第九部「蛇の見る幻」前編 (修正版)

    総ては幻

    しかし

    それでもその幻は

    多くの人生を動かす





 まだ春というには早い。

 日々の気温の激しい変化に季節の訪れを感じる頃。

 それでもたまに降る雪の粒には明らかに水分が増えていた。一粒一粒の重さも増す。地面に落ちた雪は最初はすぐに溶けて消えるが、消えかけたシャーベット状の地面はしだいに周囲を白く染めていく。

 この時期の溶けやすい雪の影響がまさかの所に問題を発生させていた。

 余程でない限り、なぜか恵元えもと家の猫たちは毎日外で遊ぶのが慣例になっていたからだ。寒いことはあまり関係がないらしい。例え足が泥だらけになっても、当然のように猫は家にそのまま入ってくる。

「まあたアンタたちは!」

 萌江もえのお手製である猫用のドアから何食わぬ顔で入ってくる三匹の猫の姿に、萌江もえは毎日のように声を上げていた。

「こっちおいで」

 萌江もえがそう言ってお風呂場へと促すと、猫たちもすでに慣れているのか素直に萌江もえの後ろを着いていく。その光景を見てソファーで咲恵さきえが笑顔を浮かべるのが日曜日の慣例だ。そして咲恵さきえは最近リビングに導入されたばかりの床用の雑巾を手に取ってフローリングを拭き始めた。

 シャワーを浴びた猫たちがリビングを走り回ると、再び萌江もえが声を上げながらリビングに戻る。

「こら! 風邪引くでしょ!」

 そしてリビングにバスタオルが舞う。

 二人はまきストーブの前で、バスタオルで三匹の猫を包んでいた。

「よくお風呂嫌がらないよねえ」

 咲恵さきえがそう言うと萌江もえは即答する。

「最初の頃から入れてたからかなあ…………寒い時期だったから暖かかったとか」

 猫が最初に姿を表したのは、もうすぐ雪が降り始めそうな冬の始まりの頃だった。

 その頃を思い出しながら、思わず笑みを浮かべる咲恵さきえが返していく。

「良かったじゃん。外で遊ぶのが好きな子たちだからねえ」

「でも不思議と敷地の柵からは外に出ないんだよね。だから安心してられるんだけどさ」

「不思議だねえ」

「外からの動物も入ってこないし…………ああ、でもこの子たちは入ってきたか…………」

「何かに守られてるのかな…………さ、だいぶ乾いたよ」

 バスタオルから解放された猫たちは、すぐにいつものクッションの上で丸まり始め、それぞれの体を舐め始める。

 二人はソファーに戻ると、溜息を吐きながら深く体を沈めた。

 すると萌江もえが呟くように言葉を吐き出す。

「手は掛かるけど…………可愛いんだよねえ」

「そんなものかもね」

 咲恵さきえが軽く返した時、外からトラックの音。

「あれ?」

 すぐに萌江もえが立ち上がって続けた。

「今日って宅配は頼んでないはずだけど」

 仕事柄外泊の多い萌江もえは、ネット通販の宅配は日付指定の出来る物と限定していた。しかも出来るだけまとめて注文する。こんな山の中までの配達となると再配達となった場合の申し訳なさは街中の比ではないからだ。

 届いたのは重く長い箱。割れ物用のシールが貼られている。シールを眺めながらリビングに戻ってきた萌江もえが声を上げた。

西沙せいさからだ。日本酒だってさ」

「日本酒?」

 二人で箱を開けると、日本酒の一升瓶が二本。

 咲恵さきえが続けた。

「そういえば、西沙せいさちゃんの住んでる辺りって日本酒有名なんだっけ」

「そうなの?」

 ありがちな毛筆のラベルではなく、最近増えてきたシンプルなラベルがお洒落なデザイン。二人も好きなスタイルだ。

 萌江もえが続けた。

「へえ、これって高いやつじゃん。電話しとくか」

 萌江もえがスマートフォンを探し始めたところで、咲恵さきえが言葉を挟む。

「この間の杏奈あんなちゃんの話は? まだ話してないの?」

 日本酒のラベルを見ながら咲恵さきえがそう口にすると、萌江もえがゆっくりと返した。

「んー、どうしようかなって思ってた…………」

 ソファーに体を沈める。

 それは少し前のこと。

 萌江もえの依頼で杏奈あんなが〝京子きょうこ〟の過去を調べていた。そこから西沙せいさの母であるさきに繋がるが、それは萌江もえ西沙せいさの血の繋がりを露呈させる。京子きょうこの母は西沙せいさの実家の出。さき京子きょうこの過去に関わっていたことでも不思議な縁を感じていたが、それ以上の繋がりに萌江もえ咲恵さきえも驚くしかなかった。

