【中洲編】2.おうどんと通り魔巫女、主従契約なしのキス。

 すっかり顔馴染みになった川副かわぞえさんの屋台にて、私と篠崎さんはまたうどんを食べていた。


「はい、お待ち」

「わー美味しそう! いただきます!」


 ふわふわとあったかい湯気に包まれた、おうどん。


 上に乗っているのは今日は丸天まるてんと山盛りの細ねぎ、それに彩り鮮やかな蒲鉾かまぼこ。丸天は魚の練り物を丸く天ぷらっぽくしたもので、天ぷらとは違う福岡のおうどん独特の具だ。


 はくっと口にすれば、もちもちしてて美味しい。

 

 お汁も出汁の香りが強く透き通った狐色のお汁で、やわやわの麺と一緒にいただくと優しい味がじんわり体に染み渡る。

 全くコシがないおうどんは、一日中歩き回った私の癒しだ。


「そういえば」


 私は不意に気になって、目の前のカワウソさんーーもとい、川副さんに訊ねる。


「香川ご出身のあやかしさんが先日、お土産に讃岐うどんをくださったんですよ」

「へえ、珍しいねえ。狸?」

「あっそうです! 狸さんです! よく分かりましたね」

「香川といえばそりゃあ、狸だよ〜。それで?」

「そうそう。で、早速、いただいたおうどんを会社で茹でて皆でいただいたんですが、福岡のおうどんと違ってコシコシしててシャッキリした麺だったんですよね。最初は茹でが足りないのかな? と思ったんですが、篠崎さんが『それでいいんだよ』って」

「こいつ、グッズグズになるまで茹でようとしてたからな。コシが決め手の讃岐うどんが、箸で切れるレベルにまで」

「だ、だって分かんないじゃないですか!」


 ツッコミを入れる篠崎さんに反論しつつ、私は話を続ける。


「で、讃岐うどん美味しかったんですけど、普段食べてるうどんと別物というか……。本当にびっくりしちゃって。なんで福岡のうどんってこんなに柔っこいんですか?」


 川副さんはうーん、と言いながらカワウソの腕を組んで唸る。


「ほら、長浜のラーメンって細いでしょ?」

「ええ」

 

 うどんの話題からどうしてラーメン? 疑問に思いながらも私は頷く。


「諸説あるらしいんだけど、あれってパパッと食べちゃえるように細麺になったらしんだよね。細麺だとすぐに汁を吸うから、注文からすぐに提供できるでしょ?そしてスルスルっと食べて、ご馳走さん! ってね。そんなラーメンと同じで、さっさと食べやすいように柔くてスルスルなのが普及したとは聞くねえ」

「ああ……麺が汁を吸っちゃう前に全部食べ切っちゃうというやつですね」


 おうどんのチェーン店によっては、食べている間にどんどん麺が汁を吸って汁が無くなってしまうので最初から汁入りのやかんが用意されているお店もあるくらい、福岡のおうどんは柔らかい。


「他にも小麦粉の違いとか、麺の打ち方の違いとか、汁の味わい方の違いとか、色々いうけれど……はっきりとした答えはおじさんも知らないなあ」

「へ〜……讃岐うどんも美味しかったから、まあ色んなうどんがあるのって最高ですね」

「うどんは土地で色々味があるよねえ。香川の讃岐に富山の氷見に、秋田の稲庭に、群馬の水沢。おじさん若い頃に修行で色々食べに行ったなあ」

「いいですねえ」

「近場なら五島のうどんもよかったよ」

「へ〜……うーん、いつか全国各地のおうどん食べに行きたいなあ」


 私の言葉に川副さんはニコニコする。


「行けばいいのに。篠崎さん、ちゃんとお休みくれるでしょ? 週末で一泊二日とか、行ってくればいいじゃない」

「そうですねぇ。あはは、前職で勤めてる間に、すっかり旅行に行く習慣失っちゃって…」

「行けるときに行くのが大事だよ、楓ちゃん。これおじさんからの人生訓」


 ウインクをする川副さん。

 その時、隣で黙々と食事をしていた篠崎さんが会話に入ってくる。


「楓、旅行に行くなら先に言えよ」

「もちろんです、お仕事に影響は」

「違う。霊力だだ漏れで観光地なんてうろついてみろ。翌日には不審死ニュースだぞ」

「ぎゃ」


 怖い顔をして私を脅す篠崎さんだが、うどんが美味しいのか尻尾がぱたぱたと揺れている。抱き枕に良さそうな大きな尻尾だから、揺れるだけでも風力もそれなりに出る。かわいいなあ。


