ラブレターは届かない

@TheCHILL

ラブレターは届かない

「決めた。今日こそ城木先輩に告白する」と僕は言った。


 文芸部の部室。いつものように清掃時間をサボって僕は、友人の木崎と一緒に漫画を読みに来ていた。窓からは落日が差し込んでいて、室内を朱に染めていた。


 木崎は突然の宣言に対してポカンとした表情を見せた後、哀れむような微笑みを浮かべて僕の肩をポンと叩いた。


「がんばれ。骨はひろってやる」

「まだ振られるって決まったワケじゃないぞ!?」

「そうだな。まあ、東一局で天和四暗刻大三元字一色を和了るくらいの可能性はあるかもな」

「麻雀やっているやつ以外にピンと来ない例えはやめろ! 年末ジャンボの特賞くらいとかもっと分かりやすい例えをしろっ! ていうか、自分で突っ込んでいて悲しくなってきたわ!」


 とはいえ、僕も振られるだろうなとは思っていた。


 城木先輩は僕と同じ文芸部の三年生で、学校でも一、二を争う超絶美少女だ。彼女に面と向かって微笑みかけられたら、それだけで心臓が溶けてしまいそうな心地になる。


 それだけにライバルの数も多い。


 以前、偶々城木先輩と登校時間が一緒になって彼女が下駄箱を開ける瞬間を目撃したのだが、ドサリとラブレターの束が足元に落ちて目を丸くした。


「また……困ったわね。どうしよう?」


 僕の方を見て、本当に困ったような顔でそう言った城木先輩はとっても可憐だった。彼女は少しおっとりとしていてマイペースそうな雰囲気なのだが、会話をしていると頭の回転がとてもはやい人だと分かる。そこも魅力的だった。


 木崎は読み終わった『海のトリトン』をダンボールに戻しながらこちらを向いた。

「それにしたって、どうやって告るんだ?」

「ラブレターを渡す。文章はもう書いてきた」

「今時ラブレターって……LINEとかじゃねーの」

「LINEは素っ気ないし、やっぱり自分の気持ちは手書きの文字で伝えたい。それになにより僕は城木先輩のLINEを知らない」

「同じ部活の先輩後輩なのに?!」

「一応、部内のメーリスがあるけどそこに登録されている城木先輩のアドレスは家族共用のものらしいから……」

「はあ。変なムシがつかないかとか、親御さんも心配しているんじゃないの。きっと。なにせあれだけの美人だし」


 日に日に城木先輩への思いは強くなる。もうこの気持ちはとても抑えきれない。振られるなら振られるでさっさと散ってしまい、楽になりたい。


 僕は『あしたのジョー』を160サイズの段ボールに仕舞って、漫画が元々あった床下収納に戻した。大きな段ボールなので木崎とふたりでないと運べない。部室には古本の詰まった段ボールが部屋の隅に山積みになっているのだが、そのすぐ傍にある床下収納には漫画が隠されている。普段、文芸部で漫画を読んでいると「漫画が読みたいなら漫画研究会にいけ」と口の悪い文化系硬派な先輩から言われてしまうので、こうしてこっそり読んでいるのだ。


「というわけで、僕はこれから下駄箱に向かう。この時間帯だと、掃除が終わってショートホームルームが始まるまでの短い時間が手紙を入れられる最後のチャンスだからな」

「まあ、精々気張ってな。慰めの言葉を用意しといてやるよ」


 だから振られる前提で話をするなって、と僕は文句を言いながら文芸部の部室を出た。


 学校の廊下は掃除の持ち場から教室へと引き上げる人たちで渋滞になっていた。僕はそれらの流れに逆らって昇降口へと向かう。玄関のあたりまで行くと人気はほとんどなく、シンと静まり返っていた。僕は城木先輩の下駄箱に近づいた。


 勝手に他人の下駄箱を開けることに抵抗がないわけではない。しかし、直接手渡しする勇気は僕にはどうしても出なかった。そうなるとクラスどころか学年まで違う僕が城木先輩に手紙を渡そうと思ったら、下駄箱に入れる以上の名案は思い付かない。安直ではあるが確実な方法。べたと笑いたければ笑うがいい……いったい僕は誰に言い訳をしているのだ。


