地獄に堕ちても手を放さないで

位月 傘

 シンデレラストーリーって言うのかしら。貧しかった少女が貴族の養子に迎え入れられて、やがて素敵な王子様と結婚してしあわせにくらしましたとさ。

 そういう、小さな子供が好むおとぎ話みたいなことが、実際に私の身には起きていた。

 


 ことの始まりは7つの頃だから、もう10年も前のことだ。と言っても難しい話は無い。

 教会の孤児院で暮らしていた私を、子供に恵まれなかった貴族の夫妻が迎え入れたのだ。幸か不幸か私の見目は悪くなかったし、年も丁度良かったので、私の意見は関係なく、引き取りはすぐに決まった。

 

 傍から見れば降って湧いた幸運に違いないが、当時の私にはひとつ心残りがあった。声変わり前の、柔らかな少年の声音をいまでも鮮明に覚えている。


「ここを出てまっすぐ歩いて行けば、海が見えるんだって。それで海を越えれば、子供だけが暮らせる場所があるんだって」

「私たちだけで見つけられるかな?」

「きっと見つけられるよ。だから大人になったら、ふたりで探しに行こう?」


 同じ孤児院で暮らしていた、ひとつ年上の男の子。いつかふたりで、ここからずっと遠いところに行ってみようと約束したひと。

 私たちはここが心底嫌だったからそんな約束をしたというよりは、心に染みついてしまった孤独を慰めるために、そんな夢物語を囁きあった。


「ノア、今日は顔合わせだから、もし嫌だったらはっきり教えてちょうだい」


 凛とした、しかし不安を滲ませた女性の声に回想から引きはがされる。


「……えぇ、ありがとうございます、お母さま」


 言えるわけが無い、と思いながら笑みを浮かべて見せると、母も安堵するように微笑んだ。この家で暮らすようになってから、同年代の男性と話すことがなかったので昔のことを思い出してしまったのだろうか。


 今日はお見合いの日だ。普段から孤児院に居たときとは比べ物にならないほど綺麗な服を着せてもらっているが、今日はまた一段と時間をかけて準備してもらった。

 

 お相手の名前はプリミラさまと言うらしい。しかし名前や地位や人格がどうかなんて、関係が無い。

 もし私が婚約を拒否すれば、両親はきっと受け入れてくれるだろう。だけれど、私は引き取ってもらえた恩を返したかった。返さなければならないんだ。


 自分の意思でそう決めているはずなのに、今日のことが決まってから毎日憂鬱だったのはどうしてだろう。扉がノックされる。そろそろ向かわなければ。



「初めまして、レディ・ノア。お会いできて光栄です」

「…………はじめまして、プリミラさま。ようこそおいで下さいました」


 青年は人当たりがよく、貴族に違わぬ気品を持ち合わせていたおかげか、同席していた両親の警戒心はすっかり解けたようだ。両親が納得しているのなら私に反対する権利はないが、どうしても彼に尋ねなければならないことがあった。


「お母さま、お父さま。私、プリミラさまと二人でお話したいわ」

「まぁ、でも二人きりにするなんて……」

「貴族の生まれではないことを、きちんと自分の口で説明したいの」


 二人がぐっと言葉に詰まるのが分かった。同時に私は、これが卑怯な言い分だということも理解していた。何故なら二人は生まれながらの貴族だから。孤児院で過ごしていた私のことを真に理解できるとは思っていなくて、かといってその領域を荒らしたりは決してしないことを、分かっていて利用しているから。


 

 いくつか両親の間で言葉が交わされた後、十分だけならと部屋に私たち二人を残して出て行く。心配の表情ににじませた二人を少しでも安心させられるように、本物の貴族のように微笑む。


 私は本物の貴族になったはずなのに、いつまでたっても自分が貴族の『ふり』をしているようにしか思えないのが、一体どうしてなのかずっと疑問だった。

 

「ねぇ、プリミラと呼んでも良い?それとも名前が無かったころみたいに、その日だけの名前をお互いにつけてみる?」


 懐かしい面影を持った青年に、多少の戯れのつもりでそう言えば、彼は随分と面食らったような顔をした。プリミラは言葉を探すように視線を落とし、数秒の後困ったように眉を下げて笑みを見せる。

 

