第二三部「消える命」第1話 (修正版)

    水は下に落ちるもの

          広がるもの

     火は上に登るもの

            広がるもの

        歴史の中で

           その刹那せつな至高しこうなり





 応仁おうにん元年。

 西暦にして一四六七年。

 五月。

 幕政の中心的存在でもあった守護大名しゅごだいみょう────山名宗全やまなそうぜん五辻通大宮東いつつじとおりおおみやひがしに本陣を置く。

 その山名やまな勢を「西軍」。

 対する同じく守護大名しゅごだいみょう細川勝元ほそかわかつもとを「東軍」。

 幕府を東西に分けた争いが始まる。

 その戦火はやがて周辺諸国にも飛び火し、長きに渡る大乱となった。

 後の戦国時代への布石ふせきとも言われる〝応仁おうにんらん〟。

 戦火の中心となったのは京都。

 いくさが始まってからのきょうみやこは、血生臭いと噂されたという。

 暗い時代の始まり。

 通りには死体がいくつも並び、火災も日常となっていた。

 そんなきょうみやこにやってきたのは、一人の宮司。

 滝川青洲たきがわせいしゅう────よわいは二五。

 きょうみやこからは遠く、地方の小さな神社────雄滝おだき神社から訪れていた。

 雄滝おだき湖の湖畔で、まるで雄滝おだき湖を守るようにひっそりと建っていたその神社は、地元の人間でも知らぬ者のほうが多かった。

 いわゆる参拝客が訪れるような場所ではない。

 雄滝おだき湖は遥か昔から地元の貴重な水源となっていた所。かつて、そこに鬼が現れたという。その鬼が湖の水をき止めて困っていた所、一人の宮司が現れて鬼を退治した。そして二度と鬼が現れないように、湖を守る為に雄滝おだき神社を作った。それ以来、神社ははらごと専門の神社としてそこにあった。

 現在の当主は滝川東州たきがわとうしゅう青洲せいしゅうより七つ年上の兄。

 兄弟は混沌とした世の中をうれい、みかどたてまつって幕府を正しい道に導く為に新しい勢力が必要だと考えた。

 古くからもとに根付いてきた〝神道しんとう〟をまとめ上げ、強いてはもとがまとまる為の道筋を作りたかった。

 清国会しんこくかい────その組織の賛同者を集め、同時にきょうみやこの現状を見てくる事。それが青洲せいしゅうに課せられた使命。

 すでに青洲せいしゅうはいくつもの神社を周り、神職に携わる者達が今の現状を危惧し、うれいていることを知った。そしてどの神社からも悪い反応は聞かれない。しかし手応えを感じながらも、やはり雄滝おだき神社の知名度の低さが最後の一歩を踏み止まらせているように感じた。

 もう一歩に繋がらないもどかしさ。


 ──……神の名の下でも……必要なのは権力だというのか…………


 そんな青洲せいしゅうみやこ郊外の小さな神社を訪れた帰り、一人の少女と出会う。

 死体の腐臭が漂う通りのかたわら、細い路地の中、二人の男達がその少女を広い通りへと引きずる姿に、青洲せいしゅうは足を止めた。周囲の人々は足を止めかける程度。関わり合いになりたくないとでもいうように離れていく。

 十歳程だろうか。少女はあちこちが擦り切れた使い古した一重ひとえだけの着物。浴衣の様に見えるが泥に塗れてがらも分からない。肩ぐらいまでの髪の毛はもちろん切り揃えられてなどいない。幾重いくえにも絡まって見えるその髪を引っ張っている男の一人が声を荒げる。