 そして萌江もえは、未だ西沙せいさにそのことを話してはいない。杏奈あんなにも「自分から話すから」と伝えたまま。

 萌江もえの気持ちの中のそんな迷いを感じたのか、咲恵さきえが柔らかく声を掛けた。

「いずれ、分かる気もするけどね…………萌江もえの水晶…………扱えるのは萌江もえ西沙せいさちゃんだけって、そういうことなんでしょ?」

「うん…………多分ね…………」

 萌江もえはそれだけ応え、スマートフォンに指を滑らす。





 一週間前。

 御陵院ごりょういん・心霊相談所。

 西沙せいさの経営する事務所だが、その経理の中心を担うのは税理士の立坂修二たてさかしゅうじ

 西沙せいさの名前が中心なだけで、実質的には立坂たてさかが立ち上げた事業と言ってもいい。

 とは言え、ある意味で西沙せいさは自由にやらせてもらっていた。従業員は西沙せいさの他は秘書という肩書きの久保田美由紀くぼたみゆきだけ。西沙せいさとは高校の同級生だった。同時に唯一の友達でもあり、唯一の親友。

 中学を卒業した西沙せいさは、養子ではないが立坂たてさかの元に預けられていた。立坂たてさかが身元引受人ということになる。そのまま高校に通ったが、友達と言えるのは美由紀みゆきだけ。

 高校卒業後、美由紀みゆきを秘書とする形で事務所を開設する。

 もちろん総ての後ろ盾は立坂たてさかだ。

 最初の頃はその立坂たてさかが紹介する仕事がほとんどだった。しかし今ではメディアでも取り上げられるような事件にも絡んだことで仕事が増えてきた。それは大きなものから小さなものまで。

 その受付窓口でもある美由紀みゆきは極度のコミュニケーション下手のためにあまり外に出ることはない。それでも、だからこそ西沙せいさと仲良くなれたとも言える。お互いに他に友達はいない。

 その日も昼過ぎに帰ってきた西沙せいさに声をかけるのはパソコンの前に座った美由紀みゆきだけ。

「お疲れ様……どうだった?」

 いつも通り、素っ気ない。美由紀みゆきはあまり感情を表に出すタイプでもない。表情の起伏も少ない美由紀みゆきは知らない人から見たら暗い性格に見えることだろう。

 しかしそれに軽く溜息をきながら西沙せいさが応えるのもいつもの流れ。

「今日も簡単。最近心霊現象じゃない依頼が多過ぎて疲れるんだよねえ」

 西沙せいさは外から帰ると必ず給湯室のシンクに向かう。カラーコンタクトを外すと、目薬を片手に部屋に戻り、ソファーに寝転がる。

 典型的な古いテナントビル。トイレと給湯室、小さなシャワールームがあるだけのワンルーム。それでも職種的には外に出ることが多いので問題はない。

 せめてもと、西沙せいさは無機質な室内を派手に飾り付けていた。

 よくあるような祭壇のような物を置くでもなく、床にはフカフカのピンクのカーペットを敷き、ソファーのカバーから壁までゴスロリ系で揃えた。

 しかも美由紀みゆきもそのセンスは嫌いではない。それでも美由紀みゆきのファッションは地味だった。ゴスロリのセンス自体は好きだったが、自分には合わないと感じていたからだ。定期的にゴスロリを着せたい西沙せいさと恥ずかしがる美由紀みゆきの押し問答が起こるのがいつもの流れ。

「前は何でも無難にこなしてたのに……やっぱりあの人たちの影響?」

「まあ……ね。悔しいけどそんな感じかなあ」

 西沙せいさは確かに萌江もえ咲恵さきえと出会ってから変わった。考え方が大きく変わったことは、やはり美由紀みゆきにとっては驚きだった。他人に対して強気な態度を崩さない西沙せいさが、あんなにも簡単に他人の考えを受け入れてしまうことが驚きだった。

 しかも美由紀みゆきにはそれを素直に話す。

 もっとも、萌江もえ咲恵さきえに関わってから、心酔するに足るだけの経験をしてきた。

 もちろん西沙せいさもそんな話をするのは美由紀みゆきくらいなものだ。不思議なほどに美由紀みゆきには自分の感情をさらけ出していた。そのことに抵抗も無い。

「カラコン…………最近新しいの買ってないけど…………」

 美由紀みゆきのその声に、ソファーに横になったままの西沙せいさはそのまま応える。

「ああ…………無くなる前に注文しといてー」

「はーい」

 西沙せいさは外に出る時は必ずコンタクトを着けるようにしていた。決して視力が悪いわけではない。むしろいいほうだ。ファッションとしてのカラコンという意味もなくはないが、西沙せいさには別の理由があった。