 謝りながら僕は城木先輩の下駄箱を開けた。すると、城木先輩の靴の上には既に何枚かの手紙が入っていた。予想していたことだが僕は少しがっかりだった。同じことを考えている人間は他にもたくさんいるということだ。できればもっとインパクトのある所、机の中やカバンの中に手紙を入れたいけれど誰かに見つかったらと思うと実行はできなかった。このその他大勢の駄文と、僕の彫心鏤骨の恋文を一緒にされるのは大変遺憾であったが、仕方ないと諦めて僕は手紙を入れて下駄箱を閉めた。


 幸い、その間を誰にも見られることはなかった。


 放課後になり、僕は再び文芸部の部室に足を運んだ。今度はサボリではなくれっきとした部活動のためだ。とはいえ、文芸部は普段、それほど活動らしいことをしていない。活動日は読書会を開催したり、部誌の編集作業などがあったりするのだけれど、それ以外の日は気の向いた人が部室で本を読んで駄弁るだけといった感じになっている。


 暇を持て余した城木先輩がいるかもしれないので、僕は活動日の火曜と金曜日以外にも必ず顔を出すようにしている。先輩はいつも部室へ顔を出す際は一番乗りなのだ。


 文芸部の部室は文化棟の三階西端に位置する。


 文化棟は元々旧校舎の特別教室棟であり、人数が少ないものの伝統のある部活に割り当てられる傾向にある。実績があるのでないがしろにはできないものの、それほど金を掛けたくない――という学校の思惑が透けて見えるようだが、閑散としていて僕は結構好きだ。


 特に三階は文芸部の部室以外はどこも倉庫として利用されているので、部員以外は出入りしない。


 二階から三階へと上がろうとしたところで、いきなり背後から肩をつかまれた。


 振り返ると、そこには見知らぬ男子生徒が立っていた。頬にはニキビが散っていて、目が細いのでこちらを睨んでいるように見える。足元に目を落とし、学年ごとに違う靴の色から同じ二年生だと分かった。


「お、お前文芸部の部員だろう?」

「そうだけど……なに?」


 乱暴な呼びとめられ方をして僕は少しいら立っていた。


「あのさ、ほら……先生がお前のこと呼んでいたぜ」

「先生って誰だよ」

「決まっているだろ。文芸部の顧問の、ほら、村木先生だよ」


 僕は目の前の男子生徒に対して強い不信感を抱いた。


「村木先生がどこに僕を呼んでいたって?」

「職員室。なんか怒っていたし、早く行った方がいいんじゃねえか」

「村木先生のことをくわしく知らないからそんな嘘を吐いたんだろうけれど、先生は先週から産休に入っているよ。職員室にいるわけないだろ」


 男子生徒は目に見えて動揺し出した。こいつはなにか目的があって僕を部室に行かせまいとしているのだ。それがなにかを問い詰めようとしたところで、男子生徒は背を向けてすぐ傍の教室へと入っていった。そこには漫画研究会と書かれていた。


 どうしようかとしばらく思い悩んだものの、結局無視をして部室へ行くことにした。ただのいたずらだろう。


 階段をのぼりきってすぐの角を曲がり、長い廊下を突き当りまで進む。


 部室の引き戸を開けた。正面に窓があり、左右の壁には空きの目立つ本棚が並んでいる。右隅には事務机とラップトップがあり、机上はノリ、ハサミ、ガムテープといった文房具がごった返している。


 そして、異様なことに床には本が何百冊も散らばっていた。


『存在の耐えられない軽さ』『蜘蛛女のキス』『草の竪琴』『千霊一霊物語』『ナイフ投げ師』『上を下へのジレッタ』『血液と石鹸』『瓶の中の手記』等々。


 ほとんどが文庫本だったが単行本や昔の部誌らしきものもあった。部屋の中央には横長の机をふたつくっつけて大きなテーブルにしていて、そこにはカバンや紙袋が置かれていた。カバンのチャックが大きく開いている。


 人の姿はどこにも見受けられなかった。

 僕はこの異様な光景を目の当たりにし、びっくりして声も出なかった。その一方、頭の中にある冷たく冴えた部分がこの光景に違和感を抱いていた。


 ――おかしい、だ。


 だが、どこが不自然なのか分からない。 


 足元に散乱している本を避けながら室内に進む。窓のすぐ傍にある床にいくつか段ボールが雑然と置かれているが、他はガムテープで封じられているのに、そのうちの床に直置きされているひとつだけが開いていたので中をのぞいた。空っぽだった。


