第二一部「堕ちる命」第2話 (修正版)

 夕暮れ時。

 季節の涼しさが増す。

 毘沙門天びしゃもんてん神社。

 その参道の石畳を鳴らすハイカットブーツの音に、本殿にいた西沙せいさは立ち上がって駆け出していた。

 萌江もえ咲恵さきえの姿に思わず声を上げる。

萌江もえ!」

 子供のようなその満面の笑みに、萌江もえも軽く笑顔になる。そして階段を登ってきた頃の張り詰めた表情を隠していた。

「おやおや、まるで遠距離恋愛の彼女にでも会ったみたいな顔だよ西沙せいさ

 その萌江もえのいつもの声に、西沙せいさの口調も普段のものに戻っていく。

「それを言うなら彼氏にしてよ。私は萌江もえ咲恵さきえとは違うんだから」

「あれ? 杏奈あんなちゃんとはそういう関係じゃないの?」

「違うに決まってんでしょ! なんでそうなるのよ!」

 しかしそう応える西沙せいさの顔が少しだけ赤くなったのを、夕陽が隠した。

 そこに咲恵さきえ

「はいはい、しずくさんの前でしょ」

 そして咲恵さきえは声のトーンを落とし気味に続ける。

「……かえでちゃんのためにも早く始めるよ」

 そして本殿への階段を登り始める。

 笑顔になった萌江もえ西沙せいさ咲恵さきえの背中に続くと、やがてしずくの声が聞こえてきた。

「お疲れ様です……突然すいません…………私で力になれるかどうか…………」

 咲恵さきえが返していく。

しずくさんこそお疲れ様です。大変でしたね」

 咲恵さきえはそう言うと、しずくの目の前で腰を落としながらしずくに抱かれたままのかえでに視線を落とす。

 そして首の水晶を左手に絡めると、その手をかえでの額へ。目を閉じて再び口を開いた。

「…………大丈夫…………元気ですよ」

 その言葉に、しずくが小さく息を吐く。

 そして、西沙せいさに続いて祭壇の前に胡座あぐらをかいて腰を降ろした萌江もえの声。

しずくさんがかえでちゃんと一緒には行けなかったってことは…………誰かの邪魔が入ったってことか…………」

 そこに本殿の奥からの足音。

 お盆を持った結妃ゆいひ佐平治さへいじだった。

 全員の視線を受けながら、結妃ゆいひ萌江もえ西沙せいさの前に湯呑み茶碗を置きながら応えていく。

「……確かに〝壁〟がありましたね…………それを壊せたのはかえで様だけだったようで……」

 咲恵さきえしずくの前に佐平治さへいじが湯呑み茶碗を置くと、西沙せいさの顔を見た結妃ゆいひが続ける。

「でも良かった…………西沙せいささんの顔色が戻ってきましたよ」

 自然と笑顔になった結妃ゆいひの表情に、西沙せいさが返した。

「そう?」

「そうですよ。何度〝繋がり〟を切ろうと思ったか…………」

「ごめん」

 そこに萌江もえが挟まる。

西沙せいさをそこまで追い詰めるなんてね…………それほどの相手なんてそうはいないよ。確かに咲恵さきえが関与しなきゃ行けないくらいに長い話になりそうだ。しかもなぜかは分からないけど私たちに関係のありそうな話だしね」

 その萌江もえの口元に笑みが浮かんだ。

 その萌江もえ西沙せいさが見上げる。

「でも……どうするの?」

しずくさんの力でさかのぼる────そのためにかえでちゃんはまだその島にいる…………今回は過去の断片を見るだけじゃない…………歴史を辿る……そのためには咲恵さきえの力は絶対に欠かせない」

