝川たきがわ家とからめてみる気はないか?」

「……? 兄上……それは…………」


 ──…………何をするつもりか…………


「さすれば我等われら天照大神あまてらすおおみかみ様の血を受け継ぐことが出来るではないか……清国会しんこくかいの頂点としての立場を不動のものに出来るとは思わぬか?」


 ──……天照大神あまてらすおおみかみ様の血? それは兄上が作った嘘の歴史ではないか…………


 ──……気でも違ったか…………操作されているのか…………


 青洲せいしゅうの中の押し寄せるような不安が、焦りを生む。

「しかしなれど兄上にはすでに世継ぎが御二人もおるではありませんか」

鈴京れいきょう様の御子おこを世継ぎとする」

「────兄上‼︎」

「近頃は清国会しんこくかいに不信感を持つやしろもある……朝廷に入り込む前に黙らせなければ…………」

 すでに、青洲せいしゅうの言葉は、東州とうしゅうには届いていなかった。


 それから二晩も経った頃だろうか。

 すでにこく

 東州とうしゅうはスズの寝室にいた。

 布団の中で上半身を起こしたスズに向かい、東州とうしゅうは深々と頭を下げ続ける。

 月明かりがやけに明るい夜だった。障子を過ぎるその明かりは、容赦無く室内に強い影を落としている。その陰影の強さが新たな影を生み出すのではないかと思う程に、東州とうしゅう狩衣かりぎぬは複雑な影を作り出していた。

 東州とうしゅうは畳の自分の影に額を着けながら口を開く。

「……鈴京れいきょう様、今後の清国会しんこくかいいな金櫻かなざくら家の血筋と、このもとの繁栄のために…………御子おこを産んで頂きたく、夜半にも関わらずやって参った次第…………」

 スズはいつもと同じ、感情を表さない顔のまま。

 スズが笑ったところを誰も見たことがなかった。常に同じ表情を崩さない。しかし冷徹にも見えるその雰囲気は、スズの人間離れした神秘性に拍車を掛けていた。

 そのスズが、小さく口角を上げる。しかし頭を下げたままの東州とうしゅうには見えない。

 やがてスズが口を開く。

「ほう…………われの子が欲しいと申すか…………」

「はい」

「タネは御主おぬしか?」

「…………はい」

 東州とうしゅうはすぐに返し続けたが、しかしその気持ちは穏やかではなかった。

 おこがましい願いであることは東州とうしゅうにも分かる。しかしその気持ちを押してでも東州とうしゅうには叶えたいものがあった。

 清国会しんこくかいが少しずつ大きくなってきた。地方の小さな神社がその中心となることに気持ちが高揚していた。純粋に戦乱の世をうれいていた気持ちはすでに無い。自らで〝神〟を作り、自らでその神を信じた。

 しかしその気持ちを後押ししたのは、スズだった。

 スズは東州とうしゅうの意識を操った。

 東州とうしゅうの作った〝神話〟を、スズが現実のものとした。

 もちろん東州とうしゅうはそれに気が付かないまま。

 しかしスズは自ら東州とうしゅうをそう仕向けておきながら、拒絶する。

「我の見た〝予見よけん〟に貴様の子はおらん」

 東州とうしゅうの全身に汗が浮かんだ。

「……おそれながら鈴京れいきょう様────」

われは子を産めぬ体……貴様の子など、無駄な事…………」

 そのスズの言葉に、東州とうしゅうは僅かに顔を上げる。

 そして少しだけ前ににじり寄った。


 ──……この後に及んで世迷言よまいごとを……清国会しんこくかいの為になら無理にでも…………!