「……てっきり、君はもう僕のことなんて忘れてしまったのかと思っていた」

「もう、どうしてそんな意地悪を言うの?」

「あぁ、ごめん……。うん、そうだね。僕は君が忘れてしまったんじゃなくて、忘れてしまってれば良いと思ってたんだ」


 今度は私が驚く番だった。随分長い間離れていてしまったせいか、昔のように顔を見ただけで考えていることは分からない。

 だから私たちの間には言葉が必要だ。あの頃の私は不理解を拒むあまり理解する努力を怠ってしまったから。


「ねぇ、私がいなくなって、貴族になってから幸せだった?」

「もしそうじゃなかったと、泥を啜るような日々だと答えたら、君はどうするの?」


 声音も表情も穏やかなのに、言葉には棘が含まれていた。それでも両親の教育が、私の中に染みついた貴族としての教養が、私の背筋を伸ばしてくれた。


「あなたの代わりに大声で泣いてやるわ。知っていて?貴族は人前で泣いたりしてはいけないのよ?だから、あなただけ特別。私の弱みを握らせてあげる」


 この十年は、彼とはなれていた十年は、私にとって決して忌まわしいものではなかった。だけれど彼にとっての十年が忌まわしいものなら、私がそれを引き受けるのは当然のことのように思えた。


 言い切った直後、子供の頃の彼が見えた。こっそり教会を抜け出して、二人で怒られたときみたいな。

 

「本当は、君のことを殺してしまうつもりだった」


 随分と、記憶の中の彼には似つかわしくない言葉だ。あの頃の私たちにとってのいちばんはお互いで、傷つけようだなんて発想が存在しなかったから。だから、まず傷つくより先に、彼の言ったことが理解できなかった。


「……黙って出て行った私のことが憎いから?」

「あぁ」


 間髪入れずに返された肯定に胸が痛む。仕方がないことだ。彼からしてみれば、私は約束を破って自分を置いて行き、何不自由のない生活に逃げたのだ。


「もう随分と昔から、本当に憎くて憎くて、殺してやりたくて、気が狂ってしまって仕方ないんだ」


 それなら、どうしてそんなことを教えてくれたのだろう。復讐が、殺すことだけが目的なら、今まさに絶好のチャンスなはずだ。

 彼は私の心を読んだかのように語り続ける。何もかも変わってしまったはずのに、その姿は私をあの頃に戻ったような心地にさせた。


「だからかな。すっかり忘れていてくれたら、この気持ちを正統化できる気がしてたんだ」


 彼はちっとも悪くないのに、懺悔のようにそう話す。許されるなら、彼のことを抱きしめてあげたい。彼の苦しみを一つ残らず取り除いて、世界で二人きりになりたかった。


「すべて、きみのせいにしてしまいたかった」

「それなら、どうしてそのことを話してくれたの?」

「君が覚えていたから、いや、もっと前だ。君が二人きりになりたいと言ったから、きみが、僕に向かって微笑むから、きみ、が」


 まるで水の中にいるみたいだった。自分で息を詰めているのに、酸素を求めているように言葉を紡ぐ。彼があんまり苦しそうだからこそ、すべてが本心なのだと分かる。


「君に、幸せになってほしい。だけれど同時に、君のことが許せない」

「ゆるさなくたって、いいよ」

「……だめだよ、ノア」


 咎める言葉には聞き覚えがあった。ひとつしか違わないのに、彼はいかにも年上だという振る舞いが好きだったことを覚えていた。

 

「きみがいないと、僕は正気じゃいられないんだ。だからもう二度と会おうなんて思ってはいけないよ。そしてもう二度と、僕のことを思い出してはいけないよ」

「……あなただって分かっているのに、そんな意地悪を言うの?」

「ノア?」

「私の魂は、もう十年もあなたに預けていたのに」


 そのせいで、もう十年もたったのに、私は真の意味で貴族になれなかったんだ。

 私たちはふたりで一つだから、離れていれば支障がでるのは当たり前だ。

 私の魂はあなたのもので、プリミラの魂はノアのものだ。


「いつか僕は、君を破滅させるだろう」

「そんなことは些細なことよ」

 

 幸福になることも、破滅することも、なんだって起こってしまうことは仕方がない。きっと運命というものは生まれる前から定められていて、変えようとすることは神への冒涜的なのだろう。

 だけれど私たちが離れることは、それこそ摂理に反することだ。天地がひっくり返るような、人間が海で暮らすような、もうこれ以上は生きていけないことと同義だ。


 彼は恨めし気な目を隠さずに泣いていた。抱きしめれば弱々しい腕が背中に回される。泣いてしまったせいか、彼の体温は子供みたいに暖かかった。


「きみが、君が悪いんだ。こんなに僕が惨めなのも、純粋な愛を失ってしまったのも、全部、ぜんぶ君のせいだ……」

「うん、うん……」


 だから、ずっと二人でいよう。いつか、遥か先に、二人がひとつになるために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地獄に堕ちても手を放さないで 位月 傘 @sa__ra1258

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