 その言葉に、咲恵さきえの口角が上がった。

 しかしその表情を見て声を上げたのは西沙せいさ

「私は⁉︎ 私は何をすればいいの⁉︎」

 西沙せいさは強い力を保有しながらも、決して一人で生きていけるタイプではない。常に誰かに寄りかかるところがある。それは萌江もえ咲恵さきえも理解していたし、それでいいと考えていた。元はそれが美由紀みゆきであり、杏奈あんなであり、現在はそこに萌江もえ咲恵さきえが加わった。萌江もえにとってはそれが西沙せいさであり、同時に西沙せいさの強さの源だとも考えていた。

 自らの立ち位置を定めれば、西沙せいさの能力はいくらでも強くなれる可能性を秘めていた。

 それを熟知していた萌江もえが応える。

「元々その島は強力な〝何か〟に守られてた……誰にも見付からないようにね。どうせ衛生写真にも写らないように清国会しんこくかいが守っていたんだろうけど…………それが今回崩された…………」

 西沙せいさの目が見開かれ、萌江もえの言葉が続く。

「……場所は分かった……ここからでも私も感じる…………今までで一番の結界だ…………よく崩せたね……西沙せいさ……」

 萌江もえ西沙せいさに柔らかい笑顔を向けた。

 そしてさらに続ける。

「さすがだよ…………でも、西沙せいさ以外に邪魔をしてるヤツがいる……辛いだろうけど、もう一度お願い」

 西沙せいさが大きく頷く。

 萌江もえは体を咲恵さきえに向けた。

 ネックレスを外すと〝火の玉〟を左のてのひらへ乗せて咲恵さきえの前へ。

 咲恵さきえがそれに応えるように左手に下がった〝水の玉〟をその上へ。

 ゆっくり腕を降ろすと、二つの水晶が小さく音を立てた。

 萌江もえ咲恵さきえの体に、何かが走り抜ける。

 萌江もえはそのまま手を上げると咲恵さきえの左手を握った。

 二人の手に包まれた二つの水晶が熱を持つ。

「────行くよ」

 その萌江もえの声で、全員の意識が溶け合う。

「私たちを……その島へ…………」

 意識が覆い尽くされる。

 しかしその直前、咲恵さきえの中に何かが走り抜けた。


 ──……………………?





 江戸時代初期。

 寛永かんえい元年。

 西暦一六二四年。

 八頭鴉島やずがらすじまと呼ばれる島があった。

 元々は対清国会しんこくかいの組織として結成された組織〝八頭鴉やずがらす〟の八人が清国会しんこくかいによって捕らえられ、島流しになったことからそう呼ばれた。

 清国会しんこくかいからは密教とされた組織だったが、その八頭鴉やずがらすに信仰を寄せる者達も少なくはなかった。すでにこの頃では最初の八人を慕って島に自主的に渡った人々の血筋から三世代目の子供達が育っていた頃。

 その世代の子孫の中に、八重津黄華やえづこうか────一七才がいた。

 家の生業なりわいは代々宮大工みやだいく。先祖が島に渡ってすぐの頃、その知識と技は大変重宝されたという。現在でも八重津やえづ家は新たなやしろの建築や修繕で存在意義を確固たるものとしている。

 この島の信仰の中心でもある大黒天だいこくてん神社の維持には必要不可決な存在でもあった。特殊な建築技法とそれを代々受け継げるのは八重津やえづ家のみでもあったからだ。

 現在の八重津やえづ家当主、八重津萩里やえづはぎさとの娘、黄華こうかはその美しさで島でも話題となっていた。

 そろそろ祝言も考えなければならない年齢ということもあり、萩里はぎさとが嫁ぎ先を模索していた折、黄華こうかは運命的な出会いをすることとなる。

 それは八重津やえづ家と同じ頃に島に自主的に渡った高津宮たかつのみや家の長男、李瀚りかん────二三才との出会いだった。

 しかし八頭鴉島やたがらすじまには厳格過ぎる〝くらい〟が存在した。

 それは島の生活基盤を構築していく過程で、どうしても人々をまとめる為に必要だった規律。そしてそれがなければ、宗教への信仰心だけでは人心は一つにはならなかっただろう。