「なんだよ、これ……」


 僕は再度あたりを見回した後、茫然と立ち尽くした。


 ――タンッ、タンッ、タンッ、タンッ


 誰かが廊下を歩いてくる気配がした。リノリウムの床に内履きのズックはよく足音が響く。どうやらひとりではないらしい。


「だから、『ボルヘスは旅に値する』って言葉の――」

 声が聞こえて入り口の引き戸が開いた。入り口にはふたりの女生徒が立っていた。


 ひとりは小柄な少女だった。まだあどけなさの残った童顔とカラスの濡れ羽色のおかっぱの髪。セーラー服に赤のカーディガンを羽織っていた。姫井沙月ひめいさつき先輩だ。


 もうひとりは僕と同じくらいの上背がある、おっとりとした感じの女生徒。色白で清潔な感じの雰囲気。長い髪の毛をポニーテールにしている。泣きぼくろが色っぽかった。そして、幼いおかっぱの少女と並ぶとその成育具合が非常に際立った。特に胸が――我らが城木瑠琉しろきるる先輩だ。


「ああーっ! なによこれ!!」


 姫井先輩はそう叫んで頭を抱えた。


「ほ、本がめちゃくちゃに。ルルちゃん! さっき来た時はこんなんだった?!」

「いえ。いつも通りでした。こんなに散らかってはいませんでした」

「と、すると誰かが本棚から本を抜いて床に散らかしていった。賊! 賊の仕業じゃない?! ルルちゃん、カバン置きっぱなしだったみたいだけれど、大丈夫?!」


 城木先輩は中央の机の上にあったチャックの開いたカバンに近寄った。そして中身を確認する。僕はドキドキしながらその様子を見ていた。


「あら……財布が、見つかりません」

「やっぱり賊だ! あっ、そこにいるのは」


 散らかった部室の中央に所在なさげに佇む僕の姿を見つけた姫井先輩は、本を踏まないように注意しながらこちらに詰め寄ってきた。


「あなたがルルちゃんの財布を盗んだの?」

「ちょ、ちょっと待ってください。僕が来た時にはこの状況だったんです。財布なんて盗んだりしていません」

「じゃあ、他に誰が盗んだっていうの?」


 僕はカバンを机の上に放り出し、ポケットを裏返した後、両手を挙げて何も持っていないことを示してみせた。告白する前に城木先輩から泥棒として見られるなんて最悪だ。なんとしてもこの場で潔白を証明しなくては。


「確認してもらってもいいですけど、僕の荷物の中には城木先輩の財布はありません。なぜなら、僕は盗んでいないからです」

「薄弱な反論ね。盗んだ財布をずっと手に持っておく必要なんてないもの。中身だけ抜いて、証拠になる財布は窓から外に捨てたんでしょう。そうすれば逃げて行った賊の仕業のように見えるからね」


 僕はカバンから財布を取り出して、中身を机の上に出した。


 十円玉三枚、一円玉が一枚、以上だ。紙幣はもちろん一枚も入っていない。


「……城木先輩の財布にいくら入っていたのかは知りませんが、これより少ないってことはないでしょう」

「……ルルちゃん。財布にいくら入っていた?」

「そうですね……これくらい?」


 そう言って城木先輩は可愛らしく指を二本立てた。いくらなのだろう。二千円? いや、ひょっとして二万円。もしかすると、それ以上ということも……。


 僕は頭を振った。いずれにせよ、三十一円が全財産だったということはないはずだ。


「で、でも。中身が入った財布を窓から投げ捨てた可能性もあるわ。ここを出てからゆっくり回収するつもりだったのなら」


 そう言われると僕はなにも反論できない。黙って口をつぐんでしまった。

 だが、そこで城木先輩が思わぬ助け舟を出してくれた。


「それはないと思うわ。この窓の外はグラウンドに面しているし。誰に見られていてもおかしくはないんだから。泥棒さんがそんな目立つような真似はしないと思う」

「でも、論理的に考えたらこいつしか犯人はいないのよ。だって、この三階の教室で利用されているのはこの文芸部の部室だけ。他の教室はすべて鍵が掛かっている。ルルちゃんがこの部室を出た後、わたしと会ったのはこの三階の階段のすぐ傍にある女子トイレ。そこからふたりでこの部室に戻ってきたんだもん。時間的に部室を空けていたのは十分くらいのこと。その間にあなたがこの部室にやってきたんだから、あなた以外の人間が賊だとしたら、あなたが来る前の数分、本当に五分にも満たないような短い時間で賊は部室までやってきて部屋を荒らして財布を盗んだ後、あなたに見られないように出て行ったことになる」

