第五部「望郷の鏡の中へ」第2話 (修正版)
平日。
偽物の父は仕事。偽物の弟は学校。
偽物の母が一方的に会話を進めるいつものお昼の時間が終わり、その母は買い物に出かけた。
家には自分だけ。
財布には決してお金は多くない。
片道分の旅費にしかならないかもしれない。往復出来たとしてもギリギリ。
それでも良かった。
──……私は〝本当の家〟に帰りたい…………
夢なら早く醒めてほしいと思いながらすでに半年近く。
〝ニセモノ〟の世界で生き続けることに、
地図はスマートフォンで分かる。駅までは歩けない距離ではない。しかし駅から新幹線を使うほどのお金は無い。二つも隣の県に行くには在来線を何度か乗り換えるしかなかった。
それでも帰りたかった。
──〝ホンモノ〟の家族に会いたい…………
最初にアパートに向かう。
僅かに陽が傾きかけていた。
アパートの近くの駅。いつも使っていた懐かしい場所だった。何も変わってはいない。周囲のお店もそのまま。
いつも歩いてアパートまで帰っていた時を思い出す。
総てが懐かしかった。
何も変わっていない。
やはり
夢でもSFでもファンタジーでもない。
懐かしい景色を抜けている間に、いつの間にか足を早めていた。
そして、そのアパートは、あの時と何も変わらずにそこにあった。
外の二階への階段を登る。
一番奥の角部屋。
表札はあるが、自分の名前は書いていない。若い女性の一人暮らしの多いこのアパートでは、ほとんどの部屋が表札は空欄のまま。
しかし鍵は無い。
──……私がいるかどうか……せめて確かめられたら…………
恐る恐る、扉のノブを回す。
当然のように鍵がかかっていた。
ドアの横には台所の曇りガラス。
違和感があった。
──……見覚えのないカーテン…………
途端にそこが、全く知らない場所のような気さえしてくる。
一階に設置されていたドアとは別の集合ポスト。
──私がいなかったから溜まってるの?
しかし封筒に書かれていた宛名は、見知らぬ男性の名前。
そして、そこから駅までの道のりはあまり覚えていない。
実家近くの駅に到着するまで、様々な考えが頭をめぐる。
──……実家に帰ったんだ…………何かあったんだ…………
──…………病気でもしたの…………?
その駅も懐かしい光景に埋め尽くされていた。
しかし気持ちはザワついたまま。
でも、確かに
懐かしいバス停に降りた。
やはり知っている景色がそこには広がっていた。
だいぶ傾いてきた夕陽に背中を押されるように、まっすぐ、
新興住宅地。
リビングの大きな窓から灯りが漏れていた。
カーテンには人影。
見間違うはずもない。
──……お母さん…………
足が動きかけた時、玄関の方向から懐かしい声。
「ただいまー」
妹の声。聞き間違うはずがない。
その姿が一瞬視界に入った直後、その背後の父の姿に足が動く。
──…………みんな………………
そして、その視界にカーブミラーが映った時、足が止まった。
──……そっか…………私は……
──…………私の体は
──……〝ホント〟の私はどこに行ったの…………?