 高津宮たかつのみや家は島に渡る以前、朝廷のみかどを代々守り続けてきた血筋。もちろんその存在意義は八頭鴉島やずがらすじまでも大きく、島の最初期より〝相談役〟として実質的な二番手の立場に君臨し、八頭鴉やずがらすそのものの存続に貢献してきた。

 血筋が重要視される世界。

 二人の間には大きな〝くらい〟の開きがあった。

 しかし初めて会った時から、二人は一目でかれ合った。

 それは言葉ではなかった。

 ただ、感じるもの。

 それからはお互いに常に相手のことを感じ、体の中心で想い続ける日々。

 二人とも立場の違いは理解していた。

 しかし感情が動く。

 気持ちが走り始める。

 何かが繋がっていた。

 お互いの気持ちと同じように手を繋いだ時、すでに言葉は必要なかった。

 激しくお互いを求め合い、心の繋がりを確信する。

 二日と間を置かずに逢瀬おうせを重ね続けて二月ふたつき程。

 陽の高い時もあれば、夜、月の輝く頃、会い続けた。

 会い続ける程に、少しずつ気持ちの中の何かが膨れ上がっていく。

 しかし二人のその感情は、決して許されるものではなかった。

 その現実が二人の背中に大きくのし掛かり続けた。

 会い続ける程に、それはしだいに大きくなっていく。


 その二人の姿は、その日、十二社の影にあった。

「これを…………」

 李瀚りかん黄華こうかの手を取り、そのてのひらに小さな巾着袋きんちゃくぶくろを握らせる。

「…………これは……?」

 黄華こうかは不思議そうな表情でその巾着きんちゃくの中身をてのひらへ。

 それは小さな〝水晶〟。

 李瀚りかんが言葉を繋げる。

「昨夜、夢の御告げで授かりました……これは黄華こうか殿に受け継がれるべき物とのこと…………」

李瀚りかん様⁉︎ ……どういうことですか⁉︎」

「……私にも分かりません…………しかしこれは神の御告げに違いありません」

 その二人の姿を見ている者がいた。

 建物の影に隠れているのは、しずくの姿────。


 ──……あの二人…………先祖も同じだったっていうの?

 ──…………そんなことが……………………


 それから二人が会う度に、それを見守るしずくの姿があった。


 ──……どうしてあの二人だけを見せられるの………………


「……あの二人の人生に……どんな意味が…………」


 ──…………教えて……かえで………………


 そして、二人の関係が八頭鴉やずがらすの上層部に見付かるのは、それほど時間は掛からなかった。

 それは大黒天だいこくてん神社の大神主おおかんぬしまでをも巻き込んで協議が繰り返される。しかし意見は平行線を辿り続けた。

 誰も疑いを持つことのない〝血筋〟の規律。

 今までも同じようなことが無かったわけではない。しかしその度にその二人は粛清しゅくせいの対象とされてきた。そうするしかなかった。そうしなければ島の規律を守れなかった。そうしなければ統制を維持することが出来なかった。

 当然島の誰もが今回もそうなると考えた。過去の文献からもそれは疑いようもない現実。


 二人に、会えない日々が続く。

 それぞれの自宅に監禁されることとなって一週間程。

 黄華こうかは自宅離れの座敷牢ざしきろうにいた。ろうの扉の外には神社からの従者じゅうしゃが常に二人。

 下弦かげんの月────。

 今夜の月明かりは決して明るくはなかった。その月明かりが壁に四角く穴を開けただけの窓から差し込む。

 座敷牢ざしきろうの中にあるのは布団と木桶きおけに入った水だけ。すでに冬の足音が聞こえる季節。室内はだいぶ冷え込んでいた。薄い布団に包まっても、心の冷たさすらも温めることが出来ないまま。