 例え相手には分からなくとも、未だに〝裸眼〟で人と目を合わせられない。

「まだ…………やっぱりカラコンあったほうがいい?」

 そう言う美由紀みゆきに、西沙せいさはゆっくりと応える。

「んー…………気休めなのは分かるんだけどね…………サングラスってのも胡散臭いし…………」

「そっか…………注文しとくね」

「それより今日は相談があるのよ」

 西沙せいさは上半身を起こして続けた。

「ここの事務所の名前ってさあ、硬くない?」

 マウスのクリック音を事務所内に響かせながら、モニターを見たままの美由紀みゆきが応える。

「……まあ…………柔らかくはないね」

「もう少しオシャレな名前に変えたほうがいいと思うのよ」

立坂たてさかさんが付けてくれたんでしょ? じゃあ立坂たてさかさんにも相談しないと」

「世代間のギャップはあると思うの」

「せっかく今の名前で有名になったのに…………」

「有名になったのは私の名前だし…………」

「まあ…………」

 その時、美由紀みゆきそばにある事務所の電話が鳴った。

「はい、御陵院ごりょういん心霊相談所です…………ああ立坂たてさかさん、お世話様です。はい、今変わりますね────〝先生〟」

 美由紀みゆきのその声に、西沙せいさが渋々とソファーを降りた。





 その神社は遥か昔に作られていた。

 地元の大きな神社から分社する形で作られた物。その神社を守る一家の中で強い力を持っていた巫女の一人が作った神社でもあった。

 理由は〝もの〟もしくは〝はらごと〟専門の神社の立ち上げ。

 その御陵院ごりょういん神社は代々女系で引き継がれていた。しかも必ず三姉妹。それが崩れたことはないという。

 さきも三姉妹の三女として神社を継いでいた。

 二人の姉は別の神社へと嫁いだ。必ず一人が継がなければいけないというわけではなく、それまでは二人や三人で継ぐこともあったという。

 そして神社を継いださきも三人の娘を産んだ。

 綾芽あやめ涼沙りょうさ西沙せいさ────一年違いで歳が近かったせいか、幼い頃は仲の良い姉妹だった。

 さきの夫は婿養子。宮司ぐうじではなく、経営側の裏方として神社を支えていた。

 過去の例に漏れず、さきの娘三人も幼い頃から勘の鋭いところがあった。その能力を維持させ、神社という特殊な環境でその能力を高めていくことがさきの仕事でもある。

 ある時、一組の家族が神社に訪れた。

 基本的に他の神社からの紹介がほとんどで、直接この神社にやってくる者は少ない。その家族も本家からの紹介だった。

 おはらいではなく祈祷きとう。家主が行方不明になったために探して欲しいとのことだった。嫁である妻と高校生の息子が二人。行方不明になっている夫の両親とで訪れる。

 さきは出来るだけ祈祷きとうやおはらいには娘たちを付き添わせた。その日も小学生になったばかりの長女の綾芽あやめを筆頭に、五才の涼沙りょうさ、四才の西沙せいさの三人は祭壇から少し離れた所で一連の流れを見ていた。

 祈祷きとうを始める前の時点で、さきは疑念を抱いていた。


 ──……この奥さんは、何かを隠している…………


 一通りの祈祷きとうを終わらせたが、さきの疑念は消えない。しかしその詳細は見えなかった。

 さきは夫の両親だけを別室に迎え入れて話を聞く。

「お応えいただける範囲で構わないのですが…………ご両親から見られたご感想で構いません。ご夫婦仲のほうは……どうのように見られていましたでしょうか…………?」

 そのさきの言葉に、母のほうが目を逸らした。すると父が意を決したように話し始める。

「……実は……あまり良くはありませんで…………お恥ずかしながら、息子が何年か前に浮気をしまして…………それからは夫婦仲は冷めていたようです…………孫たちは何も知りません…………そして行方不明になる少し前にも新しい浮気をしてるのがバレたらしくて…………」

 父は額の汗をハンカチで拭きながら視線を落とした。

 横の母が言葉を繋げる。

「嫁が…………興信所に調べさせていたみたいで…………」

 その言葉をさきが遮る。

「結論部分は分かりませんが…………私の見えたイメージは大きな橋です。だいぶ山奥ですね。真っ赤な橋と、その両サイドにはお地蔵さんが一体ずつ…………どちらも真っ赤な頭巾を被ったお地蔵様です。夜…………奥様と、もう一人の男性……おそらく…………私の名前を出して構いませんので、改めて警察のほうに伝えてください」

