第13話 扉の先には

 アリエス・ルミエールは勇者である。

 清廉潔白、容姿端麗、純粋無垢。アリエスを見た多くの人はその容姿、性格から、正しく理想の勇者だと褒めたたえた。

 そんなアリエスからして、オクトという男は対極に位置する存在だった。

 最初こそ、心優しく勇敢な男かと思ったが、蓋を開けてみればとんでもないセクハラ魔。しかも、その対象が女性だけでなく男と名乗る自分にも当てはまるのだから、アリエスはオクトを嫌悪してもおかしくなかった。

 だが、不思議とアリエスはオクトを嫌いになれなかった。不思議とオクトの傍にいるのが楽しい、心地いいと感じてしまう。

 その理由が何なのかはアリエス自身にもまだ分からない。


(まあ、オクトってちょっと子供っぽいところあるし、アリアとマリアを相手にしている感覚に似ているのかも)


 幼い頃は勇者としての鍛錬の合間を縫って、よく遊んだ双子の妹たちとオクトをアリエスは重ねる。

 どこか違うような気もするが、それは性別が違うからだろうと結論付け、トイレを後にした。


 オクトの待つテーブルへと向かうアリエスだったが、オクトの周りを数人の冒険者が囲んでいることに気付く。

 なんとなく気まずさを感じながら、何してるんだろうと近づくが、途中で自分の名前が聞こえたことでその足を止める。

 そして、そのまま柱の影に隠れてオクトたちの様子を伺う。


「オクト、お前さ、自分の立場分かってんのかよ?」

「そうそう。最近、調子に乗ってんじゃねえか? 空気読めよな」

「空気? 何の話だよ」

「いや、勇者様の話だよ」

「ああ、アリエスか」

「そういうのだよ。勇者様で王族のあの人にお前みたいな奴が近付くべきじゃないって言ってんだよ」


 オクトと話しているのは、ここ最近Aランクに上がったばかりの冒険者の男二人だった。

 この二人はオクトとほぼ同時期にこのタコルの街で冒険者となった。そして、この冒険者たちは素行が悪いくせに自分たちよりも早く結果を残していたオクトのことを目の敵にしていた。


「別にアリエスが誰とつるもうがアリエスの自由だろうよ」

「はあ。これだから田舎の馬鹿は。天恵持ちだからって調子に乗るなよ。お前みたいなクズは勇者様の評判を下げることになるんだよ」

「どうせクズのことだから、勇者様の持つ権力とか地位を利用しようとしてるんだろ?」


 ただならぬ気配に周りの冒険者の注目もオクトたちに集まる。

 二人に囲まれ、好き放題言われたオクトは二人の顔をぐるりと見回した後、鼻で笑った。


「て、てめえ!」


 怒った男の一人がオクトの胸倉を掴もうとするが、それより早くオクトは触手の先を丸めを男の股に向ける。


「おっと、それ以上動くなよ。それ以上動けば、俺のクリムゾン・バレットが火を噴くぜ」

「はっ。脅しのつもりかよ……」


 強がる男冒険者だが、その顔は若干引き攣っていた。


「知ってるかどうかは知らないが、一般的に触手はその九割が筋肉によって構成されていると言われている。更に、触手には骨格が無く柔軟性に長けている。即ち、俺の触手はしなる。鞭の先端の速度は音速を超えるとも言われている。俺の触手もそれとほぼ遜色ないことが出来るのさ。どうする? 音速の世界をその身を以って体感するか?」


 オクトの触手が構えられた瞬間から、酒場は異様な静けさに包まれていた。

 そして、その場にいる男たちは皆同じことを想像して自分の股間を抑える。対照的に女性冒険者はあきれ顔を浮かべていた。


「やれるもんなら、やってみろよ。ここには大勢目撃者がいる。手を出せば咎められるのはお前だぞ!」

「へえ、いい度胸じゃねーか。つまり、やってもいいってことだよな?」


 ヒュン! とオクトが触手を軽く素振りする。

 その音を聞いた瞬間、一人の男が悲鳴を上げた。


「ひええええ! こ、怖い……! 触手怖いいいいい!!」


 悲鳴を上げたのはザックだった。

 過去にオクトの触手を味わっているザックは当時のことを思い出し、顔を青ざめて震えていた。

 その怯え方に、オクトの目の前にいる冒険者もごくりと生唾を飲み込む。


「大体、気に入らねーんだよな。アリエスと俺が釣り合わない? それを決めるのはアリエスだろ。てか、少なくともアリエスのことを勇者様としか呼ばないお前らより俺の方が何倍もアリエスと仲いいからな」