 しばらくの間、黄華こうかは満足に睡眠も食事も取れていなかった。

 つのるのは李瀚りかんへの想いだけ。その強さだけで生き続けていた。

 手の中に李瀚りかんから譲り受けた〝水晶〟を握ったまま。

 その夜、黄華こうかの頭の中に、誰かの声が響く。


『……ここを抜け出しなさい…………今夜…………』


「……今夜⁉︎ あなたは誰⁉︎」


『……李瀚りかん様があの海辺の洞窟へ……今夜……』


 ──…………李瀚りかん様が……あそこに…………


 手の中の水晶が熱い。

 その時、黄華こうかの目の前の小さかった窓が音も無く崩れていく。


 ──……李瀚りかん様…………


 気持ちが高揚した。


 ──……今…………会いに行きます…………


 闇に紛れるように、黄華こうかは走った。

 やがて、二人で何度も逢瀬おうせを重ねた海沿いの洞窟で、二人は再開する。

「……水晶が……熱くなって…………李瀚りかん様に会いたくて………………」

 そう言って大粒の涙を流す黄華こうかを、李瀚りかんが抱き締める。

「私もです黄華こうか殿…………神の声が聞こえました…………」

「同じです……私にも声が…………」


 その二人の姿を、やはりそばしずくは見せられていた。

 洞窟の入り口を見下ろせる崖の上。


 ──……現代でも……もしかしたら同じ流れになるっていうの…………?


「…………? なに?」

 足元が明るい。

 視線を落としたしずくが見たものは、突然足元を埋め尽くした大量の〝菊の花〟────。

 周囲の、それまでただの草地だった場所が黄色く染まっていた。

「……これは…………」


 ──…………菊花伝説きっかでんせつ……………………


「……黄華こうか殿……本当によろしいのですね?」

 洞窟の中。

 李瀚りかんの言葉に、黄華こうかは大きく頷いて応える。

「…………はい……李瀚りかん様と一緒になる為なら私の命など…………」

 李瀚りかんは着物のふところから二本の短刀を取り出した。

 そのさやを取り去ると、一つを黄華こうかに手渡す。

 二人は洞窟の中で膝を落とした。

 お互いの刃先を胸に。

 そして、黄華こうかの声が、李瀚りかんの耳に響く。

「…………来世で…………再び…………必ず……………………」


 静かになった。

 洞窟からの二人の声が聞こえない。


 ──…………まさか……!


 しずくは菊の花弁はなびらを風に巻き上げながら崖を駆け降りた。

 しかし、遅い。


 二人は体を重ねたまま、笑顔で、息絶えていた。

 両の目には涙が浮かぶ。

 お互いに短刀で胸を刺し合ったまま。


「…………どうして…………」


 ──…………もしかして…………あの二人も……………………





「────菊花伝説きっかでんせつの始まり…………これからちょうど一〇〇年ごと……三回同じことが起きてる…………同じ血筋の二人でね…………まったく同じように最後は…………」