直後に、涙が
──……もし……私じゃない私がいるなら…………
スマートフォンには大量の着信履歴。
わざとバイブモードをオフにしてマナーモードにしていた。
それは〝母親〟からの着信。
──…………〝
駅で再びかかってきた電話に、
「……うん……大丈夫…………これから帰るから……少し遅くなるけど…………心配かけてごめんね…………お母さん…………」
☆
「ごめんね。もちろんまだ話を受けたわけじゃないよ」
そう言って
隣には
「確かに面白い話だね…………」
「
「お疲れ」
この頃には、
そのためか、
例えこの後ベッドの上で肌を合わせても、そのまま眠ることは出来ない。お互いに必ずバスローブを着てから寝ていた。触れる肌の面積が多ければ多いほど、やはりまだ
それでも、せめて手を繋いでいられるようにしてくれた
「つまり、奥さんのお姉さんが自殺した直後から、奥さんがおかしくなったってこと?」
そう言った
「うん。つまりは取り憑かれたって思ってるみたい。自分でお姉さんの名前を名乗ってるらしいよ」
「今までお
「けっこうやったみたい…………しかもちゃんとした神社とお寺にお
すると
「色々と引っかかるね」
そのグラスにビールを注ぎながら
「……その社長さん…………なんだか裏がありそう…………」
「叩けば
「お金も払うってよ。さすがに幾らかまでは聞かなかったけど」
「乗った」
「分かった。アポ取る」
「最初はカラオケボックスで話を聞くことになるね。その社長さんの希望で。その後、二回…………その人のマンションに行くことになる」
「さすが…………やっぱり、幽霊じゃないんでしょ?」
「100%ね」
☆
その日、
午後の三時に
そこは今回の依頼者である
まだ
「みつだ……さん?」
テーブルの上にコーヒーの香りが漂う中、渡された名刺を見ながら
「みつ……た、です。よく間違われるんですよ」
そう言って笑顔を向ける
しかし、その目の鋭さは
「失礼しました。で、お話はある程度伺ってはいたんですが…………」
そう言う
「最近よく聞くようになったIT系ベンチャー企業って言うんですかね。小さいとは言ってもウチの取引先の会社でして、そこの社長さんなんですよ。確かまだ年齢は三〇ちょっとだったと思いましたが」
「そこの奥さんが…………」
「呪われている────と言っても私もまだ見たわけではありませんが…………そもそも私はそういうことには詳しくありませんからね。ただ…………最近はその影響なのか……会社の業績もあまり芳しくありませんで…………まあ関係あるかどうかは分かりませんが、会社のこととなると私も相談役みたいな立ち回りもありますので…………」
「いえ、関係あると思いますよ」
そう応えた
「せっかくの取引先…………小さい会社と言っても、無くなっては
「……助かります」
「でも、私たちなりの解決の仕方になりますよ」
「というと…………」
そこに
「
シワだらけのYシャツ、落ち着きのない怯えた仕草。目の下のクマから、困っていることが事実なのはすぐに分かった。
「そんなに疲れた顔して、どうしたんですか…………お仕事のほうは…………」
「最近は休んだままで…………」
そう応えた
「近くにカラオケボックスがあります…………そこに移動してはダメでしょうか…………」
「それは構いませんが…………」
困惑した表情で
カラオケボックスに移動すると、形だけの挨拶の後、すぐに
「妻の
注文したコーヒーが届くのも待たずに、
「姉の名前は
「何か…………」
そうゆっくりと口を開いた
「奥さんが知らないはずのことを…………口にされていませんか?」
すると、僅かに顔を上げた
「……どうでしたかね…………そこまでは…………」
「例えば、あなたと、その未来さんしか知らないこととか…………」
──……もう何か見えてるの…………?
「いや…………まさかそんなことは────」
「お
「……えっと…………」
目を伏せたままでも、明らかに
「〝
その雰囲気の中で、
「それが宗教なんです。人々に正しい道を示すために生まれたもの。そのために神や仏が必要だっただけ。天国も地獄も説法のため。人を導くためのもの…………その中身は何も間違ってはいない。本当に存在するかどうかではないんです。あなたはその言葉を真剣に聞いていなかった…………お
「私は99.9%神も仏も幽霊も信じない能力者…………それでも宗教は人間にとって必要なものだったと信じてる…………奥さんの所に案内して…………」
☆
部屋の中は玄関からゴミが散乱している有様だった。
もちろん玄関先の靴は揃えられてなどいない。窓もしばらく開けられていないのか、入ってすぐに
