第拾弐幕 裂帛
「それじゃあ……私たちは戻ります……ね」
気まずい昼食が終わり、桜さんと瑠偉さんは立ち上がった。
「ああ……気を付けてな」
煙草を二本も吸っていた京堂さんは、小さく手を振って二人の背中を見送った。
バタン、とドアが閉まり、居間に取り残されたのは俺と京堂さんだけだ。互いに何を言うでなく、俺は京堂さんが吐き出した煙を目で追いかけていた。
怪しまれず、自然な感じで、この部屋から出て不確かな調べものをするにはタイミングが悪い。こういう時に限って、トイレの気がしてこないもんだからタチが悪い。もう嘘でもいいから動こうかとも思ったけど、今の状況で背中を見せることは嫌だった。
「拓真、お前は……この家と人形についてどう思う?」
「えっ?」
三本目の煙草を取り出した京堂さんは、俺の方を見ないでそう言った。
「どっちも……嫌いです。桜さんの所為でも綾波さんの所為でもないですが……現状をあの時に知れたなら泉屋の廃屋で我慢していましたよ」
「嫌い……か」
京堂さんは何故か哀しそうだ。哀しませるようなことを言ったとは思えないし、何だかその表情が自己憐憫とか自惚れというか……とにかくいつもの京堂さんらしくない感じがして、俺は堪らず立ち上がった。
「ちょっと……トイレに行ってきますね」
「一人で平気か……?」
「はい。ここからだと……人形の間の向かいにあるトイレの方が近いですよね」
座椅子を後にし、目的地の書斎へ通じるドアを開けた――直後、桜小路さんと出会した。反射的に飛び退いたし、情けない声が飛び出たけど、桜小路さんは微塵も動じておらず、懸盤を持ったまま俺へ一礼した。
「驚かせてしまい、申し訳ありませんでした」
「ああ……いえ、大丈夫です。僕の方こそ申し訳ありません」
初対面の時のことがあるから、反射的に身構えもしたけど彼女は転ばなかった。もし転んでいたら……、
「あっ……それはもしかして」
「はい。鈴谷様への昼食をお持ちしたんですが……やはり客室棟に?」
「そうみたいですね。でもお腹は空くと思いますよ。今は……十二時四十分ですし、そろそろ欲しいんじゃないでしょうか」
「そうですよね、ありがとうございます」
また一礼した桜小路さんは、当たり前のように俺の横を抜けようとした。だから、
「ああっ……あの、桜小路さん」
「はい?」
桜小路さんを呼び止めて、彼女の顔をまじまじと見つめながら言った。
「桜小路さん、あのぉ……テレビか雑誌に載ったことありませんか?」
その質問に、何故か京堂さんが反応した。
「拓真? なんだ急に……?」
それを無視し、俺は桜小路さんの返事を待った。
「はい、いえ? そんなことは……」
桜小路さんはかぶりをふる。だけど、その態度が明らかに何かを隠しているように目を合わせないもんだから、それを問い詰めようと思った。それだのに、京堂さんがしきりにやり取りを見つめてきたから、それ以上の追及は断念せざるをえなかった。
「そうですか……。すいません」
顔をジロジロと見るような失礼を詫びると、桜小路さんは優しそうに微笑んだ。
「いえ……こちらこそ。それでは……」
桜小路さんは俺と京堂さんへ一礼すると、居間から出て行った。
「それじゃあ……俺もトイレに」
何故かこっちを見つめている京堂さんの視線から逃れ、背中でそっとドアを閉めた。
行くべき場所は書斎だ。
薄暗い廊下を忍び足で進み、気になっていた書斎のとある書棚へ向かう。あの時は詳しく調べられなかったけど、雑多な雑誌が並べられていた箇所があった。
桜小路龍香さんによく似た人を見たのは確か……漫画雑誌だったはずだ。愛里さんがよく持って来ていたそれの表紙はグラビアが多く、大淀さんが桜小路さんの胸の大きさを指摘していたことも相まって思い出せた。
施錠されていないことに感謝しつつ書斎へ忍び込み、物音に気を遣いながら並べられた雑誌を調べていく。誰が読んでいるのかはわからないけど、漫画雑誌はそれなりに並んでいて、グラビアが表紙を飾っているものはあった。だけど、桜小路さんに似た女性は一人もおらず、別の漫画雑誌に向かう。
途中から、雪の中でも落としたのかと思うほどに滲んでクタクタになっている漫画雑誌が出て来た。それにはもう絶望しかなくて、慎重な出し入れを繰り返しながら表紙と中身のグラビアを覗く。
何回も繰り返される出し入れは確実に時間を進め、ただのトイレです、という言い訳が通じなさそうになりかけた時、別の漫画雑誌に彼女――に似た女性がいた。
二00八年八月号の表紙を飾るのは、紺碧の海をバックに満面の笑みと水着姿を披露する
笹原加野子。二十一歳。趣味はギターと映画。よく転ぶのがコンプレックス。ページの右隅にある簡素なプロフィールにはそう書かれていた。
際どい紅い水着姿で振り返るその顔には太い眉毛に大きな瞳、人懐っこそうな眩しい笑顔が浮かんでいる。それは間違いなく桜小路龍香の顔と瓜二つだ。グラビアアイドルがこんな場所でアルバイトでもしているのだろうか。名前を変えてまで――。
ガタ……。
「っ……!」
入り口の方で物音がした。京堂さんか、それとも家の誰かがいる。身を屈めたままその音の続きを待ったけど、もうどこからも物音はしてこなかった。
何かとてつもない危険なことを知ったような気がして、俺は漫画雑誌を戻して立ち上がり――書棚の陰に立っている球体関節人形と目が合った。それは京堂さんを驚かせた気味の悪い人形の一つで、確か天井を見上げていたはずだけど――。
そう思った瞬間、後頭部に強い衝撃を受けた。骨が砕けたような音と一緒に視界がぐるりと回転し、身体は勢いよく絨毯に突き倒された。眼鏡が脆い音を立ててどこかへ飛び散り、視界の確保も立ち上がることも出来ないまま、伸びる人影は俺に向けて何かを振り上げた――。
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