 そう言うと、オクトはその目に怒りを滲ま二人の男冒険者を睨みつける。

 このニ人がオクトを目の敵にするように、オクトもまた目の前の二人の男冒険者を目の敵にしていた。

 そう、オクトが狙っていた同期の女冒険者を二人とももっていったこの男たちを。


「俺は別に構わねーよ。ザックをやった時だって、ペナルティは受けた。冒険者ランクが下がる? 謹慎? ああ、受けてやるよ。で、お前らの覚悟はいいか?」


 オクトは再度問いかける。

 既に立場は逆転していた。オクトを責めていたはずの男たちはオクトの強い視線に圧倒されていた。

 それでも、彼らは己から仕掛けたというプライドから、引きさがることが出来ない。


「や、やってやるよ! てめえの触手なんざ痛くもかゆくもねえよ!」

「くくく。その言葉を待ってた。丁度ストレスが溜まってたんだ! そのイケメン面、醜く歪ませて、涙でぐちょぐちょにしてやんよ!」


 口角をこれでもかと吊り上げ歪んだ笑みを浮かべながら、触手を振り上げるオクト。

 そして、その触手が振り下ろされる。その先端は音速を超え、輝きを放つ。

 イケメンへの嫉妬。自分がモテないことへの嘆き。

 負の感情は、時に人を変える。

 この瞬間、オクトの触手の先端は光の速度に到達し、世界を置き去りにした。

 不可避の一撃、その一撃が一人の男の生殖機能を奪い去ろうとしていた。だが、光はまた別の光によって止められる。


「危ない!」


 オクトの触手が男の股に当たる直前、その触手を防いだのは他でもないアリエスの聖剣であった。


「アリエス!?」


 突然、現れたアリエスにオクトは驚きを露わにする。

 対照的に、アリエスは顔を少しだけ赤くしながら、頬を膨らませていた。


「オクト! 暴力はダメだよ!」

「で、でも、こいつらは俺のことを悪く言ったんだ!」

「それでも反撃が過剰すぎるよ! そこで手をだしちゃったらオクトまで悪者になっちゃうよ。それは、仲間のボクからしたら寂しいよ」

「ぐぬっ」


 それを言われるとオクトも口を閉じるしかなかった。

 女好きのオクトは女の寂しそうな顔に弱かった。


「勇者様、ありがとうございます! その、あんな暴力的な奴より、よかったら俺たちのパーティーに入りませんか?」

「そうっすよ! あんな触手野郎なんて実力だけの気持ち悪い男なんすから」


 勇者たるアリエスが自分たちを助けてくれたことで、気をよくしてここぞとばかりにオクトを貶し、アリエスの勧誘に入る二人。


「遠慮するね」


 だが、二人の勧誘をアリエスはバッサリと切り捨てた。


「な!? 何故ですか?」

「そうですよ! そいつより俺たちの方が何倍も役に立ちますよ!」

「遠慮するって、言ったよね? 聞こえなかったの?」


 珍しくアリエスは怒気を隠すことなく二人にそう言った。

 確かにオクトはクズだ。

 だが、さっきの会話の中でアリエスは理解した。オクトはクズだが、アリエスのことを勇者や王族ということを一切気にせずにあれだけ気安く接してくる人は他にはいなかった、と。