 萌江もえはその言葉の最後をにごらせる。

 すでにだいぶ暗くなった本殿に松明たいまつの灯りが大きく揺れていた。

 しばらく本殿に静けさが漂うが、それを崩したのはしずくの呟き。

「…………産まれ代わり…………」

 しかしそれにすぐに西沙せいさが返す。

「やめてよ……そんな安っぽい言葉……そんなものは存在しない……ただの宗教概念だ……」

 西沙せいさは〝産まれ代わり〟という言葉を嫌った。それは自分自身がそう言われて育てられたからに他ならない。

 それが真実か、何が真実かは実際のところ西沙せいさにも分からないこと。それでも西沙せいさはその考えに甘えるのを良しとしてこなかった。

 再び静まる空気を、萌江もえが引き裂く。

「あの二人が伝説の始まりではないね……起源はもっと深くにある…………」

 それに西沙せいさが繋げる。

「……もっと深く…………〝誰か〟がいる…………誰かが助けを求めてる…………」

「…………萌江もえ…………」

 そう言って声を上げた咲恵さきえが続けた。

「あれは…………〝水の玉〟だった…………あれを過去に使いこなせたのは…………」

「その可能性もあるか…………でも、どうして…………」

 そう返した萌江もえの中にも、整理出来ていない情報が多過ぎた。

清国会しんこくかいのかなり深いところに手を出したみたいね…………あそこ、ただの神社とは思えない…………そして西沙せいさちゃんも感じてる〝誰か〟が救いを求めてる」

 そう言った咲恵さきえが目を細める。


 ──……もしかして…………


 それを萌江もえが繋げる。

清国会しんこくかいが求めているものは────」

 その萌江もえの言葉を今度は西沙せいさすくう。

「〝負の念〟…………清国会しんこくかいはそれを利用しようとしてる…………」

 拾うのは咲恵さきえ

「それは私たちにとっては〝人の想い〟そのもの…………でも、こんなに強いものはそうはないよ…………萌江もえ、真実を見れる?」

「やるよ」

 そう即答する萌江もえが続ける。

「やれるかどうかじゃない……やる…………それが私たちの求めるものでしょ…………負ける未来なんか見たことない…………」

 萌江もえは語尾に含みを持たせた。

 それでも、そこには間違いなく何かの〝覚悟〟が感じられた。

 それに気が付いた咲恵さきえが、ゆっくりと返す。

「……そうね……そのために私たちはここにいる…………もっと深いところまでいこう…………西沙せいさちゃん、お願い。八頭鴉やずがらすの起源まで行かせて────」





 室町時代後期。

 永正えいしょう一七年。

 西暦一五二〇年。

 京の都。

 いずれも名のある神社の宮司達が八名、密かに〝八頭鴉やずがらす〟を創設する。

 その名目は、すでに京の都で勢力を伸ばしていた清国会しんこくかいに対抗する為。清国会しんこくかいが朝廷への謀反むほんを企てていることを最初に知ったのは、伊勢神宮いせじんぐうで長く宮司として修行を続けていた宮津守雁粛みやづのかみがんしゅく雁粛がんしゅくの考えに賛同した宮司達は七名。全員で八名であることから八頭鴉やずがらすと名付けた。

 やがて密かな活動は信奉者を増やしていく。神職に就く者から宮大工みやだいく鍛冶かじ屋、その職種は様々な分野へと広がっていく。

 清国会しんこくかいへの、静かな抵抗が始まっていた。

 しかしその中で、清国会しんこくかいの信仰の対象である金櫻かなざくら家が清国会しんこくかいそのものを完全に受け入れていない内紛のようなものも調査の過程で把握していた。八頭鴉やずがらすとしてはその金櫻かなざくら家を取り込みたい考えもあった。


 伊勢神宮いせじんぐう

 内宮ないくう西宝殿さいほうでん

 朝廷の公家くげたちからも信頼を得ている伊勢神宮いせじんぐうの宮司の一人、八尾萬宗易やおよろずそうえき

 一度は伊勢神宮いせじんぐうで神主まで上り詰めたが、二〇年ほど前に一度仏門ぶつもんに出家した変わった経歴を持つ。数年後に神職に戻るが、それからさらに数年で高齢を理由に自らその立場を辞していた。現在は朝廷での相談役のような立ち位置に収まっている。よわいは七五。

 この日、宗易そうえきは広い和室の中央で、距離を置いて宮津守雁粛みやづのかみがんしゅくの向かいに座っていた。

「……清国会しんこくかいか……天照大神あまてらすおおみかみ様の血筋が唯独ただひと神社の金櫻かなざくら家であるとする者達…………それは詰まるところ、同じく天照大神あまてらすおおみかみ様を神とする我ら伊勢いせと朝廷に刃向かうことでもある」