寝室に行くと、カーテンも閉じられたままの薄暗い部屋。
ベッドの脇にパジャマ姿でうずくまる
周囲には
その
床の一点を見つめ、絶えず小さく何かを呟いている。
すると
台所に行った
──……綺麗好きで料理好きな奥さんだったのに…………
「
そう指示を飛ばしたのは
あたふたとする
「早く!」
慌てて
「窓も開けて! 風の通りが良くなるように対角線上の窓も! この家は人を迎え入れるのに掃除もしないのか!」
その気迫に押されたのか、いつの間にか
さらに
「奥さんのパジャマ、替えはあるんでしょ。それと下着も出してあげて。布団のシーツと枕カバーも!」
そして
手には透明なゴミ袋の束と小さな箱。
「いけるよ」
その
「ごめん
「大丈夫」
「こんな物見つけたから任せて」
それは料理用の半透明な手袋だった。これがあれば、完全にとは言わないが
「掃除にも使って。ここは
「分かった。今着替えを…………」
そこに、
僅かにその目は震え、
「さあ
「さ、春の大掃除だよ! ゴミをまとめたら掃除機出して!」
☆
ベッドのシーツ、タオルケットから枕カバーまでを新しくし、マットとカバーには消臭スプレーをかけ、体を綺麗にした
シャワーを浴びたことで気持ちがいくらかでも楽になったのか、落ち着いて眠りに落ちていた。
当然のようにあちこち服を濡らした
「
「大丈夫。涼しい風が通ってるからすぐに乾くよ」
そして、
すると、呆然と床に座り込む
「
「えっと…………多分…………」
「とってもらえる? お財布だけでいいよ」
それを見た
「あ、それだ」
「この名刺だけもらうよ。────
そう言うと
「ここ…………連絡取れない? 情報流してもらえないかな」
しかしその名刺を見た
「でも……こういう所は守秘義務もあるでしょうし…………」
そう言って煮え切らない
「ウソも方便…………
「……一割……ですか……」
「じゃ二割で。よろしく」
その名刺は興信所の名刺だった。
そしてその名刺が財布に入っていることに気が付いたのは
いつの間にか、それぞれが役割を振り分けられていた。
☆
そして二日後。
三人は
部屋はあれからそれほど散らかってはいなかった。
また怒鳴られると思ったのか、窓もカーテンも開けられたまま。
前回訪れたばかりとは見違えるような空気の変化。
リビングとドア一枚隔てただけの寝室で
それは
そしてゆっくり口を開く。
「
「そして、そこから出てきたのが────」
「あなたと
「あなたが結婚してから三年も続いてたのね…………でもその前からでしょ。それなのに突然
「…………なんでそんなことまで……」
「だって、調べられてた側の
その
「
空気が張り詰めた。
「興信所に妹の
「
その時、
呆然と立ち尽くす
「……
すると、すぐに
「やめてよ…………あなたが騙してる〝妹〟の名前なんて…………」
その
「〝
「……温泉旅行? いつ? そんな……一泊旅行なんてことしたら、
「そうですか…………かなりの覚悟がないと行けなかったですよね…………」
そして、立ち上がる。
「
すると突然、
「
倒れかけたその体を支えた
「
「目が覚めるとスッキリしてると思うよ。自己催眠は解けた。もう
そして
初めて
それに
「うん。いい目だ。その目を見たかった」
☆
すでに陽が傾きかけていた。
それでも
やはり疲れた目。
「……大丈夫?」
そう声をかける
その姿に
そこに車を運転しながらの
「お見事でした。二人には感服しましたよ。これからは気軽に〝
すると顔を前に向けた
「やめてよ。私はただのスナックのおばちゃんなんだから」
そこに
「こんな可愛いおばちゃんなんか見たことないよ」
すると、
「何?」
そう言って受け取った
「ちょっと!」
覗き込んだ
「いい仕事だねえ」
そして
「さっき玄関先で渡されましたよ。私は一割だけでいいので」
「みっちゃんは二割って言ったでしょ」
「みっちゃんはちょっと…………」
「だって間違って〝みつだ〟って言いそうになるんだもん」
「いや……しかし…………」
「じゃ、みっちゃんは二割ね」
「一割でいいですよ。その代わり、もう一つ仕事を受けてはもらえませんかねえ…………」
直後の
その
「んー…………みっちゃんで良ければ」
「
すると、すぐに
「ちなみにさっきの社長さんのところの会社…………これから伸びるよ」
「……ほう…………」
「みっちゃんも忙しくなるねえ」
「結構ですな」
その年、
お金の流れは、もちろん
「かなざくらの古屋敷」
〜 第五部「望郷の鏡の中へ」第3話(第五部最終話)へつづく 〜
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