「……分かりました」


 アリエスの声から可能性が無いことを悟ったのか、二人の男冒険者は苦い顔を浮かべつつ二人の下から立ち去った。


「へっ! 怒られてやーんの! ぷぷぷー」

「オクト! そういうこと言わないの!」

「いてっ」


 立ち去る二人を嘲笑うオクトの頭をコツンと聖剣で小突くアリエス。小突かれたオクトは納得のいかなさそうな顔をしつつも、大人しく椅子に座った。

 その様子を見て、アリエスは微笑む。


「あの人の大事なところを潰そうとしたのはよくなかったけど、あそこで引き下がらなかったのは、かっこよかったよ」

「だろ? アリエスが聞いてたの分かってたからな。バシッとかっこつけてやったぜ」

「……え? き、気付いてたの?」

「思いっきり柱の影からアリエスの金色の髪が見えてたからな。ところでどうだ? そんなかっこいい俺と一緒にそろそろ風呂に――」

「入らないから」

「……シュン」

「落ち込んでる様子を口で言ってもお風呂には入らないから。それより、そろそろ帰ろっか。ご飯も食べ終わったみたいだしね」


 アリエスがそう言うと同時に、オクトは慌ててテーブルの中に僅かに残っていたものを必死に口に詰め込んだ。

 そして、アリエスとオクトは酒場を出た。


 宿屋に戻った後、アリエスは聖剣を握って外に向かう。アリエスは幼いころからほぼ毎日の様に剣を振るってきた。

 それは強くなるためだ。そして、今もそれは続けている。

 アリエスは自覚している。自分の実力はまだまだ邪王を倒せるレベルにないと。

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 額の汗を拭い、アリエスは空を見上げる。聖剣を振り始めた頃は遠くに見える山よりは少し高い位置にあった月は、ほぼ真上の位置にまで登っていた。

 気付かぬうちに随分と時間が経ったらしい。

 剣を振っていた宿屋の裏から、宿屋に入り、自分の部屋に戻る。部屋の電気は点いていたが、オクトはベッドの上で布団にくるまっていた。

 オクトを起こさぬよう、慎重に部屋に入ったアリエスは身に付けていた鎧を脱ぎ、聖剣を壁に立てかける。


「大分、汗かいちゃったな……。お風呂、行かなきゃ。その前に、鎧と聖剣だけ綺麗にしなきゃ」


 そう言うと、アリエスは鎧と聖剣に触れて「浄化」と呟く。それと供に、アリエスの手が温かな光を放ち、聖剣と鎧に僅かについていた汚れが消えていく。

 アリエスが使える数少ない魔法の一つである、浄化だ。

 その魔法は多くの女性冒険者が習得している生活魔法の「清掃」に似ており、対象の汚れを綺麗に落とすことが出来る。

 この魔法のおかげでここまで旅を続けてこれたといっても過言ではないほど有用な魔法だ。

 当然だが、旅を続けていれば野宿をすることもある。更に、この宿屋のような個室風呂がついた宿は多くない。

 男を名乗る女の子であるアリエスは公衆浴場を利用できない。故に、お風呂に入れないこともしょっちゅうだった。

 そんな時に、アリエスの衣服や身体を綺麗にしてくれたのがこの魔法だった。


「よし、それじゃお風呂行こうかな」


 自身の装備の浄化を終えたアリエスは立ち上がり、浴室へ向かう。

 浴室には新しいタオルが用意されていた。


「んっ」


 身に付けていた黒のインナーを脱ぎ、さらしを外す。

 そして、鏡を見ながら自分の胸に手を添える。


「ちょっと大きくなったかな……?」


 鏡に映る胸を見て、ポツリと呟く。

 アリエスにとってそれは喜ばしいことでありつつ、面倒なことでもあった。

 勇者アリエスとしては、さらしで押さえつける時の苦しみが増える分、面倒なもの。

 逆に、女の子のアリエスとしては、自身の姉妹に比べるとやや小ぶりだった自身の胸を気にしていた分、成長は歓迎するべきものだった。

 しかし、この浴室においてはアリエス一人。数少ないアリエスが女の子として振舞える場所だ。

 自身の成長を喜ばしく思いつつ、鼻歌交じりに浴室に溜まったお湯で水を浴び始めた。


 そして、アリエスが浴室に入って水浴びを始めるとほぼ同じタイミングでオクトは目を覚ました。

 寝ぼけた状態で自信の格好を見たオクトは、アリエスと酒場から戻って来たときから自分の格好が変わっていないことに気付いた。


「あー、寝てたのか。風呂行くか」


 この時、オクトの頭の中に邪な感情は一切無かった。

 故に、聖剣はオクトに反応することが出来なかった。そして、そのまま寝ぼけたままオクトは浴室の扉を開く。

 この部屋の個室風呂は浴室の中が脱衣所と繋がっているタイプだった。

 故に、オクトが扉を開くと同時にその目に一人の女性の裸体が飛び込んできた。

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