 そう言いながらも、なぜか宗易そうえきは口元に笑みを浮かべる。

 雁粛がんしゅくはすぐに返していた。

「しかしすでにあの者達は朝廷にまで入り込んでおります。いずれはみかどである天皇様をすげ替える算段かと……」

ことはそう簡単でもあるまいて雁粛がんしゅく……貴様も金櫻かなざくら家の動きに関しては聞いておろうが……どうにもくみする気が無いとも聞く…………例え今はあの者達の手の内にあろうともな…………」

「さすれば……如何様いかように……」

「簡単なこと…………金櫻かなざくら家を取り込め…………」

 そう言って目を光らせた宗易そうえきが声を潜め、続ける。

「……唯独ただひと神社を取り込め…………金櫻かなざくら家が恐れながらも所持しているという二つの〝水晶〟も手に入れろ…………あれは魔性の石だ……決して清国会しんこくかいの中心に据えてはならん…………」

 雁粛がんしゅくも伝え聞いてはいた。

 〝火の玉〟と〝水の玉〟。

 それは金櫻かなざくら家を天照大神あまてらすおおみかみしん末裔まつえいとたらしめる〝水晶〟。


 ──……やはり…………あの噂の水晶は、ただの〝石〟ではないのか…………


 宗易そうえきが続けた。

「さすれば貴様ら八頭鴉やずがらすも表舞台に立てようぞ…………」

「しかしながら……天照大神あまてらすおおみかみ様の末裔まつえいなどと言われる誤った血筋など…………」

「────おのが眼で確かめい。何人も天照大神あまてらすおおみかみ様を見た者はおらぬ……しんのその世継ぎを知る者もおらぬ……さすれば、よもや金櫻かなざくら家が本物であったとすれば…………御主おぬしの名も知れ渡るというものではないかな」

 宗易そうえきのその笑みに、雁粛がんしゅくは恐怖すら感じた。

 雁粛がんしゅくは当初より、神道しんとうだけでなく仏教の概念すらも取り入れてきた過去を持つ宗易そうえきに傾倒していたところがある。そして宗易そうえきの持つ、威圧感とは違う重厚さに常に圧倒されてきた。


 ──……私に……迷いがあってはならぬ…………


 大永たいえい四年。

 西暦一五二四年。

 京都御所。紫宸殿ししいでんより奥、萩坪はぎつぼの庭のそば────鬼の間。

 清国会しんこくかいの頂点である雄滝おだき神社の当主、滝川氏綱たきがわうじつな────四五才。

 その横に控えるのは蛭子ひるこ神社の当主、加藤砂宮かとうさきゅう────三七才。

 その日、朝早くに二人が呼び出したのは公家くげである従一位じゅういちい二条尹房にじょうただふさ────二八才。

 ふすまを開けるなり、眉間みけんしわを寄せた尹房ただふさは声を張り上げた。

「鬼門と言われる鬼の間に我を呼び出すとは、いかなる要件か」

 朝廷に使える公家くげの一人である二条尹房にじょうただふさの前で、氏綱うじつな砂宮さきゅうも当然深く頭を下げ続けていた。

 尹房ただふさが二人の前に腰を降ろすと、最初に口を開いたのは僅かに頭を上げた砂宮さきゅう

先立せんだって御報告致しておりました〝八頭鴉やずがらす〟の一件にございます」

御主おぬしらが密教と呼ぶ者達か……危ぶむべきものなれば排除すればよいではないか」

 その尹房ただふさの言葉に、今度は氏綱うじつながゆっくりと頭を上げて応える。

「しかしなれど……仮にも我等と同じ神職に就く者が八名……しかもその力は強大に御座います。尹房ただふさ様は大内おおうち家に御支えの陶興房すえおきふさ殿と御交流がおありと伺いましたが……」

 尹房ただふさは軽くあごを上げて返した。

「いかにも。すえ殿は武将でありながら教養もある御方。我ら公家くげとも交流は深いが、それが……?」

「…………御協力を……」

 その氏綱うじつなの言葉に、尹房ただふさが声を強くする。

「過ぎるぞ氏綱うじつな

すえ様の主君である大内おおうち様も教養のある御方との噂。神道しんとうのみならず異国の神にも御興味が御有りとか……八頭鴉やずがらすは我等に楯突く者達……いずれは朝廷の脅威になると思われます」

