【糸島編】7.たった一つしか思いつかなかった冴えたやり方。

 それから私と篠崎さんは雫紅さんをいくつかの職場見学に連れ行ったが、どの職場でも決定打に欠ける結果となった。


 彼女の技能が問題と言うわけではない。

 むしろ70歳以上、人間とあまり接してこなかったあやかしとしては驚くほど機械操作に慣れていて、PCも一般事務レベルなら難なくこなせた。

 現代社会に順応できている雫紅さんは、あやかし向け求人は正直いくらでも選べるスペックなのだ。

 けれど、肝心の彼女の心に「決定打」と言うものがなかった。


「一人暮らししやすくて……街に出やすくて、お金が稼げたら、私にできる事ならなんでもいいです」


 どこでもいいし、なんでもいい。ーーだからこそ、最も良い選択を一つおすすめするのが難しい。

 それに私は、彼女が本当にと思っているふうには、とても見えなかったのだ。


 私たちは「きらめき通り」沿いの会社を訪問したのち、そのまま天神見物がてら福岡天神駅まで向かった。

 地下街のカレー屋さんに興味がある様子だったので、お昼は彼女の要望に合わせてカレーランチにした。カレー専門店のチェーン店なので、個性的でとても美味しい。お米も細長くて、スープカレーっぽくて美味しい。


 食後、雫紅さんがちょっと席を立つ。

 彼女を待つ間、篠崎さんが私に話しかけてきた。


「楓」

「はい」

「何か気になってるみたいだな」

「篠崎さんが意外と辛いカレー苦手ってことですか?」

「ちげーよ。彼女についてだ」

「ん……まあ……、甘口選ばない篠崎さんの変な強がりってなんだろうなーって事も、雫紅(しずく)さんの気持ちも両方気になってますが」


 篠崎さんは辛いカレーが苦手らしく、お店で一番甘いカレーでも耳がぺったりと寝ている。耳も尻尾もカレーみたいな色をしているのに、カレーが苦手とは。


「話してみろ」

「篠崎さんのことですか?」

「それ以上言うならご馳走してやらねえぞ」

「言います言います、彼女のことですね」


 私は慌てて、雫紅さんの気になっていることを口にした。


「ええと。彼女は多分、今日見学したどこの会社でもうまくやれるとは思うんですが……ただ、どんなお仕事選んだとしても、スムーズに行くことってまずないと思うんです」

「ほう」


 篠崎さんの目が軽く驚いたような目になる。


「へ、変なこといっちゃいました?」

「いい、続けろ」

「はい」


 私は頷いて続ける。


「だって慣れない新生活に、なるって訳じゃないですか。だからきっと、これから仕事がしんどくなるときもあるんです。……その時もし挫折しちゃっても、普通の人なら、また頑張ろう!って思えるかもしれません。けれど雫紅さんは、70年も同じ海で、同じ場所で同じ顔ぶれと一緒に暮らしてきた人で」


 篠崎さんは2杯目の水を飲みながら、私の話を静かに聞いてくれている。


「仕事で挫折しちゃった時、やっぱり自分はだめだ、って思っちゃうかもしれないので……なるべく、そういう時でも「頑張ろう」って励めるような、お仕事をご紹介するのがいいよねって思うんです。例えば、お仕事内容そのものがグッと来るじゃなくても、こだわりにぴったりな所がいいな、というか……」