「手間を掛けさせるな! 行く所など無い身の上が!」

 少女は裸足のまま踏ん張るが、当然のように大人の男の力には敵わない。

 しかし、少女の髪を掴む男の手が一瞬だけ緩んだ────ように青洲せいしゅうには見えた。

 男が僅かにひるんだ直後、青洲せいしゅうは無意識に口を開く。

「もし」

 男達が振り返ると、そこには狩衣姿かりぎぬすがたの神職と思しき男の姿。その姿に、男達も無下に声を荒げづらいのか、鋭い目だけを向けた。

 そして青洲せいしゅうが続ける。

「まだ幼い子供ではないか」

「あんたみたいな御人ごじんには関係の無いことだ」

 男の一人は吐き捨てるようにそう言う。生きる世界が違うとでも言いたげな表情を向け、再び少女の髪を乱暴に掴んだ。

「行くぞ」

「その子が何をしたと言うのだ」

 青洲せいしゅうのその問いに、男は溜息をいて応える。

「あんたみたいな人だって遊郭ゆうかくってものくらいは知ってるだろ? こいつは店から脱走したのさ」

 とは言え少女はまだ幼い。売られた子だろうかと青洲せいしゅうは考えた。そういったことに詳しい程、青洲せいしゅうも世の中を知らない。

「そうであったか……母親はおらぬのか」

 こんな言葉しか出てこなかった。青洲せいしゅうは自分のあさはかさを恨んだ。

「母親? 何年も前に身受けしてこいつを捨てたのさ。それからこいつは店の物だ。それともあんた、のみだらけのこの娘を身受けでもしてくれるのかい?」

 男はそう返すと、嫌な笑みを浮かべて続けた。

「もういいだろ? 俺達も仕事なんだ」

「良い。いくらだ」

 青洲せいしゅうのまさかの一言に、男達は目を見開く。

 近付く青洲せいしゅうに一歩下がっていた。

「おい……冗談だろあんた」

 青洲せいしゅうふところから紫の巾着袋きんちゃくぶくろを取り出すと、男の目の前に差し出して返す。

「旅金の総てだ。受け取れ」

 男が呆然とそれを手に取ると、ずっしりと重い。すぐに中を覗き込む。

 青洲せいしゅうが続けた。

「娘は死んでいたことにすれば良い。その金は貴様達が山分けにすれば損はあるまい」

 男達は途端に表情を変えた。作り笑顔で頭を下げながら小走りに去っていく。


 ──……金さえ貰えたら関わる気は無いか…………


 そう思った青洲せいしゅうを、半ば呆然と少女が見上げていた。

 その泥だらけの顔に視線を落とすと、青洲せいしゅうは表情を和らげる。

あんずるな。旅金はまだある」

 差し出した手を、少女が強く握った。


 陽が傾いていた。

 郊外の宿屋が並ぶ通りに、点々と明かりが灯り始める。

 青洲せいしゅうは数日前に利用した宿屋に向かっていた。それなりの規模の宿屋だった。血生臭く、閉まった店の多い中で生き残っていた財力のある所でもあるのだろう。暗くなってからも人の出入りと活気があった。世の中が騒乱で疲弊しているとはいっても、回る場所では金は回る。

 青洲せいしゅうはその店の暖簾のれんくぐった。

「すまぬが、今宵こよいも世話になりたい」

 すると、満面の笑みで出迎えた女中じょちゅうが小さく悲鳴を上げる。身なりの整った神職姿の青洲せいしゅうの隣に見窄みすぼらしい子供がいては無理もないことだろう。どう見ても町外れに倒れ込んでいる宿無し人にしか見えない姿。

「申し訳無いことだが、この娘を風呂に入れてやってはくれまいか。手頃な着物も頼みたい。宿代は倍出そう」

 それを聞いていた店の主人が奥から飛び出してきた。そこそこの年齢に見えるが、生きることに疲れているほど老けてはいない。主人は青洲せいしゅうに満面の笑みを浮かべる。

「これはこれは宮司様。かしこまりました。すぐに…………おい、お前達!」

 振り返って女中じょちゅうに声を張り上げる。

「早くしないか! お風呂とお部屋と……御食事の御用意だ!」

 こういう時の商人あきんどの動きは早い。


 ──……さすがはきょうみやこだな…………


 部屋に夕食の御膳おぜんが運ばれてきても、青洲せいしゅうは少女が来るのを待った。

 なぜ少女を救ったのか、静かな部屋の中で青洲せいしゅうは考えていた。同じように辛い目に会っている人々は大勢いるだろうということは青洲せいしゅうにも想像がつく事。その一人一人を救っていては切りが無いことも分かっていた。もっと広い観点で見なくてはならなかった。