「そうね。それに廊下は足音がよく響く。わたしたちがトイレにいた時、三階の廊下を歩く足跡はひとつしか聞こえなかった。それも、階段から部室へ向かう足音がひとつだけ。それはわたしたちが部室に戻る直前に聞こえた音だから、あなたの足音でしょう?」

「そう……ですね」


 ここでややこしい状況を理解してもらう為、タイムテーブルを用意した。この事件の犯人がいかにして部室から逃げ出したのか、一緒に推理して僕の無実を証明してほしい。


◎16:00~16:10 放課後。僕、城木、姫井が部室棟へ向かう。


◎16:10~16:15 部室棟二階で僕は漫研の知らない男子生徒につかまる。一番乗りだった城木、文芸部部室にカバンを置いて三階の女子トイレへ向かう。その時点で部室は普段と同じ様子だった。女子トイレで城木は姫井と会う。


◎16:15~16:20 僕、三階へ上がって廊下を進み部室へ入る。本棚から本が抜き出されて、城木の財布が盗まれていた。城木と姫井、女子トイレにて雑談。主にラテンアメリカ文学について。階段から部室の方へ向かう足音を聞く。


◎16:20 城木と姫井、文芸部室に着く。現状に至る。


 こうして整理してみると賊は十分にも満たない短時間に部屋を荒らして財布を盗み、誰の目にもとまらずに逃げ出したことになる。そんなことが果たして可能なのか。


 僕は自分がひどく弱い立場に立たされていることに気が付き、冷や汗を流した。しかし、僕は無実なのだ。確かに城木先輩のことは好きだけれど、だからといって財布を盗んだりするものか。なんとか真犯人を見つけ出さなくては。


 そこで僕はハッとひらめいた。


「犯人はもしかしたら、僕たちのやってくる足音を聞いてとっさに部屋のどこかに隠れたのかもしれません。そして、今もまだそこに……」


 部屋が静まり返った。狭い隙間に変質者がジッと息をひそめてこちらの様子を窺っている。そんなホラーで不気味な想像をしてしまったのだろう。


 姫井先輩は部屋の隅にある掃除用具入れを開けた。中には当然、掃除用具しかない。そのあと、机の下や本棚の陰、カーテンの裏といった箇所を片っ端から見ていった。元々狭い部室のことなので人の隠れられそうな場所は限られている。


「いないわよ。もうこれ以上、どこにも人が隠れられるような場所なんてこの部屋にはないわ」

「で、ですよねー」


 我ながら妙案だと思ったのだが、違ったらしい。


 次に、僕は窓を開けて外を見回した。グラウンドでは野球部や陸上部が練習をしており、窓の外側は常に誰かの視線がある。三階からロープとか使って下りた、というのもありえなさそうだ。もしそうなら、すでになんらかの騒ぎになっていることだろう。


「そ、そうだ! ここに来る前に漫研の知らない男子生徒に呼び止められたんですよ。そいつ、村木先生が僕を呼んでいるとかいう嘘を吐いてまで部室に行かせまいとしていて、すっげー怪しかったです!」


 ならそいつをここにつれて来い。ただし、逃げんじゃねーぞといった旨のことを姫井先輩から言われて僕は這う這うの体で部室を後にした。


 二階の漫画研究会の部室に入って、先刻僕のことを呼び止めた嘘つきニキビ男を探した。部室の隅の方で漫画を読んでいる。僕は周囲からの視線を意に介さず彼に向かっていった。


「おい、ちょっと来てくれ」

「はあ。なんだよ、お前」


 ニキビ男は僕のことを見てギョッとした様子だったが、すぐにふてぶてしい表情になった。


「なあ、さっきどうして嘘を吐いたんだよ」

「嘘ってなんのことだよ」

「村木先生が僕を呼んでいるとかいう嘘だよ。なんであんな嘘を吐いてまで僕を部室に行かせまいとしたんだ?」

「それは……悪戯だよ。意味のない、つまらないことをして悪かったな」

「飯島君。杉田君は今日来てないの?」


 眼鏡をかけた少女がニキビ男――飯島というらしい――にそう声を掛けた。


「杉田のやつは……ちょっと家の用事があるとかで帰りました」

「そうなの。参ったわね。彼にトーン貼りをお願いしようと思っていたんだけれど。あら、その子はお友達?」

「いえ。じつはちょっと……」


 僕は大ごとにならないよう城木先輩の財布が盗まれたことは伏せて、文芸部の部室が誰かに荒らされたことを説明した。そして、嘘を吐いて僕を呼びとめた飯島にその本意を確認しに来たのだと話す。


