フロマージュ

里岡依蕗

フロマージュ








 「おい、チーズ魔人。 今日もチーズ乗ってる奴食べようとしてるのか? 」

 「うるさいなぁ、別に食べ物くらい好きに食べさせて下さいよ! チーズの何が悪いんですか? あと私はチーズ魔人じゃないです、秋葉ですから」


 これは、仲のいい恋人の話ではない、たまたま休憩が被った、アルバイト従業員同士の物言いだ。


 「チーズはカルシウムが摂れるんですよ、あとたんぱく質も。体に良いんです! ……別に毎回やってるわけじゃないですから。たまたまですよ」

「そうか? 俺の出勤の時は、毎回そのフィルムか、固形チーズのゴミが捨てられてるぞ」

 「は、何チェックしてるんですか? ストーカーですか、訴えますよ」

 「毎回ゴミ集めしてるの誰だと思ってんだ? 仕方ねーだろ、毎回目につくんだから」


 今日は、トレーで売ってある惣菜のカレーを買って来たようで、秋葉は今日も従業員用冷蔵庫からとろけるタイプのチーズを取り出した。


 「で、今日は何枚だ? 」

 「……今日は一枚にします、増やすとうるさいですから。本当は二枚にしようかなって思ったけど……たまには加減しますよ」


 トレーの上蓋部分を外し、チーズのフィルムを外す。秋葉にとっては、おそらく毎日やっている作業なんだろうが、真剣な顔で、丁寧にチーズを剥がし漏れがないようにフィルムを外している。

 「……よし、取れた」

 剥がし終えたチーズをカレーのルー部分に優しく置いて、さっき取った蓋を被せる。そして、何の調整せずに、レンジの温めスイッチを押した。


 「……」

 ガラス越しにチーズの溶け具合をじーっと監視している。彼女なりのこだわりで、焼き目がついた方がいいとか、とろけた方がいいとか、そう言うのがあるらしい。

 「……よし、今! 」

 レンジの扉を開けると、辺りにカレーとチーズのいい匂いが漂ってきた。お客様や休憩がまだな従業員には、完全なる飯テロな匂いだ。


 上蓋を外すと、普通のカレーライスが、飲食店で出てきそうな、いい溶け具合なチーズオンカレーライスになっていた。湯気が出ていて、余計に食欲をそそる。

 「相変わらずプロだな、いい溶け具合だ。美味そう」

 「……加瀬さんもたまにはちゃんとした物食べて下さい、なんかいっつもパンとインスタントしか食べてないじゃないですか」

 今日は割引シールが貼られていたウインナーパンとチョコデニッシュ、ドーナツ……確かにパン系ばっかりだ。


 「たまには料理くらいするさ、でも忙しいんだよ。いっつも料理ばっかりしてらんないって」

 「誰もいきなり料理しろなんて言ってないです、加瀬さんが不器用なのはみんな知ってますから。……この前だって、ダンボール開ける時にカッターで指切ってたらしいですしね」

 「……誰から聞いたんだそれ」


 さぁ、とでも言うように、明後日の方向を向きながら、スプーンで溶けたチーズとルーを絡ませた。そして、スプーンでご飯と一緒に持ち上げ、フーッフーッと、息を吹きかけた。確か秋葉は二十代なはずなんだが、子供っぽいところもある。ゆっくりとスプーンを口に入れた。目を閉じてゆっくり美味しさを噛み締めて、幸せそうな顔してやがる。いちいち可愛い奴だ。