 総ての目的はみかどを中心に平穏な世の中を作り出す事。


 ──……私も……疲れていたのだろうか…………


 青洲せいしゅうは自らの不甲斐ふがいなさを悔いた。

 同時にこうも思う。


 ──……目の前の一人を救えずに…………何を救えると言うのか…………


 青洲せいしゅうは神職に携わる人間として、自らの感性に賭けた。

 程なくして、ふすまが開く。

 あさの葉のがら浴衣ゆかた。三角形を集めた六角形があさの葉を模したもの。三角形には魔除けの意味があるという。その三角形を集めて形作られた六角形はより強力なものとされた。よく目にするがらとはいえ、その多くには意味が込められている。

 青洲せいしゅうは立ち上がると、ふすまを閉めようとした二人の女中じょちゅうに腰を落としてお金を渡した。

「御苦労を御掛けいたしました。これで新しい着物でも都合してくだされ」

 少女がよほど暴れたのか、女中じょちゅう達の着物が酷く濡れていたからだった。

 女中じょちゅうが笑顔でふすまを閉めると、青洲せいしゅうも席に戻って少女に声を掛ける。

「座ってくれ」

 大人しく御膳おぜんの前に正座をする少女の目は、その料理の数々に目を奪われていた。

「肌を見れば分かる。しばらく食べていないのであろう。好きなだけ食べるが良い」

 少女ははしも取らずに手掴みで食べ始めた。

 作法さほうというものに触れたことがないままに育てられたのだろう。


 ──……この子は何も悪くない……教える者がいなかっただけだ…………


 一通り食べ終わった頃、青洲せいしゅうが口を開いた。

御主おぬし……名前はあるのか?」

 すると、少女は湯呑み茶碗の冷めた白湯さゆを飲みながら応える。

「…………スズ……」

「スズか……付けてくれたのは…………」

「知らん……そう呼ばれていた」

「そうか…………しかしその名が付いた事には意味があるもの…………どんな事にも意味があるのだ」

 少女を捨てたという母親かもしれないと思ったが、青洲せいしゅうは母親の話には触れなかった。

 捨てたのか、捨てさせられたのか、それは青洲せいしゅうには推測の域を出ない事でしかない。

 すると、スズと名乗った少女が口を開いた。

「貴様も私が欲しいのか?」

 その大人びた口ぶりに、青洲せいしゅうは無意識に身構える。

 スズが続けた。

「私のような子供の体で欲を満たしたいのであろう? 好きにすればよい。ぜにさえくれれば不満は無い。店を逃げてからはそうやって生きてきた……男は皆、同じだ…………」

 スズは手で畳をさすってさらに言葉を繋げる。

「畳の上ならば体も痛くはあるまい」


 ──……何ということだ…………


 青洲せいしゅうの体が僅かに震えていた。


 ──…………こんな世に…………誰がしたのだ…………


 それは怒り以外の何物でもなかった。

 震える唇を噛み締める。


 ──……早くみかどたてまつって平穏な世にしなければ…………清国会しんこくかいで…………





 早朝。

 湿度が低いからか、冷え切った空気。

 蛭子ひるこ神社の空には、細かな雪が舞い続けていた。

 その数が少しずつ増え、なおもゆっくりと落ちていく。

 風は無い。

 まるで、空が雪の姿を借りて落ちてくるような光景だった。

 本殿の階段に右足をかけた萌江もえと、それを見下ろすようなさきの間に挟まるのは、その雪だけ。

 そして、萌江もえの目の前の空間だけがゆがんでいた。

 薄らとしたそのゆがみは、しだいに膨らんでいく。

 萌江もえの低い声が雪を溶かす。

「……咲恵さきえを返せ…………」

 その場の雰囲気はあっという間に萌江もえ掌握しょうあくされ、さきは明らかに気持ちを掻き乱されていた。

 気持ちで負けるということがどんな意味を持つのかはさきにも分かっていること。しかし目の前の萌江もえの姿は、今まで知っているはずの萌江もえのものとは明確に違った。

 夜通し呪禁じゅごんを唱え続けた疲労もあっただろう。しかも体力的なものだけではない。集中させた精神も明らかに疲弊ひへいしていた。しかし今の萌江もえから感じるものはそれを超えていた。