 そこに砂丘さきゅうが挟まる。

「いえ……近い内に必ず…………」


 そして、これより一月ひとつき後。

 すでに京都御所に入り込んでいた清国会しんこくかいによって八頭鴉やずがらすの八名が無人島へ。

 そこには尹房ただふさの言葉に感化された大内おおうち家、陶興房すえおきふさの軍勢の力があった。


 やがて八頭鴉やずがらすの支援者たちは八名を追いかけるように島へとひっそりと渡って行った。

 そして無人島だった島に、ゆっくりと社会基盤が作られていく。

 農家や漁師、料理人から機織り職人等、島に渡った人間たちは社会基盤の為に働き続けた。

 そして島に大黒天だいこくてん神社が作られた。

 清国会しんこくかいが押さえ付けようとした組織は結果的にそれを大きくしただけ。

 気が付いた時にはかつて以上の脅威となっていた。

 清国会しんこくかい八頭鴉やずがらすを取り込もうとする。

 しかし八頭鴉やずがらす側は過去の怨みからそれを良しとはせず、武力で抵抗した。

 武力を持てるくらいに本土との密輸が行われていたと同時に、島内での基盤が整備されていた。

 すでに〝社会基盤〟が出来ていた八頭鴉島やずがらすじまを攻略することは清国会しんこくかいでも難しく、そのいくさは二年に渡った。

 その中心を担ったのはやはり大内おおうち家の陶興房すえおきふさ

 安土桃山の時代。

 日本の正史には残されていないいくさ

 結果的に双方に多くの犠牲者を出した後、八頭鴉やずがらす清国会しんこくかい軍杯ぐんぱいに下る。

 八頭鴉やずがらす清国会しんこくかいに支配されることになったが、清国会しんこくかいが密かに欲しがった〝負の念〟を作り出す密教としての立場は守られた。

 多くの犠牲を出したとしても、その〝力〟は清国会しんこくかいを恐れさせるものであり、清国会しんこくかいもとの頂点に君臨するためには野放しは出来なかった。

 そして同時に、すでに行方の分からなくなっていた金櫻かなざくら家の血筋が八頭鴉やずがらす側につくことを恐れた。





「さらに一〇〇年さかのぼったのに……菊花伝説きっかでんせつは起きていない…………八頭鴉やずがらすの始まりが分かっただけ…………」

 西沙せいさは半ば狼狽うろたえるようにそう言って続けた。

「どういうこと? 起源はもっと前なの⁉︎ 誰を救えばいいのよ!」

 そして萌江もえ西沙せいさを遮る。

「落ち着いて西沙せいさ────あなたが構えなくてどうする…………伝承は必ず誰かによって作られた…………」

「でも誰か……誰かが助けを求めてるんだってば! 私の中の誰かが────!」


 ──……西沙せいさちゃんの中の…………?