 「どうだ、今日も美味いか? 」

 「今日も抜群に美味しいですね。カレーももちろん美味しいんですけど、チーズが加わって何倍にも美味しさが膨れ上がってます! 」

 とろけたチーズにご満悦で、秋葉は満面の笑みで嬉しそうにカレーを口に運んでいる。今日も元気はつらつなようで、よかったよかった。

 「……ふふっ、良かったな」

 「な、何ですかその顔……き、気持ち悪いです離れて下さい! 」

 「な、何だよ、幸せそうだから良かったなって言ってやっただけだろうが! 」

 「あぁあ、口が悪いですねぇ。店長に言ってやろうかなぁー」

 「何で同情したくらいで店長に言うんだよ!」


 毎回こういう感じで言い合いになる。別に秋葉が嫌いな訳ではない、かと言ってものすごく好きな訳でもない。二学年下だから、可愛い後輩、くらいなもんだ。


 「ていうか加瀬さん、もう五分で休憩終わりますよ。いいんですか? まだウインナーパンしか食べてないですよ」

 「は? ……うわっやばっ! 」


 急いでパンを齧りながら、お茶で流し込む俺を見て、秋葉はカレーを端に寄せながら、ふふっと笑った。

 どうやら俺は、この笑顔に弱いようだ。彼女の笑顔を見るたびに、内に秘めた忘れた何かが高ぶる。もう十年以上前に捨てた何かが。

 「ごふっ、ぐふっ……! 」

 思わず咽せてしまい、お茶で流し込んだ。

 「あぁもう……もう若くないんですから、しっかり噛んで食べて下さい。まだ時間は十分くらいありますから」

 「は? まだ俺三十代だよ! ……ってか、さっきあと五分って」

 「休憩入ったのは十二時半でしたよね、今十三時二十分です」

 ……何で俺の休憩時間記憶してんだ? お前こそストーカーかよ。

 「毎回何時に休憩入ったか分からなくなるって言うから、念のためにメモしといたんですよ。しっかりして下さい、だから彼女出来ないんですよ」

 「ゔ、お前なぁ……! 」


 『マネージャー、マネージャー! レジまでお願いします! 』

 「ちっ、はいよっ…! 」

 「いってらっしゃいませ、残りは名前書いた紙でも貼っときますね」

 「あぁ、悪い! 」



 「……あぁ、やっぱ美味い! 」




 「ただいま」

 家に帰っても誰も出迎えてくれる奴はいない、いるのは……

 「ニャゥ」

 愛猫一匹だけだ。かれこれ十年以上はツレもいない。仕事馬鹿になってからはそんな気配すらもない。遂に癒しを求めてアメリカンショートヘアの女の子を迎えた。犬猫を飼うと、恋人が出来ないとかいう都市伝説があるらしいが、別にいい。いても面倒だし、こいつだけで今は充分だ。

 「お待たせ。……ごめんなぁ、今日は店長と長話してたんだよ。ちゃんとお前のおやつも買ったから許してくれよ」

 おやつ、に反応したようで、ずっと俺の後を追ってくる。まだだ、そんな目で見つめても、おやつはもう少ししてからだぞ。

 「ニャゥー」

 「……はぁ、分かったよ。ちょっと待ってくれ、俺も支度するからさ。さて、何があるかな……これ使うか」


 なかなか料理しない俺でもたまに作る事もある。親が作ってくれたお袋の味って奴だ。



 今日はご飯を炊き忘れたので、パックご飯を書かれている時間分レンジで温める。その間に油を用意して、プライパンに少し油を入れて、プライパンを温める。うちは、特に油の拘りはなかったので、普通のサラダ油だった。

 大体レンジの温めが終わるくらいには、手のひらで確かめたら、プライパンは暖かくなっている。

 次に、ご飯をパックから取り出し、冴え箸とかでほぐしながら炒める。ある程度ほぐれてきたら、高菜漬を入れたいだけ入れる。親はまな板であらかじめ切って入れていたが、今日はたまたま冷蔵庫に切ったやつがあったので、これを使う。

 高菜も温まったような感じがしたら、次は市販に売ってる、某あらかじめ食べやすいサイズに切れている分厚いブロックチーズを手でちぎって入れる。チーズが温まって溶けてきたらある程度完成だ。

 後は、チューブの醤油を適当に、味が付くくらい回しかけたら、見た目そのまま、『加瀬家の簡単チーズ高菜ご飯』の完成だ。


 時間がない時にぱぱっと作るから全部適当、目分量。

だから醤油が足りなければ後から足せばいいし、気分次第でちりめんじゃこが入ってきた事もあった。それでも、忙しい親なりに、栄養あるご飯を食べて貰いたかったんだろうなぁと、秋葉のチーズ話を聞いてから思うようになった。


 「ニャゥ」

 「はいはい、悪い、待たせたな。……はい、お待ちどうさま。……いただきます」

 愛猫のドライフードも同時に用意して、一緒に食べるようにしている。早く食べ終わってしまうので、一緒ではないような気もするけど。


 溶けたチーズの塩味、高菜のシャキシャキ感、いつも通りの味だ。何もそんなに工夫もないのに、何回作っても飽きない、不思議な味だ。

 愛猫は、よほどお腹が空いていたのか、ご飯皿はすぐに空になり、少し満足したのか、お気に入りの毛布に行ってしまった。


 「あいつには、悪いこと言ったな……」

 チーズ魔人とか言ってしまったが、俺だってつまみでチーズはよく買うし、冷蔵庫のチーズを切らした事はない。……言われてみれば、俺も昔から立派なチーズ魔人だった。

 「これ食べたら、あいつ喜ぶかな……」


 ……はっ、俺は一体何考えてんだ。あいつは部下だぞ、しかも歳下の。今日もストーカーだの、気持ち悪い呼ばわりされただろうが。それに好意なんかが加わったりしたら、また店長に飛ばされるぞ。




 「今日はチーズグラタンにチーズ追加するのか? それもうチーズ乗ってるだろ? 」

 「こんなんじゃ足りないですよ、チーズグラタンって言うなら、もっとチーズ欲しくないですか? 」

 「あぁ、なら増やせばいいよ。カルシウム摂るんだろ」

 「言われなくても、そのつもりですよっと」


 秋葉は、冷蔵庫で常備してあるチーズシリーズの中から、本日使用するチーズを吟味し始めた。しばらくして、小さいサイズのクッキング用チーズを取り出した。それをパラパラ振りかけるかと思いきや、ハサミで袋を開けると、袋の中身全てを満遍なくかけ始めた。