 上半身を上げかけた時。

 背中に圧力を感じた。

 その強さが再び東州とうしゅうを畳に押し付ける。

 体の中心を何かが突き抜けていた。

 その何かは畳まで到達し、大きな亀裂を作る。

 東州とうしゅうにはまだ理解が出来ないまま、痛みも感じなかった。

 しかしそれが東州とうしゅうの体を後ろに抜けた時、やっと激痛が全身を巡る。

 腹部が熱かった。

 体が上がらない。


 その体の上で、長い刀を両手で持っているのは青洲せいしゅうだった。

 東州とうしゅううめき声が畳を伝って青洲せいしゅうの足に伝わる。

 途端に青洲せいしゅうは息苦しさを感じた。

 少しずつ、体の中心で恐怖心が膨れ上がる。

 それを打ち消す為か、青洲せいしゅう東州とうしゅうの背中に再び刀を突き刺す。

 何度も、抜いて、突き刺した。

 畳に広がった血溜まりが、月明かりを黒く照らす。


 その光景を、スズが無表情に眺めていた。

 まるで、総てを知っていたかのように、微動だにしない。

 しかし、その両目だけは月明かりの中で存在感を持っていた。

 怪しく光るその目には、動かなくなった東州とうしゅうの背中。


 青洲せいしゅうがゆっくりと顔を上げる。

 息が荒い。

 その体は黒く染まっていた。

 その青洲せいしゅうがやっと口を開く。

「……スズ……逃げろ…………このようなことは……人として許されぬ…………」

 そして、スズが静かに。

「……やはり……われの〝予見よけん〟には間違いがなかったようだ…………」

 そう言うと、その顔に、小さく笑みが浮かぶ。

 初めて見るスズのその表情に、青洲せいしゅうは魅入られた。

「…………スズ……」

 青洲せいしゅうが小さく呟くが、スズが続ける。

「……まだだ青洲せいしゅう……われ金櫻鈴京かなざくられいきょう…………天照大神あまてらすおおみかみの血を引く者…………」

 その声に、青洲せいしゅうの目が沈む。

 構わずスズの声が続いた。

「貴様の子を産む為に、われはここにいる…………」

「……金櫻かなざくら…………鈴京れいきょう………………」

 自分の意思とは関係なく、言葉が口を開かせる。

 もはや、青洲せいしゅうは自分がどこにいるのかも分からなくなっていた。

 初めて人を殺した。

 実の兄を殺した。

 戦乱の世を立て直そうとしていた青洲せいしゅうは、もうどこにもいなかった。

 スズの目を見ながら、青洲せいしゅうは畳に刀を突き刺す。

 そのまま足を進めた。

 まるで留めを刺すように、スズの口が開く。

「………われは子を産める体になった…………来るがよい……青洲せいしゅう…………」

 そして、部屋中に血の匂いが滴る中、青洲せいしゅうはスズの体を包んでいた。


 その夜の内、青洲せいしゅう東州とうしゅうの妻と二人の息子を殺した。

 まだ幼かった二人の世継ぎ。

 しかし青洲せいしゅうに迷いは無かった。

 総てはスズの〝予見よけん〟通り。

 青洲せいしゅうはそれに従うだけ。

 すでに、青洲せいしゅうはスズに操られていた。


 それから、およそ十月とつき

 スズに三つ子が産まれる。

 男子おのこが一人、女子おなごが二人。

 スズは出産の翌日、早速こんなことを言った。

「子達は滝川たきがわ家の後継だ……先の二人を夫婦めおととする」

 青洲せいしゅうにとっては全くの予想外な言葉。

「しかし鈴京れいきょう様……兄姉きょうだい夫婦めおととは…………」

「濃い血が出来る……われ予見よけんに間違いは無い……そして、御主おぬしはこれから金櫻かなざくら家の人間だ」

「そのようなおそれ多い…………」

 青洲せいしゅうはスズの言葉の意味を測り兼ねた。


 ──……何が見えているのか…………


「新しくやしろを作る…………御主おぬしも一緒だ」

「……新しく……やしろを…………」


 それから程なくして、雄滝おだき神社に客が訪れる。

 金櫻かなざくら家に世継ぎが産まれた事が他のやしろに伝わると、入れ替わり祝いの挨拶に来る者が続いていた。

 どの神社も清国会しんこくかい内部での、自分達の立場の為。

 権力の為。

 金櫻かなざくら家の為と考えている者は誰もいない。

 その日訪れた者。

 御陵院ごりょういん神社。

 当主、御陵院麻紀世ごりょういんまきよ────よわいは二三。

 まだ当主になって間もない。当主になってすぐ、御陵院ごりょういん神社が清国会しんこくかいに入る。それは麻紀世まきよ自身の希望だった。麻紀世まきよは当主になる以前から、清国会しんこくかい、強いては金櫻鈴京かなざくられいきょうに傾倒していた。

 急激に勢力を拡大していく清国会しんこくかいと、その中心となる神の存在。それは麻紀世まきよの期待を高めていく。

 年齢すらも分からない、謎に包まれた神。そして清国会しんこくかいが大きくなるにつれ、世継ぎが望まれていた。

 誰もがその〝血〟を求めていた。

 それは御陵院ごりょういん神社のような小さな神社でも同じ。自分達の存在感を高める為に雄滝おだき神社を訪れた。

此度こたびの世継ぎの御産まれ、我ら御陵院ごりょういんと致しましても至極しごく喜ばしきこと

 巫女みこ姿の麻紀世まきよは祭壇前のスズに深々と頭を下げた。

 三段構えの階段状になった一番上にスズが座り、その一段下、僅かに向かって左に青洲せいしゅうが腰を降ろしている。陽の高い時間であるのにも関わらず、小さな本殿の中は暗かった。しかしそのせいで作られる強い陰影ですらスズの神秘性を高める。

 もちろん麻紀世まきよはスズに初めて会った。

 見た目はどう見ても子供。十歳程にしか見えないが、顔付きは聞いていたよりも幼く感じた。しかしその目だけは噂以上のものだ。

 子供の目とは思えなかった。

 強いだけの目ではない。吸い込まれるのとも違う。


 ──…………人間の目ではない


 麻紀世まきよはそう感じた。

 同時に感じるのは、恐怖とは違った。

 言葉を返したのは青洲せいしゅう

大義たいぎ御陵院ごりょういん清国会しんこくかい新参しんざんなれど早くに駆けつけた。礼を言うぞ」

 混乱の世をうれいていながらも御陵院ごりょういん神社のような小さなやしろでは力不足。そう考えていた麻紀世まきよ清国会しんこくかいの話と共に野心を募らせていた。雄滝おだき神社も同じように小さな神社。その雄滝おだき神社が清国会しんこくかいの頂点にいられるのは、金櫻かなざくらの名前。

 金櫻鈴京かなざくられいきょうの存在。


 ──……鈴京れいきょう様に気に入ってもらえれば……清国会しんこくかいでの立場も…………





          「かなざくらの古屋敷」

      〜 第二三部「消える命」第3話へつづく 〜

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