 気持ちで感じる違い。

 脅威きょうい異形いぎょう、そして神々こうごうしさ。


 ──……金櫻かなざくら家……最後の末裔まつえい…………


 そんな言葉がさきの頭に浮かぶ。

 分かっていること。しかし、さきは初めてその意味に恐怖した。

 さき金櫻かなざくら家の頂点を京子きょうこであると判断していた。それは京子きょうこが総ての中心にいると判断したからに他ならない。そしてその判断は御陵院ごりょういん家だけでなく雄滝おだき神社の判断でもある。つまりは清国会しんこくかいの意向。

 そしてさき京子きょうこを求めた。京子きょうこ依代よりしろとする咲恵さきえを求めた。

 以前、一度だけその真意を確かめようとしたことがあったが、その時も京子きょうこは姿を現さなかった。結局何も分からないまま。

 最終的に、御世みよはばまれた。

 京子きょうこが一番の力を持っていると考えていた。同時に一番恐れるべきもまた京子きょうこだったはず。

 萌江もえはあくまで京子きょうこ清国会しんこくかいからの目をごまかすための存在でしかないと考えた。そうでなければ、子供を産めない体であったはずの京子きょうこ萌江もえを産めるはずがない。

 いわば〝まぼろし〟。

 同時にそれは京子きょうこの恐ろしいまでの能力を表してもいること。

 京子きょうこは肉体を失っただけ。今も依代よりしろである咲恵さきえの中で生きている。そして総ての中心にいる。清国会しんこくかいはそう考えた。

 しかし、その京子きょうこは未だ姿を現さないまま。

 さらに、さきの目の前の萌江もえの姿は、明らかに京子きょうこを超越したもの。

 さき恵麻えまの考えが間違っていたのか、それともさきを迷わせるために見せている幻か。

 さきは目の前の萌江もえに、明らかに恐怖を感じていた。

 恐れは迷いを生む。迷いはけがれを生む。そしてさきの中のけがれは、すでに萌江もえ見透みすかされていた。

 その萌江もえがゆっくりと口を開く。

「……私には総ての力がある……時を越えることも……貴様の意識を惑わすことも…………」


 ──…………? まさか…………


「…………御世みよか……」

 さきは自分のその声に、心臓の鼓動が落ち着いてくるのを感じながら続けた。

「貴様…………小賢こざかしい娘よ……姿を見せい! 貴様が総ての元凶であろうが!」

 さきは気が付く。

 萌江もえの姿の前にあるゆがみ────その〝結界〟は、前日に御世みよが作り出して見せたものと同じだった。

 表情を変えない萌江もえの口が開く。

 しかしそこから聞こえるのは萌江もえの声ではない。

「時は常に一緒だ……過去も未来もない……貴様は未来を見ようとして過去に囚われすぎている。総てはいつも同じ所にあるのに…………」

 それは御世みよの声。

 そしてその萌江もえの姿が階段をゆっくりと登る。

 さきがさらに言葉を荒げた。

「────貴様の目的は何だ!」

 目の前の萌江もえは、萌江もえではない。さきは自らの気持ちを鼓舞こぶするかのように続けた。

「敵か! 味方か! 何を隠している⁉︎」

金櫻かなざくら家の真実は苑清えんせい殿でも知らぬことがある……我の願いは……滝川たきがわ家と御陵院ごりょういん家の終焉しゅうえん……金櫻かなざくら家を終わらせたいだけ…………」