 そう思った咲恵さきえが思わず口を開く。

「それって…………誰?」

「……分からない…………でも……まるで自分のことのようで…………」

 西沙せいさの目から無意識に涙が溢れていた。

 自らの中から何かが流れ落ちる。体の中心で他人の心臓の鼓動が聞こえた。


 ──……誰かがいる…………誰かが私を動かそうとする…………


 西沙せいさがそう思った時、その耳に届くのは萌江もえの声。

「────それが誰か知りたければ…………もっと深い所まで潜れ…………西沙せいさにしか出来ない……私たちがそれを支える…………」

 それを咲恵さきえが拾う。

西沙せいさちゃん…………あなたの中の誰かは……私たちの中にもいる…………西沙せいさちゃんにだけ背負わせる気はないよ…………」

 すると、西沙せいさが涙を拭った。

 そして小さな声。

「…………ごめん……」

 その西沙せいさの中で、何かが少しずつ形作られていたのだろう。何か明確なものが見えているわけではない。でもだからこそ苛立つ。あるのはもどかしさだけ。

 自分でも冷静さを欠いたことは理解していた。そして萌江もえ咲恵さきえがいてくれることに感謝した。それでもまだ気持ちは落ち着かない。

 確実に分かることは、自分の中で〝何か〟が間違いなくうごめいているということだけ。

 そして次のしずくの声がさらに西沙せいさの気持ちを刺激する。

「……救って欲しがってるのは…………一人だけじゃなさそうです…………」

「……一人じゃない?」

 そう返したのは萌江もえだった。

 しずくは確信を抱いたまま、その質問に応える。

「…………はい。感じます。あの二人以外にも…………さらに二人……」

「二人?」

 そう挟まった咲恵さきえが続ける。

「その二人に、清国会しんこくかいへの恨みは?」

「残念ながらそこまではっきりとしたものではありませんが……似たものは感じました……」

「……どうにもあの島の組織……引っかかるね…………今まで清国会しんこくかいは自分達への〝恨み〟ですら利用してきた…………でも、それなら私たちの気持ちは?」

 返すのは萌江もえ

「どうやら、今までの神社とは違うようだね…………」

清国会しんこくかいにとって、あの島は〝怨みの念を作り出す工場〟になってるってこと?」

 その咲恵さきえの言葉に、萌江もえが返す。

「その一つが菊花伝説きっかでんせつか……それとも別のところにあるのか……」

 答えに行き着けずにいるその場の空気に、しずくが切り込む。

「…………本殿の奥…………大黒天だいこくてんとは三宝さんぽうを守護する神…………本殿の奥にその三宝さんぽうがあるんです…………」

三宝さんぽう? ────何があるの?」

 返したのは萌江もえ

 しずくもすぐに応える。

「……そこに……………………〝二人〟がいます…………」

 そして、次の声が本殿の空気を変える。

 それは西沙せいさの低い声。

「────涼沙りょうさが来た────」

 急な静けさが辺りを包む。

 西沙せいさが立ち上がった。

 空間が張り詰める。

 そして、本殿に涼沙りょうさの声が響く。

『……西沙せいさ…………何をしている…………』

「教えると思う? 涼沙りょうさ……」

 即答する西沙せいさ涼沙りょうさもすぐに返した。

『私の邪魔をしているのは……誰だ…………小賢こざかしいことを……』


 ──……邪魔? 何のこと?


『……この二人は誰だ……』

 その言葉に反応したのは萌江もえだった。


 ──…………二人?


 反応した萌江もえ咲恵さきえが気付く。

 そして叫んだ。

「────西沙せいさちゃん! 切って!」

 途端に、本殿に外の風が戻る。

 涼沙りょうさの気配が消え、全員が息を吐いた直後、最初に聞こえたのはしずくの声。

「────かえで……」

 しずくの前で横になっていたかえでが上半身を起こしていた。

 そしてその視線は萌江もえへ。

「一緒にきてくれたの?」

「え?」

 萌江もえが反射的に返していた。


 ──…………なに…………?


 しずくかえでの顔を覗き込む。

かえで? どういうこと?」

「だって、ずっと一緒だったよ。お姉ちゃんと」

 そのかえでの言葉に、再び萌江もえが言葉を漏らす。

「……一緒って…………」

 そして、突然その目から涙が流れ落ちたのに気が付いた咲恵さきえが、萌江もえを抱きしめていた。

「……なに? なんなの?」

 萌江もえが呟き、咲恵さきえがその意識を探る。

 そして、見えた。


 ──……そんな…………ありえない………………


 その咲恵さきえの耳元に、萌江もえの震える声。

「……〝あの子たち〟…………誰なの? …………教えてよ…………お母さん………………」





          「かなざくらの古屋敷」

      〜 第二一部「堕ちる命」第3話へつづく 〜

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