 「……秋葉、知ってるか。カルシウムも摂りすぎはいけないんだぞ」

 「はい、知ってますよ。その上で摂ってますから。それに、これを入れても一日の摂取上限は超えてないから大丈夫ですよ、ほら」

 袋の裏面を見せながら、得意げに話した秋葉は、チーズ盛りグラタンをレンジで真顔でチーズ具合を確かめながら温め始めた。

 

 「……そうか、そこまで好きなんだな、お前は」

 「え? 」

 「あ、嫌……俺もよく考えたら、よくチーズ食べてたからさ。この前チーズ魔人とか言って悪かったなぁって思っ」

 タイミングよくレンジの音が鳴った。珍しく秋葉が温め途中で扉を開けなかった。ガラス越しにびっくりした顔で、秋葉が固まってしまってるのが見えた。

 「……あぁ、き、気にするなよ? 別にお前みたいにチーズ大好きな訳じゃないからな、ただ美味いから食べるだけだからさ、ははは」

 ミトンをして、そっとグラタンを取り出す。山盛りチーズは、マグマのように煮えたぎっていた。チーズの罪深いクリーミーな匂いが部屋中に漂っている。


 「ふふっ、加瀬さん。好きなら正直に言えばいいじゃないですか」

 「はっ、だ、誰がお前なんか! 」

 「違う、チーズの話ですよ! ……からかうから嫌いなのかと思ってました。毎回横でチーズ系ばっかり食べるから、もしかして嫌いなのかなって」

 俺の前でそうやって優しく笑うな、調子が狂う。


 チーズイングラタンなのか、グラタンみたいなチーズなのか、もうよく分からない物を、美味しそうにスプーンで掬って、ゴムのように伸ばしながら、ニコニコしながら食べている。実に幸せそうだ。

 「どんなのが好きなんですか、とろけるタイプですか、それともそのまま食べるタイプですか? 」

 「んー……どっちもだな、あえて食べる奴を溶かすのがいいな」

 「ほぉ、どうやるんですか? 」


 この前作った親直伝のチーズ高菜ご飯の話をした。途中からスマホにメモし始めた。こいつ、作る気だな。

 「なるほど、美味しそうですねぇ、アレンジ出来そうだし、いいメニューじゃないですか」

 「秋葉からそんなに言われたら、親も嬉しがるよ。後で」


 『マネージャー、マネージャー! レジまでお願いします! 』

 「ちっ、またかっ! 」

 アルバイトの身分ではあるが、マネージャー業務を任されるまでにはなれた。後もう少しすれば、社員試験があるはずだ。そうなれば……

 「大変ですね、マネージャーって」

 「まぁな、仕方ない。その分お前らより少しは貰ってるからな、後で食べるからそのままにしといてくれ」

 「はぁい。……ん? 」



 「はぁ、終わった……」

 「お疲れ様です、何だったんですか? 」

 「テンパって金額間違って入力したら、お釣りがいくら返したらいいか分からなくなった。そしたら列が伸びたから、だとさ。電卓出しとけばいい話だったんだが、まぁテンパり出したら電卓も上手くいかないだろうしな」

 「まぁ、レジあるあるですね。応援呼ぶのが一番ですね」

 秋葉は、グラタンはもうほとんど食べ終えていた。食べるのも早いんだよな、こいつは。

 「それで、続きは何ですか? 」

 「は? 何が? 」

 「後で、って言った後、さっき呼ばれたじゃないですか。後で、何ですか? 」


 ……何を言おうとしたかの記憶がない。どうしよう、何を期待してるんだろうか。

 「忘れた、ですか? ……はぁ、てっきり何処かチーズ専門店にでも連れて行ってくれるのかと思ったのに。違うんですね」

 「い、行ってくれるのか? 」

 「別にいいですよ、休みが合えば、ですけど。基本休みの日は暇ですから」

 秋葉は腕を組んで、期待の中に何か企んだような眼差しで俺に微笑んでいる。これは、あれだ。あの目は……こいつがたまにやりやがる、奢ってくれるのを期待してる目だ。


 「じゃあ、いつか分からないけど、そのうちな。……俺が覚えてたらだけど」

 「うわっ、逃げた! 加瀬さん、そういう事あるから彼女出来ないんですよ! 」

 「うるさい! 大きなお世話だよ! もう休憩終わりだろ、戻りな」

 「……絶対覚えときますからね、絶対連れてってくださいよ! 」

 少し弾んだ歩き方で、秋葉は休憩室を出て行った。



 「……あれ、これって……? 」

 チーズのおかげで彼女と話せる機会が増えた、だけではなかったようだ。

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