 ──……どういうことだ…………


「……金櫻かなざくらの血を…………?」

 さきに再び生まれる〝迷い〟。

 萌江もえの口が再び動く。

「……天照大神あまてらすおおみかみ末裔まつえいだと? どこにもそんなものは存在せぬわ」

 すると、萌江もえの姿が────〝ズレ〟た。

 そこから浮き出るように階段を登ってくるのは、巫女みこ服の御世みよの姿。

 階段で足を止めた萌江もえの背後で従者じゅうしゃのザワつきが聞こえた。萌江もえは素早く上半身をひねったかと思うと右のてのひら従者じゅうしゃたちに向け、その動きを止める。

 その光景に、さきは背中に冷たいものを感じていた。


 ──……何を見せられている…………


 もはや御世みよ西沙せいさの〝幻惑げんわく〟の力だけとも思えない。


 ──…………? 西沙せいさはどこだ…………


「────馬鹿な!」

 その叫び声はさきの背後から。

 声を震わせた苑清えんせいのもの。その声が続く。

「どうしてそれを貴様ごときが────!」

 すると御世みよさきの顔を見たままで苑清えんせいに応えた。

「……総て、見てきたからだ…………」

 そして階段を登り切った御世みよは、ゆっくりと足を進めながら言葉を繋げる。

「神話など……人間が作り出したもの…………ただの作り話……」


 ──……本当に御世みよなのか…………


「我は……金櫻かなざくら家の始まりを知っている…………」

 その御世みよの言葉の直後、さきの喉に冷たい物が当たる。

 その何かに、光が反射しているのが分かった。

 さきは背中に感じる誰かの存在にやっと気が付く。


 ──…………まさか………………


 総てがさきの予想に反していた。

 今、自分の周りで何が起きているのか、先が見えない。

 やがて、背後からの小さな吐息が、さきの耳元で声に変わる。

「……そう…………総て……見てきた…………」


 ──………………綾芽あやめ……


 聞き間違うはずがない。

 それは間違いなく、綾芽あやめの声。

 そしてその綾芽あやめが自分の喉に刃物をわせている。

 信じたくなどない。

 信じられるわけがない。

 そこに御世みよの声が響く。

「終わりにしよう、さき…………我の〝幻惑げんわく〟を見抜けなかった御主おぬしには……用が無い……」

 思考の追いつかないさきの耳に、御世みよの言葉が続いた。

「今まで私を育ててくれて感謝するよ……綾芽あやめは…………私そのものだ……」

 さきは無意識に両眼を見開いていた。


 ──……最初からことの中心にいたのは…………


 そのさきの耳元で、再び綾芽あやめの声がささやく。

「……これは…………スズの復讐なんですよ…………母上……」


 ──…………スズ……?