「かわいいなあ」

「おい」

「すみません。口に出ちゃいました」


 篠崎さんの会社に入って、早3ヶ月。


 全国各地から移住してきたあやかしと接していると、彼ら彼女らの新天地に望む好奇心や行動力に充てられて、私も毎日新鮮な気持ちを感じている。


 お稲荷さんをもぐもぐしている篠崎さんにお茶を淹れながら、川副さんが話を始めた。


「そう言えば篠崎社長はもう聞いた? 最近この辺に出る『通り巫女』について」

「ああ」

「え、通り巫女ってなんですか? 歩き巫女の派生系とか?」


 私の言葉に、なぜか突然篠崎さんがむせる。



「篠崎さん、どうしたんですか」


 むせる背中を摩ると、生理的な涙を浮かべた目でじろりと睨まれる。


「なんでンな言葉知ってんだ、お前が。このあいだ世界史専攻つってただろ」

「あ、いやあ」


 私は頭を掻く。


「昔学祭で友達のサークルがラップバトル川中島って舞台をやった時、私、武田軍に仕えるくのいちの役をしたもので」

「脚本担当趣味出し過ぎだろ」

「で、くのいちが普段は歩き巫女をやってる設定だったんですよね。だから覚えてたんです。確か神社にいる巫女さんと違って、流しの巫女さんみたいな人たちですよね?」

「……………」

「間違ってました?」

「……間違ってねえよ……」


 私の言葉に、篠崎さんは眉間に皺を寄せてすごい顔をしている。

 怒っているのか引いているのかわからないけれど、とにかく何かを踏んだらしい。


 そういえば。

 篠崎さんは400年を生きた狐さんだ。

 武田信玄もそのくらいの時代の人じゃなかったっけ。もしかして当時、歩き巫女さんに会ったことがあるのかな。


「まあいい、問題は大将の話だ」


 ごほん、と咳払いし、篠崎さんは私から川副さんへと目を向ける。


「通り魔巫女ってなんだ、通り魔が出てることは知ってるが」

「それが、通り魔がどうも巫女らしいんだよね」

「待ってください。通り魔が出てるなんて、ニュースでやってましたっけ?」


 私がフォローしている治安情報botでもローカルニュースでも、通り魔の話題は見覚えがない。


「やってないさ」


 慌てる私に説明してくれたのは篠崎さんだ。


「通り魔と言っても、あやかし相手の通り魔だからニュースにも出ねえよ」

「こ、怖いですね……。警察に通報はされてるんですか?」

「あのな、楓」


 篠崎さんは肩をすくめる。


「あやかしはマイナンバーも戸籍もねえ。んな奴のために公的機関が動いてくれるかよ」

「えっ…あ、でも警察が動いてくれないのなら、公務員さんとかはどうなんですか?」

「前も言っただろ。あやかしは何かと宗教にまつわる存在も多いから、迂闊に公務員も手を出せないんだ」

「ひえ……」

「この街は『天神様のお膝元』ってな。強靭な霊力が満ちている場所なだけに、あやかしの自治組織もしっかりしている。だからここで悪さをやらかす奴は滅多にいないんだが……」


 私はゾッとしてしまう。

 通り巫女という話の恐ろしさも。そして、普通の人のように暮らしていながら、彼らが「普通」の社会とは別の軸で生きているのだということにも。


「そうだ、楓」


 篠崎さんが思い出したように声をかけてくる。


「お前も護身用にそろそろ霊力の使い方を教えてやる」

「私あやかしじゃないですよ?」

「ばか。あやかしより胡散臭いんだよお前は。一般社会人のくせにそこまで霊力ダダ漏れなのは」


 川副さんが私を見る。


「そういえば楓ちゃん、最初の日ほどはダダ漏れじゃなくなったんだね」

「ええ、まあ」

「処置してもらえてよかったねえ。おじさんも心配だったからね」

「はは……」


 私はちらりと、篠崎さんがおあげを食べる口元をみる。

 唇を美味しそうに舐めとる舌の動きに、動悸がして急いで目を逸らす。

 うう、見れない。


 最初の日から私はまだ、二度目のキ……霊力を吸ってもらうを、されていない。篠崎さん曰く、まだ吸い上げるまでには溜まってないらしい。

 いつかまたキスされる予告だけされて、平然とした顔で普段から並んで仕事をしたり、こうしてうどんを一緒に食べに行くことが、なんだか動揺してしまう。

 こんなことならば、もっと大学時代に彼氏作ったりしておけばよかった。友達の恋愛相談ばっかり聞いていたから……。



ーーー


 うどんの帰り道、篠崎さんと一緒に歩いていると私はふと、あることに気づいた。


「そう言えば篠崎さん」

「なんだ?」

「篠崎さん、霊力を「あげる」のは、契約なしにしたら危ないって仰いましたよね」


 大濠公園で、夜さんに霊力をあげようとした時だ。


「それがどうした」

「篠崎さん、主従契約なしに私から霊力を……す、吸ったじゃないですか。あれって危なくないんですか」

「なんだ、そんなことか」


 篠崎さんは綺麗な金色の目を細めて笑う。夕方の少し涼しい風に髪がサラサラと揺れてゾクッとする。


「四百年の狐舐めんな。多少うまそうなめしがあろうが理性を保てる」

「おあげ食べるとき尻尾ぱたぱたしてる人に理性とか言われても」

「……」


 篠崎さんは尻尾を掴み、無言で大股で先を進む。

 ーー誤魔化したな。

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