愚者の贈り物

柊木祐

第1章 おっぱいの日

「ねえねえ、来週の金曜日は何の日か覚えてる?」

土曜の朝、和美は、寝ぼけまなこでぼさぼさ頭のままトーストにかじりついている夫の祐二に話しかけた。祐二は半分眠っているような状態だったが、そう話しかけられた瞬間、体中の細胞が一気に目覚めた。夫としての生存本能が、今この瞬間自分が地雷原に立っていると告げている。間違った方向に足を踏み出せば、ドカン、即死だ。覚醒しきっていないふりを装いながら

「あー、何だったっけかな。それより熱いコーヒー淹れて欲しいんだけど。ふぁー」

「ちょっとー、覚えてないの?」

大きく伸びをするふりをしながら、横目で壁のカレンダーを見て日付を確認する。

来週の金曜は11月8日だ。

それは分かったが、その日が何の日か、カレンダーには一切手掛かりがなかった。

まずいぞ、早く思い出せ。

「じゃあ、何の日か言ってみてよ」

和美がテーブル越しに祐二の方に乗り出してくる。

こういう時の和美ってホント目力半端ないよなー、普段の3倍位黒目がでかくなっているような気がするぞ。

そう思いながらも正解を思い出せない祐二は、とっさに時間稼ぎにでた。

「ちょっとうんこ」

「もう、覚えてないんじゃない!」

「いや、ちょっと待って、ホントうんこ出るって」


ふぅー。

トイレに逃げ込んだ祐二は、落ち着け、まずは落ち着け、それからゆっくり思い出すんだ、と自分に言い聞かせた。

11月8日。

誕生日でないことは分かっている。としたら、何だ? 記念日みたいなのって他に何がある?

その時祐二は答えを得た。

ははーん、そうか、そうだった、おっぱいの日だ。

ゆっくりトイレを流して寛いだ顔で出てきた祐二は、和美にこう言った。

「二人の大事な日くらい、外で旨いもんでも食べに行こうか?」

「うん、うん、そうしよ、そうしよ」

和美がぱっと顔を明るくさせて大きく頷いた。



11月8日。それは二人の結婚記念日だ。

11月22日の「いい夫婦の日」に式を挙げる予定で準備をしていたが、式場に手違いがあった。式の1か月前に式場に打ち合わせに行った際に、11月22日の予約が重複していることが発覚した。式場側の予約登録ミスだった。

平謝りする担当者は代わりに別の日を提案してきた。

「大安になる11月8日の日曜日では、いかがでしょうか?」

「ちょっと待って、それって再来週のことですよね?そんなに急に準備できないですよ。それに招待状だって発送しちゃってるし、出席する人だって困るわ」

和美は文句を言った。

「うちの予定を変えるんじゃなくて、ぶつかってるそっちの方を変えられないんですか?」

「それが、こちらで確認しましたところ、あちらのお客様の方が先にご予約されていることが判りまして。大変申し訳ございません」

しばらく二人のやり取りを聞いていた祐二が口を出した。

「じゃあ、いいよ。和美、仕方ないじゃん。うちは出席者も身内みたいなもんだし。日取りを変えたってみんなちゃんと出席してくれるさ」

「そんなこと言ったってー」

「まあまあ、そんな顔しないで。山岸さんだって困ってるだろ?俺らは別に結婚できなくなるわけじゃないんだし、さ」

「じゃあ、結婚記念日はどうなるの?せっかく『いい夫婦』にしてたのに、11月8日で『いいや』なんて、妥協したみたいでやだもん」

うん、妥協には違いない。でもそれは今は言わないでおいた方がいいだろう。

そう思いながら祐二は

「うーん、じゃあ、1108で『いいおっぱい』はどうよ?な、ぴったりじゃんか!」

「馬鹿!」

こうして二人は11年前の11月8日「いいおっぱい」の日に華燭の典を挙げて、晴れて夫婦になったのだった。


(第2章に続く)

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