 たくさん語りすぎたと気づいて、私はハッと我にかえる。


「すみません。なんだか沢山語りすぎちゃいました」


 気恥ずかしくなった私に、篠崎さんは横に首を振る。


「言えって言ったのは俺だろ。気にすんな。400年の狐の俺より、楓の方が彼女に感覚は近いし、いろいろ考えることはいい事さ」

「近い、んですか?」

「70だろ? まだ人間でもおかしくないくらいの年齢だからなあ」

「そんなものなんですね……」


 彼は笑って3杯目の水を飲んでいる。お腹タプタプにならないのかな。


「ま、とにかくやってみろ。困ったらフォローは俺がやるから」

「ありがとうございます。……あれ、そういえば、雫紅さん遅いなあ」


 もしかしたら何かあったのかもしれない。

 私は立ち上がる。


「篠崎さん、私ちょっと様子見てきます」

「ああ」


 篠崎さんに見送られ、私はお店を出てトイレや化粧直しのパウダールームまであちこち見てみた。

 けれど、雫紅さんの姿は見当たらない。


「どうしよう……迷子にさせちゃったかな」


 もしかしたら別の階に行ったのかもしれない。そう思って私は地下から出て人混みを見渡す。


「雫紅さーん、雫紅さん……」


 焦りながらあちこちキョロキョロ回ったその時。

 天神駅の大画面前を見上げ、呆然と立ちすくんだ女性が目に留まる。

 大きな帽子とメガネにマスク。雫紅さんだ。


「ああ、雫紅さん、そこにいたんですねーー」


 彼女に駆け寄ろうとして、私は彼女の表情にハッとする。


 雫紅さんは、大画面で歌うアーティストに目が釘付けになっていた。唇が動く。


「jellyθ《ジェリッシュ》……」


 私も隣に立ち、大画面を振り仰いで彼女の視線の先をみる。


 明るいネオンカラーに染めたツーブロック。

 華奢で骨張った長い手足に、ストリート系のファッションをオーバーサイズに着こなす若い男性。

 甘くてざらついた声が魅力の、動画サイトで爆発的再生数を記録してきた、最近メジャーデビューしたばかりのアーティストだ。


「jellyθ……こんな大きな画面に出るくらい……うそ……」


 彼女は感極まった声をあげ、メガネを外す。目が潤んでいる。

 マスクを外した唇は、当然のように彼の新曲を正確に口ずさむ。


「なるほど……そういうこと、だったんですね……」


 内向的なはずの彼女が、どうして思い切って地元を出て働きたいと言ったのか。

 身内の前でどうしてあまり、働きたい理由や目的を言えなかったのか。

 通勤圏内の福岡市内なのに頑なに一人暮らしをしたいと言ったのか。

 どうしていきなりお金が必要になったのか。


 私はずっと気になっていたのだ。

 とても頑なな『働く理由』がありそうなのに、彼女は核心をぼかすような態度を取る。

 だからなんとなくで仕事を選んでも、彼女が納得できるようなものではないのなら、しんどいばかりだろうと不安だった。

 

 私は全てに合点がいった。

 大画面からjellyθの姿が消えたところで、私は声をかける。

 

「雫紅さん」

「あっ!! あの……すみません。迷っていたら、その……」

「……推し、なんですね?」


 私の言葉に、黒々とした美貌の瞳が大きく見開く。


「わかりますか」


 真っ白な指に手を掴まれる。彼女の興奮を示すように、帽子に押し込んでいた黒髪がふわりと広がる。

 マスクを外しメガネを外し、すっぴんでも隠せない傾国の美貌がきらきらと露わになっていた。


「私、jellyθ大好きで……! 本当に、好きで! 芥屋の音楽祭で初めて歌を聴いた時、海の中で、私、叫んじゃって……!!!」


 興奮する彼女に周りの目が集まっている。


「雫紅さん、ちょっと落ち着いてください。目立っちゃってますので」

「あっ、すみません……私ってば、初めて見た新曲CMだったからつい」

「ふふ、お気持ちはお察しいたします。ちょっと場所を変えてもっと聞かせてください」


 赤くなる雫紅さんと一緒に篠崎さんの待つカレー屋に戻ろうとした私は、不意に、衆目に普通と違う何かを感じる。

 男性の視線が異常に集まっている。

 虚ろな目で、なんだかまるで催眠にかかったような眼差しでーー


「もしかして……」


 磯女。

 意思を持つかのような長い黒髪を長く伸ばし、男を惑わせ生き血を啜るーー


「雫紅さんの霊力、暴走してます!」

「えっ、あっ…!!」


 彼女は慌てて帽子を被る。けれど一度解放してしまった髪と美貌の纏う霊力に、男性たちが次々と近寄ってくる。

 これはマズい。私は篠崎さんと出会った時、言われた言葉を思い出す。


『あやかしは、与太話の中に姿を表す。

 与太話がいくつも集まれば点が像を結び、怪異の噂になる。その道のプロはそこからあやかしのルール違反――猫又が天神駅で不法行為を起こしていたのを把握しちまうのさ』


 このままでは彼女がルール違反を犯してしまう。雫紅さんは就職ができなくなってしまうだろう。


「どうすれば……」


 雫紅さんが髪を隠して顔を隠しても、どんどん男性が彼女に集まってくる。

 私に何ができる? できるかどうかじゃない、何とかしなければ!!


 その時。男性の人混みの向こうから狐色の耳がぴょこっと見える。


「楓! 大丈夫か!!!」

「篠崎さん!!!!」


 長身の篠崎さんの狐色の耳と頭が人混みの垣根を超えて目に留まり、私は少し安心する。

 大丈夫。もしもの時は篠崎さんがいる。だから私は、雫紅さんの霊力をなんとかすることを考えよう。


「あ、」


 その時。私は篠崎さんに霊力を吸われたのを思い出す。

 そうだ。ああすればいいんだ。


「雫紅さん!!!」

「えっ」


 善は急げ。私は隣で狼狽える雫紅さんの肩をガシッと掴む。雫紅さんが目を瞠る。


「すみません、失礼します!!!!」


 そしてーー私は彼女に思い切り口付けた。

 これは人工呼吸!!人工呼吸みたいなものだから!!!!


「ーーーーーーー!?!?!?!?!?!!」


 雫紅さんの声にならない悲鳴が響く。

 霊力の吸い方なんてわからない。けれど念じればなんとかなるはず!

 私は篠崎さんに霊力を吸われた時の感覚を思い出しながら唇を押し付ける。


 なんだか体に力がみなぎるのを感じてーーそして私は、そのまま気を失った。



「馬鹿か、お前は………」



 倒れる私を抱き止める優しい腕。

 篠崎さんの呆れ声が、遠くで聞こえるような、気がした。

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