 さきは二人を本殿に戻し、家族が本殿を出ようとした時、立ち上がったのは西沙せいさだった。

 さき西沙せいさに気が付いた時には、西沙せいさの声が本殿に木霊こだまする。

「その人が殺したよ」

 家族の足が止まり、空気が凍りつく。

 西沙せいさは右手を挙げて嫁を指差して続ける。

「橋から落として殺したの。まだ旦那だんなさんはそこにいるよ」

 翌日、妻が自ら出頭する。その日の内に夫の遺体が発見された。


 さき西沙せいさを問い詰めた。

「見えたの?」

 西沙せいさは平然と応える。

「うん、見えたよ」

祈祷きとうの時?」

「ちがうよ。その前」


 ──…………前……?


西沙せいさ…………見えたからと言っても、口にしてはいけない時もあるのですよ」

 あの時、高校生の息子が二人いたことをさきは危惧していた。その精神的な影響はどれだけだろうかと不安があった。

 さきが続ける。

「これからは、お母さんに先に伝えてくれる?」

「うん。いいよ」

 その西沙せいさに、僅かながらさきは恐怖を抱いた。


 ──……この歳で…………この子は何もせずに見えている…………


 さきも三姉妹の内で一番の能力を誇り、唯一、一人で神社を継いだ能力者。

 それでも幼い頃から数々の修行を積んできた。中学を卒業してからは荒業も経験させられる。その上で現在の能力を手に入れた。

 幼い頃に特に感の鋭い期間というものは存在する。何もしなければその能力が薄れていくことはよくあること。

 さきのような立場の人間は修行でその力を維持、そして高めていく。

 そのさきでも西沙せいさほどの力を見たことはなかった。

 逆に、修行をさせることでどこまで能力が高められるのか興味も沸く。


 それから数年。

 西沙せいさは一〇才。小学四年生になっていた。

 修行の始まる年齢でもある。すでに二人の姉は修行が始まっていた。

 しかし西沙せいさは修行もせずに相手がどんな人物なのかを言い当てていた。その人の過去だけでなく未来も見える。さきは常々、小学校では出来るだけその能力を見せないように西沙せいさに指示していた。それでも完全には隠し通すことは出来ず、西沙せいさは友達を作ることが出来ないままだった。

 誰からも気持ち悪がられ、やがてイジメの対象となる。

 西沙せいさは能力の強さから孤立し、虐めを受けていた。子供にとっては西沙せいさの力は〝驚愕〟するものではなく〝脅威〟でしかない。〝恐れ〟が〝排除〟という概念を生み、それは〝気持ち悪い〟ものへと変化し、虐めへと広がっていく。

 そして西沙せいさが、初めて自分の力に恐怖したのもこの頃だった。

 とある平日の午後、急遽小学校が休校になる。学校の連絡網をテレビ報道が補う。

 四年生から六年生までの生徒五人が次々と二階の窓から飛び降りたという。全員が病院に運ばれて重症のまま。マスコミは〝集団ヒステリー〟〝集団パニック〟として報道を始めていた。

 綾芽あやめ涼沙りょうさはすぐに帰宅したが、西沙せいさが戻らないままさきが学校に呼び出された。

 生徒が飛び降りた時の目撃者として、西沙せいさは数人の生徒と共に学校で警察の聴取を受ける。


 そしてその夜、本殿に呼び出されたのはさきのほうだった。

「今日のこと? 友達だったの?」

 祭壇の前で膝を曲げながら、さきは俯く西沙せいさに優しく声をかけた。

「とりあえずしばらくは学校もお休みになるみたいですから、三人でゆっくり休みなさい」

 すると、西沙せいさはゆっくりと口を開く。

「…………あの五人…………私を虐めてた………………」

 その言葉を受け、さきは小さく息を吐いた。

 しばらく考えてから口を開こうとした時、先に西沙せいさの言葉が飛び出す。

「……あの時も虐められてた…………」

 さきの中に嫌な感覚が湧き上がる。

 そして西沙せいさの声が続く。

「…………死んでしまえばいいと思った………………」

 その両目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 詳細を聞き出してから、初めてさき西沙せいさが最近気が付いていた事象を把握することが出来た。