 続くのは御世みよ

「誰も気が付かなかったのか……滑稽こっけいではないか」

 しかしそれに返したのは、意外な所から。

 御世みよの背後にいる萌江もえの声だった。

 その声が空気を震わす。

「そう?」

 それは、その場の張り詰めた空気に似つかわしくない声だった。

 冷静で落ち着いた、萌江もえの声が続く。

「……私は約束したんだ……誰も犠牲にしない…………だから、御世みよの考えは、ちょっと、ね」

 御世みよはすぐに返していた。

萌江もえ様、その御考えは生ぬるいものかと…………」

 それに萌江もえは小さく溜息。

「……まだ気付いてないんだ……」

 その萌江もえの言葉に、御世みよは反射的に振り返る。

「? 萌江もえ様……?」

 その時、さきの意識の中に声が届いた。


  『 ……母上……西沙せいさを信じて………… 』


 ──…………! ……涼沙りょうさ…………


 御世みよの目の前で、萌江もえが振り返る。

 その姿は、瞬時に変化した。

 全員の目の前で、それは────西沙せいさの姿へ。

 黒いゴシックロリータのすそが揺れた。

 御世みよは驚いた表情を見せるが、すぐに鋭い目付きへ。そして眉間みけんしわを寄せた。

 最初に口を開いたのは西沙せいさだった。

だましてごめんね御世みよ……あなたが私を依代よりしろになんか使うからだよ。遠ざけるだけにしておけばよかったのに…………でも、お陰でカラクリが総て分かった」

 御世みよは何も応えずに、顔をさきに戻す。

 西沙せいさは階段を登り、御世みよのすぐ後ろへ足を進めて続けた。

御世みよの気持ちも分からなくはないよ。確かに清国会しんこくかいは道を間違えた……でも……あなたはスズの復讐を果たしたかっただけなんだ…………」

 西沙せいさの鋭い目が、御世みよの背中を見上げる。





 翌朝、青洲せいしゅうとスズは早目に宿を出た。

 清国会しんこくかいの思想に賛同してくれる繋がりは充分に作った。一度報告も兼ねて雄滝おだき神社に帰り、スズを神社に住まわせようと考えていた。まだ幼いスズを連れ回すのも得策とは思えない。

 きょうみやこから雄滝おだき神社までは歩いて十日以上。しかもスズの歩幅に合わせると倍は掛かると思われた。男達からスズを救う為に旅金の半分は使ってしまっていた。夜は危険を避ける為にかごを使おうと考えたが、日中は歩かざるを得ない。その為にも出発は早い。

 青洲せいしゅうの服装は狩衣姿かりぎぬすがた。明らかに神社の宮司。本来なら誰からも尊敬を抱かれる立場。粗末に扱おうという者はほとんどいなかった。

 しかし貧しい暮らしの人間たちに取っては高貴の象徴。いわゆる金持ちにしか見えなかった。しかも今の青洲せいしゅうはたから見たらスズと親子そのもの。スズの服装も昨日までの貧しい物ではない。短いながらも髪もくしが通された物。

 貧しい者たちはその日暮らしの者も多い。定職など持てるはずのない者がほとんど。そんな者たちの中には生きることに何の希望も持てないまま、神に対しての信心など持てない者も多い。ともすれば、神職の人間だからどうということはない。金を手に入れたいだけ。まして幼い女も手に入る。二人が狙われないわけがなかった。

 青洲せいしゅうは自分たちに鋭い目を向ける貧しい者たちの間を歩きながらスズに語りかけた。

「これが世のこよわりだ。人の世に平等などという言葉は無い。長きに渡って変わってはいないのだ。まして今は混乱の世…………私はこの世の中を変えたい」

 直後、背後からの足音に気持ちが張り詰める。

 隣のスズの体が浮いたかと思うと、途端にその体を抱えた男が走り去る。

 同時に青洲せいしゅうの周りを数人の男達が取り囲む。

「…………貴様ら……」

 思わず青洲せいしゅうは呟いていた。


 ──……これも世のことわりか…………


 しかしその止まったような空気を、予想外な男の叫び声が崩す。

 慌て始めたのは青洲せいしゅうの周りの男達。

 青洲せいしゅうが叫び声を目で追うと、そこにはスズが立ち尽くす。

 その横に倒れる男の体。

 男を見下ろしていたスズが、ゆっくりと青洲せいしゅうに顔を回す。

 そして歩き始めた。

 ゆっくりとスズが近付いてくる。

 体を震わす男達が、やがて震えたうめき声を上げ始めた。

 腕と足を踊らせながら、うめき、地面に倒れ込む。

 鈍い、体の芯の部分が壊れていく音が地面を伝った。

 男達は目を見開いたまま動きを止める。


 ──…………殺したのか…………


 スズは青洲せいしゅうの目の前で立ち止まると、見上げた。

 昨日から続く鋭いスズの目。

 その冷徹な目を揺らしながら口を開いた。

「人の世に平等という言葉は無い。しかるに、こんな者達は死んで当然だ。私にとっては無用の存在」

 今まで感じた事のない恐怖。

 それが今、青洲せいしゅうの目の前で具体的な形を示している。

 命の危険に繋がるような怖さではない。

 体の芯が震える。

 全身が高揚した。


 ──…………初めてではないな…………こんな力がこの子に…………


「……行こう……」

 青洲せいしゅうはそれだけ言うと、スズの手を取って歩き始めた。





          「かなざくらの古屋敷」

      〜 第二三部「消える命」第2話へつづく 〜

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