「なるほど。でも、飯島君は無関係だと思うな」

「どうしてですか?」

「だって、彼とわたしは一緒にこの漫研に来てそれから外に出ていないもの。でも、なんだかずっと廊下の方を気にしていたのは変だったわね。それで、廊下にあなたの姿を見かけた途端、立ち上がって話しかけにいった。ただ、あなたも知っての通りすぐに部室に戻ってきた。だから三階へ上がったりはしていないわ」

「先輩、ありがとうございます。そういうことだ。俺はその部室荒らしとは無関係ってこと。分かったら出て行きな」


 そう言いながらも飯島はなんだか落ち着かない様子である。

 こいつは間違いなくなにかを隠している。だけど、それがなにかは分からない。


 悔しいが、それ以上飯島を追及しようにも僕は言葉が見つからず、仕方なく文芸部へ帰ることにした。


「ってわけで、飯島は怪しい奴ですけれど部室を荒らした犯人ではなさそうです」

「じゃあ、やっぱりあんたしか犯人はいないってことになるわね」


 姫井先輩はそう断定して、僕に詰め寄ってきた。小柄な彼女から見上げられて凄まれても、その可愛らしい顔のせいで全く怖くはない。ただ、気まずくなって視線を逸らすと散らかった本の中の一冊に目がとまった。


 なんだ、あれ。


 その意味するところを僕はすぐには呑み込めず、頭の中で様々な情景がぐるぐると静かに渦を巻いていた。


 僕の脳内で電流が走った。


 ――そうか、だから僕はこの部屋に入ってすぐに強烈な違和感を覚えたんだ。


「……先輩」

「なによ、早くルルちゃんに財布を返しなさい。今なら先生には黙っていてあげるから」

「これ、なんだと思いますか?」


 僕は散らばった本の中から一冊を取り上げた。


「え? それは……『上を下へのジレッタ』。なんでそんな本が」

「これはなんですか?」

「『あしたのジョー』に『海のトリトン』って。なんで。なんでそんな本が文芸部にあるのよ。全部漫画じゃない!」


 そうなのだ。文庫本の中には小説だけではなく、結構な数の漫画の文庫本が紛れ込んでいた。


「これらの漫画は当然本棚にささっていたものではありません。文芸部では漫画を読むことは否定されていますからね。それに、明らかに本棚の空きよりも落ちている本の方が多い。そもそも、賊の狙いが財布だったのなら本棚なんかを荒らしまわる必要はない。この落ちている本は別のものをごまかすためのカモフラージュなんですよ」

「カモフラージュって、なにを」


「木の葉を隠すなら森の中。本を隠すなら本の中、です。犯人は隠れる為に本をある場所から出す必要があった。しかし、ただ本を外に出してしまったら、犯人が本を収納していた場所に隠れていることが明白になる。そのため、本棚の本をあたりに散らばらして、隠し場所から出した本を目立たなくしたのです」

「漫画本を収納していた場所って、それは」


 僕は窓際に近づいて、言った。





    ◇




 床下収納が勢いよく開いて、中から小柄な男子生徒が飛び出してきた。僕と姫井先輩を押しのけて部室の入口にたどりつくと、彼は必死の形相でこちらを振り返った。


「盗ってない! 俺はなにも盗ってない!」


 それだけ言うと出て行った。姫井先輩は追いかけようと駆け出したが、そこで城木先輩があら、と声を上げた。


「ごめんなさい。財布、やっぱりありましたわ」

「ええー、じゃあ他になにか盗られたものは?」

「ううーん、なにもありませんわね」

「そんなあ。でも、部室を荒らしたのは間違いなくやつだし、なにか企んでいたに違いないわ。だけど今はそれより」


 姫井先輩は僕に向かって手を差し出してきた。


「ごめんね。早とちりで君を犯人呼ばわりしちゃった」

「いえ。いいんです。そんなこと」


 そう。僕の潔白が証明されたのならそれでいい。そもそも財布が無くなっていなかったのであれば、最初からここまで大ごとにはならなかったのに。


 さっきの小柄な男はきっと漫研の杉田だろう。飯島は杉田が文芸部に行くことを知っていたから城木先輩とふたりきりになれるよう協力したのだ。


 杉田は城木先輩に告白をしようと文芸部の部室で待っていた。飯島はそれに協力しようと考え、文芸部にふたりきりになれるよう部室へ行こうとする僕をよそへ行かせるために嘘を吐いた。そんなところではないか。