「……私は…………目を見ただけなの…………そしたら自分で窓を開けて…………」

 西沙せいさは、目を合わせるだけで相手をコントロールすることが出来ていた。そのため、いつの間にか西沙せいさは人と目を合わせないようにしていたという。

「……誰の目も見たくない…………みんな私を怖がる…………」

 大粒の涙を流しながら西沙せいさがそう続けた。

 その西沙せいさが行き着いたのは、コントロール出来ないのは母親のさきだけだということ。

 綾芽あやめ涼沙りょうさは薄々勘づいていた。

 二人は西沙せいさとは完全に距離を置き始める。

 西沙せいさが目を合わせられるのは母親のさきだけ。

 翌日、五人の生徒は一命を取り留める。

 さき西沙せいさに、他人と目を合わせないように指示するしかなかった。





 街の基幹産業の一つは日本酒だった。

 元々県そのものが米所こめどころとして知られ、県内には多くの酒蔵さかぐらが存在したが、その中でも歴史の長さと件数で街は群を抜いていた。

 蔵元くらもとをそのままに古くからの手作業のみでブランドを生かし続ける酒蔵さかぐらももちろんいくつか残ってはいたが、ほとんどは機械化をして工場として創業をしてすでに長い。その多くは高度経済成長時代からの流れだ。そうしてこの地は、米所こめどころ酒所さけどころとしての地位を守ってきた。

 その酒造会社も一〇〇名を超える従業員を抱える歴史の長い蔵元くらもとだった。多くの酒造会社と同じく代々の血筋で繋がれ、その名は全国的にも波及していた。

 機械化しているとはいえ、古くからの職人が関与せざるを得ない部分は確実に存在する繊細な世界。人の手で行わなければならない部分も多く、従業員は頭数ではなく〝人材〟として扱われていた。

 当然一人が体調不良で一時的に現場を離れたからといってラインがストップするというわけではなかったが、続けざまに五人の従業員が休むとなれば不穏な噂話も浮かぶもの。

 最初に目眩めまいがすると言って早退したのは三〇代の男性従業員。

 連休明けに電話を受けたのは現場主任。

「そうか……仕方ないな……無理をせずに休んでくれ……なに、現場は何とかするよ…………いやいや────」

 すでに一〇年以上働いていたベテランでもあった。ズル休みをするような従業員でもない。事実、体調不良で休んだのは初めてのこと。病院に行っても貧血のようなものだろうと薬をもらうが一向に良くなる気配はないという。

 休みも三日目となり、さすがに会社としても不安が過った頃、二人目が同じ症状で休み始める。あれよあれよと一週間ほどで五人が同じ症状で休む。

 そして、いずれは八代目として会社を継ぐことになる若い専務に社長から調査の指示が飛ぶ。

 休んでいたのは男性が四名、女性が一名。いずれも一〇年以上の勤務経験を持つ中堅社員。

 待遇への不満があるのかとも考えたが、それよりは他社からの引き抜きを恐れた。

 専務は個別に多くの従業員から情報を聞き出すしかないと判断した。

「降霊術⁉︎」

 昼休みに捕まえた従業員の言葉に、思わず専務は声を上げていた。

「五人が仲がいいのは知ってますよね」

 そう言って従業員の若い男性が続ける。

「しかもみんな〝オカルト好き〟で有名だったんですよ…………しかも休み始める何日か前に、降霊術がどうとか話してるのが聞こえましてね…………面白そうだったんで聞いてみたんですけど、コックリさんをやった話をしてて…………」

「そんな馬鹿げたことで体調不良なんて…………」

 あまりに予想外な情報に、専務もそう応えながら、もちろん信じられるはずがない。

 それからどの従業員に聞いても、五人は共にオカルト好きとして社内では有名だったという話ばかり。その五人が降霊術をすると盛り上がっても、仕事に真面目で社内での信頼も厚かった五人をとがめる者は誰もいなかった。

 それで何かが起こるなどと真剣に考えもしなかったのは自然なこと。

 それでも五人が定期的に降霊術を行なっていたという話が広がり始めたのはここ最近のことだったという。気が付いた時には社内にオカルトじみた噂が蔓延していた。

 専務を含め会社的にそんな話を鵜呑うのみにするわけにいかないまま手を子招こまねいていた頃、次々と従業員が目眩めまいを訴えて休み始める。

 おかしな噂が世間に広がる前に、会社としては問題を解決したかった。

 しかし休む従業員が二〇名を超えた時にはさすがに工場のラインにも影響を及ぼし、一時的に操業を停止する決断をせざるを得なかった。

 もはやおかしな噂話も無視は出来ない。

 やがて会社の専務が相談を持ちかけたのは、会社と古くから繋がりのある税理士、立坂たてさかだった。





          「かなざくらの古屋敷」

      〜 第九部「蛇の見る幻」後編へつづく 〜

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