 ……いや、ちょっと待て。それは変だ。


 僕は先輩たちと一緒に散らかされた部室を片付けながら、チラリと城木先輩を見た。彼女はチリトリのゴミをゴミ箱に空ける時、ついでにポケットから取り出した丸めた紙くずも一緒に捨てていた。


 こんな騒動があったため、片づけが終わると全員帰宅することになった。

 

 最後に部室を後にすることになった僕は、ゴミ箱の中に捨てられた紙くずを拾い出した。そして、それを広げてみた。




    ◇




 人は何故美しいものに惹かれるのだろう。


 昇降口に向かうと、城木先輩はちょうどこれから帰るところだったらしくバッタリ遭遇した。すでに日は落ちあたりは薄暗くなっている。


「今日はとんだ災難でしたね。ごめんなさい。わたしがうっかり財布が盗まれたなんて勘違いをしたから話が大きくなって」

「いえ。いいんです。彼がカバンを漁ったのは事実でしょうから」


 訝しげな顔になった城木先輩に、僕はさっきまで紙くずだったそれを差し出した。

 

 未開封のラブレターだった。宛名は城木瑠琉となっている。


「先輩は部室に着くなり誰かが隠れている気配を敏感に察した。そして、その目的が自分であることも。まあ、最初は床下収納ではなく、掃除用具入れとかに彼は潜んでいたのでしょう。先輩はそこで他の部員と合流してから部室に戻ることにした。隠れている部員を追い詰める為に。戻ってきた部室の状況を見て男子生徒が床下収納に隠れたことを察した先輩は、彼にお灸をすえることにした。カバンを開けて、中に入っていたラブレターは無視して財布が盗まれたと騒ぎ立てた」


「騒ぎ立てた、なんて言い方は下品で嫌」


「すみません。別に僕は先輩を糾弾しようとしているわけじゃないんです。勝手に他人の荷物を開けて中にラブレターを仕込んだりしたあの男子生徒が一番悪いのですから。そして、動揺して咄嗟にあんな場所に隠れたりしたのも間の抜けた話です」


 飯島は僕が部室に向かっていることを携帯電話で杉田に伝えたのだろう。人が増えれば掃除用具入れだと隠れても見つかると思った彼は、一番見つかりにくそうな床下収納に隠れることにした。彼がもう少し冷静だったら、堂々と部室から出て行くのが一番だと分かっただろうに。恋は人を盲目にし、奇行に走らせる。


 僕が差し出した他人のラブレターを無視して、城木先輩は下駄箱から靴を取り出した。すると、そこからも何枚かラブレターが落ちてきた。中にはもちろん、僕の書いたものも混じっている。


 彼女は深いため息をついた。


「毎日こうなると、下駄箱に鍵をかけたくなります。カバンを勝手に漁られるのにも慣れました。ただ、わたしは恋文が好きじゃありません。異性に興味がないというのではありません。ですが、恋文というのはあらゆる告白の中でも最もひとりよがりな印象が強い気がします。そういう告白を選んだ時点で、わたしは相手に対する興味を失います」


 彼女は床の紙束を拾い上げた。


 夕闇迫る昇降口で、城木先輩は音を立てて紙束を二枚、四枚、八枚、に細かく裂き近くにあったゴミ箱に向かって散らした。なんの躊躇もなく、そこに込められた思いを少しも顧みず。ただ、不要なものとして捨てる。消える。


 ――ああ、僕はあなたの正体を知ってしまった。あなたは冷たい人だ。傲慢な人だ。金輪際あなたに向けて愛の言葉など綴るものか。


 でも、悲しいことにヒラヒラと舞う紙片を見下ろす城木先輩は、やっぱり僕の目には変わらずとても美しく映るのだった。

 









 



 



 


 

 


 



 

 






 





 


 


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